岐阜県タピオカ町における創世記
丸井零
岐阜県タピオカ町における創世記
岐阜県他人岡(タピオカ)町。ここにある他人岡鉱山では、たくさんの少女たちが働いていた。学校へ行っていれば「女学生」と呼ばれていたであろう少女たち。
ここの鉱山からは、宝石のように輝き、餅のように柔らかい究極の食材が手に入る。彼女らの仕事は一つ。他人岡(タピオカ)の原料である彼奴鯖(キャッサバ)を掘り出すことだ。
「暑い……暑いよ幸子……」
「我慢しなさい、タエ。監督に聞かれるわよ」
「だって暑いものは暑いんだからしかたないじゃない」
「そこ!黙って働け!!」
「チッ、うっせーな……」
「こら!聞こえるわよ」
今日も今日とて、彼女たちは他人岡鉱山で働かされている。彼女たちは他人岡を食べたことがない。彼女たちにそんなお金は無いのだ。
他人岡の味を知らない人間が、他人岡の材料である彼奴鯖を命がけで掘り出しているのだ。粉塵爆発による悲惨な事故もたびたび起こっている。
しかし他人岡の需要が上昇し続ける限り、彼女たちは何度も坑道の奥へと潜っていく。
他人岡はその見た目から、神の食べ物と言われた。その美しさに魅せられた世界中の上流階級の紳士淑女たちがこぞって収集を開始した。日本の女学生の中でも絶大な人気を得ていた。
他人岡鉱山は世界各地に見つかった。日本と同じく、世界中の少女たちが他人岡鉱山で働くようになった。
時には人身売買も発生した。親に売られた子供たちが鉱山主に買い取られ、タダ同然で労働させられるのだ。
他人岡鉱山ではなぜ少女が働いているのか? 大人や少年は働いてはいけないのか? そのような疑問を持った読者もおられるだろう。
他人岡はケガレの無い食物でなければいけないのだ。なぜならこれは神の食べ物なのだから。
華のないおじさんが作っていては神様が嘆き悲しむだろう。それは当たり前のことなのだ。
男性が主体となって働き、女性はその手伝いとしてお茶くみをする。それと変わらないぐらい当たり前のことなのだ。それが当たり前で永久に変わらない価値観なのだ。
彼らにとって、これは絶対に沈まない泥船なのだ。
他人岡は工業製品にも利用され始めた。産出量が極端に多く燃焼速度を制御しやすい燃料として、様々な分野で重宝された。
個体燃料である石炭と、液体燃料である油。その中間として他人岡燃料は世界中で利用されるようになった。
T型フォードは他人岡を燃やしながら街道を疾走した。満州鉄道は他人岡を飲み込みながら粘菌のように版図を広げていった。戦艦ドレッドノートは他人岡をズルズルと啜りながら、世界の海をその巨砲で震え上がらせた。
他人岡燃料は世界の産業を大きく前進させた。
産業の前進は、機関車の前進と同じだ。その周囲には大量の黒煙がまき散らされ、騒音が響き、草木は腐り落ち、動物たちは死に絶えた。
それだけではなかった。産業という機関車は、軍事需要という貨物車を引き連れていたのだ。人々は他人岡を使い、他人岡を奪い合った。ストロベリーが世界中で流されることになった。
他人岡を巡った戦争は、片方が他人岡を独占することで勝負が付いた。放射性他人岡を濃縮させた新型の爆弾が使われた。
勝利した国々は、宇宙にも豊富に存在する他人岡を求めて、ロケットの開発競争を繰り広げた。
現場で開発を担当した科学者たちの多くは、好奇心旺盛で無垢な若者たちだった。人類が月に降り立った時、テレビでは新たな時代の到来として賞賛された。
それは確かにすばらしいことなのだろう。実際に、多くの少年少女たちが宇宙を目指して勉学に励んだのだから。人々は希望に満ちあふれていたのだから。
その原動力が土地と燃料への絶え間ない欲望でなければ、それは人類の理想の道のりであっただろう。
他人岡の消費量は急激な勢いで増加していった。それと同時に、世界の他人岡鉱山の周辺で恐ろしい病気が発生した。眠れなくなる病気だ。
他人岡鉱山から流れ出るミルクティウムが生物濃縮を通して人体に吸収された。ミルクティウムが人体に入ると、重度の不眠症を引き起こす。
患者たちは、夜も昼も眠気に襲われ、それでも眠ることが出来なかった。「布団に入りたくなる(インしたくなる)」ことから、インシタクナル病と呼ばれ、代表的な公害として数えられるようになった。
インシタクナル病の被害は、世界中で同時に発生した。人類は眠ることが出来なくなった。効率の悪い労働を続け、次第に生産力は落ちていった。睡眠不足は万病の源だ。もちろん精神にも多大な悪影響を与える。
人類の建設技術の象徴である高層ビルから飛び降りる人があった。かつて人類の機動力を大きく向上させた鉄道に飛び込む人があった。
上昇し続けていた世界の人口は、逆のV字を描きながら降下していった。
労働者や住民の団体は、他人岡の原料である彼奴鯖の採掘を停止しろと迫った。しかし他人岡を消費しているのは労働者や住民自身なのだ。企業はただ需要に応えているだけだ。
他人岡会社に責任はない。責任を負うのは株主だ。そしてその株主が負う責任は、自分が払った金額の分だけだ。
インシタクナル病で苦しむ人々を救ってくれる者など居なかった。それどころか、より重篤なインシタクナル病を患っている人々が、それらの労働者団体を批判したのだ。
「我々の方が苦しんでいる。我々はそれでも、社会と会社そして家族のために頑張ったのだ!」
責任の存在しない前進。それが「人類の発展」の本当の姿だった。それはやはり機関車と同じだ。
その火夫たちは、誰が最も多く石炭を投入したのかで競争する。彼らにとって、残りの石炭の量も、目的地への距離も、進む先に急カーブがあるかどうかも関係ないのだ。
人類の発展という名の機関車はこうして、駅も街もない死の土地へと乗客を乗せて前進し続けるのだ。
それは警笛を響かせている。
「おとーさん、この機関車、泣いてるよ?」
「泣いちゃいないよ。これは警告してるんだ。『俺の前からどきやがれ!さもないとひき殺すぞ!』ってね」
「でも外には誰もいないよ?」
「本当だ。それじゃあ一体、誰に向けて警笛を鳴らしているんだろう」
他人岡は量子力学の発展にも大きな影響を与えた。濃縮他人岡爆弾の使用から数年後、濃縮他人岡から取り出す莫大なエネルギーを利用した発電方法が確立された。
「他人岡核分裂発電」と呼ばれ、世界各地にその手法を取り入れた発電所が乱立した。エネルギーと同時に、人類には処理できない廃棄物が大量に生み出されるが、そんなものは数百万年後の人類に任せておけばいいのだ。
我が偉大な発電技術にとって、そのような心配は恐るるに足らない。
ここから得られた電力も、人類の発展に大きく寄与したのは言うまでもない。
しかし他人岡核分裂発電所が各地で重大な事故を起こしたため、新たな発電手法を見つけだす必要が出てきた。
「生産するエネルギーを増やす努力も必要だが、消費するエネルギーを減らす努力も必要なのではないか?」
という意見もあったが、大量に生産し大量に売ることが宿命の企業にとって、そんな意見は害悪でしかなかった。
科学者の賢明な努力によって、他人岡核分裂発電の上位互換である「他人岡核融合発電」が完成した。こうして人類は地上に太陽を顕現させることに成功した。
しかしこの頃から、前述の「インシタクナル病」が蔓延し始めたのだ。
ほぼ無尽蔵のエネルギーを得た人類は、もう止まることが出来なかった。さらに技術を向上させていく。他人岡半導体は情報処理速度を指数関数的に上昇させた。様々な実験から得られた膨大なデータが他人岡半導体によって集約され、新たな科学的真理への扉を開いた。
他人岡半導体に続いて、他人岡量子コンピュータが発明され、さらに人類は全体としての知能を高めていった。
このように睡眠不足による効率の低下は、技術の進歩によってなんとか相殺されていた。
それでも人類の衰退は加速していった。他人岡の使用を止めれば、人類は盛り返すことが出来る。しかし今立ち止まることは許されなかった。
薪を燃やし馬に乗る生活に戻りたい者など、もう誰もいなかった。
岐阜県の他人岡町では、あるプロジェクトが進行していた。それは「スーパータピオカンデ・プロジェクト」と呼ばれた。
他人岡の生まれた地である岐阜県他人岡鉱山跡地には、巨大な空間が広がっていた。この空間に大量の他人岡コンピュータを敷き詰めて、究極のAIを作るという構想だ。
このプロジェクトは極秘であった。プロジェクトに参加するのは代々他人岡鉱山で働いていた一族のみ。これは日本が戦争に敗北した時から、少しずつ秘密裏に開発されていた。
スーパータピオカンデは永遠に完成しない。永遠に成長するのだ。人類の技術の進歩にあわせて、何度も何度も更新されていく。
他人岡真空管から他人岡半導体へ。他人岡半導体から他人岡量子コンピュータへ。
スーパータピオカンデによる予言は常に的確だった。
阪神大震災も、ハリケーン・カトリーナも、四川大地震も、すべて予言したという。この情報に従って、政府の重役や資本家たちは難を逃れることができたらしい。
他人岡AI「スーパータピオカンデ」は、数々の計算を繰り返してどんどん知能を成長させていった。
スーパータピオカンデは、あと数年で人類は滅びることになると結論付けた。
しかしその報告は、日本の政府が握りつぶしてしまった。
おそれていた事態が起こった。
とある他人岡原子力潜水艦。その船は制御不能になっていた。否、その乗組員の精神が、理性の制御を離れてしまったのだ。
インシタクナル病の恐ろしさは、ただの寝不足にあるわけではない。寝不足によって理性の働きを阻害することが、この病気の本当の恐ろしさなのだ。
しかも同じ現象が複数の潜水艦で同時に起こってしまったのだ。
海面近くまで上昇した潜水艦はミサイルを発射した。その先には核弾頭が搭載されている。
手始めに東京が燃えた。続いてサンフランシスコ、ワシントンD.C.、ロンドン、パリが燃えた。
世界は戦慄した。各国は容疑を否認した。暴走した潜水艦たちは、少なくとも太平洋と大西洋にしかいないらしい。複数いることが信じられなかったが、これは実際に起こっていることなのだ。
テロには決して屈しないという、合衆国大統領の演説が地球の隅々で放送されることになった。
次の日、ウラジオストク、ソウル、ピョンヤン、北京が燃えた。また次の日、モナコ、ローマ、アテネ、カイロが核の炎に包まれた。
暴走した潜水艦を撃滅するため、各国は連携を開始した。
では、その主導権は誰が握るのか?
我こそはと主張する米国、中国。軍隊ではないため何も主張することが出来ない日本。女王の艦隊を他国の使い走りにするわけには行かない英国。首都を襲われる心配のないインド。
各国の首脳たちは激論を交わしたが、彼ら彼女らもみんな寝不足なのだ。しまいには罵倒の応酬へと移行していった。
意見をまとめることは不可能になり、世界艦隊の計画は暗礁に乗り上げた。
新しい事件が起こった。訓練飛行中だった米軍のドローンが、突然ミサイルを発射した。
メキシコのある都市がその攻撃によって被害を受けた。こうなっては黙っているわけにはいかない。宣戦布告など必要なかった。
まずアメリカ国内で暴動が起こった。故郷にメキシコを持つ人々だ。それに対抗してメキシコ移民に対する暴力事件がアメリカ各地で発生した。
中国やロシアの首脳は、この騒動を放置する米国政府を批判し、武力介入すら匂わせた。
しかし中国ではウイグル自治区で暴動、ロシアではクリミアで暴動が発生し、それぞれ武力によって徹底的に弾圧されることになった。
これを米国やヨーロッパの国々が批判し、こちらも武力介入を匂わせた。
代理戦争ならぬ、代理暴動・代理テロが世界各地で発生し、民間人(に見える戦闘員)vs軍隊という構図が当たり前になった。
移民街に対して戦術核を使用する例も多発した。
人道という文字が世界の辞書から消失した。
絶望的な戦いが始まった。この戦争に勝利など存在しないのだ。
終末の演奏会が世界で開催された。観賞料は、無垢な市民の命とこれまでの歴史だ。
