第41話 正の決意
それから、1週間立ったが、正が仕事に来る気配はなかった。
灯は、正にラインを送ったが、既読になるだけで何も返事が無かった。
彼女の気持ちに嫌な予感が走った。
もしかしたら、正はもう会社に来ないかもしれない。
何言ってんの私。
私が好きなのは、健一の筈じゃない。
健一は、相変わらず2週間に一遍、灯を抱いて帰っていく。
前は、それがごく当たり前のことだったのに・・・
それが、まるで1番が2番に、2番が1番になってしまったかのように
こんなにも、私は正が必要だったなんて。
仕事をしていても、思うは結城 正の事ばかり。
正がこなくなって、2週間、3週間と経ったが、灯はただ正の笑顔を待ち続けた。
その扉から「おはようございます!」といつものように来る正のことを・・・
しかし、1か月たっても正は仕事場に顔を出さなかった。
灯は、意を決して正と仲が良かった社員に、それとなく聞いてみた。
煙草部屋でその社員は、他の社員と話をしていた。
「あの・・・すいません。」
「ああ、内田さん。どうしました?」
正と仲がいい藤本という社員は、灯ににこやかに接した。
「あの・・・藤本さんは、結城さんと仲が良かったですよね。結城さん最近来ないんですけど、どうしたんですか?」
藤本は、別の社員と顔を見合わせたが、やがて言った。
「結城なら、急遽辞めたよ。なんでも彼女と一緒に鹿児島に帰るってそう聞かされた。」
「辞めた・・・!?」
「うん。2週間前かな。朝早く挨拶に来たよ。」
灯は、頭がグラングランしてきた。
正が辞めた・・・!?しかも私の手の届かない鹿児島に行った!?
「嘘でしょう・・・。」
灯は、そう言うと藤本がいるのに、その場に崩れ落ちてしまった。
「内田さん!?どうしたの!?」
藤本がしゃがみこんだが、灯は泣いていた。
「俺、まずいこと言っちゃったかな。とにかく主任呼んでくるわ。」
藤本が、増沢を呼びに行く。
その間に、別の社員が灯を何とか元気づけようと話をするが、灯は泣いて「大丈夫です。」というばかりであった。
増沢が、藤本に続いて煙草部屋に来る。
灯はそれでも泣いていた。
「藤本さん。何の話をしたの?」
「いや・・・結城が来ないからどうしたのかと聞いてきたので、彼女と2週間前に鹿児島に帰ったとそう言いました。」
増沢はその言葉を聞き、藤本をキッと睨んだ。
その顔にびくっとする藤本。
「いいですか。本当のことは、時には人を傷つけることもあります。結城 正のことを徹底しなかった私も悪いですが、バイトと派遣には本当のことを喋らないこと。結城さんは、家の事情で辞めたとそのようにバイトと派遣には話してください。いいですね。他の社員にも徹底させてください。」
「わかりました。直ちに徹底させます。」
藤本はそう言うと、煙草部屋から足早に出て行き、仕事に戻った。
灯はまだ泣いていた。
火が付いた様に、しかし、静かにかみ殺して泣いていた。
「内田さん。大丈夫?」
「だいじょうぶ・・・です・・・。でも・・・涙が止まらない・・・。」
増沢は困っていた。
よりにもよって、内田さんに知られるとは・・・。
増沢は、灯と正の仲を知っていた。
それは、大体察しもしていたし、正が挨拶に来た時に全てを聞かされたからだ。
別に、恋愛は自由だし、灯の業務にも支障はなかったし、そこで、増沢は今まで見て見ぬふりをしていた。
しかし、これだと業務に支障が来る。
特にこの子は、最優秀成績者だ。
どうすればいい。
増沢は考えた。
そこで、彼女はこういった。
「内田さん。今日時間あるかしら。」
「えっ!?」
灯が増沢を見た。
「仕事が終わったら飲みに行かない?話したいこともあるし。」
「主任とですか?」
「ええ。嫌かなあ。」
増沢が笑顔で応える。
憧れの増沢主任と飲みに行ける。
ずっと、私はこの人の後を追ってきた。尊敬してきた。
この人なら、今の私が立ち直れることを言ってくれるかも知れない。
「分かりました。行きます。」
灯は涙を拭いて増沢の誘いを受け入れた。
夜10:00
灯が増沢に言われたコーヒーショップで待っていると
増沢千尋が紺のパンツスーツに白いカシミアのコートで現れた。
季節は、もう2月を迎えようとしていた。
「さて、どこに行きましょうか?」
増沢がいう。
「主任池袋まで出ませんか?主任池袋に住んでいるの知っているし。」
灯が答える。
「まあ、リサーチが早いこと。」
そう言うと、彼女たちは渋谷からJR山手線に乗って池袋につき、そこのお洒落な居酒屋に入った。
灯は増沢のおごりということで、何にもまして嬉しかった。
