第8話 幕を引いて

「……私の願いはさぁ。『弟を殺した奴を殺せるだけの力が欲しい』だったよね~」


 遠い昔のような聖剣への誓いを思い出しながら。ルナは銀糸を手繰り螺旋を描き、気だるそうに呟く。魔獣は頭を低くしながら唸りを上げて、ルナに突撃してきた。

 それを左右から編み物をするように銀糸同士を絡ませあい、即席の盾を創り受け止める。


「私はいつでも中途半端。弟は甦らせられなかった。いじめを止める事もできなかった。家族を繋ぎ止める事も、できなかった……」


 ぎぎぎぎ……っと糸の盾を軋ませながら。魔獣は冬月ルナを噛み砕こうと大口を開いて糸に噛みつく。


「そんな私が唯一出来る事。それはいじめた奴らに復讐して~弟の死体を食い散らかした憎たらしいお前を殺す事だよ~」


 相手の力に糸が負けているのか、じわじわと魔獣は彼女に迫る。


「それでいいよね~だって私、腹の虫が治まらないんだもん」


 額に玉のような脂汗をかきながら。冬月ルナはさらに銀糸を編み上げて、盾を強固な物にする。しかし……結果は良いものではない。


「ねぇ……タカシごめんね~。お姉ちゃん弱っちくて、さ……。最初の時にこいつを殺しきれなかったよ~」


 さらに銀糸が増えて、うねるように滞空する。また盾が増えるのだろうか?

 いや。違う。

 今度は銀糸が魔獣の首にまとわりついて、切断しようとしているのだ!


「核に戻すのが手一杯でね~止めをさせなかったのさ~」


 巻き付いた糸が魔獣を縛り上げて、さながら斬首刑の如く首を斬り落とそうとしていた。

 しかし魔獣も負けてはいない。思いっきり首を振るうと彼女ごと、結界の壁に叩きつけたのだ。

 糸の盾が崩れ、滞空していた糸達も緩やかに落下する。


「あいたた……やっぱり強いねぇ……。こいつら喰ってからますます強くなってない?」


 ぶんぶんと頭を振って自分を叩き起こす冬月ルナ。彼女の意識が戻った事で、銀糸がまた動き始める。複雑な模様を描いて彼女の周りを巡り、波のような軌跡を創り魔獣に迫る。魔獣はその気配を察知して、跳んで身をかわす。さらに上下左右から銀糸が迫るも、魔獣はしなやかに跳んで軌跡をかわしてゆく。銀糸もそれを追うが糸と糸の間をすり抜けて逃げる。あの巨体で何て動きなのか……ルナの手のひらが汗でしっとりとなる。


「まぁでも。お姉ちゃんけじめつける為にしっかり頑張るよ~。

 ……だってもう。願いとか幸せとかいらないもんねー」


 ふ……と顔から力が抜けて、自嘲するような笑顔に変わるルナ。そうだ、もう自分には大切なもの等何もない。大好きだった弟は死んだ。優しかった家族はバラバラになった。それを奪った奴らはのうのう生きているというのが気に入らないだけで、こんな願いを誓った。自分の欲しかった願いは全部叶わなかったから……だから、全部バラバラにしたくてこんな願いを誓った。

 やれやれ、我ながらしょうもない願いだねぇと。弾幕の如く高密度に銀糸を束ね、糸の津波を創り出す冬月ルナ。そのまま全てを切断する津波は魔獣を飲み込まんと迫る。

 しかし魔獣は後方に跳んで逃げ仰せる。やはり大味な技では仕留めきれない様子だ……。かといって小技でも相手は気配を察知する能力も高いのでかわされてしまう……。

 何か良い手は無いだろうか? 銀糸を織り込み盾を創り、魔獣の突撃を再度止めながら。冬月ルナは冷や汗を浮かべて唸る。はっきり言って勝てる見込みは薄い。今まで見ている限りこの魔獣と自分は互角、あるいはそれ以上の力の持ち主だろう。網目の盾から覗く、牙と大口を睨みながら。冬月ルナは感じていた。

