案件その1 轆轤爺 (ろくろおきな)
事情聴取
翌日、辰星宮から呼び出し状を受け取った村長は、正装をして三十人ばかりのやはり小綺麗な着物を着込んだ村人の代表らと共に粛々とやって来た。
その様子に驚倒したのは出迎えた補佐役達で、書状を届けに行った青年が、入場できるのは上奏をした者だけだと伝えると、彼等は見る見る落胆してうな垂れ、彼らを困惑させた。主に会えない事に深い意味は無いのだと言っても聞かず、準備に忙しい宮司を呼んで説得してもらうはめになった。
「狭くて入り切れないだけですから、とにかく当事者の村長だけ上がって下さい。」
年長者の彼の言葉に仕方がないと言いながら、それでも神社の外で終わるのを待つと言い出し、補佐役の青年らは前の主の時からいるらしいが、こんな事は初めてだったらしく何事が起こったのかとただ言葉に詰まるだけだった。
改まり畏まった村長が案内されたのは、祭壇の間をはるか上に仰ぐ言わば階段の踊り場の様な所に屋根が設えられていて、神官達は拝謁の場と呼ぶ場所だった。
眼下に海を臨む東屋に壁は無く、七本の柱と岩が支える屋根と東の海を背にした上座には一段高い御座が設えられていてその前には天井から御簾が下りていた。
村長が示された場所に座ってすぐに主の出座が告げられ、彼は深々と大袈裟な程頭を下げた。宮の主のましてや帝に繋がるやんごとない方のご尊顔を目にするなんて、お天道様を直接見る様なとんでもない事、そんな事をしたら目が瞑れてしまう、と言う思いらしい。
宮司に先導されて柊仁が御座に入っても村長は、頭を床にこすり付かんばかりに下げたままだった。
その場に臨む前に、宮司から主としての威厳を保つ為に、彼等とは直接言葉を交わさない様に、都から遣わされた神宮の主は人ではあるが神格化された者であるのだからときつく言われた柊仁は、黙ったまま白髪の村長を見た。いちいちじれったい気もしたが、聞きたい事は全て事前に書面にして頂ければ自分が話を致します、と宮司は付け加えた。
打ち合わせ通り宮司が徐に口を開いた。
「其方がこの上奏文を寄越した日恵野村の宗左衛門か?」
「はい、左様でございます。」
「上奏に寄せた訴えによると、其方の家の水琴窟が奇妙な音を立てるとか。取り換えようにも出来ない、とあるが、どう考えてもここへ持ち込む訴えとは思えないのだが。」
訴えに応じて貰えたと言うのに、宮司からの思いも寄らない言葉に、半分驚き村長は思わず顔を上げ、彼と目が合って睨まれ焦って再度下を向いた。
「それは……」
「まあよい。主が特別にお取り上げになったのだ。お聞きになる。話してみるがよい。」
村長は訴えが退けられたのかと思い、またそうではなかったと知っても尚、震えながら奇妙な音を立てる水琴窟について語り始めた。
茶の湯などと言う贅沢な趣味が彼に有る訳では無く、孫が生まれた折に産後の里帰りをしていた娘が病んでしまった気鬱の養生が少しでも進めばと思い、都で密かに語られる癒しの琴の音を奏でる不思議な水の仕掛けとやらを、近くに住む美濃で学んだ若い陶工に頼み込んで作ってもらったのだとか。
出来上がった時は何の変哲も無い今まで通りの
ポツン、ポツン……
その音は箏の音に似ていたが、聞いた事も無い心地良さだった。
その音が鳴り始めてからは、生まれたばかりの赤子も夜泣きが止み、母親の乳も良く出る様になり徐々に笑顔が戻って家族を安心させた。
幸いな事にその後順調に回復し、娘は以前の様に元気になって嫁ぎ先に帰る事が出来たが、彼女の憂鬱を吸い込んだのか、暫くして水琴窟が夜中に成ると奇妙な音を立てる様になったのだ。
本来であれば、天女がつま弾く箏の音の様な音の筈が、耳障りな何かをこする様な、よく聞けば誰かを呪詛する囁きの様な禍々しい音がするのだ。
それなら水を止めてしまえばいいのかと言えば、今度は鋭い爪か何かで瓶の内側を引掻く様な、それこそ金切り声とでも言う様な音を立て、家人を震え上がらせた。
静かな夜に心穏やかに聞くと何とも癒され夢見心地に誘ってくれた水琴窟が今や勝手に鳴り始める奇怪な音のせいで、家の主はおろか近隣の村民までが悩まされる事になってしまったのだ。
もちろん普通の水琴窟はそんなに大きな音を立てる事は決して無い。
意を決し、取り出して新しい物に取り換えればまた美しい音色を奏でてくれるだろうと、庭師を呼んで手水鉢一帯の改修をさせる事にしたのだが、作業を始めようと人足達が近付いてみると、中から今度はゴロゴロともザラザラとも付かない大きな蛇が這う様な音がして、それに気を取られた瞬間に彼等はそれぞれ持っていた一抱えも無い石が急に倍以上にも重くなり取り落としてしまった。
気を取り直してもう一度石に手を掛けようとして何か嫌な気配に空を仰ぐと、村の上空にはいつの間にか黒い大きな鳥が無数に舞い、ギャアギャアと耳を覆いたくなる声で鳴き騒ぎ晴れていた筈の空が夜の様に暗くなっていた。
庭師達はもちろん村人達も恐怖にかられ、逃げ出すしかなかったとか。
その後、何度か試みるが、石が最初よりも随分重くなっていて動かす事も出来なくなり、それどころか、直接作業に関わった庭師達全員が原因不明の熱病に掛かってしまい責任を感じた村長は、藁をも掴む思いで神宮を頼る事にしたのだ。
私どもが何か悪さをしましたんでしょうか……
どうか、この水琴窟に取り憑いたモノをお祓い下さい、
涙ぐみながら話した村長が帰って行くのを終始無言のまま御簾越しに見送り柊仁は、ずっと横に立って一緒に聞いていた辰彦と共に祭壇の間に上がった。
あれだけ乗り気だったのに、全く浮かない顔になってしまった彼に辰彦も同様だった。
「埋まっている瓶の中に何がいるのかは分からないけど、追い出そうにも近づけないって事だよね。辰彦には何か心当たりが無いの?」
辰彦は、表情を硬くしたまま彼の問い掛けに少し考えを巡らせてから言った。
「無い事はないのですが、上空で騒ぐ鳥の群れも気になりますね。」
「熱病って言うのも怖いよ。」
「実際、見に行かない事には始まらない様です。」
彼の言葉に柊仁は途端に笑顔になった。
「村長の家に出掛けるの?」
一旦は頷いたが、楽しい打ち合わせは後で、とも言う様に辰彦が話を遮った。
「その前に、下の方で何か御用が有る様ですよ。行っておいでなさいませ。」
言われて耳をすませると、何やら下階が騒がしかった。
柊仁が行ってみると、一般参詣の場に使われるこの神社では一番広い広間に、美味そうな色をした数種類の野菜や捕れたばかりの魚、ワカメの干物や卵などが沢山籠に入れられて艶々と輝き、神への供え物を乗せる八足の上に並べられていた。
「これは一体、どうしたのだ?」
珍しく階下へ降りて来た柊仁にそこにいた者達は頭を下げた。
「今日の御呼び出しにあたって村民が持って来たお供え物です。」
「えっこんなに? まだ何も解決してもいないのにか?」
宮司木下は頷いた。
「村の者は何年振りかの神宮からの御呼び出しに喜んでいるのです。」
柊仁の実家からの付け届けが貧相だと陰口を叩いていた補佐役の青年が、村長と共に来た村人の顔を思い出しながら言った。
「ほとほと困りましたよ。昨日は神宮からの呼び出し状を受け取って大喜び。村中大騒ぎだったらしいです。」
「……」
神格化された存在である事をお忘れ無き様に。
謁見の場に向かう前に宮司が言った言葉が、柊仁に言葉を失くさせた。
彼の実家も、父の足が遠のいたせいで生活が苦しかっただけに分かるのだが、ここも農地が少なくて貧しい村であるだけに彼等はこの食料をどうやって集めて来たのだろう。山と積まれたお供え物を見ながら、面白そう、などと一瞬でも思ってしまった自分が柊仁は情けなかった。
こうなってしまったら、どうしても解決しなくてはならないのだ。
つづく
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