その3 センパイさん狼狽える
「うえぇぇええ……」
今、俺は不安で押しつぶされそうだった。
「今月、まだきてない……」
ずいぶんと冷えるようになったけど、俺はじっとりと脂汗をかいている。
「あわわ」
もう、アレの予定日から二週間ほど経つ。
「お、お、お……。ウソでしょ……?」
今月、まだ生理が来てない……。
「摩季さんって、特にハロウィンとかで騒がないっすよねー」
「えっ、あ、うん。あんまり興味ない……」
いつもの晩御飯、なんとか平静を装っているところに、能天気な問いかけが降ってくる。
「摩季さん……、なんだか最近考えごとしてないっすか?」
誠くん。俺は勘のいいガキは嫌いだよ……?
「そ、そんなことないっしょ。誠くんビール足りてないんじゃない?」
「いや、足りてないのは摩季さんっすね。どしたんすか、最近全然晩酌もしてないじゃないっすか。卒業研究やばい感じっすか?」
誰のせいでこんなことになってると思ってんだこのやろ。
ここ最近、誠くんはほとんど俺の部屋にいる。所謂半同棲ってやつか。いや、一緒にいてくれるのは嬉しいんだけど、いかんせん彼は経験値が少ない。
多分、俺の状況もわかってない。
六月に女になって4ヶ月が経った。まだ数える程しか経験してないが、これまではちゃんと来ていた。だけど気がつけば、予定日を大分過ぎたのに生理が来ていない。しかも、月経前症候群とやらの感じも一切ない。無駄にピンピンしている自分の体に腹が立つ。
いや、正直まだ俺は女になって数ヶ月の若輩者だ。体に悪いことも沢山している自覚がある。たばこも吸うし、お酒も飲む。多少生理不順があってもおかしくない。
——でも、もし、そうだったら。
「い、いや、でも私は肉じゃがでビールは飲めないなぁ……」
なんで強がってんだ俺は……。
「えー、この前は感涙しながら浴びるほど飲んでたじゃないっすか。怪しー」
おまえ! いい加減にしろ! なんでメンタル童貞はデリカシーが無いんだ!? 泣くぞ!
「なんでも無いって言ってんじゃん! バカ!」
最近、なんだか感情的に不安定だ。今までも、なんとなくフィーリングで生きてきたが、この体になってから、よりダイレクトに感情が表に出ているような感じ。余計にタチが悪い。
「えっ……、すみません……」
ほらまた申し訳なさそうな顔する! なんでそんな顔するんだよ! だいたい全部俺が悪いのに。
この前、致してる最中に、コンドームが破れていたことがあった。その時は、まあいっか、ぐらいのテンションでスルーしていたけど、実際にこうなると、その時もっと真面目に対応しておけよと思う。後悔先に立たずだ。特に、元男として、誠くんのことはちゃんと見てあげなきゃいけないのに、俺が率先して気にするなと言っていた。
結果、今、女になって最大級の不安に襲われている。心当たりはこれしか無い。俺はなんて無責任な男なんだろう。しかもそのツケは自分で支払わなければいけない。
い、いや、誠くんとこうなるのは正直満更でも無い。というか、誠くん以外の男とこういう関係になる想像ができない。キスだって勘弁願いたい。そこらへんはオーケー。俺は正常だ……?
だって誠くんはいつでも真面目だし、こんな俺に、ついて来てくれた。
それに、経験値がないのは俺も同じだ。もしかして、今の自分のことを打ち明けても、誠くんならわかってくれるのじゃないか。このあと、ちゃんと話してみよう。
「誠くん、洗い物ありがと」
「いやあいいっすいいっす。摩季さんお皿割っちゃうんで、僕に任せといてください」
「君は、いつも一言多いなあ。誰に似たんだか」
「まあ、センパイさんっすね」
やっぱり可愛くなくなってきた。こういう時あだ名で呼ばれると少し疎外感を感じる。このやろ。
「あ、あのね、ちょっと、話したいことがあるんだけど」
「……なんすか、急にしおらしくなって」
「バカヤローおまえこういう時はちゃんと話を聞け」
「すんません」
素直な方がかわいいぞ。ぜひそのままでいてほしい。
「うーんと、じ、実は、その、今月まだ女の子の日が来てなくてさ。いやっ、まだ検査薬とかは使ってないんだけど……、先に誠くんには伝えなきゃなって……」ついに打ち明けてしまった。
「それって、つまり……、そういうことかもしれないってことですか?」
「まだわからないけど、そういうこと……。だって私たち、そういう関係だし……」
不安と恥ずかしさと申し訳なさで涙が出そうだ。かろうじて堪えているけど、心臓が爆発しそう。なんとか誠くんの顔を見ると、予想よりしっかりした目で俺を見ている。
「摩季さん……。ちゃんと検査、しましょう。もしそれで、そうだったら、僕が責任をとります。僕は、もう摩季さんに付いていくって決めたんです。最後まで」
リンゴーン、と頭の中で協会の鐘がなった。タキシードを着た誠くんと、ドレスを着た俺が並んでいるイメージ。んん? 特に違和感なくドレス姿を想像してしまった……。
「あわわ、誠くん漢らしい……」
「摩季さん、こういう時はちゃんと話を聞いてください」
「ぐえ、ごめんなさい」
「まずは、安心してください。さっきも言いましたけど、僕が摩季さんを見捨てることは絶対にないです。約束します」
緊張の糸が切れたのか、体に力が入らない。涙も勝手に出てきた。最近涙腺ガバガバになってるんだ。勘弁してくれ……。
「あい、わかりました。んぐ、ふつつかものではありますが、よろしく、おねがいじまず……」
「ちょっと摩季さん鼻水がやばい。服に付けないで。ちょっと! 人のシャツで鼻をかむな!」
やっぱりダメだ! 真面目なトーンの話すると死ぬ!
「あぁー、誠くんにこころまでメスにされるんじゃあ」
「あんたとっくに全部メス堕ちしてるでしょ! やっぱこの人めんどくさいな!」
「うるせえ! オレっ、私は誠くん以外の男に抱かれる趣味はない!」
どうした、ほらほらいつものように来いよ。
「な、なんか……、こういう言い合いって、急に小っ恥ずかしくなりません……?」
「はああ? どの口で言ってんだこのやろー!」
なんだか急に目が覚めた。枕元のスマホを見ると、午前3時過ぎ。クッソ夜中じゃん。しかも、こういう時に目が覚めると、微妙な尿意が気になって、なかなか眠れない。しょうがない、トイレ行くか。
隣で寝ている誠くんを起こさないよう、静かに上体を起こす。正直シングルベッドで二人寝るのは厳しい。今の俺がずいぶんと細いおかげでなんとか寝れる程度。大学卒業したらおっきなベッド買おう。
まだ眠い目を何度か擦る。ぼんやりとした視界が元にもどるまで待つ。カーテンの隙間から、街灯の明かりが弱く差し込んでいる。こういう、完全に街が眠っている時間も、なんとなく好きだ。
その時、いまだに慣れない、あの感覚がした。
——あ、来た。
うわ、このタイミングで来るんだ。いや、やばいやばい。慌ててティッシュを何枚か抜き取り、下着に突っ込む。少し汚したか? いや、寝具は無事だ。とりあえず、トイレに行かなければ。
トイレに着くと、やっぱり下着は若干汚れていた。あー、洗濯、めんどくさい。ティッシュは流せないので、隅に置いてあるサニタリーボックスに捨てる。まさか俺がこいつの世話になるとは、思ってもいなかった。
「はぁああ、よかった……」
思わず呟く。まるで肩の荷が下りたような気分だ。
正直、誠くんとなら、そうなってもいいと思っている。というか、原因不明で女になってしまった俺なんて、今こうして普通に生活できているのすら奇跡的だ。正直、未来のことなんて考えられない。でも、適当になんとなくで流しているが、大学も卒業だ。否応無しに未来はやってくる。
『僕は、もう摩季さんに付いていくって決めたんです。最後まで』
誠くんの言葉を思い出す。顔が熱い……。
そのあと、汚れた下着を取り替え、適切な処理をしたのち、ようやく寝床に戻って来た。意外と時間がかかるんだよこれが。早くしないと血だから落ちなくなるし。誠くんはさっきと変わらない姿勢で寝ている。
メガネがないと結構きれいな二重なんだよな。
いそいそと隣に潜り込む。シングルに二人、狭い狭い。隣に収まると、誠くんの体温が伝わってきた。あったけえ。
「誠くん、綺麗なドレス着せてね」
耳元でつぶやいてみる、が、これめっちゃ恥ずかしいな! んおおおお、寝る!
「ベンジーちゃん、女の子の日って、結構遅れたりするの?」
大学の女子トイレ、小声でベンジーちゃんに訊いてみる。
「そうですねえ。生活リズムが崩れたり、ストレスだったり、結構いろんな理由で遅れたりしますよ。というかセンパイさん。急に女の子になって普通に生理あったりでマジ意味わかんないので、なにかあったらすぐ病院行った方がいいと思いますよ。私にも限度があります」
「マムイエスマム」
「わかればよろしい」
「酒たばこも減らすかー。もっと自分をいたわります」
「え、センパイさん殊勝ですね。なんかありました?」
「んー。んふふ。内緒」
「うっわ! センパイさん可愛いかよ! もっとください! あとでメコンさんに高額で売りつけるんで!!」
「私ベンジーちゃんのそういうところ好きだよ」
「あざっす!」
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