第二話
「ねえ、本当にいいの?」
「うん、大丈夫だよ。りゅー君は心配しないでいいからね」
二人は夏の中にいた。人気のない田んぼ道を、ゆっくりと歩いている。小学生が二人で歩いていても、まったくと言って良いほど不自然さはない。そこで事故でも起きたのだろうか、同じような
手を繋いで、アスファルトを歩いていた。夏の日差しが、
「テレビのニュース、びっくりしたよね」夏乃佳は笑顔で言う。「りゅー君が
「うん……ごめんね、お姉ちゃん。僕もう、あの子はこの世からはいなくなってると思ってたんだ。だから……」
二人は少し前に、あるニュースを見た。朝から付けっぱなしにされていたテレビで流れていたニュース番組が、誘拐されていた少年が
元々どうにかしなければ、と思っていたところだった。
だから、逃げ出すことにした。
「ねえ、りゅー君は、どうしてりゅー君が良かったの?」
夏乃佳は純粋な疑問を口にする。
「えっと……あの子が、綺麗だったから」夏川少年は、照れるように言った。「僕、人間として生きるなら、綺麗な人がいいなって思ったから」
「そうだよね。りゅー君、すっごく綺麗だもんね」
夏乃佳は笑顔で言う。そこに、
「でも、お姉ちゃん、本当にいいの?」
夏川少年は、もう一度
「うん、大丈夫。だって、りゅー君が二人いてもみんな困っちゃうし、りゅー君、おうちに帰れないでしょ? ちゃんと私になってくれるなら、いいよ」
「お姉ちゃんは、自分がいなくなっちゃっても……いいの?」
「うん。だって、りゅー君が私になっても、誰も気付かないから」
「本当にそうかな」
「みんなわからないよ。人はね、見た目が九割って言われてるんだって。ほら、
「そうなんだ。人間って、適当なんだね」
「それに、りゅー君を助けられるのは、私だけだもん」
「どういうこと?」
「私はね、出来る人だから」
夏乃佳は満面の笑みを浮かべて胸を張り、夏川少年に微笑みかける。
責任感なのか、あるいは義務感なのか。
「だから、私がりゅー君を助けてあげるの」
「……ありがとう、夏乃佳お姉ちゃん」
夏川少年は、また困ったような笑顔を浮かべた。感謝したいのに、感謝しきれないような、不安定な笑顔だった。人間になりたいと思いながらも、人間から身体を提供すると言われたら、
「でも、どうしてりゅー君は、勘違いしちゃったの? 本物のりゅー君がいなくなるとこ、見てたの?」
「ううん、見てなかった」夏川少年は答える。「でもね、ずっとあの子のことを見てたから、チャンスがあれば身体を奪おうと思ってたんだ。綺麗な子だったから、あの子が死んだら、僕がもらおうって思ってた。死ぬのをずっと待ってたんだけど、やっぱり人間は、なかなか死なないよね」
「そうだよ。最近はね、技術が進歩して事故が減ってるし、
「すごいね」
「科学のおかげなんだよー」
夏乃佳は得意げに言って、夏川少年に笑いかける。
夏川少年は、そんな夏乃佳の笑顔を受けながら、遠くに見える神社に視線を向けた。
「……えっとね、あの日神社にいたらね、色んな人があの子を探してたんだ。警察の人とか、おばちゃんみたいな人もたくさんいて、あの子の名前を呼んでた。誰かが、神隠しだって言って――だから僕、きっと穴に落ちたんだって、勘違いしちゃったんだ」
「そっか。それで、本物がいなくなっちゃったと思ったんだね」
「うん。だけど、生きてたんだね。誘拐されてたなんて……もっと早く見つかってれば、僕だってもう少し
「りゅー君はちゃんと我慢出来たよ。だって、二日もちゃんと我慢したんだもん。りゅー君は偉いなあ」
夏川少年ははにかんで、嬉しそうに笑う。その様子は、まるで仲の良い
「そうだ。私の身体、幽体離脱しちゃうの。りゅー君、幽体離脱って分かる?」
夏乃佳の発言に、夏川少年は首を
「あんまりよく知らない。なったことないから。でも、お姉ちゃんの体がそうなってるのは、聞いたよ」
「えっとねえ、突然眠くなっちゃってね、身体が動かなくなるんだ。でも、意識はあって、ふわーって浮いてるの。だから、自分の身体も見られるんだよ。だからね、私、身だしなみには気を使ってるんだ」
「お姉ちゃんも偉いね」
「でしょ」夏乃佳は得意げに笑顔を見せる。「お母さんもね、夏乃佳は可愛いって
「お姉ちゃん、可愛いと思うよ」
「えへへ」
どちらの音だろう。
こちらの世界は、とても静かだ。きっと、二人の他には、誰もいないのだろう。少なくとも、物理的な肉体を持った生命体は、きっと。
「あ、でも……りゅー君が私になったら、ちゃんと幽体離脱するのかな?」
「しないの?」
「わかんない。うーん……どうなんだろう。多分、身体の問題だと思うから、大丈夫だとは思うんだけど……急に治ったら怪しまれちゃうかもしれないから、たまーに急に寝ちゃえばいいんじゃないかな。多分、誰にも気付かれないと思うから」
「……ねえ、でもそれだと、お姉ちゃんの意識はどうなっちゃうの? 僕がお姉ちゃんの身体をもらったら、お姉ちゃんはどこに行っちゃうの?」
「うーん、多分ずっと、ふわーって浮いてると思うよ。幽霊の人たちみたいに」
「それでもいいの?」
「私は、慣れてるから平気だよ。きっとねえ、生きているうちの十パーセントくらいは、私はふわふわしてるから」
「……ありがとう、お姉ちゃん」
夏川少年は、汗ばんだ手に力を
「ねえ、僕、あのお姉さん、好きだな」
「誰?
「うん。あのお姉さん、優しくて、綺麗なお姉さんだったから、また会いたいな」
「毎日会えるよ! あ、今は夏休みだから毎日じゃないけど、えっとねえ、学校がある日は、学校が終わったら、緋子先生のお店に行くの」
「毎日行くの? 飽きたりしない?」
「ううん。だってねえ、緋子先生はすごいんだよ」夏乃佳はまた、得意げに言った。「なんでも知ってるし、かっこいいし、優しいし。うちはお父さんとお母さんの帰りが遅いし、家に一人でいる間に幽体離脱しちゃうと危ないから、緋子先生に見てもらってるんだ。それでね、毎日緋子先生とお話して、宿題して、美味しいジュースとか、苦い珈琲とか、色々飲ませてもらうの。お夕飯作ってもらって一緒に食べたり、たまに内緒でお外で食べたりもするんだよ」夏乃佳は空を見上げながら、言葉を続ける。「私ね、早く大人になって、緋子先生のお店で働きたいなあって思ってるんだ。
「……お姉ちゃん、泣いてるの?」
夏川少年は
「ううん。暑いから、汗かいちゃった」
夏乃佳は
「りゅー君、早く行こっ。あとちょっとだから」
夏乃佳は夏川少年の腕を引いて、
「お姉ちゃん、本当にありがとう!」
「いいよっ」
二人はいつの間にか
真っ直ぐに伸びるアスファルトの途中で、左に曲がる。遠鳴神社はそこにあった。数日前までは、警察や地元民で
二人は遠鳴神社の
「ここだと、私に入れるの?」
「うん。そういう場所なんだ。
「ふうん。知らなかった」夏乃佳は空を見上げ、夏川少年から手を離すと、くるくると回転し始める。「木がいっぱいだー」
「そこから出ると、元の世界に戻れるから」
夏川少年は、本殿の
「あとは私が幽体離脱したら、りゅー君が入って、私になればいいのかな?」
「うん……でも、お姉ちゃん、いつ幽体離脱するの?」
「うーん……わかんない! でも、いっぱい走ったから、多分しばらくしたらなるかもしれないね」
「じゃあ、それまで休憩?」
「そうだね。りゅー君も疲れたでしょ。あそこに座ろうよ」
夏乃佳が、腰を下ろすのに丁度良さそうな高さの
「よう、少年」
ふいに、誰かの声が聞こえた。
二人は、音に視線を向ける。
本殿の
「――
夏乃佳は驚いたように言って、一歩後ずさった。
「よう
蒼太は
「さて少年。悪いけど、その命は
「……どうして、ここに……?」
夏川少年は、
「どうしてただの人間がここにいるのか、って顔に見えるが、そういう認識で合ってるか? ――つまり少年には、俺が普通の人間に見えている、ってことだよな」
「……うん」
「ま、そうだよな」蒼太は目を細めて笑い、「ところがどっこい、俺たちは同類なんだ」と言った。
蒼太が手を鳴らすと、本殿の陰から、
「うわっ」夏川少年は声を上げ、夏乃佳の手を握る。
「猫さんがいっぱいです」夏乃佳は目を丸くして言った。「蒼太お兄ちゃんのお友達ですか?」
「はは……七佳にはなんでも分かるんだな」
「緋子先生ほどじゃないですよ」えへへ、と笑いながら、照れたように夏乃佳は言った。まるで、科学喫茶の中で行われている会話のようだ。
夏川少年は、緋子の背後に隠れるようにして、体を
「
一歩距離を詰めた蒼太に反応するように、二人は一歩後ずさる。けれど、逃げ出せるわけもない。背後を
「さて少年――気持ちは分かるが、諦めてくれ」
蒼太は黄色い瞳を夏川少年に向け、
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