side真美【後編】



 実際、魔物は気持ちが悪かったが聖殿長や騎士たちによりあっさりと倒された。

 結界をすり抜けるような小さな魔物だったらしい。


「やりましたよ、聖女様」

「う、うん……」


 そしてその戦闘の時、聖殿長のフードが聖霊術の風圧で剥がれた。

 よく覚えていなかったが、召喚されて初めて異世界の人と話した母が、話していた相手の一人だった気がする。


(こんなにカッコいい人だったんだ……)


 それになにより、その無邪気な笑顔は父に似ている気がした。

 聖殿長はつまらない話にも真剣に答えてくれる。

 それも父に似ていた。

 きっとそんな事を考えて浮かれていたからだろう。


 母が魔物に襲われてしまったのは。



「…………がんばらなきゃ……」

『聖女様は頑張っていますわ』

「ううん、もっと頑張らなきゃ……」


 母が目覚めるまで、ベッドの上でコールという母の契約聖霊とそんな話をした。

 この世界は自分が救わなければならない。

 お母さんを守る為にも。


「というわけで聖霊術を覚えたいの!」

「それはもちろん……構いませんが……しかし、聖女様」

「?」

「多分、聖女様の場合は——」



 とんでもなく、常人が使う以上の、聖霊術が使える。



 聖殿長の言う通りだった。

 むしろ、魔物があっという間に光の霧になっていく。

 腐った土地の浄化も真美にしか出来ない仕事。

 その力を、恐ろしいと思った。


「素晴らしい!」

「!」

「さすが聖女様でございますね! ああ、申し遅れました。わたくしめはグロワール・サウザールと申します。先日お会いしましたが、覚えておいででしょうか?」

「……」


 城の端の方。

 そこの浄化を頼まれ、数人の護衛騎士と聖殿の仕官、聖殿長と浄化を行なっていた真美に近付く太った貴族。

 手をすり合わせ、ニヤニヤと笑う。

 見覚えはあった。

 母が魔物に襲われたのを、騎士団長のせいにしようとしていた集団の一人だ。

 思わず聖殿長の後ろに隠れる。


「おやぁ、嫌われてしまいましたかな?」

「グロワール様、申し訳ない。我々は今から城下町の方を聖女様に見て頂くので……」

「おや、なんと……。左様でございますか? 分かりました、今日のところは引き下がりましょう……。しかし、例のお話、どうぞお考えを。聖殿長」

「……それは、何度もお断りしております……」

「まあ、そう仰らず」

「グロワール様」


 こほんと咳込みをしてみせたのは騎士団の副団長、ハーレンだ。

 見るからに表情を悪いものに変えたグロワールは、舌打ちして立ち去る。

 なにしに来たのか聞くと、真美を自分の息子の婚約者にしようとしているのだろうと言われた。


「なにそれ、ヤダ」

「はい。しかし、この世界は婚約を申し込まれると断るのが難しい」

「話を持ち出させないのが一番です。さあ、そんなわけでこんな場所さっさと離れましょう」


 ハーレンが嫌そうな顔を隠しもせず、城の方を指差す。

 でも、それではダメだ。

 真美は『頑張る』と決めたのだから。


「城下町に行ってみよう」

「聖女……! し、しかし今のは……」

「どのみち行くんでしょ? 早い方がいーってば!」


 母を怖がらせる魔物を、早くやっつけなければならない。

 真美にしか出来ない事。

 なら、真美が頑張らねばならない。

 彼女自身、気付かぬうちに気を負っていた。

 皆が顔を見合わせ、心配そうにする中、それでも予定を早めて明日、城下町に降りる事となる。

 今日はその準備を行うからと。


 そして翌日、城下町へ降りた真美は驚いた。

 町は荒れ果て、魔物に襲われたばかりだという店は床に血が滲ん残っている。

 その場を浄化しようと祈りを捧げ、エウレイラの光を与えようとした……だが。


『マミ』

「?」

『波長が合わない。どうしたのだ?』

「え?」


 力が……浄化の力が使えない。

 突然聖霊たちと波長が合わなくなってしまった。

 エウレイラの話では、理由は分からない。

 真美の魔力に不思議な膜のようなものが張られて、聖霊たちが力を使えない程だという。


(どうして……)


 混乱した。

 そんな真美に目線を合わせた聖殿長が、肩をさする。

 町の惨状。

 早くなんとかしなければいけないのに。

 真美にしか、この状況を改善する事が出来ないというのに——!


「聖女……今は、落ち着いて。今日は聖殿にお泊りください。聖霊たちと対話すれば、その膜とやらも剥がれるかもしれません」

「……う、うん」


 聖殿長の言葉に、頷く。

 しかし、戸惑いは隠せない。

 焦り、不安……。

 聖霊の声も聞こえるし、姿も見えるし大丈夫と言っていたけれど……。


「隣の部屋にいます。何かあったらお申し付けください」

「…………」


 聖殿長は相変わらずフードを深くかぶったまま、隣室に入っていく。

 それを頷いて見送ってから、真美はクッションを強く握り締めた。

 焦りが増していく。


(お母さん……)




 ***



 翌日、母は真美に会いにきた。

 そして提案したのはピクニック!

 真美には心の休息が必要なのだ、との事。

 最初は疑っていたが、実際に行ってみると心が弾んだ。

 そういえば母とこんな風にどこかへ出かけて遊んだ記憶がない。

 初めての事だ。


「聖女! そっちは坂だ!」

「ヘーキだよー!」


 母の言うゴム跳びに早々に飽き、聖霊たちとボールで遊ぶ。

 緩やかな坂道を駆け、くるりと回る。

 花弁のような光が巻き上がり、聖霊たちがキャキャ、と笑う。

 真っ青な空にキラキラした太陽。

 母がくたびれた顔で走って追ってくる。

 同じく聖殿長が長いローブのまま走ってくるので、真美は風の聖霊に悪戯を頼む。


「わあ!」

「きゃははは!」


 風の聖霊が起こした突風で聖殿長のフードが脱げる。

 濃紺の髪が風に靡く。

 濡れたような深い色合いが、空に散らばるよう。


「…………」

「こら! 走ったら怪我をするだろう! 聖女!」

「真美だよー」

「マミ!」


 聖殿長は、やはり父に似ていた。

 顔貌、性格が似ているなどではなく、空気が。

 真面目で優しく、真美の事をいつも心配してくれているのを肌で感じられる。

 聖霊たちに力を借りて、風のように駆けた。

 この世界では、真美より聖霊の力を最大限に引き出せる者はいない。

 それが、聖女という存在なのだ。


「! ……マミ、君……聖霊術を……」

「!」


 ぜい、ぜい、と膝に手を付いて俯く母を尻目に、聖殿長が同じく聖霊術で速度を増して駆け寄ってきた。

 気が付けば真美はまた、聖霊たちに力を借りられたのだ。

 そう……つまり、あの邪魔な膜のようなものがなくなったのだろう。

 見上げたエウレイラは微笑んで頷いている。

 母の言う通り。


「……やった……」

「……ああ、きっと明日は上手くいく」

「う、うん……がんばる」

「頑張らなくてもいい」

「え?」


 なにを言い出すのかと見上げた。

 聖殿長は……リツシィは微笑んで見下ろしている。

 頑張らなくていいなんて、彼の立場では絶対に言えないはずなのに。


「今回の事で、君を頑張らせすぎると聖霊術が使えなくなると分かったから」

「…………」

「無理しなくていい。……時々は休みをもらえるようにしよう。ゆっくりで構わない」


 でも、と言いそうになって、見上げて……リツシィの表情がどこか悲しそうな事で口を噤んで俯いた。

 頑張らなければと思えば空回りする。

 それなら、ある程度休む事もしなければいけない。

 難しい、と唇を尖らせた。


「はやく、って言ったり、休めって言ったり……この世界の人、よく分からない」

「そうだな……」


 けれど、と思う。

 全身で息をしている母を迎えに来た一人の騎士。

 母に手を差し出して微笑む。

 その笑顔にドギマギする母は、真美が見た事のない表情をしていた。

 照れて、髪を耳の裏にかける。

 差し出された手に手を重ねて、どこかうっとりと見上げていた。

 母が彼に向ける笑顔は、父に向けていたものとは比べものにならないほど甘ったるい。

 子どもでも分かるほどあからさまに……母はあの騎士に恋をしている。


「……」

「マミ?」


 真美も、この世界で生きていくしかない。

 もう一度父に会いたいと心から願うが、それは……それだけは叶わない。

 つまり真美には母だけが、たった一人の『おかあさん』。

 その母が、父以外に恋をしている。

 もちろんショックだ。

 ショックだが……あの姿に、母も一人の人間なのだと思い知った。

 リシティの隣に歩み寄り、その腕にしがみつく。


「……お母さん、団長さんの事好き、だよね、あれ」

「……え? そうなのか? すまん、色恋は分からない。……ん? しかしマミの母君という事は、結婚しているという事なのでは?」

「……リコンしてるんだ」

「では独身? それならよいのではないのか? この世界ではあまり離婚するのは聞いた事がないが……リュカ団長は大変よい御仁だと思う」

「……うん……」


 きっとリツシィに真美の複雑な思いは分からない。

 けれど、そんな少し鈍感なところも父に似ていた。

 そんなところが、落ち着くのだと思う。

 だからだろう、心が凪いでいく。

 そして、母の恋を応援しようと強く思う。

 母には母の人生を歩んでもらいたい。

 きっと真美のせいで母までこの世界に連れて来られてしまったのだから——。


「うん、大丈夫」



 前を向いた。

 明日からまた頑張ろう。

 頑張れなくなるまで、頑張ろう。



 これは有坂真美の、小さな思い出。

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騎士団寮のシングルマザー 古森きり@『不遇王子が冷酷復讐者』配信中 @komorhi

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