第47話 「てか、絶対日焼け止め塗るべきだったな」


 それからしばらくして。ウォータースライダーは俺たちの番となったが。


「大人の方は一人一人でお願いします」


 ウォータースライダーの順番管理をしている人に、そう言われた。大きなプールだとカップルで楽しそうに滑れるみたいなのに。

 こういうところは、さすが市民プール。カップルにイチャイチャさせないぞ、という意思が感じられる。

 たぶん、予算の問題だとは思うけど.......。


 左右に振られながら、狭く長い滑り台のようなものを滑り終え、少し深さがある小さなプールに体を放り投げられる。

 その拍子に水が鼻の中に入り、めちゃくちゃ痛かった。



「何それ! 稜くん下手すぎる!」


 姫坂市民プールの入口から、かなり奥の方へと進んだそこにあるのは、フードコートのような場所だ。

 フードコートほど食が豊かな訳では無い。器だって設置してあるゴミ箱に捨てられるように、全てプラスチック製の百均に売ってそうなやつだ。

 そこにあるテーブルのひとつで、夢叶は高らかに笑い声を上げた。


「そこまで笑うことないだろ」


 こんなに笑われると思ってなかったし。てか、夢叶の声が大きいから結構見られるし。恥ずかしい.......。

 その恥ずかしさから逃れるように、購入して焼きそばを頬張る。

 ソースといい感じに絡み合って、喉が渇くであろういい味付けだ。


「ごめんごめん。でも普通、そんなことにならないよ?」


 小さな器に入ったうどんをすすってから、夢叶はニタニタと笑う。

 そして思い出したように、ぷっ、と吹き出す。


「いや、なるだろ。あんなに急に放り出されたら」

「いやぁ。多分ね、稜くん呼吸の仕方下手なんだよ」

「呼吸の仕方に上手いも下手もないだろ」


 いじけるように言い放ち、テーブルの中心に並べて置いてある唐揚げを取り、口に運ぶ。


「あるかもしれないよー。あ、唐揚げ美味しい?」

「息継ぎの下手はあっても、普通の呼吸ではないだろ。まぁ、普通かな」


 香ばしい味はするが、夏祭りとかで買えるそれと似た味で。家や専門店で買えるそれとは比べ物にならない。


「まぁ、そうだよね」


 どっちに対しての答えかは分からないが。そう告げた夢叶は、俺と同じように唐揚げを口に運ぶ。


「ほんとだ。普通だ」


 何度か噛んだ後、夢叶は口角を上げてにまっと笑って言った。


「それで今からどうする?」


 このままの流れで話していると、またいじられそうな気がしたから。俺はそう話を振る。


「んー、そうだなぁ。リベンジいっとく?」

「その話はもういいよ!」


 せっかく話を変えようとしたのに。そこから逃がしてくれない夢叶は、小悪魔じみたイタズラな表情でそう告げる。


 付き合いはじめて思ったけど、やっぱり先生の時とは違うな。いつもは真面目なのに、こうやって2人でいると女の子らしい部分が多くて。意外と言えば怒られるかもだけど、こういう夢叶を見られるのは凄く嬉しい。


