謎の水琴窟捜査計画


 村長の家に、問題を起こしている水琴窟を実際に見に行きたいのはやまやまだったが、こちらでは何でも無い呼び出しのつもりでいたのに、彼等がやって来た時のあの仰々しさを思うと溜息しか出ない柊仁だった。


 それを察してか辰彦は、ずっと文机に向かったまま背を向けて黙っている彼の華奢な背中を見守っていたが、四半時もすると我慢出来なくなったのか声を掛けてきた。


「どうしたんですか? 若君はいつもそうやって溜息をお吐きになられますが、私が思いますにそれは大した事では無いと言うのが殆どです。きっと今回も、どうやって出掛けようか……またあの大騒ぎだと、調べも何も有ったもんじゃない……とか、お考えなのではと推測致しますが。」


 図星を突かれて益々彼の方を見ようとしない柊仁。


「つまりは、僕ではない者が行けばすんなり行くって事なんだよね……例えば僕が、身分を詐称し従者の振りをして付いて行って、見聞きすると言うのはどうだろう。」


 何故か急に不満げに辰彦は腕を組んで思案中の彼に言った。


「いい事を思い付かれましたね。私が入れ知恵する必要も無さそうだ。木下宮司にでもお願いなさったらいい。お一人でどうぞ、ご勝手に。私は留守番をしておりますから。」


 つまらなさそうに横を向いた辰彦をくるりと振り返る柊仁。


「ダメだよ。君も関わったんだからここで投げ出しちゃいけないよ。子供の僕だけだと事の真相にたどり着けないかもしれないじゃないか。ねぇ、辰彦。」


 瞳がちな目で見上げる彼に急に横柄になる辰彦。


「この私に供をせよと仰るのですね? 神である私に。それはお願いですか?」


 大きく二度も三度も頷く柊仁。


「お願い、辰彦。もったいぶらないで、辰彦だって行きたいでしょ? 天女がつま弾く箏の音が聞きたいって顔に書いて有るよ。」


「それは……そうですが……わ、わかりました。」


 口籠った彼の様子を見てにっこり笑う柊仁だった。


「よかった。後は、木下をどうやって説得するかだけど……彼はとても真面目な性格だから、どうも自信が無い。」



**************


 とにかく木下の性格から判断すると、正面突破が率直で良いと結論し、柊仁は案件の解決の為に外出がしたいと申し出るが、彼は半ば呆れた様に言った。


「若君が直に行かれる必要は有りません。我々があの者の家へ行ってお祓いの儀式を執り行って参りますので、ご心配には及びません。それで彼等は納得致します。」


「付いて行くのは暁星宮の主としてではなくて、僕個人としてだ。つまりお前達は僕を草履取りの小僧とでも思ってくれればいい。」


 そう言った柊仁に木下は益々呆れ顔になった。


「若君。お立ち場をお忘れですね。村に下りるのは私達の仕事です。若君はここで無事に終わるのを祈っていて下さい。」


 彼の声音はあくまで優しく表情はそれにも増して穏やかだ。それだけに逆らうなどと言う方向にも向いて行かない不思議が有るが、柊仁は彼の穏やかさの影に隠された何かを本当は感じているのだ。


「でも、何だか難しそうなモノが居そうで心配なのだけれど。下見はしなくていいのか?」


 それを聞くと、木下は柔和な笑顔で言った。


「大丈夫ですよ。私達は若君がいらっしゃる前からそんな仕事をして来ているのです。慣れていると言いますか、とにかく若君がご心配になられる必要はございません。」


 じっと聞いている柊仁に宮司はさらに微笑んだ。


「その様に親身になって下さるとは、村の者達も喜びます。」


 これ以上言った所で相手にもしてもらえそうに無いと悟り、柊仁は一旦納得した様に頷いた。


「そうか、じゃあ後の事は頼んだよ。」


 彼の様子に安心し、下も頭を下げた。


「お任せ下さい。」




***********



 数日後、木下は補佐役の者達と神事についての打ち合わせを行い、台所預かりの者だけを残して村長の家へ出掛けて行った。


 その様子を見届け、柊仁は井戸で水を汲み祭壇の間に上がった。


 辰彦は、開け放たれた窓際に胡床を置いて座り、今回の神事には全く関心が湧かない様に外を眺めていた。


 柊仁が昇って来るのを待っていた様だ。


「気が利きますね、丁度喉が渇いていた所です。やはりそう簡単に連れて行ってはもらえませんでしたか。」


 彼には話しが全部筒抜けである。


「僕は、問題が解決するのならそれでいいんだ。外へ出られなかったのは物凄く残念だけど。」


 辰彦は祭壇の水玉の水を、捨てずにアサガオにやっている柊仁を黙って見ていた。


 誰に教えられたのかこの少年は何事につけてもそつなく熟す。植物への水遣りにしても発芽して間もない双葉が痛まない様に水入れから直接ではなく、一旦自分の手に沿わせて水をそっと掛けてやっている所作など、まったく少年らしくないのである。


「若君は、この案件が彼等に解決出来るとお信じになったのですか?」


 問われた彼は顔を上げて辰彦を見た。


 今日は海も穏やかで風も珍しく柔らかい。


「……それは、分からない。彼等がやってきた事だから、出来ると言っていたよ。」


 辰彦は、柊仁が自分で捜査に加わると言い出し、嬉しそうにしていただけに、彼の顔から年相応の光が消えているのが悔しかった。


「ほお、その目で確かめてもいないのに。なるほど、お育ちのいい若君は人を疑う事も無くここまで過ごせて来たと言う事なのでしょうね。」


 世の中、そう甘くは無いと言いたげである。


「諦めのいい若君は嫌いではありませんが、まったく面白く有りませんね。」


 辰彦は胡床から立ちあがると、アサガオの双葉に目を落とす柊仁の横に来て慰める様に言った。


「どうせ彼等では解決出来ませんよ。若君にお声が掛かるのは目に見えています。お考え下さい。この神宮は何を祀ってあるのですか? この私ですよ。私がここにいて若君の隣でぼーっと海を眺めてのんびりしているのに、誰があのよこしまを払うと言うのです? 私を呼ぶ事さえ出来ないあの者達に何が出来ると? 私に仕事を依頼出来るのは、私に話を通せるのはこの神宮ではあなただけですよ。」


「どう言う事? じゃあ、今までって……依頼に対して辰彦自身が応じた事は無かったって聞こえるけど。」


 そうですよ、と頷きながら彼は髪を撫でた。


「大した案件は持ち込まれていなかったって事でしょうか。見てもおりませんでしたが。興味も無かったので。」


 暫く辰彦の顔を見ていた柊仁だったが、気を取り直した様に新しい水を入れた水玉を祭壇に供え直した。


「ほとんどが依頼主の気の病であったり、家の風通しの問題で家族が健康を損なったりと原因は様々だったと思いますが、それくらいなら木下達の経験と知識で解決出来たのでしょうが、今回は違いますね。」


 他の者には見えない辰彦の様な存在を信じてもらうのは難しい事だと、彼は幼い頃から十分知っている。下手にそんな事を話そうものなら気が変になったと言われ、人目に付かない場所に閉じ込められてしまう危険性が有ると教えてくれたのも、生まれた時には側にいた祖母の霊だったのだ。もちろん幼子には彼女が霊なのだと認識は無く、あやす声に笑い、歌ってくれた子守歌で安心して眠れていた。彼女はひたすらに彼を危険と孤独から護ってくれていたのだ。


「そろそろ、木下達も気が付くでしょう。自分達では無理なのだと。」


 腕組みをして村の方向を見ている辰彦の視線を追って、柊仁も神宮の杜が途切れる辺りを見た。


「……上奏される案件を解決しないと美味しい物がもらえなくて食べられないのに、君はずっとそれで我慢していたの? ずっとひもじい思いに耐えてきたんだね。せめて冷たいお水を飲んで。」


 彼の目にチラリと光った涙が、辰彦を不意に打ちのめしたのだった。


「あ……ありがとうございます、若君。」


 

                          

                         つづく




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