9話 烏と略奪と土だるま

 意見の一致をみた二人は更に注意深く歩みを進めた。だが十数分もたたない内に、再び唖然として立ち止まることになる。

 やや開けた場所となったそこは、障害物が軒並み減っているせいもあり、周囲の状況がよく見渡せた。

 折れた草木、散乱する枝葉、地面に残る巨大な何かを引き摺ったような跡とどろっとした液体。そして木々や葉や地面のそこかしこに、糸状になった褐色の物質が縦横無尽に張り巡らされている。


 土だるまは早々に定位置となる腰袋に避難し、二人は大きな葉を繋ぎ垂れる糸のアーチに触れないよう、細心の注意を払いながらくぐり抜けた。近付いたことにより細部まで目視できるようになったそこは、よりその乱雑さと凄惨さが強調され、レグサス達の眉を顰めさせることとなる。


「何だここは? 一体……何が起きてこうなったって言うんだ。竜巻……いや、それならこうはならない」


 呟くとレグサスは地面にしゃがみこんだ。


「しかもこの跡、液体……これは? 糸とは特徴が異なる物質か。でも不用意に触れるべきじゃないな。ショウブ君! 悪いけど君が拾った枝一つもらってもいいか?」


 周囲に落ちている物は軒並み何らかの物質にまみれており手頃な物がなかったため、少年を仰ぎ見ると、彼は遠方を睨むようにして佇んでいた。風がふわりと二人の間を通りすぎる。


「おーい少年、聞こえてるか? って──ん? 何の匂いだこれ? なんか甘ったるい……腐った果実? いや何かもっと嫌な感じの……」


 がさりと腰袋が存在を主張する。少年が突如レグサスの方を振り向いた。


「──レグサスさん、嫌な予感がします。予定より時間オーバーしますが、ルートを変えます」

「あ、ああ。問題ないけど、理由を聞いてもいいか?」


 レグサスが答えると、少年は返事もせずすぐさま左に折れて歩き出した。慌ててレグサスもそれを追う。向かう先はここよりやや高めの木々が並ぶ樹林帯。


「勘です」

「もう少し詳しく!」


 やや早足となった少年に着いていくこと自体は、リーチの違いもあるのでそれほど難しくない。だが周囲に撒き散らされた糸を避けながらの急ぎ足は、やや骨が折れる。

 少年が身軽かつ無造作に避けられるのは、やはり体の大きさか小回りの良さか。少年は遅れがちになるレグサスを見返ることなく応えた。


「あの匂いを嗅ぐと子供の頃、虫にちょっかいかけた時のことを思い出すんです」

「虫……うーん、あんな甘さを含んだ匂いしたか?」


 少年は腰の剣を抜き、進行を妨げる蕀のような枝を容赦なく斬り割いた。抜き身の剣は鞘に仕舞われることなく、そのまま右手に伴われる。


「ちょっかいをかけた時と言ったでしょう。頭から触角のようなものを出されると、あんな匂いがするんです」

「ああ臭角か。威嚇時に出すヤツだな。科によっても違うと言うが、確かにこの柑橘系と金属臭の混ざったような独特の匂いを持つ虫もいた気がする」

「このタイプの匂いは、すぐに消えますよね」

「ああ。揮発性物質だからな。親油性のものだと結構しつこいと言うぞ」


 少年が苛ただしげに濡れた草を刈った。腿の高さまで伸びた緑が一掃され、道ができあがる。急いでいても足場と安全を確保する姿勢は感心するが、行動が雑になっているようだ。先程までは猫科の小動物を思わせる密やかな動きだったのが、今は動く度にみしりぱきりがさりと荒々しさを主張しているのが気にかかる。


「親油性とかそういうのは知りません。でも今この場所で、虫が威嚇時に出す匂いが、何故、消えずにこんなに強く、風に運ばれてくるんですか」

「……確かに嫌な予感しかしないな。わかった急ごう──」


 それを感じたのは、レグサスの言葉とほぼ同時だった。

 足元に伝わる振動、どこからともなく聞こえる地響き。

 顔を上げ見合せた二人は、相手の表情に自らと同じものを認め、ひどくゆっくりとした動きで周囲に視線を転じた。足元に根付く草が軒並みその身を震わせ、どこからともなく現れた尻尾の長い爬虫類が二匹、そしてその後ろから更に三匹左へ──レグサス達の目的地とは逆方向へ走っていく。

 太鼓のような音が迫ってきていた。既に気のせいで済ませることはできないレベルだ。レグサス達は音がする方に顔を向ける。遠方に見えるのは舞う泥土、吹き飛ぶ緑、そして──


「うわぁぁぁっ!」

「何だよあれは!?」


 それは異様な光景だった。巨大な山のようなそれは、ワームと呼ばれる幼虫の大群だった。個では一メートル前後のワームが横並びにずらっと並び、更にその上にまた何体ものワームを乗せ、草木を破壊しながら押し寄せてくる。


「───っ!!!」


 二人は取る物もとりあえず走り出した。ワームの歩みは遅い。常ならば逃げ切れるはずだ。しかしこの大群は、後ろの個体が群れの上に登って進み、前線に降り立つと群れの下に潜るという奇妙な移動方法で、どんどん距離を詰めてくる。引き離せないどころかこのままでは追い付かれるのも時間の問題だ。木々の悲鳴、逃げ遅れた動物達の叫泣が響く。轟音が迫る。大群がやってくる!

