その4 センパイさんとおバイク
「クソ、マジで、ドジ踏んだわ、クソッ」
国道沿いの歩道を、バイクを押して歩く一人の男。秋晴れが眩しい11月の昼下がり、革ジャンの下にはじっとりと汗が滲んでいる。結構な距離を歩いたのだろうか、息も若干荒い。
「おにーさん、ガス欠っすか?」
幼めの顔立ちに対し、金髪と拡張したピアスが目立つ、若い女の子が声をかける。手にはビニール袋をさげ、加熱式のタバコを咥えている。
「えっ、あ、はい」
全身黒ずくめでひょろりとした男は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で声の主を眺めた。
「ガソスタなら、一本となりの道沿いにありますよ。抜け道あるんで、案内します?」
「えっ本当ですか!? あ、場所さえ教えて頂ければそれで」
「いや、なぜかナビアプリだと迂回路しか出ないんで、案内しますよ。ちょうどそっちに帰るとこだったんで」
「ああ、そうですか。すみません、助かります」
「いえいえー」
「それにしても、バッチリキマってますねそのSR。なんか普通のカフェとは違う感じ? あ、ハンドルがコンチ逆付けですか。イナたくていい感じっすね。あぁ、私瀬名っていいます」
「ええと、栗和田です。瀬名さん、随分お詳しいんですね。自分もこのバイク気に入ってるんですよ。何か乗られてるんですか?」
「ちょっと前までビラーゴの250に」
「おお、いいバイクですね」
「いやあ、もう降りちゃったんで。いいバイクでしたけどね、おもちゃみたいで。それにしても、ほんと綺麗にまとまってますね。キャブトンのアップマフラーって珍しくないですか?」
「これ、ワンオフなんですよ。他にもサイドカバーとか、リアのライト周りも全部ワンオフなんです。親戚が乗っていて、すごい大事にされてたんですけど、お子さんが生まれるらしくて、自分が引き継いだって感じなんです」
「わあ、素敵なお話。北海道からいらっしゃったんですか?」
摩季はバイクのナンバープレートを見ると、随分と遠くから来た人だと思った。
「そうなんです。高校からの専門卒業して、就職で内地に来たんですが、10月まで研修だったんですよ。それで、本配属でこっちに来て。ドタバタしてたせいか、燃料コック切り替え忘れててそのままガス欠という次第です。ほんと、こっちのこと全然詳しくないので、助かります」
「あらららら、そうなんですか。というか、大変失礼なんですが、もっと年上の方かと思ってました」
「いやあ、よく言われます。これでもまだ21です。老け顔なんですよね」
「うーん、いやあ、随分と落ち着いていらっしゃる……。実は私大学四年生なんで、年上ですね。なんだかモラトリアムに甘えているような気がして情けない」
「えっ、そうなんですか。自分と同じくらいか、もっとお若いのかと思ってました」
「いやはや、なかなか童顔でして。バリバリ年確されるんすよ、私」
「あはは。でも最初ちょっとビビりました。カツアゲされるんじゃないかって」
「流石にか弱い乙女が革ジャンのライダーカツアゲはしないでしょ。そのライダースもキマってるけど、さすがに寒くない?」
「これもバイクと一緒に貰ったお下がりなんですよ。ちょっと寒いですけど、見た目は大事かなって」
「ああーわかるー男のロマンだ。乗れる限りは革ジャンでバッチリキメて乗りたいよね。信号待ちでお店の窓に映った自分見てニヤニヤすんの」
「わかりますか! 普段履かないんですけど、このブーツもバイク用に買って」
「ゴッツいエンジニアブーツだなって思ってたけど、やっぱりバイク用なんだ。もうここまで来るとコスプレ寸前だけど、似合ってますよ」
「本当ですか。ありがとうございます。見た目老けてるんで、自分でもびっくりするくらい馴染んでるなーとは思ってたんですけど、初めて言われました」
「あっはっは、似合ってる似合ってる。あ、そこの角曲がると、ガソスタです」
「いやあ、ようやく解放される……。瀬名さん、本当に助かりました。何か、お礼ができればと思うんですが」
「んーいいですよいいですよ。私別に押すの手伝ったわけじゃないですし」
「あ、えっと、じゃあ、何か飲み物だけでも奢らせてください!」
「あぁー。じゃあ、缶コーヒーお願いしようかな。ブラックの」
「わかりました! 給油の前に買って来ます!」
「なんか忠犬って感じ」
彼はガソリンスタンドの手前にバイクを停めると、駆け足で自動販売機へ向かう。比較的長身で、ひょろりとしたスタイルに大きめのブーツが不釣り合いだ。全身真っ黒で、まるで落書きの棒人間に見える。買い物を終えると、ブーツをドカドカと鳴らし戻って来た。
「お待たせしました。こちら、お礼です」
「おーありがとう。あ、ガソリン入れたらさ、音聞かせて貰ったりできる? ワンオフマフラーきになる」
「全然大丈夫ですよ!」
元気よく返すと、再びバイクを押して行き、給油を始める。高身長の人がハンドルを下げたバイクを取り回すのは、予想以上にダメージがあるのか、しきりに腰を気にしている。摩季は、しばらく弄んだコーヒーの缶と交互に眺め、ようやくプルタブを開けた。
「すみません、お待たせしましたー」
人好きのする笑顔で戻ってくる。無事たらふくガソリンを詰め終わり、心なしかバイクも嬉しげに見えるようだ。純正より小型のヘッドライトがよく似合っている。
「いいよいいよー。ちゃんとコック戻した?」
「ハイ。こんどこそ大丈夫です。それじゃ、今エンジンかけますね」
そういうと、キーを回し、バイクにまたがる。何度かキックペダルを踏み込み、ペダルの重さを確認すると、デコンプレバーを引き一度圧縮を抜く。一連の儀式だ。
「さて、男のキック一発始動なるか」
「あはは、見られるとなんか緊張します、ね!」
『ね!』に合わせてエンジンから伸びるキックペダルを踏み抜く。すると、なんの問題もなくエンジンに火が灯った。しっかりと低音の効いた、歯切れのよい排気音がトットットッと響く。
「おおー手慣れてるぅ。意外とジェントルな音でいいね! かっこいい!」
「いや、ありがとうございます。跨りますか?」
摩季に問いかけると、バイクのサイドスタンドを立てシートを開ける。実にクッション性のなさそうなシングルシートだ。
「いいの? やったぜー。いよいしょ。うわー思ってたよりポジションきっつ。バックステップないとやばいね」
「そうなんですよ。最初はバックステップついてなくて、僕がつけたんです。手足が余っちゃって、なんかバイクにしがみついてるみたいな格好でした」
「あー、昔のレーサーみたいな」
摩季の脳裏に白黒の映像が思い浮かぶ。案外、彼なら当時にいてもおかしくないかもしれない。
「ちょっと、吹かしていい?」
「どうぞどうぞ」
訊くや否や、右手でスロットルを軽くひねる。すると、エンジンが存外軽快に吹け上がった。レスポンスもいい。山奥の、小気味好いワインディングなんかを流したら、それだけで楽しそうだ。ひとしきりそんな風景を想像すると、バイクから降りた。
「よいしょっと。うーん、いいですねえ。ありがとうございました。すごい元気な子ですね。大事にされてたんだなあ。それじゃ、お気をつけて。ヤエー」
「えっ、あっはい。ありがとうございます……」
右手でピースサインを作った摩季が、それをパタパタと振りながら去って行く。残されたバイクが、物足りなそうにアイドリングを続ける。
——はやくいこうぜいこうぜ。
そんなことを言いたげだ。
「瀬名さんかぁ……。お前はどうよ、女の人に跨られて」
「うわー、連絡先聞けばよかった。めっちゃ可愛くなかった? バイク詳しいし」
「もったいねーことした……」
バイクは無愛想にアイドリングを続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます