extra story . 不思議の国のアリス

< ……ございます。しっか……顔…い、……も素晴らしい1日にしましょう。 おはようございます。しっかりと顔を洗い、今日も素晴らしい1日にしましょう。 >




 スピーカーから流れる、朝の放送。わたしの1日は、いつもここから始まる。


 寝ぼけ眼をこすりながら、身体を起こして小さくあくび。背中と腕の筋を伸ばしながらぼーっと天井を眺め、そのまま寝癖がないか頭をチェックする。

 右、左、異常なし。うん、良きかな良きかな。

 乱れのない髪に満足しながら、ゆっくりと毛布をたたむ。それからベットを降りて、もう一度あくび。両手を天井に伸ばして軽くストレッチをしてから、的確な足取りでテキパキと洗面台に向かう。


 その途中、1つのベットの横を通る。そこには毛布を頭から被り、未だに熟睡している少女が1人。朝の放送など意に介さず、夢の世界を漂い続ける少女にはある種の清々しさすら感じてしまう。

 まったく、しょうがないんだから。


 わたしは少女の身体に触れて、

「ちょっと、朝の放送終わったよ。早く起き――」


 わたしの言葉を聞いて、少女は僅かに身体を動かし、歯切れの悪い言葉を口ずさむ。もうちょっとだけぇ、と決まり文句を口にして――けれど、少女は光の中に溶けていく。姿形は綺麗さっぱりなくなって、空のベットが目の前に現れた。


「……ははっ。何やってんだろ、わたし」


 『ドーワ』に来てから、わたしに同居人はいないというのに。




   ♤ ❖   ♧




 わたしは、どうしようもなく自分本位な人間である。それを自覚したのは、3年前のあの騒動――アン姉が『虫憑き』の計画の犠牲になった時だった。


 3年前のあの日まで、わたしは『虫憑き』だった。何故かと問われれば、そこに大した理由があったわけじゃない。ただ、何の躊躇いもなくわたしを手放した両親と、御星に感謝します、なんて毎日祈りの言葉を吐いている『ドーワ』の連中と、18才で終わってしまう自分の人生が生理的に気に入らなかっただけだ。

 『ドーワ』と敵対する組織があると聞いたとき、こんな所にいるくらいなら『虫憑き』になった方がマシだと思った。もう誰に教えて貰ったかは、微塵も覚えてないけれど。


 わたしが『虫憑き』になってすぐ、過激派の連中に声をかけられた。

 今、『ドーワ』を壊滅させるための計画を立てている。アン姉に実行役を任せているけれど、不安がないわけではない。万が一、もしアン姉が怖気付いて毒の使用をためらった場合は、わたしに代わりをやって欲しい。要約すると、こんな感じだった気がする。


 アン姉は『虫憑き』になって日が長かったし、同じ悩みを持つ家族として信頼していた。だから、アン姉が『虫憑き』達を裏切るとは思わなかったけれど、どうしてもとしつこく言ってくるので渋々承知した。


 今にして思えば、彼らの勘は鋭かったと言わざるを得ない。結果だけみれば、『虫憑き』達の不安は当たっていたのだから。


 計画実行の日の夜、アン姉が部屋から出たのを見計らって、わたしも自分の部屋を抜け出した。職員達に見つからないように食堂へ向かうと、アン姉と誰かの会話が聞こえてきた。

 ……あれが誰だったかは分からない。部屋は暗かったし、声も途切れ途切れにしか聞こえてこなかったから。ただ壁越しに聞き耳を立てていると、先に儀式がどうだとか、眷属がどうだとか、力になってほしいだとか、そういった声が聞こえてきた。

 話の内容はよく分からなかったけど、アン姉が計画を誰かにバラしたことは、直感的に分かったんだ。

 なんとかしなくちゃと思った。深呼吸をし、争いになる覚悟をしてから食堂に入ると、アン姉と目があって……気付いたら、わたしはベットの上で朝を迎えていた。


 これが、彼らの家族として道を間違えてしまった、わたしの罪の形。


 アン姉が自殺して、ベル姉がおかしくなって、ジャック兄も辛いはずなのに周りを気遣って。

 罪の意識に苛まれながら、わたしはようやく理解した。あの気に入らなかった日常は、他の誰かにとっては掛け替えのない宝物で、わたしはそれを壊してしまったのだと。わたしは、どうしようもなく自分本位な人間なのだと。


 それから1ヶ月の間、自分の部屋から出られなかった。

 誰かと合う度に、わたしのせいでその人が死んでいたかもしれないと思い、胸がぎゅっと締め付けられた。誰かが毎日話しかけてくれたけど、その声にすら何も答えてあげられなくて、ただ自分を呪いながらベットの上で丸くなっていた。色んなことから、わたしは逃げていた。


 そんな、鬱々としたわたしに転機が訪れたのは、”星誕の儀”が執り行われる前日の夜のことだった。


 わたしが寝ようとしたとき、不意にドアがノックされた。

 アリス、話があるんだけど。聞き慣れたベル姉の声が、わたしの耳に届いた。


 正直、ベル姉とは会いたくなかった。死んだアン姉とは大親友で、同じく大親友だったジャック兄は失踪していた。親友を2人も失ってしまった人にどんな顔をして会えば良いのか、さっぱり分からなかった。


 ただ、その気持ちと同じくらい、わたしは誰かと話がしたかった。自分の罪を全て吐き出して、早く楽になりたい。そんな自分本位な理由が勝り、怯えながらわたしは部屋の外に出た。


 ドアを開けると、ベル姉は優しく微笑んでくれた。散歩でもしよう。いつもの調子でそう言って、遊び場エリアの捻れ木の下に足を向けた。

 処刑台に向かう死刑囚の気分で、ベル姉の横を歩いた。言葉を交わさない時間が気まず過ぎて、いっそのこと職員に見つからないかな、なんて思いもしたけれど、結局誰にも擦れ違うことなく夜空の下に出た。


 わたしから、全てを話そう。捻れ木が見え始めた辺りで決意して、ベル姉の方を向くと、


「ねえ、アリス。大人になるって、どういうことだと思う?」


 わたしよりも先に、ベル姉が話しかけてきた。

 そよ風が、わたし達の間をするりと通り抜けた。月光に照らされながらベル姉は続け、


「わたしは、苦しみを受け入れるってことだと思う。自分の歩く道を自分で選んで、そのリスクや責任を自分1人で背負う。そういうことだと思うんだ」


 そよ風が吹き、草木がザアザアと揺れていた。まるで、わたしの心のよう。ベル姉が口を動かす度に、わたしの心は揺れ動いた。


 その罪の意識は、貴方が死ぬまで消えることはない。一生苦しみ続けるといい。そう責められている気がして、胸が苦しかった。


 ……言おう。今、言ってしまおう。洗い浚い全てを吐き出して、早く楽になろう。


 俯き、拳を握って力を込める。そして、意を決して全てを打ち明けようとしたとき、ベル姉はわたしの前に立って――


「でも、もし苦しみを背負いきれなくなって、自分1人じゃどうしようもなくなったら、アリスはちゃんと周りの人を頼ってね。『ドーワ』には、貴方を認めてくれる家族が沢山いる。少なくとも、わたしはその内の1人だからさ」


 また、わたしの心は揺れ動いた。

 許すとか、責めるとか、初めからベル姉はそういう話をしているんじゃなかった。天から降り注ぐ月光のように、ベル姉は愚妹のすべてを受け入れて、そっと優しくわたしを抱擁していた。


「――分かった。うん、分かったよ」


 ベル姉の背に手を回し、わたしも優しく抱きしめた。そして、罪の意識を心の奥に仕舞い込み、天に浮かぶ月の光に、この世の何よりも硬く誓ったんだ。


 これからは家族のために生きよう。兄姉達が、最後までそうしてくれたように。




   ♤ ❖   ♧




「それ、片付けないのか?」


 昼食を食べ終えて数分後、そんなことをアラジンから言われた。わたしはハッとして、けれど何事もなかったかのように振る舞う。


「ああ、お皿? 今、片付けようと思ってたとこだよ」

「その割には、何やらボーッとしてたみたいですけど?」


 失敬な、と誤魔化すように返答し、急いでトレーを小窓まで持っていく。

 図星だった。3年前のあの日から、ボーッとする時間が増えたのは自覚している。自分本位なわたしらしさを押し殺して、元気で活発なアリスを意図して演じるようになってから、相対的に疲れることが増えた。身体がバランスを取ろうとしていた。


 出口に向かうと、アラジンがわたしを待ちながら下の子達とじゃれあっていた。3つ年下のヘンゼルと、同じく3つ年下のイッキュウ。今日は森で3人仲良く何かをするらしく、穴がなんだの、ジャック兄の遺産がどうだのと小声で話をしている。わたしが近づくと3人は話を中断し、それじゃまた後で、と解散した。


「アンタ、今日も森行くの? 自由外出できるのも今日で最後だって、ちゃんと分かってる?」


 半ば呆れながら、わたしはアラジンに声をかける。

 アラジンはあからさまに嫌そうな顔を作りながら、母ちゃんかお前は、と呟く。


「はいはい、分かってますよ。明日から”断界日”だってことも、外に行けるのは今日で最後だってことも。全部承知の上で、オレはあそこへ行ってんの」

「……大概よね、アンタも」


 3年前のあの騒動以来、森にあった秘密の裏口は封鎖された。柵が取り替えられ、監視カメラが数台取り付けられたのだ。監視の目のある遊びなんて、純粋に楽しめるわけがない。だというのに、ジャック兄とよく森に行っていた名残からか、あの騒動の後もアラジンを含む何人かは森へ遊びに行っている。

 ジャック兄に流れていた変わり者の血は、脈々と下の世代へ受け継がれていた。


 願わくば、彼と同じように『ドーワ』から失踪しませんように。口には出さず、心の中で呟く。


「そう言えば、シラユキがどこにいるか知らない? 今日、あの子と町に行く約束してるんだけど」


 食堂の中を見渡しながら、ジャックに問いかける。

 ヘンゼルやイッキュウと同じく、3つ年下のシラユキ。寝ぼけ眼が特徴的な、『ドーワ』で1番のお寝坊さんだ。1週間前に彼女の方からお誘いがあって、一緒に町に行くことになった。なにやら悩みがあるらしいので、馴染みの店に挨拶回りをしながら話を聞いてあげるつもりだ。


「ああ、それなら――」




   ♤ ❖   ♧




 コンコン、とドアをノックする。『ドーワ』の最奥にある、精神衛生管理士カウンセラーのグリム先生の部屋。どうぞ、という部屋の主人の声を聞いてから、わたしは立て付けの悪いドアを開けた。


「お、シラユキ発見」

 

 アラジンの情報通り、シラユキはグリム先生の部屋でプリンを食べていた。グリム先生はいつもの調子で、台所でお湯を沸かしながらわたしに言う。


「よく来たね、アリス。さぁ、そこに座るといい。少し遅いけど、食後のコーヒーブレイクといこうじゃないか」

「いや、遠慮しとく。わたし達、今から町に行くんだ」


 そう言うと、シラユキが不服そうに声を挟む。


「ええ、もうちょっとゆっくりしてこうよぉ」

「……あのさ、わたしが明日から”断界日”に入るって、シラユキは知ってるよね?」

「うん、知ってるよぉ」

「…………」


 何だか無性に腹が立ってきた。

 自分から誘っておいて、精神が図太いというか、何というか。最後の外出日くらい少しでも長く町にいたい、というわたしの思いは伝わっていないらしい。

 グリム先生はクスリと笑い、

 

「まあまあ、シラユキだって食後のデザートを食べ終えていないんだ。少しくらい待ってあげても良いんじゃないのかい?」

「む……」


 シラユキの手元を見ると、確かにプリンは半分も減っていなかった。しょうがないな、とため息を吐き、お水を頼んでからわたしもソファに座った。

 

 このソファに座るのは久しぶりだった。

 3年前、”星繭の儀”とあの騒動の後はグリム先生に大分お世話になった。それが原因で、ここは精神が不安定な人が来る部屋、というイメージが着いてしまったので、ベル姉達のように気軽にここを訪れるような真似はしていない。

 他のみんなは、プリン目当てで来たり来なかったり。頻繁に来ているのは、シラユキを筆頭とした3つ下の子達くらいだろう。


 グリム先生がマグカップを運んできて、わたしに手渡す。それを受け取り、口元で傾けてからテーブルに置く。その時、近くにある1つの写真立てが目についた。


 ベル姉、アン姉、ジャック兄。たしか、わたしより6つ年上のカグヤ姉と、6年前までこの部屋の主だったアンデル先生。それから、逆光で顔が白く塗りつぶされた知らない誰かさん。この部屋で撮ったであろう彼らの写真が、そこには飾られていた。


「懐かしいかい?」


 不意に、先生が言う。わたしはただ、静かに頷くだけ。


 彼らの顔を見ていると、3年前の自分も一緒に思い出す。

 傲慢で、愚かで、この世の全てが生理的に気に入らなかったわたし。その感性は今も変わってはいなくて。だけど、他人の幸せがどうでも良いだなんて、今はもう思ってはいない。この世界に生理的な気持ち悪さはあれど、あの頃に生まれた罪の意識がわたしを『ドーワ』の一員たらしめていた。


 これが、彼らの家族として道を間違えてしまった、わたしの罰の形なのだ。




 こうして、なんてことはない考え事をしている内に、食後のコーヒーブレイクはあっさりと終わりを迎えた。

 シラユキがプリンを食べ終え、マグカップをトレーに乗せて、それでさようなら。わたし達はソファから立ち上がって、町に行くための準備をしに部屋に戻ろうとする。


「そうそう。最近、旧市街で物騒な事件があってね。何でも、9年ぶりに首切り殺人鬼が出たんだとか。行動を制限するようで悪いけれど、あんまりあの辺には近寄らないようにね」


 グリム先生が、わたし達に忠告してきた。


「「はーい」」


 2人揃って、暢気に返す。

 あんな辛気くさい所、誰が好んで近寄るものか。例え死ぬことになっても、2度と『虫憑き』とは関わらないと決めているのだ。


 シラユキの手を取って、わたしは立て付けの悪いドアを開ける。グリム先生は決まり文句を口にして、わたし達を見送る。


「行こう、アリスおねーちゃん」


 欠伸が出るような猫なで声で、彼女はわたしを誘った。




 星の慈愛に満ちた世界の、とある日の昼下がり。黄色い瞳の寝ぼけ眼が、穏やかにわたしを見ていた。

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星の器 大塚 はくしゅん @ih_hakase

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