 刹那。上顎が震えたのをルナは見逃さなかった。理解よりも早く銀糸を天井に放ち突き刺して。フックショットのアンカーみたいに自分を高速で持ち上げ。相手が頭を振るう瞬間に合わせて盾の銀糸を解いたのだ。

 当然首を振るうが勢いがつきすぎて体勢を崩す魔獣。


「チェックメイト、かな~」


 その瞬間だ。解けて滞空していた銀糸達が魔獣の首に巻き付き縛り上げる。慌てて逃げようとした魔獣だが、前足後ろ足も縛られて。地響きと共にその場にうつ伏せる。


「中々固いね~。早いとこ斬れちまいなよ~」


 その魔獣をぎりぎりと銀糸を手繰り怪物を締め上げるルナ。魔獣の喉から嗚咽が漏れるが彼女にはお構い無し。締め上げは弛めない……。


「後少し、後少しで全部終わりだよ~。憎たらしい学校の連中は皆化け物に喰わせた。生き残りは身体にも心にも大きな傷が残った。何言っても一般人連中なんかが『友達も先生も皆化け物に喰われました』なんてコートームケーな真実は誰も信じない。生き残り達は生きてる限りはずっと苦しい……」


 そこまで言って、冬月ルナはすっ……と双眸を狙い撃つように細める。


「後はお前が死ねばいい。そしたらもう、誰も襲われない。

 だからお前は――死ね」


 彼女の殺意に呼応して、銀糸達がさらに強くなる。魔獣の首を斬り落とそうと、必死になる。


「グギギギ……! グギャウッッ!!」


「呆れる程しぶといねぇ~。私全力尽くしても足りないかな~」


 のんびりおっとりした口調とは裏腹に。冷や汗まみれになりながら、冬月ルナはさらに銀糸を増やす。


「……しかし糸か~。私にお似合いの武器だよね~」


 ふっ……と自嘲気味に。ルナは哀しい笑いを作る。


「誰かを繋ぐ鎖でもない。誰かを結ぶリボンでもない。誰かを守る盾でもない……。

 剣みたいに護りながら振るえないし槍みたいに華やかに戦えないし斧みたいな力強さも無い……何にもなれない、何にもできなかった自分には、ちょうどお似合いの武器かもね~……」


 双眸に涙が溜まり、頬を伝って溢れ落ちる。そう。自分の力は糸だった。強くもなければ何もない、只の、糸。不可思議な力で出来ただけの、只の糸。何かを繋ぎ止める力も無ければ結ぶ事も出来ない……只の糸だ。

 

 その瞬間。糸が弛み、魔獣の右前足が動き、彼女を叩きのめした。

 

 糸が弛んだ理由は判らない。彼女の感情が揺らいだ為か、それとも魔獣の力が強かった為か……はたまた両方かは判らない。

 だが事実として。彼女は叩きのめされ壁に背中から激突していた。またしても糸が外れ、魔獣が解き放たれる……。


「んもぅ……やんなっちゃう」


 頭を振って意識を戻しつつ、よろけながら立ち上がる冬月ルナ。

 ぼたぼたと、大粒の血液が溢れ落ちて。彼女を中心に紅の湖を作り出す。

 どうやら致命傷を負ったみたいだと。ふらふらしながら今にも失いそうな意識の中で、冬月ルナは悟る。顔から何か流れ落ちていたので触ってみたら、赤黒くなりつつある血液が大量についていた。


「グルルルルッッ!」


 頭を低く垂れて、唸り声と共に襲いかかってくる魔獣。ぱっくりと大口を開けて、喉の奥まで生えた牙を見せつけながら、涎を垂らして突撃してくる。


(こりゃどーも、身体が重いね)