 ふいに剣を鞘に納めた少年が、群れを振り返り何事か叫んだ。そのせいで少年が遅れをとり、姿が土煙に覆われ見えなくなる。


「ちっ!」


 レグサスは横っ飛びに跳びあたりをつけた少年の位置に体当たりすると、そのまま痩身をかっ浚って倒れこんだ。少年が何やら叫んでいるが、草木の倒れる音とワームの連なる足音で耳に届かない。

 勢いのまま転がったレグサスは、泥だらけの体をすぐさま起こした。彼らの目と鼻の先で、茶色の節くれ立った足が何本も蠢き、左から右へと通り過ぎる。土と泥が舞い散り、草木が薙ぎ倒される。


 ワームの行進はレグサス達の目前で絶妙に進路を曲げていた。群れの下には横転した個体も見えるが、そんな仲間の上にも構わずワームは登り、進行を止めることはない。


「…………」


 何十匹のワームを見送っただろうか。しばらくすると、そこは再び静寂に包まれた。

 荒い息だけがお互いの耳に聞こえるようになった時、やっとのことでレグサスは口を開けた。


「助かっ……た、のか……?」

「とりあえ、ずっ、何とかなった、っぽいですね」


 二人は同時に大きな息を吐いた。膝をついたままぐったりと下を向くレグサスは、同じく地に座り込み力なく空を仰ぐ少年の腰から、のそりと土だるまが頭を出すのを見遣る。

 軽快に地面に降り立った土だるまは、動物が水を弾き飛ばすようにふるふると体を震わせた。そういや土って水吸うよなーと、鈍い頭でレグサスは思う。


「あー。。そういやショウブ君、君さっき何かした?」

「何か、ですか?」

「ショウブ君が何か叫んだ後、ワーム達の様子が……って後でいいや。とりあえずこの場を移動した方がいいな」

「そうですね────?」


 ふいに首を巡らせた少年が固まった。気付いたレグサスが少年の視線の先を辿り、同様に体を強張らせる。レグサスの背を、ひやりと冷たいものが伝い落ちる。

樹上に巨大な烏がいた。体は先程のワームの倍くらいか。白と黒の斑模様の毛並みから覗く不思議な色をした両目が、陽の光を受け爛々と光っている。その目は、低い地上にいる二人と一体をはっきりと捉えていた。

 レグサスは震える体を自覚しながら、無理矢理口端を上げた。


「立て続けだなおい……」

「……というか、ワームはこいつから逃げていたのかも、ですね……」

「これ標的に定められてる、よな……」

「ただの餌認定かもしれませんけどね」

「ちなみにレベル的には?」

「こんな見晴らしのいい所で飛行種とやりあいたくないです」


 軽口を叩きながらも、大烏から目を離すことはしない。じりじりと後ろに下がりながら、体勢を立て直す。


 ガァッガァーッ!!

「逃げるぞっ!!!!」


 大烏の荒々しい鳴き声を契機に、二人は走り出した。見ると土だるまは高い跳躍で張り出す枝や葉を渡り移っている。だが距離を稼げていない。追い付かれる前に合流させないと不味い。


「うわっ!」


 背後に羽音と気配を感じ、レグサスは咄嗟にしゃがんだ。レグサスの頭のあった場所を、大烏の鋭い爪が通りすぎる。

 獲物を逃した大烏は、一声グァッと鳴くと、再び足を繰り出してきた!


「ちょっ! 待てっ! うわっっだっ!」


 レグサスは必死に攻撃を避ける。襲い来る鉤爪は鋭く、まともに喰らったら悲惨なことになるのは想像に難くない。

 突如大烏が悲鳴をあげて離れた。その隙を逃さずレグサスは大烏から離れる。一つ羽ばたいた大烏は、目の前のレグサスではなく少年を睨み付けた。

 少年が剣を構える。大烏が飛び掛かる! 繰り出される巨大な爪を、少年は剣で弾いた。だが大烏は空中で角度を変え、縦横無尽に攻撃を繰り出し、少年の剣はそれらをいなすのに精一杯となってしまい致命傷を与えるに至らない。

 その隙に土だるまはぴょんこぴょんことレグサスに向かってくる。何はともあれ合流するのが優先だろう。

 だがレグサスは、ふと手を伸べるのを躊躇った。その時。


 ────黒い風が、レグサスの脇を通り抜けた。


 突風に煽られた髪が米神をうち、ぱちくりと瞬く。目の前の光景に何も変わりはない。

 そう。土だるまの存在が消えた以外は。


「ッッ! ショウブ────────っ!!!」


 レグサスが叫び、消えた大烏の行き先に気付いた少年が空を仰ぎ見る。土だるまを捕らえ空をかける斑の後ろ姿に、レグサスは懐から武器を引抜き構えた。だが遠い、届かない!

 斑姿が小さくなると、レグサスは舌打ちして少年を振り返った。剣を持つ手をだらりと降ろした少年は、もう一方の手を空に掲げたまま呆然と立ち竦んでいる。まるで届かない姿をその手で追うように。

 レグサスはズカズカと少年の前に歩み寄ると、その肩に手を置いた。


「ショウブ! 悪ィ俺が下手うった。でもまだ何とかなる。追いかけんぞ!」


 少年の薄い肩を力一杯掴み、黒い瞳を覗きこむ。少年の様子は気になるが、今は迅速な行動が必要だ。


「ショウブ! 君の土だるまは大烏の巣に持ち帰られるはずだ。今すぐ追いかけて巣の場所に当りを付けんぞっ! 取り戻すんだよっ!!」


 少年の瞳が、やっとレグサスを見た。その視線が空に差し出した右手に向かうと、少年の憮然とした面持ちに一瞬陰りが浮かぶ。だが気付いたレグサスが更に声をかける間もなく、彼は自らの肩に置かれたレグサスの腕を振り払った。


「怒鳴らなくてもわかってますよレグサスさん。────追います」


 黒い瞳は強い意思の光を灯していた。

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