骨壷のイチゴ

骨壷のイチゴ

 サークルの合宿から疲れ果てて帰ってくると、リビングの机に茶色のノートと封筒が丁寧に置かれていた。一緒に住んでいるはずの姉と兄の姿はなく、静寂の中ノートを見つめる私、という安っぽい映画のワンシーンを演じた。いつも誰かはいるはずの家に誰もおらず、見たこともないノートと封筒が君臨している風景は異様なものだった。

 重たい荷物を静かに置いて、ノートの前に正座する。リビングは“くつろげる場所”という役割を果たしていなかった。

 少し分厚い表紙をめくると、いつもより綺麗な姉の字が並んでいた。内容は、私が合宿に行った二日後に母方の祖母が亡くなったというものだった。頭が真っ白になった。全く理解できなかった。ぽろぽろと目から零れ落ちるものが涙なのかさえその時は分からなかった。

80歳を超えてもなお全くボケず、「200歳まで生きるんじゃないか」なんて、みんな笑いながら口をそろえて言うものだったから、例に漏れず私もそう思っていた。だから、祖母を置いて上京する時も何の心配もしていなかった。次帰省した時に会えると、100%そう思っていた。有頂天で合宿に行った私は、帰ってきて高層ビルの屋上から突き落とされたようなものだった。

 次のページには、封筒に帰省代が入っているからすぐに帰ってきてもいいし、元々の予定で帰ってきてもいい、というものだった。私はその日のちょうど一週間後に帰省する予定だった。もっと早く帰っていれば祖母に会えたのだと、罪悪感が胸を締めた。ちょうどその時母から電話がきて、「もう全部終わったから、あんたは急いで帰ってこなくていいよ」と、いつもうるさいくらい元気な母が淡々と静かに言葉を紡いだ。こんなに覇気のない母の声は今まで聞いたことがなかった。私は「うん、わかった」ぐらいしか言えずに電話を切った。

 それから一週間後、私は帰省して、骨壺に入った祖母と会った。「もうおばあちゃんこんなに小さくなっちゃった」と、弱弱しく笑う母は見ていられなかった。

 祖母の家に行くと、ほとんど祖母が住んでいたままの状態で、私は一つだけ形見をもらうことになった。私は棚の奥に眠っていたイチゴ柄の馬車のような入れ物を瞬時に見つけ、「これにする!」と東京にまで連れ帰った。

 東京に帰ってきて、また母と通話した日、母はまた祖母の話を始めた。「おばあちゃんは亡くなる前にあんたの話をしていてね、いつも『麻耶ちゃんはチャーミングだね』なんて言ってたのよ。」思い出を噛みしめるような声色でゆっくりと話した。「私に会いたがってたんだね」なんて他愛のない話だった。

 その日の夜には不思議な夢を見た。祖母のところに私が行って、おしゃべりをしてケラケラ笑って、またね! なんて元気に手を振る夢だった。何を話したのかも覚えていないけれどとにかく楽しく幸せな気持ちだった。

きっと祖母はイチゴ柄の馬車に乗って私に会いに来てくれたのだと思った。

どうかまた、くだらない話で笑って、またね! なんて手を振れますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

骨壷のイチゴ @rinrindesita

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る