 対する冬月ルナは。ふらつきながら嘆息した。どうにも身体がいう事を聞かない。先の致命傷が効いているらしい。今すぐ座り込んで、倒れたい衝動と激痛。さらにはそれを塗り替える恍惚感が迸る。

 その瞬間から。時間がゆっくりと流れる。牙の剥いた顎が迫り、こちらの肉体を喰い千切るまで、全てがゆっくりと流れてゆく。

 その中で何とか錆び付いたように固い身体を叱咤し、ルナは銀糸を滞空させる。だが銀糸の動きは鈍い。今までの不規則な波浪とは違い、螺旋を描くのが必死みたいだ。


「……ほらほら。さっさとおいでよ~化け物さん。あんたの獲物は~ここにいるよー」


 気の抜けたサイダーみたいなのんびり口調で、魔獣の突撃を待ち構える冬月ルナ。しかし……もう無理だろう。何故なら今の彼女に、魔獣を受け止める力は残されていないはずだから……。


 刹那。彼女の右手から銀糸が一筋、魔獣の右目に向かって伸びた。

 

 鋭い銀糸はまるで弾丸のように正確に、魔獣の右目の一つを潰した。


「グギャウッッ!!」


 眼球を潰される激痛に、思わず魔獣も止まる。

 その瞬間を、冬月ルナは見逃さない。持てる全ての力を注ぎ何十何百もの銀糸を形成し、間を置かずに魔獣全ての足と身体、そして首を縛り上げた。


「よぉし……これで今度こそチェックメイトだぁ」


 血糊でべとべとになった凄惨な顔で。冬月ルナはにやりと笑う。


「やっとお前を殺せる……これで未練はもう無いよ……」


 さらに銀糸を増やして。容赦なく縛り上げるルナ。まだ切断まではいかないが、それでも銀糸の隙間からは血液が滴り落ちていた。


「グルルルルルルッッ……!!」


 魔獣も引き千切ろうと必死になるので、


「唸るなよ駄犬が~……!」


 冬月ルナも、さらに糸を増やす。もうかなり肉に食い込んでいる。滴り落ちる薄汚い血液の量からもそれが窺えた。


「お前が何で生まれてきたのか、お前が何なのかは知らない……。だけど、弟の怨みはお前にぶつけさせてもらうよ~」


 観念しなよと呟いて。ルナは最大の力を注ぎ込む。

 そしてその瞬間。全身を蚕の繭玉みたいに銀糸で巻かれた胴体と首が、別れて落ちた。


「やっと……仕留めた……!」


 冬月ルナが笑った。とてもおぞましい笑顔だった。苦痛と憎悪に身体と心が耐えられないから出てくるような、全てを忘れたい解放の渇望の、笑顔。醜いとか汚いとかではない。健全ではない世界で自分を守る為に出るような、そんな笑顔だった……。


「やっとだ……! やっと終わった……!!」


 膝から崩れて、その場に落ちる冬月ルナ。

 

 しかし。そんな彼女を首だけで、魔獣は右半身を噛み砕いたのだった。

 

「……あ」 


 ぱちくりと呆気に取られる顔立ちの冬月ルナ。魔獣は全力を使い果たしたからかそれだけで終わり、首が落ちて塵になって消えてゆく……。


「あぁ……そっか。死ぬのか、私……」


 半身の無い冬月ルナも、そのままうつ伏せに倒れた。


「これが、死ぬ……って奴か。どうしてかな……不思議と死ぬのが恐くないよ……」


 どくどくと止めどなく流れる血液の中で、冬月ルナは疑問を感じた。人間死ぬのは恐い筈なのに……人間痛いのは嫌いな筈なのに……?

