15話 蛇と蜥蜴と土だるま


 レグサスは蛇の顎を辛うじて自らの剣で留めていた。だが蛇の力は強く、震える腕を保つのに精一杯な彼の身体に、真っ赤な長い舌がその触手を伸ばす。


「風刃!」


 少年の力ある言葉が放たれる。だが現れるはずの赤い刃は出現せず、僅かに少年の手元が光るのみ。出力不足か。連発し過ぎた!

 舌打ちして剣を抜き駆け、てらてらと光る頸部に叩きつける。

 ぬるん。バランスを崩した少年はたたらを踏んだ。大蛇の表皮を覆う半透明の物質が剣の軌道を変え、ダメージを与えられない。

 レグサスの頭が大蛇の口の中に消える。

 焦った少年は剣を手離し、大蛇に向けて両手を伸ばす。他に方法がない。ゼロ距離の最大出力で────


 その時、銃撃が響いた。大気を震わす轟音が計三発。


 大蛇の口から白い煙が立ち上り、鼻をつく臭いが漂う。少年が行動を決めかねている中、大蛇の動きが止まり、ゆっくりと口の中から焦げ茶色の頭が現れた。

 どろどろの液体にまみれたレグサスに大きな怪我はなさそうだ。だが彼もまた力の抜けた尾から抜け出すことをせず、銃を構えたままだらんと垂れた大蛇の頭をまじまじと見詰める。


「……やった、のか?」


 どちらのものとも知れぬその呟きが漏れた。その時

 みゃあぁぁう

 大蛇の喉の奥から再び細い鳴き声が聞こえたかと思うと、口端の皮がずるりとめくれあがり、中身が顔を覗かせた。

 どす黒い、てらてらと光るもの。二人が固唾を呑んで見守る中、まるで大切な何かを産み出すかのようにそれはゆっくりと静かに範囲を広げ──頭部まで届き止まる。

 蛇がぶるりと頭を動かすと、古い皮の下からどろりと濁る液に覆われた大きな目玉が現れる。

 ずるり。ぐちゃり。

 動く毎に皮の下から姿を見せる頸部は、先程よりも細く硬そうだ。次に現れた小さな腕は、変わらずふっくり柔らかく小さかったが、色だけが黒々と変色していた。


 八本の腕を全て出し脱皮──そう文字通り脱皮を完了した姿は、その身の細さも相まって蛇というより蜥蜴に近い。黒々とした体を最後に大きく震わせた生き物は、身体に似合わぬ大きな目玉をぎょろりと動かした。

 目が、あった。


 弾かれたように二人はそれから距離を取る。呆然と見ている場合ではなかった。それが滑るように這いずる。速い!

 想定外の俊敏な動きで近寄った黒い生き物は、次の弾に手を伸ばすレグサスの横面を頭部で殴打し、剣を構える少年を尾で弾き飛ばした。二人はそれぞれ反対の方向に吹っ飛ばされる。


 地面に叩きつけられた少年の頭上に影がかかる。はっと振り仰ぐ少年の真上に迫る黒い頭部。横に転がって避けた少年は、しかし振り回された太い頸部に追い討ちを食らってしまう。身体の内部で鈍い音が響き、少年が呻く。


 黒々とした身を高くもたげたそれは、細い鳴き声をあげながらのそりと近付いてきた。高々と上がる黒い頭部に一本の亀裂が走り、赤い肉が覗く。まるで嗤っているかのように。

 飛ばされた時にどこか打ち付けたのか、レグサスは立ち上がれない。

 マズイ。どうすれば良い? 何ができる? ずきずきと響く痛みを無理やり抑え込み、少年は焦り身を起こす。土塊は吹っ飛ばされた。意識があるかもわからない。少年の体が影に覆われる。剣は効かない。赤と黒が顔面に迫る。まだ出せる風術は。八つの手がぱたぱたと動き、赤い亀裂が大きくなる。


「────熱波!!」


 考えのまとまらぬまま少年は叫んだ。照準を絞った威力重視の熱波動が、目玉と頸部を襲う。狙いたがわず当たった攻撃は、一瞬それの動きを止めるのに成功するが、阻めない。やられる!

 その時、複数の風切り音が場を切り裂いた。緑の柄を持つ小刀が黒蜥蜴に刺さる──いや四本は表皮に阻まれ落ち、二本だけが熱波の焦げ跡の残る左目と頸部に刺さる。

 みぎゃぁぁぁぁう

 耳障りな金切声が響く中、少年の視界の端から灰色の影が横切った。

 剣閃。黒身に線が走る。ぱくりと開く頸部。迸る朱。かくりと折れる身体。垂れ下がる大きな頭。


「────……」


 一瞬の攻防の末、水を打ったような静寂が続く。そして黒い胴から力が抜け、それはゆっくりと地に倒れこんだ。

 地響きのような重い振動が周囲を震わす。地にあった小さな物が土埃と共に散乱する。周囲が泥と朱と雑多な物で見えなくなる。


 全ての物が動かなくった時に少年の目に飛び込んできたのは、地面に広がる赤い血溜まりと佇む見知らぬ男の姿。

 そして大蛇を真っ二つに切り裂いた剣を一振り納めたその男は、顔を上げて言った。


「もう大丈夫です。ご無事ですか?」

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