第28話 もう覚悟はできているんですよね

「本当に申し訳ございません」


 二人が帰った後。

 外はすっかり暗くなった我が家(偽)でのこと。


 いつでも完璧超人の仕事妖怪であり、少なくとも俺の前では一度もミスなど見せたことはなかった栖原は俺の前で延々と頭を下げ続けていた。


 もうかれこれ十分は栖原はこの姿勢でいる。

 「頭を上げろ」ともう三十回は言った。俺はどこかの王様か。


「いや……その体勢、もう辛いだろうし、もう大丈夫だって」

「本当に申し訳ございません」

「うん……」


 そこまでいくと何だかもう逆に失礼な気がするけど、今の栖原はそこまで考えていないんだろう。


 とりあえず、謝罪botと化してしまった栖原の肩を持って無理やり元の姿勢に戻そうとする。

 いやめっちゃ抵抗してくる。動かねぇ。


「いやもういいからいいから……」


 何とか無理やり顔を上げさせると、栖原は全く生気のない顔で俺の方を見ていた。

 いや、見てるのは俺のじゃないのかもしれない。俺の向こう側にある何かを見ているような目をしている。


 もう少しで手遅れになるところだった。


「とりあえず……起きたことを整理しよう」

「……そうですね」


 顔を上げたことでようやく正気に戻ったのか、俺が座ると、栖原は謝罪以外の言葉を口にしながらその場にへたり込むように座る。

 だいぶ腰に来てそうだ。


「まず……あそこに神籐さんがいたのは、なに? またストーカーが再発したとか?」

「いえ……たまたまだと思います」

「……たまたまなのか」


 まあ、神籐さんの家がどこにあるのかなんて把握してないし、ありえないことではないのか。

 にしても、こんなタイミングで通るなんて……。


「それで……栖原が一緒に話してたのは?」


 ただ、神籐さんがそこを通るだけなら別に問題はなかった。

 問題は、家の前で神籐さんと栖原が話していたことだ。そのせいで悲劇は起こった。


 そんな、一番大切なところを聞くと、栖原は苦しそうな表情を浮かべた。


「……慢心していました」

「……というと?」

「念の為、遠ざけようとしたんです」

「ほう……?」


 それは、この家からということだろうか。

 当然のように家の外まで監視が行き届いていることには今は驚かないでおくとして、栖原がそこまでやってくれているとは知らなかった。


 前のストーカーもしばらく俺は何も知らずに過ごしていたし、裏で俺の知らない間に栖原が動いていることはよくあるんだろう。これもその中の一つと。


「発見した段階ではまだ遠かったのですが、家を出る時に鉢合わせる可能性が、タイミング的にあったので」

「ほう……」

「それで、家に辿り着く前の脇道を利用して、雑談しながら引き寄せようと思ったのですが」

「ほうほう……」

「私が脇道に辿り着く前に、私を発見した神籐恋美に走り寄られてしまい……結果的に、最悪の位置に引き寄せてしまいました」

「あぁー……」


 寄ってきちゃったかぁ。


 俺や栖原からは、神籐さんの変な一面ばかり見えてしまうけど、神籐さんは普通にコミュ力は高いからなぁ。

 変な性格をしているのは確かだけど、間違っても根暗なわけじゃない。


 きっと栖原も何回かは喋ったことはあるだろうし、それで見知った顔が見えて走り寄ってきたんだろう。


「上手くできなかった時のことを考えてすらいなかった私のミスです。ただただ、申し訳――」

「いやいいからいいからいいから……」


 栖原の立場からすれば謝りたい気持ちもわかるけど、人間である以上失敗は仕方ない。

 むしろ、栖原でも失敗することがわかって少し安心してる部分もある。


「終わったことは仕方ないしさ。そもそも今日ここで遊べたのは、栖原がいろいろやってくれたおかげだし」

「……ありがとうございます」

「うん」


 今までの成功の数を考えれば、栖原の失敗確率は1%以下だろうし。ファンブルしたとでも思えばいい。


 ……と、ようやく場が落ち着いてきたところで、俺達にはやらなきゃいけないことが二つある。


 まず一つはこの家の片付け。散乱したお菓子を回収して寝るまでには撤収しなければならない。


 そしてもう一つは、


「神籐さん、どうしようかなぁ……」


 家を知ってしまった神籐さんを、この後どうするかだ。


 どうするかと言っても、向こうから何も来ないなら俺の方から何かする必要はない、

 だけど神籐さんは絶対何かしてくる。そう俺は確信してる。


「家に呼ぶということですか」

「……呼びたいわけじゃないけどな?」


 ただ、家を知っているという事実がある以上、俺が口論で勝てる見込みがない。

 何だかんだ押し切られて来る展開になるか、徹底的に神籐さんを避けるかのどちらかだ。


 後者は家の情報は守られるだろうけど、あの共犯の二人の反応まで考えるとやりたくはない。

 クラスの誰かを無視するということ自体、俺の気持ちに反するし。


「……でも、ここ、本当の家じゃないんだよな」

「まあ、そうですね」


 本当の家に誰かを呼ぶという話なら避ける必要もあったかもしれないけど、この家はいわば人を呼ぶ用の家だ。


 だから、俺がいる時以外絶対に来ないのであれば、被害は最小限に留められる。


 ただ、人の目に触れる機会が増えれば増えるだけ、俺の家じゃないとバレるリスクも高くはなるんだけど――


「!」


 ――そんな、丁度いいのか悪いのかわからないタイミングで、俺のポケットでスマホが震えだす。


 ポケットから出すまでもなく、それが誰からの電話かはわかった。

 時間からして、今帰宅したということだろうか。


「どどどどど、どうしよう……っ?」

「私は今日は、余計なことは言えないので」

「……出るしかないよな」

「頑張ってください」


 若干パニック状態の頭を落ち着けるために一回だけ深呼吸してから、切れる直前に急いで電話に出る。


 電話の相手は予想通り、神籐さんだ。


「……もしもし」

『話したいことがあるんだけど、いい?』


 第一声から神籐さんは飛ばしてくる。

 その用件のことしか今は頭にないかのようだ。


 今更だけど、神籐さんはこの前電話で話した時は電話を嫌がっていた。

 あれはきっと、誰かと話すなら顔を見て話したい、みたいなことだと俺は認識しているんだけど、今回はその素振りはない。


 だから今回は、いつもの「話したい」の延長じゃなく、完全な連絡としての電話なんだろう。


「……話? なに?」

『私も優太郎の家に呼んでほしいんだけど』

「…………」

『いつなら行ける?』


 ただ、いくらただの連絡とはいえ展開が早すぎるんじゃないだろうか。

 俺はほとんど何も喋ってないのに、通話してから二十秒も経たずに神籐さんの用件が全てオープンされた。スピードアタッカーにも程がある。


 切実に、考える時間がほしい。


「えー……とー……」

『空いてる日を教えてほしいの』

「…………ちょっと、確認してきていい?」

『わかった』


 それを聞き、俺は一旦スマホを遠くに置いて戻ってくる。


「――栖原!! どうしたらいい!?」

「いや、私は通話は聞いていないので」

「そうだった」


 スピーカーで話せばよかった。

 いや、それはそれで恥ずかしいな。


「まあ、何となくどうなったかはわかりますが」

「結構押されてる」

「でしょうね」


 俺の口数の少なさから大体わかるだろう。


 このままでは断る方向に持っていくことなどできない。それは自分でも何となく感じてる。

 自分のトークスキルのレベルは何だかんだで自分が一番把握してる。


「スハえもん……どうすればいい……?」

「今日は余計なことは言えないので」

「軽くでいいから! アドバイスだけでいいから!」


 真面目に、俺には今未来が見えているんだ。

 このままするするする~っと話が進んで俺が最悪だと思っていた展開まで運ばれてしまう未来が見えているんだ。


 だから、わかっている未来は変えなければならない。

 たとえいくら失敗していようと、栖原は栖原だし。俺より頼りにならないわけがない。


「はぁ…………本当なら、断り続けるだけで済む話ではありますが」

「でも、できないのは知ってるだろ」

「……できないというより――いや、何でもないです」


 栖原は何か言いたげだったが、口を噤む。

 まださっきの失敗が頭に残っているんだろうか。


「一応確認しておくと――神籐恋美を一度家に入れることに関しては、もう覚悟はできているんですよね」

「まあ……それは」


 この家に入れることは、それに関しては、絶対に嫌だとは思っていない。

 その後また訪ねてくるようなことがあるのなら絶対に避けなければいけないけど、一度という条件なら。


 ……何だか、こう確認されると下心があるみたいで嫌だけど。

 ただ、自分でも意外なことに、神籐さんと家で話すことに関しては、そこまで抵抗はない。

 それは栖原の言う通りだった。


「神籐恋美のルックスは良いですしね」

「いや栖原君……?」


 そういうこと今日は言わない日じゃなかったっけ……?


「ああ……すみません。ただ、一度は家で会う気があるのか確認したかったので」

「うん……あるよ。ここまで来たら、一回は仕方ないと思ってる」

「それなら――こう言えば、向こうも納得するでしょう」


 そうして、栖原は俺の左側に近づくと、誰もいない部屋で意味もなく耳打ちをして、どう話すべきかを教えてくれた。


 「恐らく来るでしょうけどね」と栖原は言っているが、確かにこれなら神籐さんが来るとしても一度で済む。


 あとはこれを伝えられるか。

 栖原の言葉を反芻しながら、俺はスマホを再び持ち上げた。


「……もしもし」

『どの日ならいい?』

「ごめん。もういい日はないかもしれない」


 言うと、神籐さんはまた俺が逃げようとしてることを察知したのか、何も言わない。

 ただ、今回は何の策もなく逃げようとしてるわけじゃない。


「元々、両親が厳しくて、両親がいないこの土日ならと思ってあの二人も呼んでたんだ」

『……土日?』

「うん、今日と明日」


 行ける日もあった・・・・・・・・ことにして断れば、神籐さんの溜飲も少しは下がるだろう。


 この嘘が見破られるかはわからないけど、明日呼ぶことができるという点で、この嘘は俺が今まで言ってきた嘘より断然説得力がある。


 問題は、前日の夜に「明日ならいい」と伝えられた神籐さんの反応だけど――


『明日のいつ?』

「……まあ、夜まで、かな」

『わかった。明日なら行っていいんでしょ?』

「いつ来るか、言ってくれるなら」


 予想通り過ぎたからか、特に残念という感情は湧いてこなかった。


 そりゃ、『明日は行けない』となって、両親の嘘も信じてくれるのが最善ではあったけど、一度の勉強会と引き換えに、家に来る日にちを制限できたなら、栖原の作戦は充分成功だろう。


 それに、さっき言った通り、神籐さんを家に一度呼ぶこと自体はそこまで嫌ではないのは事実だし。それじゃ、残念ではないのも当たり前かもしれない。


『じゃあ一時に行くから』

「了解」

『また明日』


 連絡が終わったところで、一瞬で電話は切れる。

 もう電話で話す必要はないということなんだろう。


「はーっ……」


 こうして、明日の一時には神籐さんがこの家へ来ることになった。

 断り続けるつもりだっただけに、この数十分で展開が変わりすぎて全く実感は湧かないけど――


「……とりあえず、片付けて帰るか」

「そうですね」


 別に、神籐さんと話すということは変わらないんだから、身構える必要はないだろう。

 いつも通り話していれば、いつの間にか嵐のように過ぎ去っているに違いない。


 ――妙に落ち着かない気持ちを抑えるように、俺はそう信じて、片付けを始めた。




 そうして、翌日。


「……いらっしゃい」

「お邪魔します。家、綺麗ね」

「……それほどでも?」


 ――宣言通り、神籐さんは俺の家に現れた。

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