第25話 下の名前で呼ぶって言ったら
放課後のこと。
昨日の夜にずっとどう話すか考えていた俺は、自分に三つの選択肢を与えた。
まず一つ目はLINE。二つ目は電話。そして三つ目は二人きりでの対話。
断る時の作戦については何も思いつかなかったものの、面と向かって話さなくていい可能性を見出だせたことは俺の精神に大きな安心感を与えた。
ということで、その作戦を思いついた俺は、頭のモヤモヤを次の日へ持ち越さないため、その日のうちに神籐さんに仕掛けた。
最初は一番簡単な選択肢から、ということで、俺はまず『話があるんだけど』というLINEを十分ほど掛けて送った。
いつもより時間が掛かったのは緊張による手汗が酷かったからだ。
そうすると、神籐さんからは一瞬で『電話で話さない?』というメッセージが飛んできた。
おいおいおいLINEで熱い討論を交わすつもりで手汗を出し切った俺の右手をどうしてくれる? とは当然思ったが、まあメッセージじゃ時間が掛かりすぎるし、電話なら寝るまでには終えられるか、と判断して、俺は二つ目の選択肢に移った。
カラッカラの手で電話を掛けると、神籐さんは快活な声で話し始めた。
ちなみにこれが神籐さんとの初めての電話だということには後から気づいた。
電話を始めてから数分は、元気な神籐さんによる雑談が続いて、俺は話を切り出す隙を一切与えられなかったんだけど、次第に神籐さんのテンションが落ち着いてきて、話がようやく途切れたところで俺は再び「話があるんだけど」と言おうとした。
だけど、丁度そのタイミングで、テンションが下がり始めていた神籐さんは『電話だとなんか違わない?』なんてことを言い出した。
俺としては何も違わなかったんだけど、その会話に乗ったら終わりだと思い、俺はそこでやっと「話があるんだけど」と切り出した。
しかし、その話に俺が命を懸けているとは知りもしない神籐さんは『わかった。明日の放課後でいい?』なんてことを言い始め、俺は結局、LINEと電話を経由した結果。
翌日、校舎外の目立たない場所で、神籐さんと対峙していた。
「あー……こんにちは」
「うん」
俺が若干緊張した感じで挨拶しても、神籐さんはいつもの調子で俺の前に現れる。
俺も今更神籐さん相手に緊張するつもりはなかったんだけど、実際に顔を合わせてみると、あれ? こういう感じで話すの久しぶりだな、と気づいて少し緊張してしまっている。
あと単純に、目の前にストーカーがいるというのもある。
「優太郎、部活は?」
「部活は……まあ、少し遅れるとは言ってあるけど」
だからと言ってずっと話せるわけではないというのは態度で示しておく。
一応、大会のために俺が卓球を頑張って、神籐さんはストーカーを頑張っていた間も、話をしなかったわけじゃなく、普通にクラスで挨拶したり、LINEで雑談したりはしていた。
ただ、こうして「話そう!」と言って話をするのは久しぶりだからか、何だかまだいつもと違う感じだ。
不思議と神籐さんが美少女に見える。
こんな美少女と話しちゃダメじゃないか! と俺のオタク本能が警告音を鳴らしてる。
「ああ……じゃあ、部活の後話せない?」
「……はい?」
「だから部活が終わった後に」
「……ちなみに、神籐さんは、今の時間は何のために集まったと思ってる?」
「少し話すためでしょ?」
ただ、俺の本能も徐々に神籐さんを思い出し始めたのか警告音は弱くなっていく。
そうだ。この人は中身がおかしいからいいんだ。良くないけど仕方ないんだ。
俺みたいな一般人同士の会話なら「いや今話せばいいじゃん!」とツッコミが入るところだろうけど、神籐さんにはそんなツッコミは入れられない。
今の発言をする神籐さんの目は明らかに本気だった。
ああ……思い出してきたぞ……安戸さんと大会を目指してる間に忘れようとしていた記憶が段々と戻ってきた。
神籐さんの目的は話すことだ。普通の人は何か話したいことがあって、それについて話すものだろうけど、神籐さんは話すことが目的だ。
だから、話す時間が足りないと純粋に思ってるに違いない。感覚の違いって怖いね。
……まあ、そんな神籐さんへの畏怖の時間はこの辺にしておいて。
俺はポケットから問題の手紙を取り出す。
「いや……とりあえず、俺は、これについて話したかったんだけど」
「ああ、ちゃんと届いたんだ」
「ええ届きましたとも」
ちゃんと家に、それも親に届きましたとも。
これ、何気に家によっては危ないよな? 親に中身まで見られる家も絶対あるよな?
