8話 糸と戦端と土だるま
○月×日 曇時々雨
湿原にて事件発生。後日記載。
対象の黒斑、今のところ視認できず。
グギィィィィィィィィィィィ!!
耳障りな金切声が上がり、レグサスの前にいた茶色の物体が泥砂に沈む。巨大な幼虫──ワームを斬り捨てた少年が、返す刀で背後に迫る別の一体を切り裂く。
「ショウブ! ここは一旦退いた方がいい気がっするっ!!」
伸ばされる褐色の糸を松明で焼き、短剣で切り裂きながらレグサスは叫んだ。少年の動作に疲れはそこまで見えないものの、表情には焦りが見え隠れする。
「巣に戻った大烏は再度同じ狩場に戻らないっ! ここにいても君の土だるまは見つからない……!」
少年の顔が一瞬歪み、次の瞬間には周囲に網を作りかけていた糸がぐにゃりと溶けた。糸の残滓がキラキラと宙を舞う。茶色の生き物達はその間も、うじょうじょと包囲網を狭めてくる。合間から突進してきた先頭のワームを斬り捨て、少年は決意の声をあげた。
「わかりました! 退きますので遅れないで下さい!」
その日はとても穏やかな行程だった。薄い雲のお陰で暑さも収まり、風も気持ち良く、奇形種にも滅多に遭遇しない。
水辺に近付いてきたことを示すかのように、高い樹木の間を縫い、ぽつりぽつりと大振りの葉を持つ背丈の低い草花や、こちらから仕掛けなければ反応しない植物性の穏やかな奇形種が増え始めてきていた。
「マールの泉周辺は、ちょうど狂暴な奇形種の縄張りから外れているようです。何事もなければ今日中に泉に到着しますよ」
事前に街でリサーチした情報を元に地図を確認しながら少年が話す。その右肩を定位置とする土色の塊。その独特の丸いフォルム。均整の取れた体。絶妙なバランス感覚。
「いやぁ。見れば見るほど興味深くて構造生態その他諸々知り尽くしたいわ弄り倒したいわ土だるま君」
レグサスが思わず呟くと、珍しく土だるまが少年の肩上で滑りかけた。途端に嫌そうな気配が前方から発せられる。発生者はどちらだろうか。
「レグサスさんって、変態……いえ、無機物に愛着や執着を抱くタイプですか?」
「変態か? 純粋な好奇心だろ? 自分の知らない原理で動く不可思議な物体だぞ。誰だって知的好奇心が刺激されるんじゃないか」
「奇形種の住処、慣れない環境、もうすぐ目指す目的地。にも関わらず当然のように発揮されるその好奇心。キモチワルイ」
「何かショウブ君、君意外と口悪いんだな」
「レグサスさんの余裕にイラついてるだけです。ところでレグサスさん、ちょっと見て頂きたいものが」
「ん? 俺に?」
指し示されたのは、レグサスより少し背丈の高い植物だった。一メートル前後の円形の葉が二片、青々としたしなやかな茎から垂れ下がっている。
「植物に詳しくはないんだけど……ん?」
そこでレグサスは気付いた。上方の葉に何やら光るものが見える。腰の短剣を引抜き、剣先で葉を押し下げてやると、表面に指の太さ程の褐色に光る物質が付着しているのがわかる。
「何だろうな。うーん樹液、出液、蜘蛛の糸、この辺りが似ているか?」
拾った木の枝で触れてみると柔らかく先端が飲み込まれた。レグサスが眉を顰める。
「弾力性もかなりあるな。っと。あ?」
枝の先が離れない。引っ張ってみたが、やはり抜けない。試しに強めに上下に揺すってみたが、腕の動きと一緒に葉がわっさわっさと揺れるだけで、一向に枝がそれから離れる様子はない。それどころか揺らしたことにより、ますます枝と物質の接着面が増え、枝と謎の物質と葉がぴたりとくっついてしまう。
「一体何をしてるんですかレグサスさん。遊ぶのもいい加減にして下さい」
「……」
冷めた声と呆れの空気(これは土だるまからだろうか)には目を向けず、レグサスは思いきり体重を乗せて引っ張った。枝が徐々に葉から離れ、しかし同時に褐色の物質も葉と枝を繋いだままゴムのように伸びていく。
ふいに軽い音と共に抵抗の力が抜け、勢い余ったレグサスはたたらを踏んだ。グローブに覆われた左手には細い木の枝がある。そして衝撃に揺れる葉の上にも非常に短くなった木の枝が見える。
「……折れた?」
「力の入れ方おかしかったんじゃありません?」
「そっか。だよな」
「はい」
「そう、恐らくそうなんだろう。ただ一応……安易にこの物質に触れない方がいい、と俺は思う」
少年は未だ揺れる葉を厳しい目で注視し、頷いた。
「わかりました。気を付けましょう」
肩に乗る土だるまもまた、いつもより神妙に揺れているようだった。
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