(後)

 講義終了後、鏑木はすぐに動いた。


「じゃ、俺は友達のとこ行ってくるぜ」


 星でも飛ばしそうな調子でそう言って立ち上がり、講義室の中心どころか講義終了後で人の輪の中心になっている在家の方へ歩き出す。俺は何も言わずにそれを見送った。

 自信満々だった鏑木の背中は人の密集する講義室の中心へ向かうに連れてどんどん小さくなり、首も引っ込んで頭が俯いていく。歩幅も短くなり在家へ近づく速度は見る間に遅くなっていく。それでも足を止めないのは蛮勇だ。とても賞賛できるものではなかった。


 俺がこれ以上、あいつの行く末を見届ける義理は無い。そう思って席を立とうとするが荷物をまとめる手がうまく動かない。おかしいなー、ルーズリーフと筆箱を片付けるだけのはずなんだけどなー。

 ゆっくりと荷物をまとめながら、ちらちらと鏑木の背中を盗み見る。俺がようやく筆箱を鞄に引っ込めた頃、鏑木は在家の元に辿り着いた。

 聞くつもりは無い。聞きたくない。順序が逆だったら自分がやらかしていたかもしれない可能性なんて、見たくない知りたくない。そう思うのに、気づけば俺の耳は鏑木と在家の会話を拾い上げようと雑音を排していた。


「ざ、在家」


「お? おー、鏑木じゃん。声かけてくるの珍しい、っつーか初めてだよな。どした」


 朗らかに応じる在家は本当にいいヤツだが、周囲の反応まではそう穏やかではない。鏑木に向けられる無遠慮な視線には、在家との会話を邪魔された連中の男女を問わない微量の毒素が含まれている。

 それは俺にも鏑木にも予想できたことで、だから俺たちはこの数日間、在家が一人になるタイミングをずっと探っていたのだ。いくら鏑木が調子に乗っていても、本当ならこんな風に人目のあるところで在家を誘うという暴挙に出る事は無かっただろう。俺というライバルがいて、抜け駆けしようと慌てた結果が、アレだ。


「これ、えっと、親が仕事で貰ってきたんだけどさ、行けないって言うし、その、二枚あるから、よかったら一緒に、どうだ?」


 途切れ途切れ、詰まりながらも鏑木がチケットを差し出す。在家は「お、なになに?」とチケットを手に取り目を通しているが、周囲の視線は冷えきっていた。鏑木はまだ、それに気づいていない。


「あー、すまん鏑木。これ日曜だよな? ちょっと先約があんだわ、悪いな」


 鏑木にとって絶望の一言。俺を含めた鏑木以外の全員が予期していた一言。

 俺の耳はそれ以上そちらの会話を拾い上げるのを拒む。これ以上聞きたくなかった。失敗したのは鏑木だ。衆目の中で、やつはぼっちが最もしてはいけないミスをした。それを、俺は笑う事が出来ない。

 だが、講義室を出ようとした俺の耳が、最後の最後に一つだけ音を拾い上げた。


「――――と行くといいんじゃないか、友達なんだろ?」


 思わず振り返ったら在家と目が合った。そして在家は鏑木を促すように俺と鏑木を交互に見る。聞き間違いではなかった。音を拾うのをやめていた耳が雑音と喧噪の中で確かに聞き取ってしまったのは、予想外にも在家の口から発せられた俺の名前だった。


 在家につられるようにして、俺も鏑木を見る。鏑木も猫背のまま、俯き加減の顔で俺を見た。救いを求めるように、仇敵を睨むように、手を伸ばすように、手を振り払うように。

 そんな鏑木の葛藤が手に取るようにわかってしまう、根っからのぼっち根性が嫌になる。

 ここで無視したら、在家の中で俺の株落ちるな。そう理由づけて、ようやく俺は声を出す事が出来た。


「……来いよ。置いてくぞ、鏑木」


 鏑木は泣きそうな顔で、小さく頷いた。





 感想を短く要約すると、クソつまらなかった。


 劇団の方々には申し訳ないが、四時間の公演を見終わった俺の感想はその一言に尽きる。一応劇団の名誉のために弁明しておくと四時間のうち一時間が過ぎたあたりで俺は睡魔に白旗を振った。最後の三十分程度は起きていたが、知らない人物が次々死んでいくラストには感動も笑いも出来なかった。

 隣で観劇していた鏑木も似たり寄ったりな様子で、会場の公会堂を出てからも微妙な表情で受付で貰ったチラシを睨みつけていた。


「……寝てたはずなのに、妙に疲れた」


「それは俺もだ」


 それきり特に会話もないまま、互いの家も知らず別れ際もわからず並んで歩く。鏑木はチラシから顔を上げる気配がないし、俺も必死に鏑木とは反対側の道路や店ばかり見ていた。

 が、市内でもかなり大きい部類に入る交差点に差し掛かった折、俺のよそ見が裏目に出た。


「げ、在家」


 思わず口に出してしまったその名前に、公会堂を出てから初めて鏑木の顔が上がる。

 大型交差点という絶妙の立地に店を構えた全国チェーンのカラオケボックスから、在家とその他数名、同じ学科の連中が出てきたところだった。丁度交差点を渡ろうとしていた俺たちと向き合う形で現れた在家が、俺たちに気づかないはずが無い。


 逃げるわけにもいかずに立ち尽くす俺と鏑木に、信号が青に変わるなりゆるく手を振りながら近寄ってくる在家。ほんといいヤツ。でも今回ばかりは空気を読んで欲しかった。在家の後ろからついて来る学科の連中が明らかに面倒臭いという顔をしている。俺も似たような顔をしていたかもしれない。


「や、どーも。ここにいるってことは、例の劇団公演の帰りかな?」


「あー……まぁそんなところだ」


 俯いたまま何も答えない鏑木に変わって、俺が答える。在家はそうかそうかとなぜか満足げに頷いて、ちらりと鏑木を見た。見たのにまた、俺に話を振ってくる。


「どうだった?」


「残念だが寝てたんでわからん。お前が行けば面白かったんじゃないか」


「それは褒められてると解釈していいのかな? 芸術のわかる男、って感じで」


 後ろの連中とひとしきり笑うくらいの話の種にはなっただろうからだよ、とは言わないでおく。こいつと急いで仲良くなろうという気構えが無くなったせいだろうか、向こうから話しかけてくる限りにおいて、俺の言葉は流暢に出てきた。


「そっちは……カラオケか」


「見ての通りね。ほんと悪かったよ、鏑木。前々から都合のつかなかったメンバーでようやく集まれる日だったからさ」


「あ……ああ。気にして、ない」


 鏑木が俯きがちなのは、在家に対してというよりは後ろの連中に対してだろう。こいつも冷静になって、あの衆目にさらされた玉砕がどんな意味を持つか気づいているはずだ。


「でも、俺は君たち二人で行った方がいいと思ったんだ」


「……何でだよ」


「鏑木が俺に声をかける前、君たち講義そっちのけで喋ってたろ。気が合いそうだと思ったんだ」


 呆気にとられる俺と鏑木。同じく呆気にとられる在家の後ろの連中。

 ……俺は以前、在家を観察力ありと評したが、これは評価を改める必要があるな。俺と鏑木は仲良くなんて無い。あのときは敵意がぶつかりあっていただけだ。

 そしてその敵意のぶつかり合いによって、鏑木は赤っ恥をかき、俺は在家と素敵な友情を育もうという意思が翳った。


 翳った、のか。そうだな、今の俺は在家と友達になる事に固執していない。鏑木の赤っ恥のおかげで、引き際を見出して、分をわきまえたから。分不相応な友達なんて、作ろうとするだけ無駄だ。


「……なぁ在家、次の週末、俺と映画見に行かないか」


 にやりと品なく笑って在家に尋ねる。


「悪いな、先約があるんだ」


 迷いの無い即答。これが在家にとっての今の俺の距離感だ。ほんと、挨拶してくれるからって調子に乗らなくてよかった。


「だよな、俺もだ」


 品のない笑顔のまま答えて、俺は鏑木の肩を叩く。


「来週は映画だ。付き合えよ」


 鏑木の返事を待たずに俺は歩き出した。





 同族嫌悪。ぼっちはぼっちといるのが嫌いだ。お互いの中に、自分の醜さが浮き出て見えてしまうから。だから俺は鏑木が嫌いで、鏑木も俺が嫌いだろう。

 しかし分不相応、という言葉があるように、分相応という言葉がある。

 ぼっちにとってリア充の友人など高望みも甚だしい。

 はじめの一歩を派手に踏み出すと、赤っ恥をかく事になる。

 だから臆病な俺ははじめの一歩を分相応に踏み替える。踏み抜かないように、自分の重みを支えられると分かる場所を踏む事にする。


 俺と鏑木は友達ではない。

 俺と鏑木は友達にはなれない。


 けれど、一緒にいるくらいは我慢してもいいんじゃないか、とそんな気がしている。

 黄金色の分不相応な輝きの前に、鈍色の輝きから始めよう。

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鈍色の輝き soldum @soldum

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