鈍色の輝き
soldum
(前)
何事にも具体的な目標は必要だ。
クリエイターは完成形を想い描かなければいけないし、料理は誰に食わせるか考えなければならないし、ダイエットは何キロまで腹回りをこそげ落とすか決めておかなくてはならない。それが決まっていないと、努力も時間も精神力も際限なく必要とされ、挙げ句行き先不明の手紙のように、疲労だけを蓄積して元通りになってしまう。
だから、友達作りにも目標が必要だ。
ただ友達が欲しいと願うのではなく、どんな友達が欲しいのか、どんな友達付き合いがしたいのか、それを明確にしておく必要がある。初めての友達作りなら、尚更だ。
「……初めて、ではないのか」
これまでも試みたことはあった。自分から話しかけなければ友達は出来ないと言うから隣の席のヤツに話しかけたら時代遅れのヤンキーみたいなヤツで、三年間使いっ走りとしての使命を全うした中学生時代などその最たるものだ。あのヤンキーは執拗に「オレラトモダチジャンヨー」と言ってきたけど校内で俺を体よく利用しただけで学外で会ったことは一度もない。だから多分友達ではない。
友達っていうのはもっとこう、キラキラした輝きと春風の如き清涼を日々の生活に送り込んでくれる存在のはずだ。
大学生になってようやくそのことに気づいた俺だったが、今は七月。気づくのが遅過ぎた。四月にはまだまだ見ず知らずの他人だったはずの連中が、いつの間にか連れ立って講義に出て、連れ立って学食で飯を食い、連れ立ってトイレに行くようになっている。なんなのあいつら人類みな兄弟とか本気で思ってるの? 何世代越しの家族愛だよ。
さておき、入学して三ヶ月経っていないという、俺にとっては実に驚くべきスピードでほとんどの連中は友達を作ってしまった。今までの俺なら期を逸したと諦めていたところだが、今回はそうもいかない。
大学生活は孤独を加速させる。この二ヶ月ちょっとの間、俺が学んだことの一つだ。
高校まではどれほど友達がいなかろうと、クラスという一つのまとまりで行動する機会が圧倒的に多かったために、友達がいなくても集団の中に俺はいた。しかし大学はいくら学部学科という枠が存在していようとも、講義によっては同じ学科のやつと数えるほどしか顔を合わせないし、自己主張しなければ学年学部学科という集団から簡単にふるい落とされる。
このままではいけない。そう思った六月の中頃、俺は友達作りを大学生活最初の目的として掲げるに至った。
あの決意の日から二週間あまり。具体的な目標がなければ努力は方向性を見誤る、というどこで聞いたかも忘れてしまったような使い古された言葉に従い、俺は友達作りにおける具体的な目標、すなわち、友達になりたいやつを身近な同学年同学科生から探し出した。嘘だ。何一つ身近ではない。限りなく遠い。
だがしかし、とにかく見つけた。見つかった。
同級生の
短めの頭髪は鬱陶しくならない程度に重力に反抗し、対照的に目元が実に穏やかな優男。その爽やかイケメンフェイスを裏切らない温厚で爽やかな性格は、そこにいるだけでまわりの空気まで爽やかになり俺みたいな根暗ぼっちも自分まで爽やかなんじゃないかと錯覚するくらい爽やか具合でサワヤカ(語尾)。
その外見と人柄から友人も多く、それでいてそれを鼻にかけて俺たちぼっちを馬鹿にしない。具体的にはすれ違うときに挨拶してくれる。なんだよなんで俺の顔覚えてんだよ。初めて挨拶されたとき俺は在家の名前どころか顔も覚えてなかったのに。割と怖かった。
入学して数日で俺の顔と名前まで一致させているあたり、観察眼と記憶力も相当のものだということがわかる。あんなハイスペックな人類いるんだな。あれがニュータイプか。
とにかく、あの爽やか具合は俺の毎日に必要な清涼剤の役割を果たすに申し分ない。在家にとっての俺は……なんかほら、時々暗い気持ちになりたい時あるじゃん、そういう時に役に立つよ、うん。
そんなわけで俺の友達第一号(予定)は在家に決まった。あの金箔を散らしたようなキラキラを俺の生活にも取り込むのだ。
そう意気込んだのが日曜日。そして今日が金曜日。俺は未だに在家との間で挨拶以上の会話をしていない。だってあいつの周りいつも人がいるんだもん。しかも女子率高し。在家くんマジ誘蛾灯。
十九年間ぼっちライフをエンジョイしてきた俺に、いきなりあの集団に突撃して在家とコミュニケーションを成立させようというのはハードルが高すぎる。端的に言って無理無茶無謀の三拍子だ。
在家が一人になるタイミングを狙って話しかければいい。あるいはいつものように挨拶をしてくれたら、その返事に何か一言付け加えればいい。初めのうちは安易にそう考えていたのだが、初日である月曜にした会話は「おはよう」「お、おう。あれだ、いい天気だな」「うん、そうだね」「だよな……だ、だよなー」終了。
会話が続かない。話題選びが下手。どちらもぼっちの基本事項だというのを失念していた。会話ってどうやったら広がるんだよ。これは世界の七不思議にカウントできるレベルの永遠の命題だ。会話が続くメカニズム解明したらノーベル平和賞貰えるだろ、ぼっち対リア充の戦争を回避した功績で。
一応言っておくと在家に罪は無い。あいつは俺が「だよなー」の次に何か言えるよう笑顔で五秒くらい待ってくれた。何も無いとわかって「じゃ」と笑顔で立ち去ったのだ。なんていいやつなんだ。
火曜日も似たり寄ったりであり、水曜日は一緒の講義を取っていないのでそもそも会わなかった。そして木曜日、このままではいかんと思った俺は行動に出た。
具体的には、在家を尾行した。
在家はどうも大学の近所に部屋を借りているらしく、同じく近所に住んでいる同級生数人と一緒に登校してくるのをベンチで休む振りをしながら目撃した。そのうち二人はいつも講義でも一緒にいる男子だ。朝は挨拶以外の会話が出来そうにない。
その後自分の講義そっちのけで在家の取っている講義を一通り巡ったが、どの講義でも在家を見つけて集まってくるやつらが数人はいて、在家は一人になる様子が無い。休み時間も昼飯時もトイレに行くにも人と一緒である。
夕方大学を出るまで、在家の周囲から人がいなくなることは無かった。
一日ではわからない、今日はきっとたまたまだ、と思って二日目の尾行を敢行した今日。現在昼休みが終わり、必修科目に在家と同じく参加中である。在家は講義室の真ん中あたり、俺は窓側最後列だが。
在家自身とその周囲の人間関係に関してはほとんど望む情報が得られなかった二日間の尾行だが、気がつくことが無かったわけではない。
必修科目の割にやる気の無い教養科目担当の教員の声を聞き流しながら、俺の右隣に座る男を横目で睨みつける。当然のように相手もこちらを睨んでいた。
こいつが、この二日間の尾行で得られた最大の情報であり、どう活用すればいいかさっぱりわからないが無視できない厄介な問題である。
俺の隣に座っている、ひょろ長くて不健康そうな、髪の長い男。名は
ただ、名前は知らなかったがこの男について顔は知っていた。同じ学部、同じ学年の人間であることも。
類は友を、というヤツではないが、ぼっちはぼっちを見つけるのが得意なのだ。この鏑木という男もまた、入学してから今日まで、講義の席取りや団体行動のたびに教授に注意されるまで所在無さげにうろうろしていた仲間だ。
そして少なくともこの二日の間、俺と同じように在家のあとをくっついて回っていた金魚の糞の如き男でもあった。
「……お前、在家と仲良くなりてーの?」
「お前こそ」
しばしのにらみ合いを経て、こちらから歩み寄ってやろうと質問してみれば、壊れた空気入れから漏れる空気みたいな音が短い返事をよこした。
「質問に質問で返すなよ」
「人にものを尋ねるならまず自分から言えよ」
ぐぬぬ、と二人して再度にらみ合う。どちらも「俺は在家と友達になりたい」という決定的な言葉を口にしない。それは二十年近くぼっちであり続けた人間同士の、くだらない意地の張り合いだった。
だが、とそこで俺は思い直す。俺はもうすぐぼっちを脱するはず(予定)なのだ。ぼっち時代の意地など引きずって何になるというのか。
「俺は在家と、とも、と……ちになりたい」
言えなかった。いや言った、口は動いた、小さく。でも息が出なかった。音にならなかっただけだ。ともだち、という言葉を脳よりも心よりも先に喉が拒否した。
「俺だって在家と、とも……と、も……ちになりたい」
空気入れが何か言っているが当然聞き取れない。まずはその空気漏れの穴を塞いで来い、と自分の喉を棚に上げて内心で鏑木を罵る。多分向こうも似たようなことを考えていた。
俺と鏑木。
要するにこの二人に在家を加えた三角関係が成立しているのだった。俺と鏑木はライバルというには覇気に欠け、在家はそもそもその関係を認識していないという大きな問題はあるけれど。
「お前が在家のとも……在家と親しくなるとか、無理だっつの」
「お前に言われたくねーし」
ぼっち同士の語彙の少ない低レベルな言い合いは続く。実に生産性が無い。だがそれでも、俺も鏑木も、在家と話すよりは言葉によどみが無い。ぼっちはぼっちと喋る時に限り、少しだけ饒舌になる。ほんの少しだけ、本当の言葉を発するのだ。
しばらく講義そっちのけでそんなやり取りをしていたが、五分近くも会話したのが久しぶり過ぎて俺も鏑木も呼吸の仕方を忘れて突っ伏した。息苦しい。
実に情けない休戦状態から先に復帰したのは鏑木だった。
「俺は、こいつに在家を誘うぜ」
そう言って鏑木がジーパンのポケットから取り出したのは、何かのチケットのようだった。言葉尻をとらえるとまだ誘ったわけでも無いだろうに妙に勝ち誇っている鏑木の手からチケットを奪い取りしげしげと眺める。
ナントカいう劇団の公演のチケットのようだった。聞いたことも無い劇団だがもともと演劇や舞台の方面に関心を持ったことが無いので知名度のほどは何とも言えない。
日時は明後日の日曜日、昼過ぎからの開演予定だった。
「……つーか四時間もあんのかよ」
こいつ本気か? ほとんどまともに喋ったこと無い相手と四時間隣に座ってよくわからん劇団の公演見て、その後友達になれると思ってんのか? これむしろ仲のいいカップルが調子に乗って見に行って退屈過ぎて別れ話になるまで目に見えてるパターンだぞ。
だが、なぜか鏑木は自信満々の様子で、喜色満面といったお顔である。
馬鹿なヤツだ勝手にしろ、と言っておいてこいつを玉砕させ、ライバルを排除するのが俺にとって最良の選択だろう。だが、咄嗟にそう吐き捨てることはできなかった。鏑木の根拠の無い自信。それは俺にも覚えがあった。
普段ならやらないような事に挑戦する時、人は誰しも否応なく高揚感を覚える。普段の自分とは別人になったような錯覚を覚える。そのチャレンジが具体的な形を帯び、幾度も脳内でシュミレーションを繰り返し、失敗したくないという恐れがいつの間にか勝算アリという誤解を生成する。思い込みと恐れが人一倍強いぼっちなら、尚更それは強い。
それが失敗した時、どれだけの痛みが伴うか知っていながら、それを忘れたように振る舞う。その状態が続けば続くほど、失敗する可能性も、それに伴う痛みも、強くなると知っているからこそ、引き際を見失った、やめ時を逸して、際限なく自信を積み上げる。
「……やめとけよ」
俺の言葉は、きっと今の鏑木に届かない。必死に目を逸らしている鏑木には、不都合は見えていないのだ。
「ふん、お前は俺が在家と仲良くなっていくのを指を咥えて見ているがいいさ!」
予想通り、鏑木は空気の抜けた声でそう言い放つ。この鏑木の言動を俺は責められない。多分この数日、躍起になって在家と関わろうとした俺もまた、似たような希望と自信に満ち溢れていただろうから。
俺は鏑木のおかげで少しだけ冷静になった。ぎりぎりで引き際を見極めた。諦めるわけではない、けれど今のまま在家に話しかけたところで俺が夢見た黄金色の友情は手に入らないと気づいたのだ。
それ以上何も言わない俺を、言い負かしたとでも思ったのか、鏑木は猫背の身体を前後に揺するようにして笑って正面に向き直った。その横顔をほんの数秒見つめて、俺も講義に戻る。何も言えない。何も言わない。それが賢い選択だ。第一鏑木がどうなろうと俺の知った事ではない。俺と鏑木は友達ではないし、これから友達になる予定も無い。
同族嫌悪。ぼっちはぼっちといるのが辛いのだ。痛々しい、もう一人の自分を見せつけられるから。
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