その2 センパイさんとビールクズ
「誠くん! すごいお店ができたぞ!」
耳元で絶叫。
「うわっこの人ボリュームバグってる!」
「聞いて驚け見て笑え! クラフトビール飲み放題だ!」
季節は盛夏を過ぎ、秋の気配が顔を出す頃、センパイさんこと摩季さんがバイト終わりに僕の部屋へ寄るや否や絶叫したのだった。
「だからあ、クラフトビア、飲み放題イエス」
「おいくら万円?」
「これが驚き120分3千円ポッキリ」
「イエス! 勝った!! いきましょう今すぐいきましょう」
衝撃プライスに僕も飛び上がる。近年ブームの続いているクラフトビールだが、基本的に普通のビールよりお高い。もちろん価格に見合う味を体験できることがほとんどだが、実際のところお財布には厳しい。パイントで千円前後が相場だろうか。そんなクラフトビールが飲み放題3千円は安すぎる。摩季さんが持ってきたチラシを見ると、世界各地のクラフトビールがラインナップされている。樽が切れればメニュー落ちもあるそうだが、僕は昇天した。
「落ち着きなさい、ビアの信徒よ。明日の開店からの席を予約してある……」
「おお、ビアよ……」僕は思わず跪いた。
翌日、摩季さんは毛先を真っ赤に染めてやってきた。薄い金色の頭頂部から、真っ赤な毛先までグラデーションになっている。やっぱこの人やべえや。念のため理由を聞いてみる。
「摩季さん、どしたんすかそれ」
「おー! 大学最後の秋だからな。紅葉だよ! あのあとベンジーにやってもらったんだー」
うーん残念よくわからない。ちなみに摩季さんはあの後、あっという間に新しい内定先を見つけ、速攻で髪色を金に戻している。また、女性の先輩として摩季さんをサポートするベンジーちゃんとはすっかり仲良くなり、よく一緒に出かけているそうだ。なお、ベンジーちゃんは自称サブカルクソ女なので髪が緑だ。二人並ぶと色味がうるさい。
「あと、今日はベンジーも来るって」
二人に挟まれる黒髪草食メガネ君を想像する。普通にいたたまれない。
「というか摩季さん、もう普通にスカート履くんですね」
摩季さんは、グリーンのゆったりとしたドレープスカートを履き、ビンテージ感のあるプリントTシャツを合わせている。広めの襟ぐりからは細めのネックレスが見える。
「どんなもんよ。女の子も板についてきたっしょ」
「ベンジーちゃんに怒られないようにキメてきたっすね」
「あー、バレた? ぶっちゃけ足出すならハーパンでいいよね。つーか君足白いねー。夏らしいことした?」
摩季さんが僕の足をペチペチ叩く。
「だいたい一緒にいたじゃないっすか。酒飲んで寝て写真撮って終わりっすよ」
「せやった。大学最後の夏を怠惰に過ごしてしまった」
「まあ、そうやって過ごせるのもまた大学生っぽいすよね」
「そうだなあ。で、どうだった? 童貞卒業の夏は?」摩季さんは定期的にこのいじり方をしてくる。
「んー、摩季さん女の子になっても正常位好きなんだなって」少し意地悪にやり返す。
一瞬で摩季さんの顔が真っ赤になる。
「キモっ! なんか嫌だ! クソー!」
「ちょっとこのTシャツ気に入ってるんすよ! 伸びちゃうでしょ!」
「なーに公衆の面前で乳繰り合ってんですかこのバカップルは」
いつのまにかベンジーちゃんが到着していたようだ。
「あっベンジーちゃん! このメガネくん童貞捨てたら急に生意気になって可愛くないんだよ」
気づいた摩季さんの顔が輝き、呆れ顔のベンジーちゃんへ飛びつく。
「あーなんとなくわかります。調子乗りそうですよねこういう人」
「ちょっとまって僕にも人権を頂戴?」
味方がいねえ……。
「意外とメコンさんも派手な服着ますよね」
お店へ向かう道すがら、ベンジーちゃんが僕の服をみて言った。
僕は今日、お気に入りのTシャツを着ているが、それのことだろう。サイケデリックなタイダイ染めのTシャツ。地味な顔立ちの僕にはなかなかハードルの高い柄だが、訳あって気に入っている。
「このTシャツねー、俺が去年誕生日にあげたやつなんだよー」
「えーヤッバ。メコンさんセンパイさんのこと大好きじゃないっすか。やっぱり密室男二人何も起きないはずがなく……」
「摩季さん、ベンジーちゃん、勘弁してください」
じゃれ合いながら行くと、目的地が見えてきた。
「あれが我らがメッカですか」「そう、あれが我らのサンクチュアリ……」
本日2回目のベンジーちゃん呆れ顔。
「ほんと脳ミソビールでできてるんじゃないですか?」
「失礼な! 俺はだいたいの酒が好きだぞ」
「摩季さん怒るとこそこじゃないっすね」
「それじゃ、おつかれ。カンパーイ」
「「カンパーイ」」
店員さんに予約していることを伝えると、半屋外の開放的な席に案内された。そこで早速注文を済ますと、摩季さんが乾杯の音頭をとり、飲み会がスタートする。
「んっ、ふぅ……ぁああああタマランねこれは、生きてる!」
「ちょっとセンパイさんエロい声からのオッサンやめてくださいよー」
「うっまビールうっま。やっぱり日があるうちから飲むビールは最高だー!」
それぞれ好みのビールを注文している。僕は神奈川県産のエールビールをチョイスした。秋を予感させるものの、未だ強い日差しに輝く黄金色の液体は、驚異的な飲みやすさであっという間に胃に消えていった。
「摩季さん次どうします? 僕とりあえずヴァイツェン系行こうと思います」
「任せろ。漢のダブルIPAだ。飛ばすぜ」
「やべえよやべえよこの人たちガチ勢だよ」
「ベンジーちゃんはぁもっと誠くんにやさしくてもいいと思う! こんなねえ、童貞クソ眼鏡モヤシ童貞野郎だけど、童貞だったときは可愛くてぇ。おいテメー何童貞捨ててんだぁ! まぁあたしが奪ったんだけどね! あははは」
「センパイさん童貞童貞うるさい! あともうベロベロなんだからお水飲まなきゃでしょ。ああもうめちゃくちゃ!」
「あっすみませーん、この18番のセゾン、グラスでください」
「申し訳ございませーん。こちらただいま切らしてましてー」
「がーんだな。じゃあこっちのインペリアルスタウトで」
なんだかベンジーちゃんが大変そうにしている。
「ベンジーちゃん。摩季さんね、たばこ吸わせとけば大人しくなるから。ほーら摩季さん新しい灰皿ですよー」
「んー、火つけて。んへへありがと」
「もーメコンさんこの人の相手してて! 私全然飲めてないんですから」
「あらほんとに、飲みな飲みなー」
「もう絶対この人たちだけと飲みに来ない!」
「それじゃー……、気をつけて帰ってくださいねー。私逆方向なんで」
「うーん、今日はなんかごめんね。じゃ、お疲れさま」
お店を出たところで、ベンジーちゃんと別れの挨拶を交わす。彼女はなんだかとても疲れた顔をしていて申し訳ないが、僕はいい感じに酔いが回って、手足がボワボワする。なお、摩季さんは途中で具合が悪くなり隣で静かにしていた。虚ろな目で項垂れている。
「摩季さん、具合大丈夫?」
「うん」
「手、繋ぎますか?」
「うん」
「他になにかいりますか?」
「ビニール袋とお水」
僕は素早くビニール袋を開いて手渡し、ペットボトルを開封する。すっかり手慣れたものだ。
「おえー」
摩季さんの背中をさする。
「次は、ペース守って楽しく飲みましょうね」
「……うん」
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