第8話 終章

「……そうか。やはり戻らないのか」


 槙原寺まきはらじ啓介ケイスケは残念そうな表情と口調で言う。


「……今にして思えば、お前に悪いことをしてしまったからなァ。俺たち……」

 隣に並ぶ二徳寺にとくじ辰吉タツヨシも、負い目のある表情と口調でそれに続く。


「――気にしないでください。わたしは自分の意思で軍を去ったのですから。二人が責任を感じる必要はありません」


 小野寺勇次ユウジは穏やかな表情で旧知の両者を諭す。


「――それよりも、元気な姿で軍務に従事しているお二方のそれを見られて、安心しました。これからも、お元気で」


 お別れの挨拶を受けた両者は、陸上防衛高等学校の本校舎玄関前に停めてある軍用ホバーカーに、それぞれ分乗すると、各々の派遣元の部署へと、それぞれ戻って行った。


『……………………』


 自分たちを見送る旧知の姿を、視界から消えるまで窓越しに見届けて。


「……………………」


 両者を見送った勇次ユウジは、夕焼けで染まった本校舎の内部に戻ると、今度は別の旧知と廊下で出会う。


「……多田寺さん」


 ――の前で、立ち止まる。


『……………………』


 しばらくの間、両者は向かい合ったまま無言になる。

 勇次ユウジが口を開くまで。 


「……そういえば、落ち着いて話せる機会が、ありませんでしたね。ついに……」

「……もう、帰るの。地元に……」

「……はい。あくまで、臨時ですから。今回は……」

「……………………」

「……………………」

「……あなたも、お元気で、なによりです……」

「……………………」

「……武野寺さんも……」

「……………………」

「……………………」

「……景子ケイコも、元気?」

「……はい。ただ……」

「……ただ……」

「……一学期に開催された武術トーナメントで、解説席で解説していた武野寺さんの姿を、感覚同調フィーリングリンクカメラ越しに見つけてからは、少し……」

「……………………」

「……無理もありません。武野寺さんから見れば、当てつけにしか思えませんから。景子ケイコの行為は……」

「…………………………………………」

「……なので、景子ケイコからの伝言は、多田寺さん当てにしか、預かっていません……」

「………………………………………………………………」

「……『元気そうで安心した』と……」

「……………………………………………………………………………………」

「……それでは……」


 そう言って勇次ユウジはふたたび歩き出す。

 向かい合っていた多田寺千鶴チヅの横を通って。

 申し訳なさそうな横顔が、千鶴チヅの視界の隅によぎった。


「――――――――っ!」


 その瞬間、多田寺千鶴チヅは身体ごと振り向く。

 遠ざかる旧知の後姿を直視する。

 そして、




 薄暗い部屋の中で、武野寺勝枝カツエは片膝立ちで飲酒していた。

 十代の未成年がほとんどの超常特区では、アルコールを扱った店舗の類は存在しないので、成年が落ち着いて飲酒できる場所は、自室くらいしかなかった。

 ゴミ屋敷ほどではないにせよ、整然というには、やや雑然気味の部屋であり、一階の一戸建てである。

 部屋着も地味で野暮ったく、着潰したら雑巾にしかリサイクル用途が見出せないほどである。


「――やはり自宅ここにいたのね」


 多田寺千鶴チヅが、勝手知ったる他人ひとの家といわんばかりの無遠慮さで上がり込み、入室する。


「――明かりぐらい点けなさいよォ。外と同じ暗さで見えづらいわァ」


 外着姿の千鶴チヅはたしなめるものの、自身が言ったことを実行したりせず、一ダース近くの酒瓶が林立するプライベートテーブルに床座りする。

 明かりを点けたい心境ではないことは、久しぶりに見る親友の表情を一目すれば、明かりを点けなくても、明らかであった。


『……………………』


 だから、こういう時の対処は、心得ている。


『…………………………………………』


 相手が問いかけて来るのを待つ。


『………………………………………………………………』


 その一択である。


『……………………………………………………………………………………』


 ……とはいえ、今回ばかりは長いので、徐々に不安が広がり始める。


「……カイ勇次ユウジはなんて?」


 だが結局、杞憂に終わったので、安堵したが。


「……なにも、聞いてないわ。カッちゃんに、対しては……」

「……………………」

「……むしろ訊いたのはアタシの方だったわ。櫂、勇次ユウジに……」


 そして、その時の事を、千鶴チヅは語り始める。


「――待って」


 遠ざかる勇次ユウジの後姿に、多田寺は制止の声を飛ばす。


「……………………」


 足を止めた勇次ユウジは、その場で身体ごと振り向くと、ふたたび相対する。


「……どうして、軍を辞めたの?」

「…………………………………………」

「――校長や二人の監察官から聞いたわ。ただの有能ではまっとうするのも困難な要職だったそうじゃない。なのに、どうして……」

「……………………」

「……………………」


 多田寺の問いに答えたのは、しばらく経ってからであった。


「――有能すぎたからです」

「……有能、過ぎ?」

「……はい」


 勇次ユウジはうなずく。


「――わたし自身はそれほど有能とは、今でも思ってないのですが、周囲の方たちは、そのように映らなかったみたいでした」

「……どういうこと?」

「――おそらく、恐れたのでしょう。軍だけでなく、国すら掌握しかねないほどの有能さに」


 答える勇次ユウジの表情に一末の影が差す。


「――その気になれば、その通りになると恐れて、当時、国や軍の水面下では、排斥運動や失脚の陰謀が張りめぐらされていました……」

「――でも、櫂く――いえ、小野寺くんはそんな気を起こすような――」

「――人と思ってくれなかった人が、当時は多かったのです」


 さらに影が差す勇次ユウジの表情と声調。


「――そして、それと同じくらい、そうと思わない人もいまいした。多田寺さんのように」

「……それなら、別に辞める必要は……」

「――なおさらあったのです」


 断言する勇次ユウジの表情が苦しさに変わる。


「――このままわたしが要職に居座り続けたら、わたしの処遇をめぐって、国と軍がそれぞれ二派に分裂し、最悪、抗争に発展していたでしょう。あの第二次幕末のように」

「……………………」

「……数多の命を奪ってまで取り戻った尊い平和を、わたしなんかのためにふたたび争いが起きたら、すべてが無に帰してしまいます。なんのために奪った命なのかを」

「…………………………………………」

「……そのために戦ったわたしにとって、それは、死ぬよりもつらいことです……」

「………………………………………………………………」

「……だから、自分から軍を去り、下野したのです。最悪の事態を回避するために……」

「……勇次ユウジ、くん……」

「――でも、それ以来、そのような事態は再来しなくなったようで、安心しました」

「……………………」

「――今回の依頼に応じた理由のひとつも、それを確認するためでした」

「……で、どう、だったの?」


 恐る恐る尋ねる多田寺に、勇次ユウジはまっすぐに正対する。


「――杞憂でした。やはり、軍を去って正解でした」


 答えた勇次ユウジの表情に微笑が戻る。


「――あと、監察官として派遣されたあのお二方と再会できたのも、大きな収穫でした。どうやら、わたしの排斥運動に一枚噛んでいたみたいでしたので、その二人から軍に戻って欲しいと言われた時は、嬉しかったです」

「……それじゃ、軍にもど……」

「――こんなわたしを受け入れるだけの度量が備わってきたことが」

「っ?!」

「――だから、心置きなく地元に帰れます。たしかに、復帰の申し出は嬉しかったですが、あの時の再来を招いたら、元も子もありませんからね」

「…………………………………………」

「――それでは、お元気で。息子をよろしくお願いします」

「待ってっ!」


 多田寺が飛ばした二度目の制止の声は、一度目よりも早く、そして強かった。

 勇次ユウジに踵を返す間と力を与えぬほどの。


「……なぜ、その息子をこの学校に入学させたの?」

「……………………」

「――小野寺くんの幼馴染や友達から聞いたわ。争いごとの嫌いな男の子だそうじゃない。あなたと同じく……」

「…………………………………………」

「……なのに、どうして……」


 旧知の真剣な問いに、勇次ユウジは応えるべく、真剣な表情で口を開く。


「――最悪の事態に備えるためです」

「……………………」

「……現実は、こちらの都合に合わせてはくれませんから。誰一人、例外なく……」

「…………………………………………」

「……そう言い残して、帰って行ったわ」


 語り終えた千鶴チヅは、黙って聞いていた親友に対して、そのように締めくくった。


「……………………」


 それとともにあおぐ酒の手を止めていた勝枝カツエだが、そんな現実に目を背きたくなったのか、勢いよく酒をあおぎ、一気に飲み干す。そして、空になったコップを、プライベートテーブルに叩きつける。

 置くというには、勢いと音が大きかった。


「……相変わらずご立派ね……」


 勝枝カツエは皮肉げにつぶやく。

 酔っているのは、上気した顔で明らかなのに、声と両眼はしらふのように明晰だった。


「……こっちが惨めに思わせるほどに……」


 ――否、醒まされたのだ。

 親友の話を聞いて。

 現実の逃避を許さぬ話に、泥酔すらも許されなかった。


「……ホント、忌々しい男だわ……」


 勝枝カツエは片膝立ちのままうなだれる。


「……初めて出会った時から、ずっと……」

「……………………」

「……なのに、景子ケイコは、どうして……」

「……………………」

「……………………」

「……カッちゃん」


 千鶴チヅは愛称で親友を呼ぶ。


「……なにがあったの? カッちゃんと、勇次ユウジと、景子ケイコちゃんの間に……」


 千鶴チヅ勝枝カツエの過去を知らない。

 第二次幕末の動乱時に初めて出会ってから以前の過去ことは。

 それは勇次ユウジ景子ケイコに対しても同様であった。

 時代が時代である。

 世間話感覚で語れる内容ではないことくらい、実戦では鈍感な自分でもわかる。

 自分と違い、いまだ未婚である事実も、まったくの無関係だとも思えない。

 だから今まで訊けなかったのである。

 だが、


「……アタシには、将来を約束した許嫁いいなずけがいたの」


 勝枝カツエは語り始める。

 今まで黙っていた親友に対して、いつまでも黙っているわけにはいかないと決心して。


「……でも、野盗に殺された……」

「……………………」

「……アタシは許嫁の仇を討つために、不慣れな剣を取って、過酷な修練を積み、戦乱に身を投じた……」

「…………………………………………」

「……その中を、アタシは、戦って、闘って、戦って、闘って……」

「………………………………………………………………」

「……そして、ついに仇と対決し、討った……」

「……………………………………………………………………………………」

「……チッちゃんと出会ったのは、その最中だったわ……」

「……そう、だったのね……」


 予想を裏切らぬ凄まじき過去に、千鶴チヅはそれ以上、なにも言えなくなる。

 自分とは大違いである。


「……景子ケイコもそうだった」

「……え?」

「……景子ケイコも、自分の許嫁いいなずけを殺されたわ……」

「……………………」

「……景子ケイコと出会ったのは、桜華組のとある屯所だった……」

「…………………………………………」

「……同じ思いを味わった者同士だったから、出会った当日のうちに意気投合し、準隊士として同時に入隊したわ」

「……なぜ、桜華組に入隊したの?」


 千鶴チヅの質問に、勝枝カツエは質問者の顔と正対する。


「……やみくもに仇を捜し回るより、エサを撒いて待ち構えた方が効率的だと、景子ケイコに言われたからよ。それに、仇に関する情報も、桜華組として活動した方が、入りやすかったからね。現在いまと違って、アスネなんてないし……」

「……………………」

「……お互い、許嫁の話ばかりしていたわねェ。景子ケイコの許嫁が、あたしの許嫁と同じ『ヒコイチ』という名だったから、運命を感じずにはいられなかったわァ。でも、さすがに漢字までは同じじゃなかったけど」


 勝枝カツエは笑った。

 一週間ぶりの笑顔だった。

 だが、千鶴チヅにとっては、正視がつらい笑顔だった。

 散り際の桜のようなはかなさに。


「……そして、それぞれの仇の正体が判明すると、桜華組の法度に背いてともに脱隊し、その後を追った……」

「……その最中に出会ったのが、櫂勇次ユウジだったのね……」

「……………………」

「……でなければ、辻褄が合わないわ。アタシがカッちゃんと出会った時には、景子ケイコちゃんだけでなく、勇次ユウジも一緒だったもの」

「…………………………………………」

「……そういえば、その二人の出会いも、この時だったわね。アタシにとっては。でも、まさかその二人が――」

「話を続けるわよ」


 勝枝カツエは言う。

 断ち切るようなさえぎり方で。

 中断させられた千鶴チヅは、親友の行為に疑問を覚えながらも、その話にふたたび耳を傾ける。


「――景子ケイコの許嫁の仇は、アタシと違って野盗じゃなかった」

「……………………」

「……この国のために戦う志士だった……」

「…………………………………………」

「――でも、景子ケイコにとってそんなこと関係なかった」

「………………………………………………………………」

「――許嫁を殺した憎い仇に変わりはなかった……」

「……………………………………………………………………………………」

「……アタシと同じく……」

「…………………………………………………………………………………………………………」

「……そして景子ケイコは、その仇を……」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………?」

「…………討たなかった…………」

「……………………え?」

「…………アタシと違って…………」

「…………………………………………エ?」


 予想と真逆の結末に、千鶴チヅは理解するまで、放心状態となる。


「……いえ、討てなかった……というべきかな? アレは……」

「……討てなかったって……もしかして、その仇は討つ前に死んでいたから、討てなかったのっ!?」


 我に返った千鶴チヅは、身を乗り出して問いかける。


「……いいえ、違うわ……」


 勝枝カツエは頭を振る。


「……その仇は、生きているわ。今でも……」

「……今、でも?」

「……ええ。それも、妻子を作ってね……」

「……えっ、ちょっ……な、なによ、それっ!?」


 今度は理解不能の混乱をきたす千鶴チヅ


「……そ、そんなヤツが、妻子を、作って。え、でも、そいつは志士で、だから、えっ? ええっ?!」


 混乱の収拾がつかない脳内状態に、


「――なっ、なんでカッちゃんがそこまで知ってるのっ!? 景子ケイコちゃんの許嫁の仇が妻子を作っていたなんてっ!」


 千鶴チヅはおちいりながらも、なんとか質問を絞り出す。

 事の本質を突く質問を。


「……本人の口から聞いたからよ」

「――ええっ?! 何時いつゥッ!?」

「……一週間前、陸上防衛高等学校の廊下で……」

「――――――――え」


 この瞬間、千鶴の思考は停止する。

 立て続けに告げられた衝撃の事実に、訳がわからなくなって。

 そしてそれは完全に停止する。

 最後に告げられた核クラスのそれをもって。


「……信じられない。信じられないわよォッ~~」

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

「――許嫁の彦一ヒコイチを殺された景子ケイコがその仇の勇次ユウジと結ばれるなんてェッ!!」


                             ――完――

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才能と志望が不一致な小野寺勇吾のしょーもない苦難 赤城 努 @akagitsutomu

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