32.わたし達の世界

 端的に言ってしまえば、シラユキから渡された光の粒は『星の器』の教科書だった。

 

 この空間はどういう場所なのか。わたしはどこへ向かうべきなのか。わたしは何をするべきなのか。そして、星の管理人になるということは、本当はどういうことなのか。

 そういった『星の器』としての最低限の知識を、光の粒は教えてくれた。


 わたしは知識を蓄えていく中で、彼女のことを、『慈愛の器』のことを考えた。

 あえて言う必要のない真実、不快になるような虚実をわたしに告げ、自分の在り方を否定させたシラユキ。彼女は紛れもなく、嘘を吐ける鏡だった。

 

 彼女があそこまでしなければ、彼女の夢は叶わず、しがらみも断てなかっただろう。初めから全てを説明しても意味はなかった。わたしが彼女の在り方を否定し、手を取るのを拒むことで、彼女とわたしの繋がりは完全に消え、『悪い虫』の感染は未然に防がれたのだ。


 ……しかし、当のわたしはと言うと、彼女のやり方にはまったく釈然としていなかった。


 あれじゃ勝ち逃げだ。

 言いたいことだけ言って、恨み辛みを一方的にぶつけられて、自分が満足したらさようならときた。


 まったく、自分勝手にも程がある。

 アンやカグヤ姉、アンデル先生、『リュウグウドウ』のおじさんの死。ジャックの消失。それらに対しまだ言い足りなかったし、それとは別に伝えたい言葉もあったのだ。不本意だけれど、それはそれと割り切って。

 

 あの時、わたしを救ってくれてありがとう。

 その一言を伝えられなかったと悔やみ、後ろを振り返る。そこに彼女がいるはずもなく、果ての見えない世界がただ雄大に広がっているだけだった。昼も夜もないこの世界では、時間の流れが曖昧だ。彼女と別れてから一体どれだけの時が経ったのか、もう検討もつかなかった。


 頭上にある真っ白な光を見上げながら、神秘の闇の上をひたすらに歩いた。

 ここではお腹が空かないし、眠気が襲ってくることもない。わたしの邪魔をするものは、何もない。軽くも重くもない足取りで、近いのか遠いのか分からない目的地をひたすら目指すだけだ。


 しかし、こうして歩いていると昔を思い出す。貧民街で母親を探し続けた、独りぼっちのかくれんぼを。

 あそこから全てが始まり、あらゆる幸せを与えられ、そしてまた1人に戻った。弱音を言うつもりはなかったけど、どうしても考えてしまう。


 ……やっぱり、独りぼっちは寂しいな。


 『ドーワ』で孤独を味わうことは殆どなかった。だからこそ、星になろうとしている今この瞬間も、慣れない孤独に寂しさを覚えていた。

 こんなことなら、シラユキが語っていた嘘のように、人間らしさは捨てて来れば良かったかな。そんな冗談を心の中で呟き、ちょっとだけ虚しくなって、進めていた足を止めてしまう。


 ……少しだけ、休もう。


 精神的な疲れを感じ、神秘の闇の上に寝転がる。手足を大の字に広げ、無色の雨を全身で受け止めながら、12年前と同じように、わたしはゆっくり目を閉じた。





   ♡




 そこは、見覚えのある町の路地裏だった。上を見れば太陽は大きく傾いており、雲1つない夕焼け空が広がっている。夜が近いからか、人の往来も少ない。


 ふと、1つの店に目がいった。

 埃被った。かび臭い。そういった形容の言葉がピッタリと当てはまる、かなり年期の入った店。『古本屋・リュウグウドウ』だ。


「あれ、秘密の裏口を使って家まで取りに戻ったんだ」


 不意に、聞き覚えのある声が聞こえる。隣を見ると、2度と会えないはずのジャックが真剣な面持ちで座っていた。そこでわたしは、夢を見ているのだと気がつく。


「オレはやりたいようにやってるだけだよ。鳩時計のことも、今もそう。鎖とか、檻とか、そういうものに縛られず、自由に生きていたい。そう思うんだ」

 

 ジャックの言葉に、わたしはちょっと涙ぐむ。

 

「……『悪い虫』に操られることも、御星に将来を決められることもない。自分の人生を自由に生きたかっただけなんだよね、ジャックは」

「ベル、お前はどうなんだよ?」

 わたしの瞳を見て、ジャックは言う。


「嬉しかったよ、一緒に生きたかったって言ってくれて。……誘い、断っといて言うのもあれだけど、惜しいことをしたなって今になって思うんだ」


 探偵ごっこをした時のように、2人で作戦会議をして、警察から身を隠して。困難が降り注いでも、力を合わせて2人で乗り越えて、小さな幸せを一緒に分かち合えたのなら、それはそれでとても素晴らしい日々を送れたのだろう。


「海を見てみたいとか、世界の裏側に行ってみたいとか……そういうの、ベルは考えたことあるか? もし……もしも、そう考えたことがあって、今でもそんな夢があるのなら、オレはそれを叶えてやれる。その手段がある」

「でも、やっぱりごめん。わたしはジャックと一緒には行けないよ。だって、わたしの夢は、3人で一緒に星になることだったんだから」


 3年前、”星繭の儀”を受けた日に出来た夢を、わたしはジャックに告げる。


「もう叶わない夢だけど、やっぱりわたしは、わたしの道を行くことにするよ。ジャックが羨むくらいの星をわたしは創ってみせる。その時になって、やっぱり一緒に”星誕の儀”を受けとけば良かったー、なんて弱音を言っても知らないんだからねっ!」


 そう言うと、ジャックはわたしの背中を無遠慮に、力強く叩く。そして、彼はししっ、と歯を見せて笑い、わたしを元気に送り出した。




   ♡




 視線を転じると、また景色が変わった。

 先程までとは違い、わたしはとある店のテーブル席に座っている。窓から差し込む光は、まだ茜色に染まっていない。


 昼下がりの陽気な空気に当てられたのか、日が出ている内から大人達が酒を飲み、楽器を弾いて、眉唾話に花を咲かせている。ここは『ふれあい喫茶・グリーンゲイブルズ』だ。


 わたしの向かいの席には1人の少女が座っている。腰まで伸びた長髪と同じくらい、彼女は酒に酔って赤く顔を染めていた。あの日の、アンだ。


「わたしさ、たまに考えるんだ。もし、星の声がわたしに来なかったら、わたしはどんな人生を送っていたんだろうって」

 僅かに前のめりになって、アンが言う。

「ベルはどう思う? 自分は、何をしてたと思う?」

 透き通った声に、わたしは答える。

「さぁ、何をしてたんだろう。シラユキが見つけてくれなかったら、わたしはあそこに倒れたままだったからね。……だから、まぁ強いて言うなら、わたしは今頃死んでるかな、なんて」


 自分で言っておいて、思わず苦笑が漏れた。気の利いた言葉で場を和ませられないのは、相変わらずわたしの欠点なのだ。


「わたしは真面目に聞いてるんだけどね」

 そう言って、唇を尖らせてこちらを見るアン。その後、一呼吸置いてから、まるでおとぎ話の絵本でも読むように、透き通った声で話し始めた。


「わたしはね、旅をしていたと思うの。ちょっと裕福な商人の家に生まれて、ちょっと贅沢な生活を送って……だけど、弟が生まれてからは親に興味をこれっぽっちも向けてもらえなくなって。そんなわたしは、密かに夢を見るの。ああ、このまま違う場所に行って、賑やかな町に住めたらなって。そして、18才になったら家を出て、旅に出る。独りぼっちの世界旅行だよ、ベル。海辺の近くに住んでみたい。世界の反対側にも行ってみたいな。ああ、グリム先生は教えてくれなかったけど、先生が話してくれた国にも行ってみたい。そして何より、わたしは、わたしという人間を認めて貰いたかった。……あの家はわたしを全てを否定した。女に生まれたこと。本を読むこと。勉強すること。それでも、家にいたいと思うこと。否定され続けて、わたしはいつも心の中で叫んでた。お父さん、お母さん。わたしはここにいるよって……」 


「うん、辛いよね、自分を認めて貰えないのは。だから、”星の声”に選ばれた後の『ドーワ』での生活は、信じられないくらい幸せだった。……アンも、そうだったんだよね。『悪い虫』と戦って、苦しんで、それでも自分の居場所を守ろうとしたんだよね。わたし達3人の中で、貴方は1番大人だったよ」


 アンはずっと俯いていた。その表情を見ることは出来ないけれど、とても酔いが回っているようだった。

 確かこの後は、わたしが店員から水を貰おうと席を立って、そして――


「ねえ、わたしが消えたら、悲しい?」


 いつもの顔だった。頬は赤く染まっているけれど、表情1つ崩すことなく、アンはその言葉を発した。


 これは、わたしが答えに詰まった問いだ。あの時ちゃんと答えていれば、アンは死ななかったのだろうか。……分からない。けれど、今は自分の気持ちを素直に伝えようと思った。


「……悲しかったよ。胸が張り裂けそうなくらい悲しくて、忘れてしまいたいくらい苦しかった。あの日のことは、悔やんでも悔やみきれないよ。少なくとも、死んで幸せなんて……アンに思って欲しくはなかった」


 これが夢だと分かっていても、やはり感傷的になってしまう。アンの死がシラユキによって仕組まれたことだったとしても、焼却炉の前で手を繋ぎ、彼女に自殺する勇気を与えたのは、紛れもなくわたしだから。


 そんなわたしの気持ちを読み取ってか、アンは話題を変える。


「ごめんね、困らせて。さっきのは、やっぱり嘘。代わりに、別の質問するね。ベルは、自分の創る星をどんな星にしたい?」


 わたしは大きく深呼吸した。自分の想いを、ちゃんと伝えるために。


 わたしがこれから創るのは、人の人生に意味のある世界。人の幸せに価値のある世界。ジャックが羨むような世界。そして――


「アンが持って行けなかったもの。ジャックが持って行けなかったもの。その全てを、わたしが持って行く。狂気と悲哀を包み込んで、それでも幸せで満ちているような混沌の星を――アンが笑って住める星を――わたしは創ってみせる。もちろん、わたしの星にはプリンもあるけどね」


 何点の回答が出来ただろうか。それを聞いても、彼女は答えてくれないだろう。自分の気持ちを素直に伝えられない。そんな臆病さが、彼女のアイデンティティなのだから。




   ♢ ♡




 わたしは目を開く。無色の雨は変わらずわたしに降り注ぎ、孤独感はよりいっそう強くなってわたしの胸を締め付けていた。


 弱音ばっかり吐いても、しかたないか。この苦しみをわたしは誇って受け入れる。そう決めたんだから。


 ゆっくりと立ち上がり、進むべき方向を見据える。目の前に広がる世界は果てしなく、目的地は未だ見えない。

 それでも進もう。前へと進もう。この長い長い歩みは、ただの準備運動のようなもの。目的地に着いてからが本番なのだから。

 わたしは頬を勢いよく叩き、渇を入れ直す。

 さあ、出発だ。そう意気込んで、1歩踏出そうとしたとき――


 ――1匹の蝶が、わたしの指に止まった。




『おはよう、ベル』




 その蝶は、透き通った声でわたしに語りかけてきた。天使が奏でる詩のような周波数で、それでいて心地良くて。

 同時に、蝶の止まった指に温かみを感じた。それは、1人じゃないって実感させてくれる。ついでに怖さも消えて、寒さも忘れさせてくれる。そういう、おまじないだった。


「……ああ。ああ、そっか。貴方はずっと、見守ってくれてたんだね」


 1を知って、10を理解できた。

 シラユキの実験のために、アンが死ななければならなかった理由。それは、1つの試みがあったからではないだろうか。 


 擬似的に『悪い虫』を生みだして、予め『星の器』に寄生させることで、これから擦り寄ってくる本当の『悪い虫』を寄生させないようにする。そういう試みがあったから、彼女は肉体を捨て、魂だけの存在になる必要があったのではないだろうか。


 だとしたら、その試みは一体いつから始まっていたのだろう。


 『虫憑き』に攫われて、鏡の中にアンの幻覚を見たときか。

 探偵ごっこで、『古本屋・リュウグウドウ』を見張っているときか。

 それとも、もっと前からか。


 いや、そんなことは考えるだけ時間の無駄だ。これから共に過ごす悠久の時の中で、ゆっくりと落ち着いて聞けばいいのだから。




『あのとき、ベルは言ったよね。この身体も、魂も、自由も、何だって差し出せるって』




 胸を締め付ける苦しみは、自然と消えていた。


 これから先、また彼女の言葉を聞くことが出来る。それは胸が張り裂けそうなくらい幸せで、泣いてしまうくらい嬉しい、『慈愛の器』の実験結果。


 嬉し涙を流すのは、わたしにとって初めての経験だった。


 涙もろくなったな、なんて年寄りじみたことを思いながら、もう泣かないようにしよう、なんて子供じみた誓いを立てる。この嬉しさを、忘れないようにするために。




『なら、半分。わたしにも、貴方の重荷を背負わせてくれないかな。それをわたしの、新しい宝物にしようと思うんだ』




 こんな重荷もので良いならと、わたしは喜んで彼女を受け入れた。こんなに優しい『悪い虫』に寄生されるなら、わたしとしては願ったり叶ったり。むしろ、幸せ以外の何だと言うのか。


 わたしは、かつての日々を思い出す。なんてことはない、ありふれた幸福な日々。それを噛み締め、微笑みながら、わたしは今度こそ1歩を踏出した。

 



 その声を、わたしは忘れたりしない。


 ぜったいに。


 ぜったいに。




「行こう、アン。新しい、わたし達の世界へ」

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