18話 谷と子供達と土だるま

 ***

「恭斉さん!」


 花屋の店先に立つ厳つい男が、少年の声に振り向いた。黄と白の花を少年の頭より太い腕に優しく抱える筋骨隆々な壮年は、垂れ目がちな目を更に下げて柔和な笑顔を作った。

 ギャップという言葉では優しすぎる強烈な違和感を見る者に与えるその姿は、しかし見慣れた少年達に衝撃を与えることはない。


「おお。坊っちゃん嬢ちゃん久しぶり。今日はどうしたんだい?」

「こんにちは」

「恭斉さんこんにちは。俺達トキを探してるんです。討伐隊帰ってきたんですね」

「ああ。ついさっき長老に報告してきた所だよ。今頃周士の所じゃユキカルの肉でも捌いてるんじゃないかな。坊っちゃんのことだから、そっちに肉狙いに行ってるんじゃないか」

「周士さんの所……」


 隣の少女に目を遣り逡巡していると、男は笑って少年の頭に節くれ立った手を乗せた。


「どうせだから一緒に行こうか。俺もちょいと用事がある」

「え? でもお店は?」

「絵唯がいるから大丈夫。おーい絵唯! ちょっと周士の所に行ってくるな。夕方までには戻るから!」


 店の奥から若い娘の返事が聞こえると、男は自らの腕に抱えた彩りを、そっと丁寧に水に生けた。






 討伐隊は風の谷の、険しい岩壁を登った所に広がるタフユの森に定期的に赴く。普段谷底に住む彼らにはおいそれと入手できない森の恵みを貰い受けるため、そして彼らにとって驚異となる奇形種の討伐のためだ。

 採取した木の実や根茎、捕らえた獣は教会で禊をした後、西よりにある集会所に運ばれる。集まった物の中には奇形種の根や死骸も含まれる。彼らにとって大切なのは、谷にとって有用かどうかなのであり、彼らに害をなさなければ、獣だろうが奇形種だろうが関係ないのだ。


 少年達が着いた頃、集会所は既に人でごった返していた。持ち帰られた物の種類や量は、数ヶ月先までの生活に直結するから、その想いは切実だ。だが人が集まる理由の大部分は、おこぼれに預かりたいという単純な欲求だ。


 人混みの奥では、エプロンをつけて肉切り包丁を手にした男が、今まさにユキカルの身を捌いている所だった。

 基本的な処理は討伐隊が終えているが、本格的な処理はこの周士という料理人の手によって、獣や植物問わずなされていく。ほとんどの物は保存処理をして備蓄されるか必要な所へ配給されるが、一部保存の効かない部位等については、今ここで調理されることになる。

 簡易的な設備しかないため、しごく単純な調理方法となるが、それでも鮮度の高い草粥や、焼きたての肉は人々を魅了して止まない。だからこそ、こうして人が集まるのだ。

 毎度この日は夜まで飲めや食えやのお祭り騒ぎとなる。外の広場に焚かれた火の周りをぐるりと人々が囲い、歌って踊れる大変賑やかな一日となるのが常だ。


 しかし今日は少しいつもと違った。ざわざわこそこそと隣の者の肩をつつき、中央にいる料理人に向ける人々の眼差しは気もそぞろである。

 恭斉が幼い少年少女を連れて足を踏み入れると、そのざわめきは一層顕著になった。


「黒……」

「……討伐隊が真っ黒な奇形種に遭遇したらしい」

「異様に強くて誰ぞやられたとか」

「やっぱり黒い肌は不吉じゃねえ」

「ここ数年は黒至も増えてきとる」

「我らにとって黒は凶兆だ……」


 少年は隣に佇む少女の手をぎゅっと握りしめた。人々の視線が、少女の黒い肌に注がれていていつも以上に息苦しい。少女は何も悪くない。じゃなきゃ自分が今無事でいられる訳ないじゃないかと大声で叫びたいのを唇を噛んで我慢する。

 そんな子供達と人々の間に、恭斉の大きな体が割って入った。


「天継。いたんだな。常盤ときわ坊っちゃんはいないのかい?」


 中央には大人の体程の大きさの肉が置かれた台があり、その横に立つ神経質そうな長身の男が、恭斉に顔だけ向けると眉間に皺を寄せた。


「常盤は来てません。恭斉、貴方知らない内に消えたと思ったら、一体何しに戻ってきたんですか」

「いやあ。この子達が困ってたみたいだから、一緒に顔出ししようかなと」

「時間あるなら、顔出しじゃなくて仕事して下さい。貴方がいた方がさっさと終わる事後処理が山程ある」

「うーん。手伝いはしたいんだけどなあ。……どうする? 常盤坊っちゃんは来てないみたいだ」


 恭斉が子供達を振り返ると、恭斉達のやり取りによって痛いほどの視線が収まり、和らいだ雰囲気に安堵したのか人々の間から幼い子供の声があがった。


「おれ、常盤見掛けた! ここなんて見向きもしないで南へ走ってったよ」


 天継の眉間の皺が深くなり、声を上げた子供が怯えに体を震わせる。恭斉がとりなすように礼を告げ、左右の子供達の頭に両の手を乗せた。


「南っていや教会だけど、坊っちゃん達はここにいるもんなあ。ここより南であの坊っちゃんが行きそうな所と言うと」

「どこもかしこも常盤が勝手に行きそうな所ばかりですが、このタイミングでとなると……マズイですね」


 少年少女が顔を見合わせた。


「恭斉さん! トキは俺達が連れ帰ってくるから!」

「あ。おい……っ!」


 大人達が話に注意を向けていた一瞬の間に、二人は人混みの間隙を縫ってするりと外に出ていってしまう。入口で成す術もなく見送ってしまった痩せ形の男が、恐る恐る恭斉を伺った。


「お、おい恭斉? 行っちまったぞ」

「あー。。まあ二人一緒なら大丈夫か」

「大丈夫じゃありませんよ。僕はここを離れられないので、恭斉はさっさと菊咲さんに報告してきて下さい」


 天継の冷たい眼差しを受けた男は、仕方なく愛想笑いをすると両手を上げ了解の意を示した。

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