第28話 エデン
灯が怪我をしてから、約1ヶ月がたった。
彼女の足は弱冠の傷みこそあったが、大分よくなってきた。
灯は、この労災が出ている間に職探しをしようと、毎日求人誌を見ては、奔走していた。
奔走しているときは、健一への思慕も忘れることが出来た。
目標は、会社1本で働ける職場。
10時間くらい勤務出来るところだ。
しかし、アルバイトでそのような職場はなかなか見つからず、途方に暮れて居た灯の前に、1つの言葉が見付かった。
『君も派遣社員で働いてみないか?』
「派遣?」
聞いたことはある。そんな感じのTVドラマも見ていたし、実際に派遣で働いている友達もいた。
でも、やったことはない・・・。
詳しく見ると、時間は7時間で残業あり。電話の仕事としか書いてなかった。
「とりあえず、そんな事言ってられないわ。労災が切れるまでに仕事を探さなくっちゃ。」
灯はそう決意すると、その派遣会社に電話を掛けた。
株式会社レイルウェイ。
そこが、灯が目指す派遣会社だった。
目的地の渋谷までつくと、マップで調べて派遣会社を探す。
奥まったところにその派遣会社はあった。
大体の職歴を書いて、待っていると、灯が呼ばれた。
「失礼します。」
灯が部屋に入ると、女性の職員がそこにいた。
「わたくし、レイルウェイの神崎と申します。」
「内田 灯と申します。よろしくお願いいたします。」
2人は、それから椅子に座った。
灯は、色々な疑問点を話した。まず、週に何日働けるのか。
時間7時間と書いてあるが、残業はどのくらいできるのか?
未経験なので若干不安だが、新しい世界で働ける期待もある。
それから、シオンでどのような実績を残したかを事細かに話した。
神崎は、派遣は会社との直接契約ではなく、派遣会社との雇用契約になること。派遣先に行ったら、その会社の指示に従う事。また、時間は実際は10時間くらいになる、発信の電話営業の仕事になること。時給は1100円になること。
等を話して聞かせた。
時給1100円。シオンよりかは安いが、やりがいはある。
出来るかどうかわからないが、とにかくやってみよう。
「よろしくお願いいたします。」
灯は、「採用になったら、1週間の間に電話をいたします。」と言われ、「よろしくお願いいたします。」と、丁寧に挨拶をすると部屋を出た。
それから灯は、同じ渋谷にある、ダーツバー『エデン』に向かった。
灯が付いたのは、PM8:00位だった。
運が良ければ健一に逢えるかも知れない。
灯は、生唾をごくんと飲み込み、その中に入って行った。
中は、バーであった。
多くの酒が置いてあり、バーテンと客が話していた。
壁は赤で、その壁にはダーツボードが置いてあり、激しいヘビーメタルが流れていた。
ダーツに興じる客を尻目に、灯は、バーテンにソルティドッグを注文する。
灯は落ち着かなかった。
ドキドキしていた。
健一、今日来てくれるかな。
でも・・・もしかしたら怒られるかも知れない・・・。
だって、電話番号も替えられたんだもの。
少し、灯は憂鬱になってきた。
すると、後ろから声がする。
「ねえ、ダーツやるの?」
見ると、健一とは似ても似つかない、チャラそうな男性であった。
「いえ・・・私・・・」
「へえ。よく見ると可愛いじゃん。ダーツやるなら俺が教えてやるよ。」
「いえ、私・・・人を待っているんです。」
「えっ?誰?」
すると、前からバーテンダーが声をかける。
「おいっ!ヒロ!いい加減にしろ!この子困っているじゃないか?」
声のする方を振り向いてみると、50代くらいのバーテンダーが、その男に向かって怒っていた。
「へいへい。申し訳ありませんでしたねー。」
そう言ってヒロは、退散していった。
「ごめんね。悪い奴じゃないんだけど。可愛い女の子を見ると声をかける癖があってね。大丈夫だった?」
髪の毛が黒く、長く伸ばしているその男性は、灯に対して優しかった。
「ありがとうございます。助かりました。」
灯はお礼を言った。
「見たところ見かけない顔だけど、今日はどうしたの?誰かを待っていると言ってたけど?」
「ええ。私・・・ある人を待っていて・・・。」
「話したくないならいいけど、誰を待っているの?」
バーテンダーが聞く。
灯は思った。
この人になら話してもいいかな。だって、優しそうな人なんだもの。
「あの・・・知りませんか?生田 健一という人なんですけど・・・。」
「健一?」
バーテンダーがその名前を呼ぶと、周りがざわっとした。
空気の流れが変わった。
「知ってるも何も、うちの常連だよ。この間のダーツ大会では、3年連続優勝してるし。」
「そうなんですか?」
健一が、そんなすごい人とは知らなかった。
すると、隣にいた客が、灯に話しかける。
「あんた、健一の何?」
「友達です。」
本当は、恋人と言いたかった。
でも、彼には彼女がいるし、それは此処の人達も知っているだろう・・・。
「へえ。健一のことはよく知っているけど、あんたみたいな真面目そうな子と付き合いがあるなんてね~あいつ、自分のことは喋らないから。」
「そうなんですか・・・。」
此処の人は、健一のことを知っている。私の知らない健一を・・・。
灯の目から涙が出てきた。
「おい、あんた、大丈夫か?安田さん。この子泣いちゃったよ。」
灯は、辛くて泣いてしまった。
バーテンダーの安田は、灯にティッシュを箱ごと渡した。
灯は嗚咽した。周りも気にせず。
それから、思いっきり鼻をかんだ。
「健一と、何があったのか知らないけど、待ってても健一は今日は来ないよ。仕事が深夜になったから。」
「えっ!?」
そんな・・・。
灯は、更に嗚咽した。
たった・・・たった・・・1つの望みもなくなっちゃった。
健一に逢いたかったのに・・・。
もう、ダメだ・・・。
バーテンの安田は灯にこういった。
「何があったのか知らないけれど、そんなに辛いんならちょっと話してみない?楽になるよ。」
周りの人たちも「うんうん」と頷く。
灯は、健一との経緯を話し始めた。
話が終わった後、バーテンの安田と周りの常連は、しんみりとなった。
「そうか・・・そんなことがあったのか・・・。」
「はい・・・。」
灯は、話しながら泣き止んでいた。
「私、どうしても、健一に逢いたくて・・・。」
「うん・・・。」
安田は他のカクテルを作りながら、灯に話す。
「でもさ、健一には恋人がいるんだし、現にエデンにも来ている。そんな状態で、復活して、灯ちゃんは幸せになれるの?」
「なります。愛人になっても、私は健一のことが好きだから、後悔しません。1年離れて分かったんです。」
灯は、きっぱりと言った。
「そうか・・・。」
安田は、煙草に火を付けた。そしてくゆらすと、灯に白紙のメモを渡した。
「そこに、電話番号書いといて。健一に渡しておくから。」
灯は、驚いた。そして言った。
「ありがとうございます!私あなたの事、一生忘れません。」
灯が言う。
「そんな大げさな・・・。」
安田が苦笑いをする。
灯は、エデンを離れた。
怖い雰囲気の店だったけど、いい人が多かった。
これで、健一に逢える。
灯は、夜の渋谷を一人帰って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます