光の空のクオリア

猫柳蝉丸

本編

「そうだねー、今日は雨が上がるまで特別料金で付き合ってあげるよ、先生」

 よく日に焼けた少女が、私の生徒が、小悪魔的に、無邪気に私を誘惑する。

 私はその誘惑には抗えない。

 抗う事なんて出来るはずもない。

 渇望していたものが、喉から手が出るほど欲しかったものが、そこにある。

 手に入るはずがないと諦念の中にあった私の前に現れた光。

 その光が例え欺瞞に満ちていて、金銭を介さねば手に入らないものであったとしても。

 私は、その光に包まれていたい欲望から逃れる事が、出来ない。

 いつかその偽りの光の強さに双眸を潰されてしまう事になったとしても。



     ◇



 私の生徒、恩田光莉さんについてはかねてから一つの噂があった。

 援助交際……、つまり売春しているらしい、というある意味ありがちな噂だ。

 女子高生なのだ。少しでも目立つ生徒に売春の噂が流れるのは日常茶飯事ではあった。

 けれど、噂は噂だった。その売春の噂が真実であった事はほとんど無い。大体の噂が目立つ生徒へのやっかみから流れたものである事が多く、事実無根である事を確かめて安心する事が毎度の事だった。それはそうだろう。女子高生が常時金欠なのは一般常識ではあるがそれで売春に思い至る少女は少ないはずだ。それは彼女達が特別に倫理的であるからでも賢明であるからでもない。リスクに見合っていないからというだけだ。

 何でも個人で発信出来るようになった現代、売春で稼ぐ方が後々に厄介な事になる。売春でなく、恋愛関係にあった男女間ですら別れた途端にいかがわしい動画を流出させる時代なのだ。その危険性を考えると全く割に合わないのだ、売春なんてものは。いっそ芸能界にでも入って枕営業でもした方が安心なくらいだろう。

 だから、私は恩田さんの噂について気にする必要は無いはずだった。どうせ単なる同級生の悪意から流れた噂でしかないだろう。恩田さんは日焼けしていて髪も茶色く染めていてピアス穴も両耳に二つずつ開けている。そして、香水の匂いが漂う高校生離れしたスタイルと短いスカートから、そういう連想をしてしまう輩が多かったというだけの事のはずだ。頭に入れておくにしろ、私が特に気にして対応する必要も無い。無いはずだった。

 それでも、ここまで分かっていて恩田さんの噂が気に掛かっているのは、恩田さんの売春の噂には追加の文句が付いていたからだ。

『四組の恩田光莉は援助交際して稼いでいるらしい。ただし、女相手専門で』



     ◇



 何故、そうしたのかは今となっては自分でも分からない。

 その日、授業が終わって、職員室での事務処理もそこそこにして、私は学校から少し離れたラブホテルの並ぶ通りを歩いていた。予感があったのだろうか。期待していたのだろうか。それは分からない。

 それでも一つだけ分かる事があった。その日の恩田さんが頻りにスマートフォンを気にしているのを目にしてしまったから、私はこの通りを歩いてしまっているのだと。普段の恩田さんは模範的な生徒とは言い難いが、授業は比較的真面目に受けてくれる生徒ではあった。成績だってうちの高校の中ではという但し書きがありながらもかなり上位に位置している。だからこそ、気になったのだ、今日の恩田さんの様子が。

 盗み見るつもりが無かったと言えば嘘になる。いや、歩き回る必要も無い授業だと言うのに歩き回っていたのだ。言い訳のしようもない。私は恩田さんのスマートフォンを盗み見た。誰かと連絡を取り合っていたのだろう。スマートフォンの画面には、この通りでの待ち合わせをほのめかす文章が可愛らしく記されていた。

 それが売春の証拠と決まったわけではない。彼氏との逢引きで待ち合わせている可能性も十分過ぎるほどあった。むしろそう考える方が自然だろう。高校一年生でラブホテルの常連となっているのは問題ではあるが、小学生ですら恋人を作っている時代なのだ。その程度なら逆に健全とすら言えるかもしれない。

 生徒が彼氏とラブホテルに入っていく。その場面を目撃するのは衝撃的ではあるが注意するほどの事でもない。恋は人を盲目的にさせるものだ。私が何を言ったところで彼氏との関係を終わらせるとも思えない。見て見ぬ振りをしてあげるのがお互いの為にもなるだろう。

 けれど……、けれどもし……、恩田さんが本当に女性相手の売春をしているのならば。

 私は……。

 それは運命だったのか。奇蹟だったのか。悪魔の悪戯だったのか。

 まさかこんな事態になろうとは考えていなかった。予想はしていた。期待もしていた。けれど本当に起こってしまうなんて考えてはいなかったのだ。恩田さんの噂はやっぱり嘘だったのね。なんて少し落ち込み、それ以上に安心しながら帰路に着きたかっただけのはずだった。今となっては自分の本当の気持ちなんて分かりようもないけど。

 つまり、ばったり顔を合わせてしまったのだ。

 ラブホテルから女性と腕を組んで出て来たばかりの恩田さんと。



     ◇



 私の初恋は近所に住んでいた活発なお姉さんだった。

 直接その姿を見た事は無いけれど、陸上部でグラウンドをよく走り回っていたらしい。スタイルが良くて、よく日焼けしていて、面倒見のいい明るいお姉さんだった。

 小学五年生の頃、お姉さんを好きになったと自覚した時、当然戸惑いは少しあった。同時に納得もしていた。クラスメイトがクラスの男子を好きだと話している時も全く興味を示さなかった私だ。ひょっとしたら男子の事を恋愛対象に出来ないんじゃないかって思っていたら案の定だった。

 お姉さんに撫でられると胸がときめいた。その唇を見ていると吸い付きたい衝動にも襲われた。一緒にお風呂に入った時には理性を保つのでやっとだった。その日の夜は股の間と育ってもいない乳房に何度も自分の指が這い回った。

 女の子が女の子に惹かれる事があまり一般的でないとは知っていた。そういう漫画やメディアが増えている事も知ってはいたが、現実にそうすると偏見の目に晒される事もよく分かっていた。何よりそういう同性愛が称賛されるのは見てくれに優れた人達のそれである事をこそ、私はよく分かっていたのだ。漫画ではそうだったし、ドラマやアニメで称えられる同性愛者は見目麗しい人ばかりだった。逆に外見に劣った同性愛者は蔑まれるばかりだったから間違いないはずだ。

 私は可愛らしく産まれられなかった。視力は早々に落ちて小学校に上がる頃には眼鏡を掛けていたし、ひどい癖毛で三つ編みを作る事も困難だった。目鼻立ちも優れた部分は一つも無かった。太ってもいなければ痩せてもいない。大人になって胸だけはそれなりに膨らんだけれど、それだけだ。可愛い、美しいとは我ながらお世辞にも言えなかった。

 だから、お姉さんに好きだとは言えなかった。同性愛である事以上に、こんな可愛くない私に好かれてもお姉さんは迷惑なだけだと思えてならなかった。そうして、中学生に上がる頃にはお姉さんには彼氏が出来て私とはあまり遊んでくれなくなった。私の初恋はそんな風に当たり前に呆気無く終わった。

 何度か他の女の子を好きになった事はある。あるだけだ。友達として多少親しくなる事こそあったが、それ以上の関係には進めなかった。外見への劣等感が私から一歩踏み出す勇気を奪い取っていた。同性愛が許されるのは可愛い子だけ。美しい人だけ。可愛くも美しくもない私には、女の子を好きになる資格なんてないのだと思い続けていた。

 だからと言って男を好きになれるはずもない。同僚や友人として付き合うのは問題無いが、恋愛対象にする事だけは無理だった。その点だけは私が外見に劣っていた事に感謝した。幸いと言うべきか男の方から私に言い寄って来た人は未だ居ない。そうして私は誰と結ばれる事もなく処女のままで二十八歳になっていた。

 このまま誰と結ばれる事もなく生涯を終えるのだろうか。そんな諦念の中にあった。

 いや、それは嘘だ。私は諦められなかった。諦めたくなかった。

 誰かと心を通わせ、結ばれたかった。

 こんな私でも愛してくれる誰かに巡り会いたかった。どんな手段を使ったとしても。

 だから、私は女の人とラブホテルから出て来た恩田さんの手を引いて、人影の少ない公園で事情を聴いて、恩田さんが女専門の売春をしているのだと確信が持てた時、こう言ったのだ。言ってしまったのだ。

「誰とも知れない相手に身体を売るくらいなら、私が恩田さんを買ってあげる」と。

 恩田さんはちょっと戸惑った様子だったけれど、持ち前の明るさを取り戻したのか、よく日焼けした小悪魔的な笑顔を私に向けた。

「先生にはいつもお世話になってるし、一回一万円でどう? お買い得でしょ?」



     ◇



 流石に教師と生徒でラブホテルに入るのだけは抵抗があった。

 どうしようかと思っていると恩田さんが自宅に招いてくれた。両親は共働きでこの時間に家に居ないらしく、例え見つかっても担任の先生なら怪しまれないだろうというのが恩田さんの言い分だった。私はよく考えずにそれに頷くしかない。やっと手に入れられた恩田さんという温もりを感じたくて理性を失い掛けていたからだ。

 恩田さんの部屋に入った瞬間には恩田さんの唇を奪っていた。

 二十八歳で居られる時間も残り少なくなってのファーストキス。こんな事をしてはいけないと頭で分かりながらも欲情と行動は止められなかった。この行為さえ終わってしまえば後は何も要らないとさえ思えていた。

 実を言うと恩田さんを初めて見た時から惹かれていた。似ていると言うほどではないけれど、初恋のお姉さんと系統としては似ていたからだ。よく日焼けした明るく活発な少女。いつの間にかそれが私の好きな女の子の系統になっていた。恥ずかしながら恩田さんの艶姿を想像して股間を濡らした事も一度や二度では済まない。

 だから、やっぱり期待していたのだ、私は。恩田さんといつかこうなれる事を。

「もー、先生ったらがっつき過ぎだよー」

 私の情熱的過ぎるキスから逃れた恩田さんが悪戯っぽく微笑む。

 顔から湯気が出そうな程に赤面してしまっている私を見ながら、恩田さんが可愛らしい私服を脱いでいく。さっきまで他の女とラブホテルに居たわけだから制服を着ているはずがないのだが、出来れば制服のままで私と行為に及んでほしかったと贅沢な事を思った。何処まで浅ましい欲望を持っているんだろう、私は。

「でも、まさか先生にこんな趣味があるなんてねー」

 裸になった恩田さんが私の頬に唇を寄せてくれる。

 趣味なんかじゃない。趣味じゃこんな事なんて出来ない。そう訂正するより先に私は恩田さんの指使いに夢中になる事しか出来なくなった。きっと百戦錬磨なんだろう。多くの女を喘がせてきたんだろう。一方の私は妄想しか出来なかった処女でしかなくて、ただされるがままでいるしかなかった。やっと女の人と結ばれた嬉しさで涙まで流しながら。

「恩田さんはどうして女の人相手の援助交際をしているんですか?」

 行為が全て終わった後、私は気付けばそんな事を口にしてしまっていた。

 言った後で後悔した。まるで風俗店で説教したがる男みたいだと自分でも思った。

 恩田さんもそう思ったんだろう。苦笑気味に笑って、それでも律儀に応じてくれた。質問され慣れているのかもしれない。

「女の人って意外に男より羽振りがいいからさ、こっちの方がアタシの性に合ってると思うんだよねー。女の方が女の感じる所も分かってるでしょ? アタシも気持ち良くなれるし気持ち良くさせてあげやすいし一石二鳥ってやつじゃん? あっ女同士なら妊娠しちゃう危険も無いから一石三鳥かな? まっ、どっちでもいいけどねー」

 恩田さんはあっけらかんと笑っていた。

 教師としては説教するべきなのかもしれないけれど、こんな関係になった以上、そんな事が出来るはずもない。同時に納得してもいた。倫理的にはともかく恩田さんの行動は首尾一貫している。お金が無いから稼ぎたい。稼ぎたいから売春する。売春するなら妊娠の危険が無くて羽振りもいい女の人相手の売春の方が好都合。分かり易過ぎるくらいの行動論理だった。呆れてしまいそうになりながら憧れてしまう。私はそんなにあっけらかんと生きられなかった。ずっと自縄自縛で動き出せなくなっていた。

 少し真面目な表情になって恩田さんが続ける。

「先生はさ」

「何でしょうか?」

「男の人じゃなくて女の人が好きな人なの?」

「……ええ」

「そうなんだ。いや、ちょっと気になっただけなんだけどねー。アタシと援交したいって女の人は女だけが好きな人と男も女もイケるって人が半々だったからさー、先生はどっちなのかなって思っただけ。でも、考えてみたらそりゃそうだよねー、先生って処女だったみたいだし」

 確かめられていたのだと知って私は恥ずかしさで動けなくなる。

 そんな私の様子を見て恩田さんが悪戯っぽく笑う。

「いいじゃんいいじゃん、アタシだってちょっと前までは処女だったんだしさ。先生の処女貰えて嬉しかったよー? 光栄って感じ? あっまだ破ってないから処女じゃないか。どうする? アタシが先生の処女貰っちゃっていい? あっ大丈夫だよー? この前も年上の処女を貰ってあげたから慣れたもんだし。光莉ちゃんが特別にタダで優しく処女膜破ってあげるよー?」

 どうしよう、と私は沸騰しそうな頭で考えた。

 恩田さんに処女を貰ってほしい気持ちは当然ある。やっと処女を捨てられる嬉しさもある。恩田さん相手なら多少の痛みだって耐えられると思う。少し恥ずかしいけれど今ならその痛みすら快感に変えられてしまいそうだ。

 そう考えて頷こうとした瞬間、恩田さんは私があえて考えないようにしていた事を何でもない事の様に言った。あっけらかんと、私の胸を抉るような言葉を。

「アタシもね、この前彼氏に処女を奪われた時は意外と痛くなかったんだよねー」



     ◇



 彼氏と遊ぶお金が欲しいんだよねー。

 肌を重ねる度、恩田さんは自分の本心を話してくれるようになっていった。元々隠すほどの本心ではなかったようだけれど、一応は客商売だから話すべきではないと思う事は話さないようにしていたらしい、あれでも。

 恩田さんには十歳年上の彼氏が居るらしい。女子高生と付き合う大人の男なんてと思い掛けるけれど、恩田さんとこんな関係を続けている私に言えた事じゃなかった。大人の男としてデート代は出してくれるそうだ。高価なプレゼントも定期的に贈ってくれるらしく、女子高生としては理想的な相手だと私でも思う。それだけ聞くとお金が必要だとは思えないが、恩田さんはそこまでしてくれる彼氏のために可愛らしい自分で居たいと思っているらしい。そのお洒落の為にお金が必要なのだ。私と関係を持って以来、私以外と売春はしていないそうだけれど、その分、私が買ってくれるから安心と笑う恩田さん相手に、私はどんな表情を向けるべきだったのだろう。

 一応、他の男との援助交際でお金を得る後ろめたさは感じるとも語っていた。それで女専門の援助交際で稼ぐ事を思い付いたらしい。中学生の頃、女友達とセックスの真似事みたいな行為をしていたからそれほど抵抗もなかったそうだ。根源的にバイセクシャルだったのだろう。私とは違って。

 スマートフォンに記録されている彼氏の顔は意外に真面目な系統に思えた。女子高生と付き合ってはいるもののそれ以外は理想的な彼氏なのだろう。彼氏の事を話している時の恩田さんは恋する乙女そのものの表情を浮かべていた。

 羨ましいな、と思う。

 同時に妬ましいとも。

 私がどんなに渇望しても手に入れられないものを持っている恩田さんの彼氏。

 いっそ私と恩田さんの関係を暴露してみせようかなんて、無意味な妄想までしてしまう。

 何を考えているのだろう、私は。私はお金を払ってやっと恩田さんに相手をしてもらっているだけに過ぎないのに。しかも私は担任の先生という立場で、ある意味脅迫の様な形で関係を持っているだけなのだ。脅迫みたいな形でも私は恩田さんと結ばれたかった。セックスしたかった。愛されているという感覚が欲しかった。処女を捨てたかった。

 最初は……、最初はそれで満足出来ると思っていた。私の好みの恩田さんと一度でも愛し合えればそれを思い出に生きていけると思っていた。そのくらいの自制心はあるつもりだった。逆にその程度の自制心が無い人間を軽蔑すらしていた。夢が叶ったのだから一度で満足しておけばよかったのにと。

 今は違う。一度手に入れたものを手放す事なんて出来なかった。

 十度以上恩田さんを買っているというのに、私の欲望は治まる気配が無い。むしろ悪化する一方だ。恩田さんが彼氏の話をして幸せそうに微笑む度に全身が引き裂かれそうな嫉妬に狂いそうになる。恩田さんの全てが欲しくなる。その唇も、その乳房も、その性器も、その心も一人占めしてやりたくなる。けれど恩田さんのそれらを本当の意味で一人占めしているのは恩田さんの彼氏でしかなくて……、私は、私は……。

 もうやめよう。もうやめよう。いっその事教師もやめてしまおう。幾度もそう考える。

 その方がいい事は分かっている。教え子を自分の欲望のままに買春してしまったのだ。こんな私に教師である資格なんてあるはずもない。それどころか恩田さんの前に立っている資格すらないと思える。何度もこんな関係をやめようと口を開こうとした事がある。

 だけど、雨が。

 別れを告げようとした日に限って雨が降ってしまうから。

 私はこの雨が上がるまでは恩田さんを抱き締めていたいと考えてしまう。

 雨は。

 本当に降っているんだろうか?

 本当は私の心が、私の涙を雨みたいに見せているだけなんじゃないだろうか。

 それでも、雨の日には恩田さんがこう言ってくれるのだ。

「そうだねー、今日は雨が上がるまで特別料金で付き合ってあげるよ、先生」

 よく日に焼けた少女が、私の生徒が、恩田さんが、小悪魔的に、無邪気に私を誘惑する。

 私はその誘惑には抗えない。

 抗う事なんて出来るはずもない。

 渇望していたものが、喉から手が出るほど欲しかったものが、そこにある。

 手に入るはずがないと諦念の中にあった私の前に現れた光。

 その光が例え欺瞞に満ちていて、金銭を介さねば手に入らないものであったとしても。

 私は、その光に包まれていたい欲望から逃れる事が、出来ない。

 いつかその偽りの光の強さに双眸を潰されてしまう事になったとしても。



    ◇



 そうして私は光に、光莉に包まれ続ける。

 長く続くはずがないと分かっているこの関係を続けてしまっている。

 恩田さんと性器を擦り合わせながら思う。いっその事、私が男だったらこんな狂おしい欲望に囚われる事はなかったのだろうか。男に産まれてさえいれば恩田さんと幸福な未来を築けていたのだろうかと。

 そんなはずはないと自嘲する。私が男として産まれたところで恩田さんの彼氏より好かれるとは到底思えない。むしろ女専門の売春をしている恩田さんが私に見向きもしてくれなくなるだけだ。女であろうと男であろうと私が恩田さん真の意味で結ばれる事など永久に無いのだ。私が私として産まれてしまった以上、それはどうにもならない事なのだ。

 きっと……、きっと私は恩田さんに叶わぬ想いを抱いているべきだったのだろう。たまに教室で恩田さんの汗に透ける下着なんかを見て、自宅に帰って虚しく自慰でもしておくべきだったのだ。叶わぬ欲情に身悶え出来る幸福に浸っているべきだったのだ。

 一度の欲望に負けてしまって、渇望したものに手が届きそうになった快感に溺れてしまった私は、前よりもずっと強い虚無感と絶望感の中に居る事しか出来なくなった。恩田さんの真意を知っている以上、この関係がこれ以上前進する期待すらも持てないままで。むしろいつかぷっつりと関係が切れてしまう不安感に怯えたままで。

 私と恩田さんは肌を重ねる。唇を合わせる。乳房を重ねる。性器を擦り合わせる。

 それでも、見ているものは全く違う。

 私は恩田さんを見ている。身を焼いて狂おしいほどに恩田さんを求めている。

 恩田さんは私を全く見ていない。私から得られる少しの快感と賃金を見ている。そして、その先にある彼氏との幸福を無邪気に夢見ている。もっと可愛くなった自分を彼氏に見せてあげようと涙ぐましい努力をしている。その視線がほんの少しでも私に向けられる事は決して無い。永久に。

 肌を重ねていても、見ているものや感じている事は全く違っているのだ。

 恩田さんを買いさえしなければ、そんな現実に気付く事なんてなかったのに……。

「あっ」

 行為を終えて二人でベッドに転がっていると、恩田さんが嬉しそうに声を上げた。

「ほらほら、晴れたよ、先生。雲の間から出てる光がキレイだよー?」

 全裸のままで恩田さんが恩田さんの部屋の窓に走り寄っていく。

 私も全裸のままでその後を追う。

「キレイでしょー?」

 恩田さんが無邪気に微笑む。

 恩田さんが指差した雲間の光は確かに綺麗だった。恩田さんの夢見ている未来みたいに。

 眩しかった。色々なものが。

 雲間の光や、恩田さんの笑顔や、もうすぐ失われてしまうに違いない様々なものが。

 私達は見ているの物は同じでも、感じている事は全く違ってもいる。

「ねえ、先生?」

「何ですか、恩田さん?」

「ひょっとして、泣いてるの?」

 恩田さんが心配そうな表情で訊ねてくれる。

 私が瞳を擦っている事に気付いてくれたらしい。

 だから私は微笑んで、恩田さんの頭を撫でて応じてあげるのだった。










「いいえ、雲間の光が眩しくて目が痛かっただけですよ、光莉さん」

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光の空のクオリア 猫柳蝉丸 @necosemimaru

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