1度、ここのカルパッチョが食べたいと思っていたからだ。
増沢は、灯が喜ぶのを見て、これから灯に話す内容が少し酷だと思った。
しかし・・・いつかは通らなければならない道だ。
増沢と灯は、赤ワインで乾杯した。
彼女が灯に語り掛ける。
「どう・・・少しは落ち着いた?」
「はい・・・。でもショックは大きいです。」
「それは、結城さんと、恋愛関係にあったから?」
「何で・・・!?増沢主任が知っているんですか?」
灯が驚愕する。
「大体見てればわかるわよ。他の人は分からなかったみたいだけど。昔私もある人と不倫をしていたことがあってね。ちょっとの見つめ合いとか、あなたたちあったから。でも、此処は仕事さえしていれば、恋愛は自由だし。あなたのモチベーションになると思って何も言わなかったの。今まではね。」
灯が頷く。
「でも、この間、2週間前かな、あなた達派遣が来る前に、結城さんが挨拶に来てね。鹿児島に急遽帰ることになりました。と言ってきたの。」
灯は増沢の言葉に、運ばれてきたカルパッチョも食べずに聞き入っていた。
「私は聞いたわ。内田さんには話したの?って。そしたら彼も驚いたみたいで、何で知っているんですか?って。それはびっくりするわよねえ。あなたたち一生懸命隠してきたからね。でも、見えちゃうんだもの。だから、あなたたちが隠せば隠すほど、ほほえましいなと思っていた。」
灯は、ワインをごくんと飲んだ。
「授賞式の時もね。結城さん。自分の事の様に喜んでいたわ。内田さんの事。本当にあなたの事好きだったのね。・・・でも、結城さん言ってたわ。それでも俺は美智を選びましたと。何故なら美智と正太郎は俺がいないと生きていけないから。灯はいろんな人の支えがあるけど、二人は俺が支えないとどうしようもないからって。そう言ってた。彼なりの愛だったと私は思う。」
「そんな・・・私だって、彼がいなきゃ生きていけない。これから、どうやってどうやって生きて行けば・・・。」
と、言って灯はこの言葉をどこかで言ったことを思い出した。
そうだ!!この言葉は・・・
健一と別れた時に発した言葉だ・・・。
『健一!私はこれからどうやって生きて行けば・・・』
灯は黙った。そして、自分が健一よりも気持ちが正に傾いていることに気付いた。
増沢は更に話す。
「内田さん。生きるって時には辛いよね。でもね、それは時間が解決してくれる。今あなたがやらなきゃならないことは、余計な人間関係に翻弄されることではないと思うの。仕事をして彼のことを少しでも忘れるの。勿論完全に忘れろとは言わないわ。少しずつでも時が解決してくれると思って、仕事に邁進していくことが大切だと思うの。」
それから増沢は灯に渡してくれと言って渡された、正からの手紙を灯に渡した。
「いつ、渡そうか考えていたの。灯が落ち着いたら渡してくださいと結城さんから頼まれていたから。あなたがその手紙を見て、どう考えるか。私は見てるわ。結城さんの愛にこたえられるか。」
緑の封筒のその手紙を開けるのは、灯にとって死ぬほどつらかった。
でも、次のステップに行くためにはそれを開けなければいけない。
「開けていいですか・・・?」
「いいわよ。」
増沢が、泣いている灯に向かって話す。
灯は、泣きながらその手紙を開けた。
そして文面を読み始める。
懐かしい灯
元気かい?
君がこの手紙を見ている時、俺は鹿児島にいると思う。
鹿児島は、俺と美智が生まれ育ったところで、やっぱり、実家で美智も正太郎も暮らさせてあげたい。そう思ったんだ。
勝手に決めてしまってごめんな。灯。
今頃、君は泣いていると思うけど、増沢主任という素晴らしい上司に恵まれて、俺も灯も幸せだったな。
君を愛したこと。俺は恥じていない。
でも、それ以上に俺は正太郎と美智を愛していることに気付いたんだ。
だから、灯と離れることに決めた。
俺の心からの想いとしては、早く結城 正という人物を忘れて、仕事に邁進して、早く健一さんとも別れて、いい人を見つけて欲しい。
そう、心から祈っている。
それが、俺の愛した、内田 灯の幸せだと俺は思うから。
何処にいても、君の幸せを祈っている。
それでは、元気でな。
さようなら。灯
結城 正
灯は、手紙を読みながら、泣きじゃくった。
そして、これが正の愛。
母が言っていた、彼女に彼を返すことなんだと悟った。
正の決意は、灯を一層仕事に邁進させた。
だが・・・
灯が気が付かないうちにある病魔が灯を蝕んでいることも
その時の灯は気が付かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます