生前よりも近くに

なむなむ

第1話

朝、携帯が鳴って目が覚めた。


それはアラームではなく着信で、画面に『母』と出ている。

起こされたことにイライラした。


予定よりも早い時間。

私はイライラを隠さず電話に出た。


どうせモーニングコールだ。

たまに母は一人暮らしの私にモーニングコールをする。



私は用件を聞かずに、電話口でイライラを解き放った。


寝てたんだけど。

まだ早いじゃん。

最悪。


こんな感じだったと思う。


そして母は、


そうだよね、ごめんね。


といった感じで、電話を切った。

用件はなんだったのか、そんなことは少しも気にならなかった。




二度寝して、また起きて、携帯を見る。


メールか着信か、今となっては曖昧だが、どちらかが来ていることに気付いた。


メールを見たのか、留守電を再生したのかは覚えていないけれど、ただ、その内容を理解して、絶望を感じたのははっきり覚えている。



おばあちゃんが亡くなりました。

また追って連絡します。




一瞬思考が止まる。

そしてふわふわし出す。

今思えば、現実と受け止めていない証拠だ。


母は人の生死に関わることに嘘をつくような人じゃない。

だから、頭では本当の話だと分かっていた。



そしてその日は予定通り仕事にいった。





葬儀と出棺はすぐだった。

土曜日だった気がする。


喪服がない私は黒のスーツを着て、母の運転するレンタカーに乗せられて、母の地元に向かった。


母はいつも通りだった。

二歳離れた弟も、相変わらずだった。



母はもっと取り乱すか、落ち込んでいると思った。

でも、間違いなく、私が実家につくまでに泣いてはいるだろう。


弟に関しては、悲しくて泣く姿を、物心ついてから見たことがない気がする。

むしろ今は、気まずそうに見える。




空はどこまでも曇天だった。


ひらけた場所に、冠婚葬祭会館が建っていて、車は迷わずその会館の敷地へ進み、やがて止まった。


こんなところあったんだ。

車を降りて最初の感想だった。



そして曇天のせいで、見える世界の全てがモノクロだった。


悲しみに空が共鳴する、なんてファンタジーなことは思わなかったけれど、とにかく記憶に色がない。


霧雨も降っていた気がする。




車から離れ、会館の中の控え室のような場所に連れていかれると、そこには既に母の兄弟からなる親戚が何人もいた。



どうも、お久し振りです。


会釈と、愛想と、最低限の会話。

そして、いつまでここで、こうしているのかを気にした。


座布団の上で弟と二人、気まずそうにする。



母は末っ子で、兄弟が多い。

この部屋で飛び抜けて若い私達二人を除くと、平均年齢60オーバー。


親戚が集まる機会はこんな場面でしか無いからか、おしゃべりが止むことはなかった。



この部屋には悲壮感がない。

人の死に耐性でもつくのかと不思議だったが、暫くいると、そういうわけではないことを感じた。



恐らく、


看取れてよかった。


この気持ちが強いのだ。



みんなが見守る中で息を引き取ったと聞く。

母も死期が近いことを悟っていた。


私は、何も知らなかった。


その違いなのだろう。



母はその後、私と弟を、祖母の眠る棺のある会場へ案内した。


思っていたよりも広く、椅子は並べられていなかったが、祭壇は豪華に飾られていた。


その祭壇の前に、ピンク色のやや小さな棺がある。


そこに近づく母について行く。

まだ蓋はされておらず、姿を目にするのは簡単だった。



棺の足元の方から覗きこんだ。

着物や、その周りを埋め尽くす花でとにかく白いという印象。


そして顔へ。




とても失礼なことかもしれない。

でも、心の底からぞっとしたのを覚えている。



私は人の亡骸に直面したのがこれで二度目で、一度目は幼い頃に父方の祖父の葬儀で、棺に花を入れた記憶しかない。

その棺には間違いなく祖父がいたと思うのだが、その祖父の様子についての記憶はなかった。



初めて見たに等しい。

だからこそ、強烈だった。



祖母に似た蝋人形があると。



これが、人であるとは思えなかった。



祖母はどこからかまた歩いて現れるような気さえした。

でも、母がその棺の中を覗いて、偽物だと言うこともない。

やはりこれが祖母なのだ。


二人ほど親戚が来て、母と同様に祖母の手や顔に触れて、また出ていった。



私は怖くて仕方なかった。

怖すぎて、触れることが出来なかった。



化粧して着物着せたの?

いや、被せただけさ。死後硬直でだめだ。

そう。

化粧きれいだろ?

そうね。


そんな感じのやり取りを母と母の姉がする。



より体に触れるのが恐ろしくなった。



ただ、現実だけが突き付けられる。

祖母は亡くなったのだと。



戻ろうかと声をかけられて、棺を背にする。


私はそこで初めて少し泣いた。

やっと、祖母の死を認めた。





その後、お通夜があったと思うのだが、記憶が曖昧で、締めのような会食がやけに賑やかで騒がしかったのだけは覚えている。


豪華な夕飯。

そこだけ切り離された空間のようだった。







そして翌日。

また同じスーツに袖を通す。


会館には昨日にはなかった慌ただしさが少し。


親族用の席の一つに座り、渡された紙を見たり、来る人の顔ぶれを見たりして、静かに始まるのを待った。


お焼香のやり方と、礼のタイミングを母に尋ねた気もする。




式が始まると、流れに身を任せた。

誰かが何かを話したり、立ち上がったり、お経が始まったり、全ては儀式の一連の流れ。


ひとつひとつに意味はあるのだろう。

しかし、亡くなった人に対しては、どれ程の意味があるのか。

今思えば、葬式とは、亡くなったことを生者がそれぞれに自覚するための儀式だったのではないかと。



だって、すぐそこに亡骸がある。


私には、棺に覆われていても、祖母が晒し者になっているようにしか思えなかった。




会場の空気は常に暗く重い。

時に、司会を進行する人の話にうるっとした。

雰囲気作りが上手いのは、慣れているからか。



私はとにかく泣かないようにするのに必死だった。


意識を無理やり違う方向へ向けたりした。

そうしないと、のまれてしまう。



そこまで必死だった理由は一つ。

母や、母の兄弟が泣いていないのに、私がぐすぐすしているのは、違うと思ったからだ。


誰も私だけが泣いたとして、咎める人は居なかったと思う。



でも、みんなが堪えてるとしたら?

その中で私が泣くのはどうなんだ?