 不意に自分の右手が、目の前に落ちてくる。手の甲に『翼ある太陽』のアザがあるその右手は、間違いなく自分の右手であった。

 やがて右手のアザが輝きをまとい立ち昇り降り注ぎ、彼女を包んでゆく。

 何だろう、この輝き。とても心地が良い……。溢れ、降り積もる淡雪のような光の粒達を見ながら。冬月ルナはどんどん生きる事に諦めの気持ちを抱いてゆく……。優しく労われ、子守唄と共に眠りについてゆくような心地。冬月ルナは血溜まりの中で、そっと眸を閉ざしてゆく。

 ふと傍に。誰かの気配を感じた。誰だろうか? ルナは視線だけで気配へと閉じかけの視線を向ける……。


「あぁ何だぁ。ティストルちゃんかぁ……」


 知っていた顔に、綻ぶルナ。そこには確かに聖剣ティストルがいた。月光を氷の中に閉じ込めたような髪も、可愛いくて……悲しみを湛えた顔立ちも変わらない。


「……マスター。お別れ、ですか」


 影が差し込むティストルに、


「……そうだねぇ。ここでお別れかなぁ」


 ルナはため息を出して答えた。


「ねぇ……この心地好いのは聖なる剣の力なのかな……? 不思議と死ぬのが……恐くないんだよね……」


「はい。私の力でアバスの力でもあります。今まで死に別れたマスター達も、そう仰られていました……」


 それを聞いて、「そっかぁ」と力を抜く。


「これで良かったよね~。あの魔獣はやっつけた。私は憎たらしい奴らを全部殺した。問題は後、私が消えるぐらいかな……」


 ごほ……っと血の咳を吐くルナ。


「大丈夫ですよ……。勇者の力は役目を終えた亡骸を消し去る力もありますから……」


「なら。一安心だね~

 ……」


 冬月ルナは。少しずつ消え始めている結界を眺め、


「ねぇ……また私、弟と会えるかな……?」


 ぼろぼろの身体で、ティストルに笑いかけた。

 ティストルは何も答えない。


「また……笑って遊んでくれるかな? きっとまだ……塞ぎ込んでいるだろうけど……また……一緒に……遊んで、欲しいな……」


 一人語りのような口調……。そろそろ限界なのだろう。彼女の双眸も濁り、瞼が降りてゆく。ゆっくりと、全てを溶かす永遠の闇の中に、彼女を導いてゆく。


「さようなら。ティストル。力をありがとうね。お陰で私……弟の無念を……晴らせ……」


 その言葉が。ルナの最後の言葉だった。そのまま眠るように息を引き取り、彼女は短い生涯を終えた。


「アバスよ。神の力、女神の加護よ……。どうか道を誤りし者にも、復讐の凶刃に倒れた者達にも安らかな眠りを……

 ……おやすみなさい。冬月ルナよ。そして、彼女の凶刃に倒れた者達よ……」


 その言葉に従い、光達が集うと彼女の亡骸を消し去った。


「私はいつも、死に別れてばかりですね……」


 ティストルは。彼女の右手があった場所に落ちていた翼ある太陽の結晶を拾う。

 水晶みたいな色合いのとても脆い結晶。触った瞬間に砕けて散った。


「私はいつまで……新しい勇者を導いて、死に別れなければいけないのでしょうか……?」


 結界の消失寸前に。ティストルは消えた。

 後は何も残らない。

 ただの黄昏が差し込む校内だけだった。


◇◇◇


 ……世間を一時的に騒がせ迷宮入りしたとある学校の集団失踪事件。教職員全員と生徒の殆どが突然消失し、僅かな者達が生き残ったこの事件。重い障害を遺して生き残った者達から話を聴くも塞ぎ込み不可能な者や「化け物に食べられた」など不可解な事しか聴けず。結局は恐怖で狂ったという理由で片付けられ。やがて彼らは毎晩のように悪夢にうなされ訴えるも誰も信じず、自ら一人、また一人と自殺を図ったと、迷宮入りした事件の一つとして伝わっている……。

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銀糸の勇者・冬月ルナ なつき @225993

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