キョウのまえで僕は知る

井上勇太郎

キョウのまえで僕は知る

"タタタンッタンタン タタタンッタンタン…"

————パチン

お父さんの目覚ましの音。

毎朝7時に必ず鳴り僕の眠りの邪魔をする。

6月の少し肌寒い朝。お父さんはカーテンを開け、朝日を浴びならが大きく欠伸をする。

『—眩しい』

うっすら開いた瞼の中に朝日が届く。不眠感もあり僕はすごく機嫌が悪い。そんなことも知らずかお父さんは僕の頭を撫でながら「おはよう いい朝だね」と言ってくる。

返事をしないで、ゆっくりとまばたきをしてから大きく欠伸をしてみせた。

僕のいじわるな態度にお父さんは優しく笑いかけて、撫でていた手で自分の頭を掻きながら、のそのそと部屋を出て行った。

離れていく背中を目で追い、僕はその場で小さく伸びをしてから部屋を出ることにした。

部屋を出るとすぐにベランダが見える。そこには洗濯物を干しているお母さんの姿があった。僕に気づいてないので聞こえるように

『おはよう』と挨拶をする

タオルの後ろから顔をのぞかせて

「おはよう ちょっと待っててね、すぐご飯の準備するからね」

と声が返ってくる。

この距離感が心地よく、僕はうなずき、階段へ向かう。

一階と二階を繋ぐ階段、傾斜がきついため気をつけて降りないと落ちそうになる。脳と体どちらにも意識を持たせてゆっくりと降りていく。一段降りる毎に脳が目覚めていく。昨日の記憶が断片的に蘇り何かが引っかかる。

モヤついた気持ちで一階の床を踏んだ時、僕の体は言葉にできないものに襲われた。全身の毛が逆立つような感覚だ。

『——忘れていた。いや、違う。思い出したんだ!………忘れていただけだ』

とても大切なことなのにどうして忘れていたのだろうか。今日という日をどれだけ待ちわびていたことか。顔がニヤつく、体は落ち着かず小さく震える。

—今日は

—僕の

—8歳の誕生日なのだ。

誕生日といっても正確なものではない。

お父さんやお母さんはもちろん、産んでくれた母親でさえ知らないであろう。本当に8歳になったのかもわからない。でも今日は特別な日。2年前に疑問を抱いた日に決めた僕が夢を叶える日。一生に一度の今日が始まる。

※※※※

お母さんの鼻歌、トーストの焼ける匂い、朝のニュースにボヤくお父さんの声、カーテンの隙間から差し込む日差し。全てがいつもと違って新鮮に僕の五感を刺激する。お母さんが出してくれるごはんも水もいつもと同じなのに今日は美味しく感じる。不思議なものだ、気持ち一つでここまで変われるのか。いつもは少し残すごはんも残さず食べるが『足りない』と僕の胃袋がごはんを求めるから、空になった器をじっと見つめた。

「おかわりはいりますか?プリンも食べるかい?」

『——!』

僕の心の声が聞かれたのかと思い、言葉に詰まる。

「もう支度しないと遅れるから、ごちそうさま」

「もっとゆっくりしたらどうですか?お仕事ではないのですから」

「仕事じゃないって———」

2人が口喧嘩を始めた。僕の返事は届きそうにない。お父さんが"集会"に行く日は大抵喧嘩をする。不機嫌で家を出て行き上機嫌で帰ってくる。歌ったり踊ったりする日だってあるから自然と家が明るくなる。

支度を終えたお父さんが小さな声で「行ってくる」と言い不機嫌そうに家を出る。その後ろを『行ってきます』と言って僕も出る。

僕が外出する時を2人は"集会"と呼んでいる。1人の時もあれば、友だちと会う時もある。意味はわからないが、嫌いではない。そんなことを思いながら近所の公園に向かう。

『まずは誕生日の話をしなくちゃ』一大ニュースを引っさげて向かう足取りは軽い。鼻歌交じりなニヤケ顔で歩く姿は、傍から見たら相当おかしな様であろう。だけど公園に着いたら平常心を装い悟られないようする。出鼻をくじかれては、堪ったものではないからだ。考え込んでいるうちに目的地に到着した。この公園は細い道路に面して、三方向を家に囲まれている。そのせいか日中は涼しい。遊具は何もなく、ベンチがいくつか置いてあり、その横に大きな木が生えている。広くないため利用者は滅多に現れず、僕ら重宝している場所である。中を覗き利用状況を確認する、今日も貸切のようだ。入って公園の右奥、白いベンチの上、ビリーが座っていた。駆け寄りいつものように声をかける。

『おはようビリー!今日も朝の運動したのかい?』

パッと僕の方を向き

『おうよ!毎日欠かさずが大事だからな!』

と、笑って返事をくれる。

『それにしても全然痩せないね』

『コノヤロウ!今日も言いやがったな!』

ここまでがいつもお約束の挨拶である。

"ビリーは僕と同い年の8歳 男の子。こげ茶毛で目つきは悪く、僕より体格が大きくて顔も大きい。初めて会った時に喧嘩をして以来仲良くなり大の親友である。"

ビリーの運動の話をしたり、お腹に軽いパンチをしてるうちに、姫子が走って来た。

『おはよう〜!ごめんね!待った?』

『おはよう!僕もさっき着いたとゴォッ!?』

挨拶の途中でビリーのパンチを食らい、その場に倒れて『やりすぎた』と反省する。そんなやり取りに姫子は『ほどほどにね〜』なんて言ってベンチに座る。

"姫子は1個下、7歳の女の子。純白な毛に綺麗な青い目。小柄で運動神経が良く活発的。サバサバした性格もあり、僕らのリーダー的存在である。"

僕らの集合時間はあってないようなもの。日が高くなるまでにとか、暑くなる前にとか、こんな感じである。

『今日もいい天気ね〜』と日向ぼっこをする僕たちのところにたけしが小走りでやって来た。

『サーセン!遅くなっちゃったっス!あれ?ビリーさんはまた太りました?』

と一言目からビリーに喧嘩を売っていく。案の定ビリーにタックルからのパンチを食らい地面に横になる。

『酷いっスよビリーさん!急にタックルなんて〜 痛いじゃないっスか!!』

『アホ!当たり前だろ!コノヤロウ!』

これもいつもの事だから僕と姫子は止めようともしない。

"たけしは1個下の7歳の男の子。茶毛に鋭い目つき、顔の輪郭はシャープでカッコよく、身長は僕と同じくらいだが全身は引き締まっていて細い。見た目はカッコいいのだが、運動音痴で、方向音痴、さらには空気が読めないと残念な部分を持っている。だからかムードメーカーである。"

全員集まったことにより世間話やら、これから何をするか、など話が盛り上がる。しばらくして話の順番が僕にきた。面白い話を期待されるのでここで僕の本題を持ってくる。

『みんな、覚えてるかな?僕が1年半くらい前に言ったこと……』

みんなが小さく頷く。

『今日、僕は誕生日を迎えました!そして長年の夢を叶えます!』


『———僕は自分の顔を見ます』


初めてこの話をした時はビリーとたけしは笑い、姫子は驚いていた。みんな冗談だと思っていたらしく、『本当に言ってるの?』『大丈夫か!?』と言われたのを覚えている。僕の真剣な顔が姫子とビリーには緊張を伝えて、たかしは『右耳の後ろが白い。あと〜』と言って、姫子が『黙りなさい』と怒ってくれた事もハッキリと覚えている。

あれから1年半が経ち、こうしてみんなに話ができる。

『おもしれーじゃねーか!』

『気楽にね、気楽に!うん、わたしは素敵だと思ってるから!』

『ついになんスね…緊張するっス…それと、あんときはすみませんでした』

みんなが僕に気持ちをくれるから、支えてもらいたいから、

『だから、明日も会って欲しい。めんどくさく落ち込んでるかもしれないし、変に浮かれているかもしれないけど…自分を知ってみんなに会いたい!………いいかな?』

みんなが大きく頷いてくれる。心の中にあった不安が無くなった気がした。

僕の話に妙な空気になったがすぐにいつもの調子で遊び始める。木登りしたり、追いかけっこしたり——。

周りの家から夕ご飯の匂いが漂う、帰る時間だ。最後、公園の真ん中に集まり別れの挨拶をする。

『また明日!』

『またね!』

飾らない言葉で別れを告げみんな家に帰る。僕はみんなの背中を見つめ勇気をもらう。

『よし!よし!よし!』家に帰る。

※※※※

家に帰るとまず汚れた足を洗う。それから夕ご飯である。

お母さんの鼻歌、魚の焼ける匂い、ドラマを観て笑うお父さんの声。いつもは感じる五感が鈍く感じる。お母さんが出してくれるご飯も水もいつも同じなのに味がしない。さらにはご飯が喉を通らない。いつもは食べきるご飯を残して、器をじっと見つめる。

お母さんが夕ご飯をテーブルに置き

「あら?全然食べてないわね?何か食べてきたのかしら?」と心配の声をかけてくれる。

『大丈夫、心配しないで』と返事をして、一度、水を飲む。気を落ち着かせようと内容のわからないテレビに目を向ける。頭の中は自分の顔のことばかり。

『どんな顔かな…せっかくなら、いま映った二枚目俳優の顔がいいな…』

コマーシャルが入る。

『いま映ったみたいな三枚目を演じる顔はちょっとな…』

僕は自分の体型を見ながらブサカワ顔を想像して合わないと思い、首を横に振る。顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔………。気づけば水を飲み干してお腹がいっぱいになった。ご飯を残し、席を離れ、階段を見つめる。この急な階段を上がりきった正面に洗面台の鏡がある。

——ゴクリ。

何かを飲み込み僕は一気に階段を駆け上がる。最後の一段を力強く踏んで洗面台に飛び乗る。着地してぎゅっと目を瞑る。いま僕の前には鏡に映った僕がいる。

呼吸を整えて、震える体を気持ちを少しでも鎮めて、足下に目線を持っていき、ゆっくりと目を開ける。見えるのは黒毛の足。次に首下まで目線を持っていく、黒毛の胴体。首から下が黒いのは知っている。驚きはしない。一呼吸置き、鏡の自分の目を合わす。

"目の色は緑だったのか…。僕が驚くと向かい合う僕も目を大きくする。本当に右耳の後ろが白い。両耳を動かして何度も確認する。額は黒いのだが、両目の上、少し隙間を開けて薄っすらと白い弧を描く毛がある。まるで眉毛のように。そして鼻、口周りに焦点を合わせる。全体的に黒い毛なのに鼻下から口にかけて白い毛が太く縦に生えていた。顔全体は丸顔で体とは合っている。ただ顔中心の白毛が気になった"

——驚いた。

僕はこんな顔をしていたのか。何度も角度を変えて顔を見る。言葉にできない気持ちが溢れ出し、思考が硬直する。そして答えを出す。

『僕ってかっこいいのでは?』

※※※※

最初こそ驚いた。僕が真っ黒ではなかったことに。白毛が意外なところに生えていることに。でもカッコよく僕に馴染んできた。そんな気がした。

「プリンお風呂に入るわよ〜。降りてきてちょうだい」

一階からお母さんが呼ぶ声がする。

『今から降りるね』

僕は大きく返事をして洗面台から降り、傾斜がきつい階段をゆっくり降りる。

僕の名前は"チャップリン"お父さんが子供の頃に観た映画の主人公に似てるからと付けてくれた。きっとシブくてカッコいい紳士に違いない。

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キョウのまえで僕は知る 井上勇太郎 @Hayataro_I

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