はっきりとそう考えていた訳じゃない。




それでも、どんなに必死になっても、涙腺が決壊する時はきた。



棺に釘のようなものを叩き込んで、開かないようにするその前。最後のお別れの時。


本当に、二度と会えないんだと思ったら、もう駄目だった。


静かにひっそり泣きたかった。

なのに、嗚咽が口から漏れてしまう。



生前、会いに行けばよかった。

老人ホームに入所してから、一度も会いに行かなかった自分を悔やんだ。


怠惰だ。

私はそこで、人はいつまでも生きているわけではないと、改めて教えられた。

会えるのは、当たり前じゃなかった。

悔しくて悔しくて、でももう遅くて。


でも、そんなこと口になんて出来なかった。


今でも、母や弟に打ち明けたことはない。






式が終わるとマイクロバスで移動となった。


見知った顔も、そうじゃない顔も、祖母と親しい人はそこに集い、着々とバスは火葬場へ向かう。


母の姉が母へ写真を見せた。

そばに座っていた私にも見える。

老人ホームに居たときに撮られたものだと言う。





しかし私にはそれが本当に祖母なのか分からなかった。



なんとなく、似てはいる。



でも、全く違う。別人だ。



写真の人物のような、ぎょろぎょろした目ではなかったし、上品な人だという記憶がある。


母は否定しない。



私はまた怖くなった。

人が変わるということが。



老いるということ。

記憶が抜け落ちてしまうこと。


生前、最後にあった時の祖母は既に認知症が進行していて、私のことを、自分の娘が産んだ娘であることは認識していても、もう名前までは覚えていなかった。



祖母からどう思われていたかはわからない。

しかし、私にはいくつも思い出がある。


子供の頃、祖母の家に一週間一人で泊まると言って、結局熱中症になって3日程度で自宅に帰ってきたこと。


そのたった三日程の中で、田舎のまちの服屋さんに連れていってもらい、ズボンを買ってもらったこと。


柄が好みではなかったけれど断れなくて買ってもらったこと。


なんだかんだで、その後何度かその柄のズボンを穿いたこと。




私は虫が異常なほど嫌いだ。

祖母の家は田舎なので、蜂も虻も容赦なく家に入ってくる。


だから、夏に行くのは実は嫌だった。



けれど、朝起きて、蚊帳の外をオニヤンマやトノサマトンボがすいすい飛んでいる姿は、不思議な光景として今も覚えている。




そんな思い出も、いつか忘れてしまう。


思い出せなくなって、なかったことになってしまうのか。

そして、忘れられた人の悲しみすらも、感じられなくなるのか。


忘れることも、忘れられることも辛い。



でも、どうすることも出来ない。







墓地の一角に火葬場はあった。


ピンクの棺は吸い込まれるように扉の向こうに消えた。


ここで焼かれて骨になる。

しんと静まり返った建物が、人を何人も焼いて骨にしているとは考えられない。



祖母を焼く間、軽食にすると言う。

確かにそんな時間なのだが、焼くのはそっちのけで、昼ごはんにありつくような印象を受けた。

火葬がとても他人事のような。


そこに怒りや憤りはなかった。

みんな当たり前のように軽食会場へ向かったからだ。


私も続いて向かい、お茶の入ったペットボトルと助六弁当を配られた。

それは純粋に美味しかったし、もう一連の儀式の終わりが近づいていることを悟る。



食べ終わってふと見上げた先に、銀の煙突。

ゆらゆらと煙が出ている。

今まさに人が燃やされているのだ。


骨にするには、時間がかかる。

その時間を、私達は生きるための時間に使う。




また火葬炉の前に集まった。


台の上には骨と、灰と、硬貨。


葬儀関係者が説明をすると、みんな長い箸で骨をつかみ始めた。


箸から箸へ。

そうして骨は納められていく。



ご高齢の方は骨が脆いので、形として残りにくいんですよ。


その話を聞いて、確かに少ないと思った。

小さな頭部。細い手足の骨。


私も箸を使った。

 


もう、この骨が実は他の人の骨で…なんてことは考えなかった。

無意識に認めていた。

諦めたのかもしれない。




ちらほらと見えるのは色の変わった硬貨。


お金を入れて燃やすのは、あの世に行って困らないようにするためなんですよ。


硬貨は骨と一緒には納めないようで、母に、もらったら?と言われた。


私はティッシュに包み、素直に貰うことにした。


あの世で使うお金なら、私が包んだこれは脱け殻なのだろう。


もうあの世でこのお金を使ってしまったかもしれないけれど、それでも祖母と繋がっている気がした。




私はそれを、4、5年経った今でも財布に入れて持ち歩いている。


お墓参りには行っていない。


そこには骨はあっても、祖母はいないと思うからだ。

お墓の前で手を合わせることで、あの世と交信出来るというわけでもない。



いや、ただ怖いだけなのだろう。





今でも、人の死が怖い。

人ではないものに見えること、その肉体の変化、老い、記憶が抜け落ちてしまうこと。


慣れることなんて、きっとない。

常に緩やかに死は私の回りを歩いている。



それでも、私には祖母がいると思えた。


ただの脱け殻の硬貨でも。


時折ふと祖母を思い出しては、今でも悲しくなる。涙が止まらなくなる。


朝、電話で起こされてイライラしたことは、まだ謝っていない。

私より疲れて悲しかっただろうに。


まだ暫く口にできそうにないけれど、いつか謝りたい。




もう、後悔はしたくない。

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