第22話 俺の家に興味を持つという禁忌を
「ふいー……」
卓球大会から帰宅した俺は久しぶりに勉強も何もせずに、数時間ほど部屋で摩耗した精神と肉体をベッドで休めていた。
まあ端的に言うと疲れたから昼から寝てたわけなんだけど、いつもはこんな贅沢な時間の使い方はしないだけに、起きた時には四時頃を示していた時計を見て少し絶望した。
ただ、卓球大会も無事終わったことを考えれば、これくらいはいいのかもしれない。振り返ると何だかこの数週間はスポ根卓球ライフに侵食されていた気がするけど、これからは平和なオタクライフが帰ってくるわけだし。
しかし、オタクライフのことを考えると、むしろ昼を寝て過ごした日は開き直って、今日はアニメ見るか……となる方がオタクらしい気がする。
よし、アニメ見るか。
ただ、喉が乾いたからベッドからは出よう。
さすがにこれ以上ベッドに囚われるのはまずい。人間として。
「ふー………………ん」
そんな感じで、数時間ぶりに部屋から出ると、出た瞬間に、栖原が扉の前を通り過ぎていくのが見えた。
「…………」
通り過ぎた後、足を止めない栖原の後ろ姿は少しずつ遠ざかっていく。
別に、挨拶を強要したいわけじゃないし、気づかないことに関してはいいんだけど、今日の栖原の後ろ姿は、何だか覇気がないように見えた。
そう見える理由は多分、背中が丸まってるのと歩くのが遅いせいか。
今なら栖原を歩きで追い抜かして勝ち誇れそうだ。
「疲れてるのか?」
「――!」
なんて考えながら、気になったから何となくついていって声を掛けると、栖原の肩が珍しいくらいに跳ねた。
別に本当に勝ち誇るつもりはなかったんだけど。
「あ、いえ申し訳――」
そうして驚いた栖原は、そこまで言い、何回も周りを見回した後に、ようやく俺の方を見た。
「……大丈夫なので、気にしないでください」
「そんな反応した後に言われても」
栖原とは思えないくらい面白い反応してたけど。
今は見えるところには誰もいないけど、あの歩き方で働いてたらどうせいずれ注意されてただろうし、さすがに無理があった気がする。
「風邪とかか?」
「病気ではないと思いますが」
「ならやっぱり疲れてるのか」
「…………」
「休んだ方がいいんじゃないか?」
「……そうもいかないので」
一応栖原がこうなってるのには理由があるらしい。
やはり若干顔に疲れが見える栖原は、俺を恨めしそうな顔で見てる。
……ん? いや、心配してる俺を恨めしそうな顔で見てるのは日本語がおかしいか。
あれ? だけど今も栖原は俺を恨めしそうな顔で見てる。おかしくないじゃん。
まあ、栖原が忙しくなるとしたらこの家のことしかないだろうし、特に栖原は俺関連の仕事が多いだろうから、そういう意味では別におかしくないのかもしれない。
でも、この家の仕事でいつもより忙しかったことなんて思い当たらないし、俺自身のことでも栖原に何かいつもと違う仕事をしてもらった覚えはない。
それでも、栖原がこうなるくらい疲れてるんだから、確実に何かはあったんだろうけど。
「まあ、大変だったらちゃんと言った方がいいんじゃないか。俺に言ってもいいし」
「……風邪でもひいたら、そうすることにします」
「別に、疲れたら言っていいと思うけどな」
皆優しいし。栖原の場合、おじいちゃんもいるわけだし。
疲れてたら休んでいいと皆言うだろう。栖原は学校もあるんだから。
「……はい。ただ、もう今は一段落ついたところなので」
「ああ……でも、体調には気をつけろよ」
「ありがとうございます」
昼寝直後に髪ボサボサの状態で言う台詞じゃなかった気がするけど、何だかんだで栖原に迷惑を掛けてる自覚はあるし、執事見習いとしては見逃してほしいところかもしれないけど、気にかけるくらいはいいだろう。
そうして栖原相手に格好いい台詞をキメた後、俺は自分の目的を思い出してその場を立ち去ろうとしたんだけど、
「……あ、言い忘れてましたが」
少し声が元気になったように感じる栖原は、本当に今思い出したのか俺が後ろを向いたタイミングで声を上げ、
「今日は御主人様がおられます」
「…………………………へぇー?」
「大会について、楽しみにされていたようですよ」
ただ心配して声を掛けた俺に、恩を仇で返すようなことを言って、いつものように背筋を正した姿に戻っていた。
「…………ちょっとお腹が痛くなってきたな」
「体調には気をつけてください」
最後に勝ち誇ったように言って、栖原はきびきびと歩いて行ってしまう。
うん……善意で声を掛けたはずなのに、いつの間にか負かされた形になっているのは何故だろう。おかしくない?
まあ、栖原が言わなくてもいずれその時が来ることではあるし、心の準備ができる分栖原は優しかったのかもしれないけど。
「……普通にお腹痛くなってきたな」
そうして、俺はラスボス戦その2を行うことになった。
◇◆◇◆◇
「…………」
皆腹痛になれ皆腹痛になれ皆腹痛になれ皆腹痛になれ皆腹痛になれ。
皆腹痛になれ皆腹痛になれ皆腹痛になれ皆腹痛になれ皆腹痛になれ。
皆腹痛になれ皆腹痛になれ皆腹痛になれ皆腹痛になれ皆腹痛になれ。
不吉な願いを唱えながら俺は夕食のために食卓につく。
毎日冷房が効いたこの家で俺は今ダラダラに汗をかいている。
栖原の言う通り今日は家に父親も母親もいるらしく、どこかから帰ってきたらしい二人は今日も仲良く一緒に食卓につく。
「いやぁ、たまには日本もいいものだね」
「でしょでしょ? あんなに広いんだもの、何回行っても飽きないわよ~」
「うんうん。アメリカには及ばないけど、さすが」
「でっかい?」
「どう、だね」
「やだも~ずっと言ってるじゃない~!」
「はっはっは!」
何だかデジャブを感じるけど、どうやら今回は北海道旅行だったらしい。
これが一般人の会話なら腹痛によっておかしくなってる可能性が高いけど、うちの両親の場合はこれが普通だ。
どうやら体調不良ではないらしい。腹痛作戦は失敗か……。
ちなみに、二人が現れたところで俺の背中には本格的に冷や汗が流れ始めている。
別に、罪を犯したわけでもなく、言うことは一つしかないはずなんだけど。
でも、その言うことがとてもハードだ。人生で初めて父親に下痢になれと願っている。
ただ、二人が食卓についた時点でそんな望みの薄い願いに頼るのは間違ってることは俺もわかってる。
こうなったら、少しでも時間を稼ぐために、いかにどうでもいい会話を――
「ああ、そういえば今日は優太郎の大会じゃなかったかい?」
「ヘウ?」
「卓球の大会だよ」
「……アー……」
俺は死ぬ覚悟を決めた。
「あ~、前に言ってたわねー」
「どうだった? 少しは勝てたかい?」
何気ない会話を装って聞いてくる父さん。
装ってるだけで、実際は「優勝してきた」以外の返事は許されないのはこの場の誰もが知っていることだ。
母さんも「あ~、前に言ってたわねー」なんて言いながら、目ではキョロキョロと賞状を探しているに違いない。
でも、俺にはその台詞は言えないし賞状は渡せない。言ってしまったら嘘つきになるし、渡してしまったらアルケミストになってしまう。
ということで俺は覚悟を決め、
「一回も……勝てませんでした!」
表面上は穏やかな顔で見守る二人に、家中に響き渡る声で告白する。
何の成果も得られなかった気分だ。
それに当然父さんは怒るだろう。
しかし、俺はそれも当然受け入れて――
「そうかそうか」
「残念ねー、やっぱり先生に教わった方が良かったんじゃない?」
「まあまあ、一年生ならそんなもんさ」
「…………?」
……なんか、リアクション薄くない?
薄いというか優しい。というか、あれ? もしかしてもう興味失った? 旅行が楽し過ぎて息子の大会なんてどうでもよくなった?
いやいや、いくら旅行が楽しくても真面目な話については別腹なのが父さんだし、これはフェイントで……
「……父さん?」
「ん?」
「負けたことについては……」
「負けたのが、どうかしたのかい?」
……あれ、本当に何もない。
俺の勘違い……? いやでも、俺は確かに「優勝しなきゃどうなるかわかってるな?」ってアイコンタクトを父さんから受け取って……まさか、アイコンタクトが勘違いなんてそんな馬鹿な……。
父と息子がアイコンタクトで通じ合えないなんてあるはずが……。
「あらー、そんなに負けたのがショックなのー? 優ちゃん」
「ははは、負けたっていいじゃないか。若い時は時間にも敗北にもルーズにってね。負けない人間はいないんだ。若い時はそれを糧に学ぶものだよ」
loseとlooseを掛けている辺り、父さんは本当に怒ってはいないらしい。
父さんは真面目な話の時にダジャレは言わない男だ。
「それに、優太郎の言う『高校生活』のいい思い出になっただろう?」
俺が空回りしていただけだったなら、この数週間のことを後悔しそうにもなるけど、それに関しては父さんの言う通りだから、これで良かったのかな、とも思う。
今回の大会に関しては、誰にも教わることなく、部活内で本気で頑張ったからこそ、だろうから。
俺の言う高校生活について、父さんは本当によくわかってる。
「せっかくこの生活を選んだんだ。優太郎は、親の顔色なんて伺わずやりたいことをやればいい。――高校を卒業したら、もうできないこともたくさんあるしね」
「――はい」
――そんな感じで。
俺の想定していた形とはだいぶ違ったけど、無事に報告も終え。
俺の卓球大会は正真正銘終わりを迎えることになった。
明日からはまたオタク生活だ。時間的にもっと改善できるところもあるし、ちゃんとアニメも一話は見ていかないとな。
岩須と道下に追いつけなくなったら大変だ。
勉強の時間もちゃんと取った上で、父さんの言う通り、高校生である間はやりたいことをやらせてもらおう。
「ふー……」
「ああ、そういえば」
「……えっ」
なんて、精神的に締めに入ろうとしていたところで、父さんは思い出したように話しだす。
なんだ? もうエンディング流れてたのに。
「学校から、何か届いていたみたいだよ? 優太郎宛てに」
「…………俺宛て?」
俺宛てって、なんだ?
学校から俺宛てに家に何かを届けるくらいなら、普通学校で俺に渡す気がするけど。
というか、家に何か送るなら、学校でそういう話があるもんじゃないだろうか。
思い出そうとしてみるけど、俺の記憶にはそういう話はなかった。
ただ、学校で渡さないということは、大きな荷物なんだろうな――という俺の予想を裏切って、話しながら父さんはポケットから小さな封筒を取り出す。
今時珍しい、数年前に小学校の手紙を書く授業かなんかで使ったような、小さく折って手紙を入れる白いシンプルなデザインの封筒。
この時点で、俺の頭に嫌な予感が浮かんだことは言うまでもない。
「あらあらー! 優ちゃんに手紙ー?」
「同級生からの手紙なんてロマンチックじゃないかい?」
手を伸ばして食卓越しに手紙を受け取り、ゆっくりとそれを自分の方に近づける。
その途中、手紙の表に小さく文字が書いてあるのが見える。『岩須』かな? 『道下』かな? 『部長』かな? そんな現実逃避をしてる間に、文字は鮮明になっていく。
「本当は家に届けたかったらしいんだけど、住所は教えられないから先生が届ける形になったって話でね」
そこに書かれていたのは予想通り――『神籐恋美』という名前。
考えたくなかった。
ここまで来るとは思いたくなかった。
だけど、奴はとうとう犯してしまったらしい。
――俺の家に興味を持つという禁忌を。
「その子、優太郎のお友達かい?」
「…………」
……卓球部に入り浸っている間、この世も随分平和になったもんだと思ってたんだけどなぁ。
このままずっと平和で、なんて考えていたけど、そう都合よく俺の思い通りになるなら、ここまで高校生活で苦労はしていない。
どうやら、この数週間――向こうは向こうで、ちゃんと企むことは企んでいたらしかった。
「――うん、よく話しかけてくれる、いい友達なんだぁ……」
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