「それで、本当にどうするんだ?」

「どうしよ。もう1回ぐるぐる回る?」

「まぁ、残ってるの25メートルプールとかだし。そうなる、かな」

「だよねー。流石にプールに遊びに来てるのに、ガチ泳ぎとかしないよね」


 俺の提案に、夢叶は唐揚げを頬張りながら答える。少し声を潜めて言ったのは、泳いでいる人もいるだろう、と推測したからだろう。

 やっぱり夢叶は周りに気も配れるし、流石だなって思う。

 あ、そうだ。


 水陸両用短パンのポケットに手を入れる。一応プールに入る前に、ジップロックに入れていたスマホを取り出して、夢叶に向ける。


「な、何よ」


 少し照れたような表情を見せる夢叶。うん、可愛い。てか、スマホすげぇ。ジップロックに入れてたけど、ウォータースライダーとかで揺らして、水中にあったのに。

 いつも通りに使えて、不具合も感じられない。


「写真、撮ってもいい?」

「な、なんでよ」


 カメラを起動しながら夢叶に訊く。夢叶は空になったうどんの入っていた容器に視線を落とし、恥ずかしさを孕んだ声で聞き返す。


「ダメ、かな? 俺たち付き合ってるのに、写真もないなって思って」


 言うのはちょっと恥ずかしいけど。でも、夢叶の写真が欲しくて。せっかく付き合ってるんだから、やっぱり彼女の写真は欲しい。


「い、いいけど.......」


 宙に視線を彷徨さまよわせてから、夢叶は消え入りそうな声で呟き。昼食を買う前に、ロッカーから財布を取り出した時に一緒に持ってきたスマホを俺に向ける。


「私も撮らせてよ?」


 少し顔を赤らめて、蚊の鳴くような声で。夢叶は俺に言った。


「お、おう」


 改めて言われると恥ずかしいな。カメラのレンズに向けて、短く返事をする。

 甘ったるい。ふわふわした空間が俺たちの周りに広がっている。

 先生と生徒。そんな普通ではありえないような関係から始まった恋だから。考えにくい関係から生まれた恋人関係だから。

 普通の恋人関係なら簡単に出来るような事が、簡単じゃなかったりする。いや、普通の恋人関係でも難しいのかもしれないけど。

 でも、立場も年齢的な部分でも。やっぱりハードルは高いような気がする。


 それから互いに写真を撮った。そしてプールに戻り、流れるプールで笑顔を浮かべる夢叶を撮ったり。撮られたり。

 楽しく過ごしていると、次第に日は暮れて。プールの水面には茜色が落ちていた。


「すっかり夕方になっちゃったね」


 閉園の30分前だというアナウンスが流れ、俺たちはプールから上がった。


「まさかこんなに長くプールにいるとは思ってなかった」


 黒い長髪に付いた水を落とすように、毛先を軽く握っている夢叶にカメラを向けてパシャリ。

 言葉を放ちながら写真を撮ると、分かりやすく慌てる夢叶が「もぅ!」と言う。

 夕陽になったからか。プールサイドはどこに立っていても、足の裏が焼けるような熱さを感じることは無い。


「ねぇ、稜くん」


 髪からはまだ水が滴っているが、それでも上がった時よりかはマシになった。その状態で、夢叶は真剣な瞳を俺に向けた。


「なに?」

「最後に、ツーショット撮ろ?」


 俺は夢叶を。夢叶は俺を。それぞれ写真は撮ったけど、まだツーショットは撮っていない。バレた時が怖いから、言い出せずにいた。俺が提案すれば、夢叶は受け入れてくれるだろう。でも、夢叶の立場を考えると証拠がある状況がいいとは思えないから。


「いいの?」


 凄く嬉しい提案だ。でも、それが俺を思っての言葉だったら。夢叶にとっては負担にしかならないのなら。

 ――我慢は出来る。


「うん。2人の思い出を残したいから」


 夕陽の色を頬に滲ませた夢叶が、俯き気味に、俺の表情、態度を伺うように。周りの喧騒に掻き消されてしまいそうなほど小さな声音で告げた。


「いいよ」


 彼女の凛とした声は、幾ら小さくても俺の耳に届く。幾ら周りがうるさくても。

 夢叶の言葉は、表情は真剣で本物だと俺は思った。俺のためだけを思ったそれじゃない、そう感じられた。夢叶自身も、それを望んでいるんだと。

 嬉しかった。嬉しくて、彼女の熱に当てられて。

 自然と俺の頬も紅潮していくのが分かった。


 夕陽をバックに。俺と夢叶は息遣いすら分かる距離まで近づいて。少し恥ずかしさを滲ませた笑顔とピース。

 ――カシャッ。

 その一瞬を、夢叶のスマホで切り取った。決して褪せることのない、思い出が1枚の写真となったのだ。


「後で送るね」

「うん、待ってる」


 短く言葉を交わしてから、俺たちはそれぞれの更衣室に向かって着替えを済ませた。

 出入口で再度合流してから、バス停に並ぶ。


「なんか、私服の夢叶を見るのが新鮮っていうか」

「それわかる。ずっと水着姿だったから、微妙に変な感じだよね」


 この状態が普通なはずなのに、夢叶の水着姿が目に焼き付いてるから。服の下にあの肌があるのだと、あの柔らかい胸があるのだと、勝手に妄想してしまう。

 そんな夢叶の顔は、鼻の頂点やらがトナカイの如く真っ赤になっている。


「だよな。最初は水着姿のが変な感じなのにな」

「ほんとに! 慣れるっていうのは怖いよね」


 他愛ない会話を繰り返しているうちに、姫坂駅行きのバスがやってくる。プールも閉園間近ということで、客は少なくなっていた。それも相まってか、バスの乗客も少ない。


「座れそうだな」

「うん」


 俺の呟きに夢叶は小さく微笑みながら頷いた。停車したバスに乗り込む。最奥の長い座席の1つ前の二人がけの席に腰を下ろす。

 一緒のプールに入っていたはずなのに、何故か夢叶の髪からはいい匂いがする。一体何が違うんだ?


「ふぅー、疲れたねー」

「うん。夢叶、今日はありがとね」

「稜くんこそ、来てくれてありがとね」


 席に座るなり、ぐぅーっと背筋を伸ばした夢叶。その拍子に洩れる声が妖艶で、エロい感じに聞こえてしまうのは、水着姿を見たからだろうか。


「また、夢叶と遊びたいよ」

「それは私も」


 出来る限り、その思考を頭の端に押しやりながら言葉を交わしていると。不意に、夢叶が大きな欠伸を浮かべた。


「眠い?」

「あはは、ちょっとね」


 力無い笑みを浮かべながら、夢叶は申し訳なさそうな声色で告げた。


「ちょっと眠る?」

「いいの?」

「俺もちょっと眠いし」


 本当はあんまり眠くないけど。眠さに耐えながら話す夢叶を見るより、すやすや眠ってる夢叶のが見たい。


「それならよかった」


 安堵を込められた言の葉で。夢叶は紡ぐと、「じゃあちょっとだけ」と告げて目をつぶった。

 綺麗な顔立ちは目をつぶっていても分かる。まつ毛も長いし、口から僅かにこぼれる吐息はやはり色っぽさを含んでいる。

 その顔をしばらく見ていると、バスがバス停に停った。その拍子に車体が揺れて夢叶の頭が俺の肩に乗る。


「いてっ」


 恐らく日焼けだろう。服の生地と日焼けした肩が擦れてめちゃくちゃ痛い。思わず声が出るほどだ。

 頭を退けようかな、そう思った。だが、規則正しい呼吸で気持ちよさそうに眠る夢叶を見ると、痛みなど忘れた。


「可愛い寝顔」


 綺麗な寝顔の彼女に気づかれないように、こっそりとスマホを撮り出す。


「はい、チーズ」


 そしてサイレントカメラを起動し、ほとんど息で形成された言葉を吐き、夢叶の寝顔を写真に納めたのだった。



 バスが姫坂駅に着いて。俺は夢叶を起こした。


「着いたよ」

「.......ん?」

「姫坂駅に着いたよ」

「.......あっ! ごめん!」


 慌てたように起きた夢叶は、いの一番に謝罪を口にして口元を手の甲で拭った。


「寝ヨダレなんて出てないよ」


 意地悪をするように。俺がそう言うと、夢叶は素早く手で口元を覆い顔を赤くする。


「ほ、ほんとに?」

「ホントだって」


 最後まで笑いあって。俺たちは姫坂駅で別れた。夢叶は家へと、俺はみなが荘へ戻るために電車に乗った。





 そしてその夜。

 夢叶から、今日撮った写真が送られてきた。俺が笑っている姿や、少し不貞腐れたかのように両頬を膨らませている姿。色んな姿が写真の中に収められている。

 その1番最後にははじめて撮ったツーショット写真があった。

 それを見ただけで今日1日の思い出が全部蘇るような。そんな感覚になれる。

 それに答えるように、俺も夢叶に今日撮った写真を送った。最後の最後、バスの中で撮った夢叶の寝顔を除いて――



「てか、絶対日焼け止め塗るべきだったな」


 今からお風呂に入るのだが。鼻、肩、背中の皮膚が真っ赤になっている。おそらく、水が触れるだけでめちゃくちゃ痛いだろう。

 そんな自分の姿を確認して、そう呟かずには居られなかった。

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