神籐さんがそこまで計算に入れてたか知らないけど、実際はかなり危険度の高い攻撃だったんじゃないか?
そう考えると背筋が凍りそうになる。凶悪犯罪じゃん。
「中に、勉強会がしたい……みたいなことが書いてあったんだけど」
「うん」
「それは、何故?」
「もうすぐテストでしょ?」
「まあ」
もうすぐ、というか一週間後くらいには中間テストだ。
俺は考えないけど、テスト前に詰め込もうという考えはアニメでよく見る。
そういうことなら理解はできる。
「でも、それを俺の家でやる理由はないと思うんだけど」
「だけど、学校じゃできないでしょ?」
「いや……図書館とかさ」
俺は家でしか勉強しないからよく知らないけど。
別に高校生が勉強できるスポットはいくらでもあるんじゃないか。
「でも図書館でやる理由もないと思わない?」
「いや……あると思うけど」
静かだから、でいいじゃん。
自分の家でできないなら図書館でやったって誰も咎めない。
ただ、神籐さんは当然こんな問答で諦めることはなく、
「逆に、優太郎の家でできない理由ってなに?」
「俺の家でできない理由……!?」
そんな逆転の発想あるか……?
いや……神籐さんが俺の家にこだわってるのは最初からわかっていたことだけど……。
普通なら、家が使えない理由を淡々と説明すればいいんだろうけど……こうなると、俺は弱いかもしれない。
「まあ……俺の家は、あんまりそういうのに使えない家だから」
「なんで?」
「なんで……!?」
「うん」
なんで一々驚いてるんだこいつ、という目で見られる。
でも仕方ないんだ。家に関してはもう仕方がないんだ。
家について聞かれたら俺が話せることはないんだ。
「……まあ、親がいないことが多くて」
「別にいいんじゃない? 私が大人しくしてれば」
「別にいいんじゃない……!?」
「さっきからなにそれ?」
今のはわりと普通に驚いたところもある。
まあでも、高校生になれば親がいない家に友達を招くのも自由か……そっか……ここでは粘れないな……。
「いや……さ、やっぱり家に人を招くって準備もいるし……」
「そんなすぐ行くつもりはないけど」
「……なるほどね?」
「うん、いつでもいいから」
「いつでもいいかー……」
……弱いなー……。
家について話す時の俺弱いなー……。
嘘が下手くそなせいで、下手に架空の家について混ぜて喋ることもできない。
きっとそんなことをしようものなら一瞬で矛盾が生まれる。
とにかく、このまま防戦一方じゃ押し切られるのは目に見えてる。
何なら話す前から見えてた未来だ
とりあえず、話は変えないといけない。
「……逆にさ」
「なに?」
涼しい顔で答える神藤さん。
「逆に、神籐さんがそこまで俺の家にこだわる理由ってなに?」
必殺技でも使うような感覚で、俺はやっとジャブを繰り出す。
ただ、それに対して、どうせ神籐さんは涼しげな表情通り「話したいから」の即答で終わらせるんだろうな――と思っていたんだけど、意外と神籐さんは返事を考え込んで、
「……神籐さん?」
「――えっ? ああ……理由は、別に、変な意味はないんだけど」
「え、うん」
そんな、今更めっちゃ普通の人っぽい返し方されても。
別にいいじゃん。
今まで散々話したいからとか興味あるからとか変人なこと言ってきたんだから、今更何言っても変わらないし。
ポンポン返されると思ってた質問で悩まれると調子が狂う。
しかもなんか迷うところのチョイスが妙にラブコメチックだし。
いや、ラブコメと現実を混同するほど落ちぶれてはいないんだけど……なんだろうな……なんでそこで悩んだんだろうな……。
「まあ、ほら、一番安定してるでしょ、家が」
「……安定というと?」
「動かないし」
「動く建物の方が珍しいと思うけど」
「行ったら優太郎がいるわけだし」
「あー…………うぅぅぅん…………」
要約すると、安定して話せる場所が確保できる、的な意味か?
……まあ、神籐さんが家を知りたがる理屈は何となくわかった。動かないしはわからないけど。
けど……うぅぅぅぅぅん……?
……神籐さんは、『男は皆狼』みたいな教育は受けていないのか……?
確かに俺の見るようなアニメだとそういう描写はあまりないけど、少女漫画だとよくそういう展開はあるって聞くんだけどな。
「――俺だって男なんだよ?」みたいな。知らないのかな。文化圏の違いかな。
けど、何にしろ、今までの行動は「話したいから」でギリギリ納得できたものの、家に来たいの理由も「話したいから」となると、俺の中の疑心暗鬼機能を作動せざるを得ない。
「……だって、学校じゃ嫌なのは変わってないんでしょ?」
「まあ……それは、そうだけど」
だからと言って、会話をするためだけに家に行くのは普通だろうか。
否、普通じゃない。それは断じて否だ。否の中の否。杏。
そもそも、本当に神籐さんが話したいだけなら、会話なんて普通は電話でいいものなはずだし。何故か神籐さんは電話は嫌がってたけど。
会話したいにプラスして勉強を教えてもらいたいがあったとしても、家に直結はしない気がする。そう俺は推理する。
「ふー……」
……というか、何なんだろうなぁ。さっきから、この会話は。
学校じゃ嫌とか家に行きたいとか。
神籐さんから少しでも恋愛感情が感じられるならもの凄い青春な会話な気がするんだけど。
でも恐らく神籐さんにそういう感情はなくて、己の欲求を満たすためだけに俺の家に侵入しようとしている。
きっと、俺への興味の次は、俺の家に興味が出たとかで――
――『好きだからじゃないですか?』
「…………」
……ただ、そう見えるのは俺の視点だからで。近くで見ている人間からは、栖原からはそういう意見があったのも確かで。
あの時の栖原の真面目な顔を思い出すと、そういう可能性はなくはないんじゃないかと思えてしまうから困ったところだ。
アニメキャラがすぐ恋に落ちる理由がわかりそうになる。
――いや、もしそうだったところで、俺のやることに全く変わりはないんだけど。
本当に変わりはないんだけど――
「……神籐さん」
「なに?」
「えー――」
別にそれを、判別してみるのは悪くないはずだ。
「――俺が、神籐さんのこと下の名前で呼ぶって言ったら……どうする?」
頭の中に思い浮かんだ台詞を、そのまま何も考えず神藤さんへぶつける。
すると神藤さんは数秒固まった後――
「え、私はずっとそうだし、いいんじゃない?」
「え、あ、そう?」
「え? うん」
そういえば、俺ずっと優太郎って呼ばれてたな。
……あ、意味ないんじゃね? これ。
「……いや言ってみただけで特に何にもないんだけど……」
「えっ、呼ばないの?」
「……言ってみただけなので」
「……なにそれ」
よくよく考えてみると名前で呼ぶのを許されたら好かれているという判別方法に欠陥があった。
俺が勝手にさん付けしてるだけで、同級生なんだから名前で呼ぶくらいいいじゃん。というか俺めっちゃ初期から呼び捨てされてるじゃん。慣れすぎて今言われるまで気づかないレベルに呼ばれてたじゃん。
……よし、上手く混乱させたところで撤退しよう。
「ま、まあ……結論を言うと、俺の家に人は呼べないってことで……」
「いやだからその理由を……」
「あっ! もうこんな時間! い、いそがなきゃ!」
「!? ちょっとまだ全然――」
「勉強なら言ってくれれば教えるから!」
そうして、呆然としている神籐さんを置き去りにして、俺は再び校舎に戻っていった。
今更ながら、俺は神籐さんにかなり酷い扱いをしている気がしてきたけど、いつまで話そうと、家の話はできないから今日は仕方がない。
律儀に学校外で話そうとしてくれる神籐さんには悪いけど、学校で話すだけが俺が避けている行為じゃない。
それに、これ以上興味を持たれても俺は――
「……いや、いいや」
余計なことは考えないようにしながら、俺はその後、逃げるように部室へ向かった。
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