わずかに生き残ったテレビや新聞、ネットニュースは、地球の隅々で起こっている戦いについて懸命に報道した。しかしもはや、それらの情報を必要とする人間はいなくなっていた。
都市はすべて焼き払われた。そこには焼け野原しか残っていなかった。コンクリートは砕け、ガラスは粉々になり、樹脂は不気味な形に融解し、再び凝固していた。
「ねえ灯子ちゃん。空が赤いよ」
「こわいね、チエ」
「神様が怒ってらっしゃるんだよ」
「どうして?」
「人間が進む道を間違えちゃったからだよ。自然の声を聞かないと」
「なに? 宗教勧誘?」
「あはは違うよ」
廃墟と化した街を見下ろしながら、二人はおしゃべりを楽しんでいた。おしゃべり以上の娯楽は、もはや存在しないのだ。
「さっきの話だけど、人類が何か間違えてしまったんだとして、どうしたらいいと思う?」
「やり直すしかないんじゃないかな」
「どうやって」
「時間を戻すとか。あるいは、世界を作り直すとか……?」
「そんなことが出来るの?」
「タピちゃんなら出来るんじゃないかな」
「あれのこと?」
灯子と呼ばれた少女は、鉱山跡の地下空間に建設された究極のAIを指さした。
「私のおばあちゃんが作ったタピちゃんなら、きっとね」
スーパータピオカンデの開発に携わる一族、それが彼女たちだ。
「タピちゃんタピちゃん。どうか人類に、もう一度チャンスをくれませんか……」
チエはひざまずき、他人岡鉱山跡地に向かって祈り続ける。灯子も仕方なくそれに続いた。
「どうかもう一度チャンスをください……」
「もう一度チャンスをください……」
二人の少女の祈祷は、人類最後の祈祷となった。
我々が生きるこの世界において、他人岡は「タピオカ」と表記される。我々にとってはそれが当たり前であり、初めから決まっていたことだ。彼奴鯖はキャッサバであり、これは鉱石ではなく植物の一種だ。タピオカも同様に、何の変哲もないただのでんぷんの集まりだ。
タピオカで車は走らないし、核融合など出来るはずはないし、知能など持つわけがない。
岐阜県神岡町、今は合併して飛騨市の一部になっている。ここには巨大な鉱山跡地がある。東京大学が運用する水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置「スーパーカミオカンデ」がこの鉱山の奥に居座っている。
飛騨市出身の女子高生が二人、タピオカミルクティを飲みながら自撮りをしていた。
「灯子ちゃん!もっと寄って!」
「わ!こぼれるって!」
パシャッという小気味いい音が響く。
「また投稿するの?」
「そうだよ!インスタ映えだよ!」
「インスタグラム病じゃん……依存症じゃん……」
「そんなことはないって」
「ねえ、見てよこれ。ツブツブ〜」
「じっと見てたら気持ち悪くなってくる」
「えーそんなことないよ」
「なんか見られてるみたいでやだなぁ。目が集まってるみたい。生き物に見えてくる」
「考えすぎだよ灯子ちゃん。でもそっかあ。そういうのもいいよね」
「そういうの?」
「タピオカは守り神なんだよ」
灯子は怪訝な顔をしているが、かまわずチエは喋り続ける。
「タピオカって、最近急に話題になってきたでしょ? だから、私たちに何かを伝えに来てくれたんだと思うんだ。あとタピオカと神岡は似てる」
「タピオカの食べ過ぎておかしくなったんだね……かわいそうに……」
このチエという少女の言うことはただの妄言だろうか。それとも、最近の人類の所業を見かねて、本当にタピオカが視察にやってきたのだろうか。
人類に与えられたチャンスは一回のみだ。我々はこれから、どのように世界の中で生きていくべきだろうか?
その答えは、タピオカのみぞ知る。あのツブツブした綺麗な目で、人類の行く末を見守っているのだ……。
岐阜県タピオカ町における創世記 丸井零 @marui9
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