第19話 でも、神籐さんに悪いかなって
部長はあまり思考が読めない人間だ。
百合の話をしたと思ったらBLの話をしたり、だらけたいのかと思ったら真面目に部長の仕事をしたり、急に二人でラケット買ってこいと後輩に言ったり。
もっともらしい思考なんて本当にあるのかと疑いたくなるけど、あれでも一応部長だから、そんな命令に従って俺と安戸さんは休日に卓球用品店へ向かうことになってしまった。
普通に断ることもできたんだろうけど、何だかんだで、卓球用品店に行くのは結構楽しみだった自分がいるから、部長の手のひらの上なんだろうな、と思ったりもする。
そうして部長の命令から数日が経ち、今は休日の10時半。
向かう店の近くの駅で、俺はベンチに座りながら安戸さんを待っていた。
「……あ、こっちこっち」
「あっ、早いね、光永君」
俺が見つけて声を掛けると、安戸さんは小走りで向かってきてくれる。
待ち合わせ時間よりだいぶ早いけど、駅からじゃなく住宅街の方から来たところを見ると、家がこの辺なのかもしれない。
ちなみに、そんな安戸さんより数分早く駅に着いていた俺は、待ち合わせ時間である11時の約一時間前に電車に乗ってここに来た。
自分でも引くほど卓球用品店に行くのが楽しみになっちゃってはしゃいでたわけではない。
「えっとまあ……家遠いから、どのくらいで着くのかわからなくて」
「あ、そうなんだ。私はこの辺だから、すぐ着いちゃって」
「えへへ」と笑う安戸さんは、休日だから当然制服ではなくて、フリルの付いた白いブラウスと、黒のハーフパンツという格好だった。
足元のスニーカーも含めて、何となくスポーツ少女らしさを感じた。
そんな風にジロジロ見てたからか、目が合うと安戸さんは恥ずかしそうに笑った。
「あはは……なんか変な感じだね」
「ああ……うん、休みだしね」
変な感じなのは俺の視線のせいかもしれないけど。
ただ、まだこの時期だと遊びまくるほど仲の良い友達ができた高校生は少数派だろうし、休みの日にクラスメートと会うのはそれだけで変な感じじゃないかと思う。
俺の場合、何気にクラスメートと休日に会うこと自体が初めて…………いや、一回あるのか。カラオケ。
……まあ、実質これが初めてということにしておこう。
「じゃあ、ちょっと早いけど、行こうか」
「あっ、うん。そうだね、時間掛かるかもしれないし」
変な緊張感のせいで上手く話ができる気もしないし。
そうして、俺と安戸さんは合流して早々に、事前に調べておいた近くの卓球用品店に向かった。
来る前にマップで三十回は確認したおかげで駅から店までの徒歩三分の道のりで迷うことはなく、10時35分頃、俺達は無事に卓球用品店『スポーツショップ ヨコザカ』に到着していた。
「あんまり大きくないんだね」
「卓球の物しか売ってないだろうしね」
「あ、そっか」
俺は事前に調べたから店の大きさも知ってたけど、実際に見ると確かにお世辞にも立派とは言えない小さな店だった。
ただ、店の前面はガラス張りになっていて、店の中は結構清潔感があるのは外からでも見える。
小さな店だけど、きっと店主はちゃんとした人で、入ってみたら結構普通の店なんだろう。
小さな居酒屋やラーメン屋なんかは、結構個性的な店主がいて、客側にもある程度のコミュニケーション能力が求められると聞いたことがあるけど、卓球用品店は、少なくともこの店はそういうことはないだろうな。
「じゃあ」
「うん」
そして、何となく安戸さんの前に立つ形で、俺は店の扉を開けた。
「――いらっしゃい! おっ! なに! 高校生? 卓球部?」
「あ……えっと、そう、ですね……」
「いいねぇ! 青春だねぇ! うち来るの初めてだよね? おじちゃん初めてのお客さんには安くしちゃうから! ま、常連のお客さんにも安くするんだけどね! ハッハッハ!」
「はは……」
「あはは……」
愛想笑いをしながら、俺はこの店はヤバいんじゃないかと思った。
ただ、一人なら帰ったかもしれないけど、今は安戸さんが後ろにいるから、渋々中に入る。
外から見るとわからなかったけど、店の中は結構奥行きがあって、卓球道具だけ並べているにしてはかなり物が多く感じた。
手前にはラバー、その真ん中辺りにはラケット、その奥にはTシャツ等が置いてあって、店の入り口付近のレジには豪快に笑う髪のないおじちゃんがいる。
おじちゃんはいるものの、スポーツショップとして品揃えはいい気がする。おじちゃんがいるけど。
「それで! 今日は何買いに来たの! うちは全部安いよ!」
そんなおじちゃんがいなければ店にあるラケットとかをゆっくり観察したんだけど、卓球道具に関しては一人じゃ選べないのも確かだから、素直におじちゃんに聞かれたことを返す。
「あー、今日は、ラケットと、ラバーを……七本分」
「七本! なに! そんな買ってくれるの!」
「一応その予定で……部員の分なんですけど」
「へぇ―! 七本も! 大変だねぇ!」
「大変だねぇ!」と言いながら、50歳くらいに見えるおじちゃんは元気にレジを飛び出してきて、ラケットを見る俺達の隣にやってきた。
何も言わなくても手伝ってもらう流れになってる……!?
「大丈夫大丈夫! 高いの買わせたりしないから!」
「あ、はい……」
「そいで、お嬢ちゃん達はペンかい! シェークかい!」
「シェーク……」
「多分皆シェーク……じゃないかな?」
俺の記憶が正しければ、おじちゃんの言うペンとシェークはラケットの種類で、ペンホルダーが人差し指と親指で輪を作って持つ方、シェークハンドがラケットを握る感じで持つ方。
詳しくは知らないけど、確か学校に置いてあったのは全部同じような古いシェークハンドのラケットだった。
「あら! 皆シェークかい! 七人もいて!」
「ああ、でも、皆初心者なので、別にこだわりとかは……」
「へぇー! そうなの! いやねぇ、皆シェークってのも寂しいなっておじちゃんちょっと思っちゃったのよ! でも初心者なら使えば慣れるから! 何本かペンもあった方が合う人いるから絶対!」
「あー、そういうのもいいかも……」
「うん、皆で合うラケット選ぶのもいいかもね」
「そうそうそうそう! 本当はね! 最初に合うラケット選べる方がいいのよ! でも中々そんな環境ないから! 皆手元にある奴に慣れることになっちゃうのよ! こういう機会は貴重だから! いろんな戦型買った方がいいと思うよ! おじちゃんは!」
そう言っておじちゃんは、この辺はカットマンで、この辺は前陣速攻で……とラケットについて説明してくれている。
確かに、来る前から考えてはいたけど、七本も買うのに全部同じようなラケットを買うんじゃ面白くない。
おじちゃんの言う通り、毎日違うラケットを使ったり、いろんなラケットを試せた方が皆のためになる気がする。
何より、今おじちゃんの説明してくれているラケットを全て自分が使えると考えると……
「――……光永君?」
「えっ。あ、うん」
「うんうん。いいよね、こういうのも。いろんなの使えるし」
「あ、そうだね」
おじちゃんの指すラケットを使える未来を想像してたせいで聞いてなかった。
ただ、おじちゃんの提案通りにするかという話なら、俺も当然賛成だ。
というか、もうそうすることしか今は頭にない。
「じゃあ、そういう感じで買おうと思うんですけど」
「そうかいそうかい! いやねぇ! 七本も買ってくれるならおじちゃんも気合い入れてアドバイスしてあげるから! こう見えておじちゃん詳しいから! 卓球!」
「お願いします」
「よーしおじちゃんに任して任して!」
この時点で、俺はこのおじちゃんを信じる覚悟が決まっていた。
それから数十分。
俺と安戸さんとおじちゃんはディスカッションにディスカッションを重ねて、七本分のラケットとラバーを一つずつ、話しすぎて卓球知識が倍に増えるほど丁寧に丁寧に選んでいった。
「ふぅ……大満足」
そんな感じで、買うラケットを選び終わる頃にはすっかりお腹が減る時間になっていた。
ただ、これだけ時間を掛けただけあって、目の前に並ぶ七本分のラケットとラバーは間違いなく最高の選択結果だと言える。
あのおじちゃんが選んだものが間違っているはずがない。
最高と言っても、値段だけならもっと良いものはあるらしいんだけど、初心者でも使いやすいものをと選んでくれたおかげで値段は結構お安めで、念の為に持ってきた俺の財布からお金を何枚か取り出す必要は全くなさそうだった。
商売として見るなら損だろうけど、そういうところもおじちゃんがおじちゃんたる所以だろう。
「いやぁ、おじちゃんも久しぶりに熱くなっちゃったねぇ」
「いえ、ありがとうございます。この店に来てよかったです」
入った瞬間はなんかおじちゃんを馬鹿にするようなことを考えていた気がするけど。
あの時の俺はただの無知な小僧だった。
隣に安戸さんがいなければ会計で相談料を多めに払いたいくらいだ。
「じゃあ会計を……」
「うんうん。あ、ちなみに二人はラバー貼ったことあるかい?」
「ラバー? 貼るのはー……」
「私は……ないです」
「俺も、ちょっと」
ラケットを買うのも初めてなもんで。
何なら、ラバーってラケットに最初から貼って売ってるのが普通じゃないんだ、と気づいたのも数日前、安戸さんと卓球帝国を読んでる時だ。
正直、ネットで調べてやれば何とかなるかな、みたいな軽い考えではいる。
ただ、そんな俺の浅はかな考えを見抜いたのかおじちゃんは。
「じゃ、おじちゃんが貼っといてあげようか?」
「え、いいんですか?」
「いいのいいの! いっぱい買ってくれたからサービスサービス! それに、こういうのは慣れてる人がやった方がいいから、おじちゃんに任せて任せて」
「おじちゃん……!」
まさかそんなことまでしてくれるなんて……!
まったく……誰だ、入った瞬間ここをヤバい店だの言ってた馬鹿は。
おじちゃんがいるだけでここは最高の店じゃないか。
「いろいろありがとうございます」
「ありがとうございます!」
「へっへっへ、じゃ、ちょっとそこで座って待ってて。おじちゃんも七本もやることないから、10分くらい掛かるかもしれないから」
そう言っておじちゃんはラケットやラバーをレジに通した後、その場で包装を剥がして、ラケットとラバーを裏に持っていく。
何気に言ってたけど、おじちゃんで10分掛かるなら、自分でやるなら一時間以上は掛かってただろうな。
危なく休日をラバー貼りで終えるところだった。
「優しい人で良かったね」
「うん……ラバーのことなんて全然考えてなかったから」
「私も私も。簡単に貼れるのかと思ってた」
と、おじちゃんに言われた通り店の端の椅子に座りながら話す。
目の前に見えた時計を見ると、時刻はもう11時。
ここまで30分くらいおじちゃんも交えて安戸さんと店で話してた計算になるけど、二人で10分となると途端に長く感じるから不思議だ。
別に安戸さんと二人で話すのが嫌なわけじゃないんだけど、話せと言わんばかりに静まり返った空間で二人きりになると単純に緊張する。
安戸さんはどうなのかな、と様子を伺いたくなる。
「…………」
ただ、安戸さんの方は別に俺みたいに緊張してるようなことはなさそうだった。
代わりに、隣の安戸さんは、なんかずっと店内を見回してる。
店内と言っても、さっきから見てたラケットやラバーの棚じゃなく、靴や卓球グッズの並んでる壁とか、奥のTシャツやユニフォームが並んでるスペースをよく見てる気がする。
「……どうかした?」
「えっ? ……あっ、えっと……こういうお店来るの、久しぶりだったから」
照れ笑いを浮かべながら、安戸さんはまた靴の並ぶ棚の辺りを見てる。
こういう店……というと、スポーツ用品店のことかな。
「あー、バスケだっけ」
「うん。バスケは、卓球よりは買い換えるものはないんだけど」
「そうなんだ」
「でも、こういうお店に来たら、新しいバッシュ……えっと、靴がほしくて、お母さんにねだったりして」
「靴かー、子供の頃だと、すぐ履けなくなりそうだけど」
「そうそう! お母さんにも足はすぐ大きくなるからって言われて。それでも、結局、買ってもらったんだけど。……懐かしいなー」
まるで子供のような、学校ではあまり見られない無邪気な笑顔で安戸さんは話す。
楽しそうに話をする安戸さんを見ると、心からスポーツが好きなんだろうな、と感じる。
卓球もそうだけど、バスケの話をしてる時は特に。
「…………」
そこで、俺は何となく頭に浮かんだ疑問を口にした。
「高校で、バスケ部は悩まなかったの?」
「えっ…………あー」
ただ、その安戸さんの反応を見て、それが駄目な質問だということに気づいた。
うちのバスケ部は確か、部員数も多すぎず少なすぎず、実力も強すぎず弱すぎずの普通の部活だ。素人から見ても、入りやすそうな部活だと感じるほどに。
ここまでバスケのことを楽しそうに語る安戸さんが、何もなくそんなバスケ部を避けるはずがない。
そんな、気づくのが遅すぎる推理は、やはり当たってしまっていたようで。
「……中学から、バスケはやってないんだ」
「それは……怪我、とか?」
「うん。小六の時に、左手骨折しちゃって」
一気に苦笑いの表情になってしまった安戸さんは、ひらひらと左手を振る。
卓球部では普通に左手も使ってるし、多分今は何でもないんだろう。
小六の時の怪我なら、もうさすがに治ってるはずだ。
ただ、安戸さんは思い出すように傷も何もない左手をさすっていた。
「その骨折の時に、お母さんに『もうスポーツはいいでしょ』って言われちゃって。元々、私が外遊びばっかりしてたのもあるんだけどね」
「……俺はいいと思うけどな、小学生の時くらい」
「ははっ、うーん……光永君みたいに、勉強もしてたらちょっとは違ったのかもしれないけど、私は全然だったから」
それでも、スポーツを取り上げるのは――と思ってしまったけど、そこは安戸さんのお母さんの考えもあったんだろう。
そういうところは、俺の家庭じゃ特殊過ぎて比較はできない。
「それで、中学は帰宅部で三年間過ごして、高校も、何も入らないつもりだったんだけど」
「でもね」と安戸さんは少し笑う。
「入学して、卓球部ならいいかなって相談してみたら、オッケーが出たから、入ったんだ。まあ、卓球でも怪我はするんだけど、お母さんあんまりスポーツ詳しくないから。緩い部活だからって説明して」
「まあ、実際緩い部活だしね」
「うん、そこは事前に知ってたから、想像通りだったんだけど」
引き続き安戸さんは爽やかに笑う。
でも、予想外に真面目な方向にいってしまった、たった10分のはずの雑談を聞いていると、その笑顔は無理をしているように思えて仕方なかった。
そんな、ただの勘でしかない俺の予想が当たっていたとして、俺のこの台詞が正解かどうかはわからないけど――
「……本当は、バスケもやりたかった?」
なるべく冷静を装ってそう聞くと、隣で段々と自然な表情になっていった安戸さんは、ゆっくりと頷いた。
「卓球部に入ってからも、本当は、バスケしたいなぁってずっと思ってたんだ」
「……そっかあ」
俺と安戸さんじゃ、環境が違いすぎて同じ気持ちにはなれないけど、諦めきれないだろうな、というのは話を聞いてるだけで伝わってきた。
怪我をしただけでバスケがしたい気持ちは高まるだろうし、治療中もその気持ちを糧に頑張るものだろう。
だけど、怪我をした時点でもうバスケは駄目だと言われてしまったら、その気持ちはきっとどこにもいけない。もしかしたら一生、安戸さんの中を漂うかもしれない。
俺ならきっと我慢できない。
それを高校生になった今も自分の中に留めてるんだから、安戸さんは大人だし、その分、辛いだろうな、と思った。
「でも」
だけど、そんな考え事をしてから顔を上げた時には、隣の安戸さんは全く辛くなんてなさそうだった。
「今は、バスケは5%くらいかな」
「……5%?」
「うん」
「五割じゃなく?」
「うん。バスケが5%で、卓球が95%」
安戸さんの顔は、さっきまでの、バッシュの話をしてた時の楽しそうな顔に戻っていた。
それに対して、俺はまだ疑うような視線を向けていたからか、安戸さんの笑顔が一層強くなる。
「今は、本気で練習してるから、卓球も凄い楽しいんだ」
「……そっか。大会のおかげで、皆ちゃんと練習してるしね」
「うん。大会のおかげ……も、あるけど」
そこで一瞬、安戸さんの表情が崩れた気がした。
気になって横を向くと、安戸さんが顔を背けるように俺と同じ方を向く。
なんだ、とは思ったけど、別に嫌な感じはしなかった。
少しして、こっちを向くと、安戸さんはまだ笑っている。
「はは……ごめん、何でもない」
――ただ、それはさっきまでの爽やかな笑いではなく、照れ笑い、という感じだったけど。
「大会、頑張ろうね。光永君」
◇◆◇◆◇
「また来てねー」
「また来ます!」
おじちゃんに全てのラケットを完璧に整備してもらった後、俺は何故か寂しさを感じながらおじちゃんの店を離れた。
言葉には出さなかったけど、きっと安戸さんも同じ気持ちじゃないかと思う。
ただ卓球道具を買いにに来ただけだったけど、店の中では安戸さんといろいろな話もできたし、単純に外出として満足感は凄くある。
今手元にあるこのラケット達も、使える日が待ち遠しい。きっと、家に帰ったら一度触ってしまうだろうけど。
そんな満足感を得ながら道路に出て、これで部長からのミッションは完了した俺と安戸さんは来た時と同じように若干狭い歩道を二人で歩く。
近くにあった時計で時間を確認すると、時刻は11時15分。
元々は待ち合わせ時間の11時に店に着いて、すぐにラケットとラバーを買って解散する予定だったから、時間的には俺の予想通りだ。
「ふぅ……」
何事もなく安戸さんとのおつかいを終えた実感が今更やってくる。
かなり唐突に、しかも俺と安戸さん以外の意思で決められたにしては、よくやったんじゃないかと自分では思ってる。
よく知らない街の小さな店に大人なしで行くことなんて、当然初めてだったわけだし。
よくやったよくやった。誰がなんと言おうとよくやった。
ここまで来たら、あとは何事もなく安戸さんと別れて――…………
「ごめんね、ラケット全部持ってもらって」
「えっ? ああ、いや、大丈夫。結構重いから」
「……重かったら、大丈夫じゃないんじゃない?」
「いや、重くはなくて。まあ、一応男が持った方がいい重さって意味で……」
あれ、頭おかしい人かな?
何とか言いたいことは伝わったっぽいけど、安戸さんの顔には苦笑いが浮かんでる気がする。
……いや別に、俺も好き好んで頭空っぽで会話したわけじゃないんだけど……ただ、たった今隣を歩く安戸さんを見た瞬間、無意識にいろいろと考え始めてしまったのだ。
さっきまでは、卓球に夢中になってる間は全くそんなことは考えなかったんだけど。
でも、こうして店を出て、学校の外を安戸さんと歩いてると、自然と意識してしまうことがあって、一度意識すると、それが頭から離れない。
まあ、端的に言うと、「これデートみたいじゃん」みたいなことなんだけども。
「うぅぅぅぅうん……」
「み、光永君?」
「え? いや、何でもないんだけど……」
あんないい話聞かせてもらった後に考えることじゃ全くないんだけどなあ……。
いやまあ、そんな
だって、この後どうするのか何も話してないんだもん。
今も何のために歩いてるのかもわからないんだもん。
このまま別れるのは何か違う気がするんだもん。
「えー……」
俺の邪な心を翻訳すると、もう少し安戸さんと話がしたい、みたいなことを言ってる。
そんな戯言に耳を傾けてたまるかって感じだけど。
……高校生の場合、ファーストフードくらいは普通だよな。
アニメだとよく見るし。それに漫画でもよく見る。ラノベでもよく見る。
めっちゃ見る。つまり普通だ。
「あー……なんか食べてく?」
口を開くと、自分の想像以上にするっと自然に台詞が出る。
恐らくアニメかなんかの言い方が頭に残ってたんだろう。
自分で言いながら驚くくらいに自然だった。
――ただ、台詞は自然だったけど、タイミングは唐突だったなと、俺は言ってから気づいた。
「――えっ……うぇえっ?」
「あ、いやごめん何でもない……」
ほら、俺が邪な力に頼って調子に乗るから……二次元と現実の区別ついてないから……。
安戸さん聞いたことない声出してたもん……。
……忘れよ。覚えてたら生きていけないから忘れよ。
「あっ、い、嫌だって意味じゃないんだけど……!」
「ああ……うん、家で昼食の用意とかあるしね……」
「えっと、それは、わからないんだけど……」
何か、他に断る理由があったようで、安戸さんは言うかどうか迷うようにそこで言葉を止める。
俺としては、気は遣わなくていいから、全てを闇に葬り去ってもらって構わなかったんだけど。
安戸さんはゆっくり口を開いて、
「……でも、神籐さんに悪いかなって」
ぼそっと、難解なことを言った。
「…………神籐さんに悪い」
なんだろう。どういう暗号なんだろう、それは。
カミトーサン? それはクラスメートの神籐さん?
今の会話の中で神籐さんが出てくる要素は……なんだ? なくね?
学校内ではファーストフードと言えば神籐さんだから、神籐さんを差し置いてファーストフードには行けないとかそういうことか?
だとしたらはた迷惑な話だけど。
えー、神籐さんに悪い。神籐さんに悪い……?
なんだ……? ファーストフードに行くことじゃなくて、俺と行くことが悪いのか……?
俺と何か食べるのは、神籐さんに悪い……。
俺と昼食に行くのは、神籐さんに悪い……。
「……ああ!」
そっか!
安戸さんは、俺と神籐さんが仲良いって勘違いしてるんだっけか。
だから、その神籐さんの知らないところで、俺と昼食には行けないということか。
なるほどね~、スッキリした。
「――いや違うからね!?」
「えぇっ!?」
それは断じて違うからね!?
思わず肩を掴んで叫んでしまった。
だけどそれも仕方ないほど安戸さんの発言は大きな大きな間違いだ。
いや、今までも俺はずっと違うと言ってきたんだ。
全部流されてたけど。
ただ、それは俺と神籐さんが友達だって程度の勘違いだと思っていた。
けど、まさかその勘違いがそんなところまで発展してるなんて……。
「神籐さんと俺は何もないからね!?」
「あ、あ、うん……ごめん、誰にも言ってないんだけど……」
「いや違う違う恐喝したいんじゃなく!」
本当は仲良いけど仲良くないことにしたいわけじゃなくて!
ふー、ふー……いや、駄目だな……忘れかけてたけど今までもこんな感じで勘違いを加速させてたんだったな……。
まあ、友達レベルの勘違いならそれもまだ重要じゃなかったのかもしれないけど、女子に気を遣われるレベルの、恋人レベルの勘違いとなれば放ってはおけない。
いろいろ話したくないこともあるけど……ここまで来たら、俺の知る限りの理由は話して誤解は解いておこう。
とりあえず、俺は安戸さんの肩から手を離した。
「いや、えー……ごめん。興奮して」
「あ、いや、こっちこそ変なこと言って……」
「うん……でも、その、神籐さんと仲良くないのは本当だから、一回、誤解は解かせてほしいんだけど」
「……そう、なの?」
「うんうん」
いやまあ、こんな説明なんてしなくても、安戸さんも冷静になって、俺と神籐さんの容姿でも見比べれば正気になってよくわかると思うんだけど。
俺に恋人がいるかもなんて誰かに話したら、安戸さんがバカにされるんじゃないか?
いや案外もうバカにされちゃった後かもしれないけど。
ただ、今はここに神藤さんはいないし、容姿もできれば比べてほしくはないから、口でできる限りの説明をするしかない。
「まあ、実際神籐さんとは結構話すことはあったんだけど、それは、何ていうかな……神籐さんが俺のことを観察したいみたいなことを言ってきてさ」
「……え? 観察?」
「まあ……そういう雰囲気のことを言ってきて」
実際は「興味を持った」とか言った方が正しいんだろうけど、そう言うと神籐さんが変人過ぎるし、人間観察的なことのように言っておいた方が自然だろう。
それで変だと思われても、実際そういう人間だし問題はない。
「俺はよくわからないけど、そういうのが趣味らしくて。俺と神籐さんが一緒にいた時があるのはそのせいで」
「へー……変わってるんだね」
「そうそう。めちゃくちゃ変人なんだ」
実際変だと思われたっぽいけど、変人だと思わせた方がこの話に真実味も出るしいい気がしてきた。
嘘は言ってないし神籐さんも文句は言えないだろう。
「へー……」
「うんうん」
「ちなみに……それって、なんで光永君なの?」
「それはー……神籐さんに聞いてもらって」
「……光永君もわからないってこと?」
「うん。理由はわからないけど絡まれたみたいな感じだから」
真実だからスラスラ言えるけど、これは本当に俺はわからない。
もし安戸さんが神籐さんに聞いて答えてくれたら俺が教えてほしいくらいだ。
むしろ積極的に聞きに行ってみてほしい。
結果的には安戸さんの質問には答えられなかった形になるけど、俺がそんな反応だからか、安戸さんは特に怪しんではなさそうだった。
「だからまあ……話すかどうかで言うと話すけど、仲が良いわけではない……って、ことで」
「……そうなんだ」
「恋人とかではさすがにないから……信じてくれたら、嬉しいんだけど」
今までと違い、できるだけ冷静に話したからか、少しだけ手応えはある。
いくら口で「信じて!」と言って、安戸さんに「信じる……」と言わせたところで、本当に信じてるかはわからないものだけど、今回に関しては、本当に信じてくれるんじゃないかと思えた。
その理由は多分、俺の言葉というより、安戸さんの表情。
ホッとしたような、腑に落ちたような、そんな表情に俺には見えた。
「うん。嘘じゃないと思うから、大丈夫。……あ、えっとー……今まで、変なこと言っててごめんね」
「いや! 大丈夫大丈夫……こんなの普通はわからないだろうから」
特に、神籐さんにはクラスのマドンナっていう先入観があるだろうし、仕方ないとは思う。
最初から神藤さんが変人だと思って考えられるのはうちの鉄壁ガーディアンくらいだろうし。
「じゃあ……そういうことで」
「う、うん」
そうして、ちゃんと誤解が解けたところで、俺と安戸さんはまた歩き始める。
多分また駅に向かって歩くんだろう。
……ふぅ。良かった。まだ実感はないけど、これで安戸さんの誤解は解けたんだな……。
「結局何だったんだ……」と気にしていた伏線が数年越しに回収された時のようなスッキリ感がある。
俺が勘違いを解こうとした回数が多いだけで、時間的にはそうでもないけど。
「ふー…………」
……と、誤解が解けてようやくまた歩き始めることができるな、というところで、俺の頭にふと邪な思考が頭に浮かぶ。
あれ、神籐さんの誤解が解けたなら、昼食に行っても問題ないんじゃないか? みたいな思考。
……いや、もうあれは俺が撤回しちゃってるしもう遅いんだけど、もう一回俺が邪な力に頼れば……
「ええっと……光永君」
「あっ、はい!?」
何も考えてないよ!?
一瞬、俺の思考が漏れ出てるのかと本気で心配したけど、安戸さんの方を見ると、安戸さんはスマホを取り出して、照れたような笑いを浮かべていた。
「最後に、LINE交換しても……いいかな?」
「あ」
そういえば、安戸さんのLINEは知らなかったんだっけ。
普通はいの一番に気にするところなんだろうけど、俺の場合LINEの優先度が低すぎて気づかなかった。
「あっ、ダメなら全然大丈夫なんだけどっ……!」
「いや、大丈夫、俺も考えてたんだけど言えてなかったから」
「あ……本当? 良かったぁ」
「ちょ、ちょっと待って今準備するから……えーと……」
……なんて、ただのLINE交換の経験すら少ない俺が手間取っている間も、安戸さんは本当に楽しそうに笑っている。
そんな笑顔を見ていると、ちょっとだけ、今日別れることに寂しさを感じる。
別に、今日別れたってすぐに部活で会えることはわかってるんだけど。
それがわかっててもそんなことを思うのはきっと、安戸さんと二人でのおつかいが予想以上に楽しかったからなんだろう。
邪な行動とは言いつつも、まだ二人で話したかったのは間違いなく俺の本心だった。
「これでいい……カナー……?」
「うん、こっちも大丈夫だよ」
「ふぅ……良かった……」
ただ、今日は短い時間でも、安戸さんからいろいろな話を聞けた。
LINEがあれば、またどこかで安戸さんと二人で話すこともあるだろうし、卓球を続けていれば、またいつか一緒におじちゃんに会いに行くこともあるだろう。
何より、大会までは、俺と安戸さんはずっと練習続きだ。
何もなくても、学校に行けば卓球台越しに向かい合う。
「じゃあ、また、学校でね」
「うん。また練習で」
そうして、二人で最後まで話しながら歩き、駅に着いたところで、その日、俺達は別れの挨拶をして解散した。
安戸さんにお礼を言うのを忘れてたな、というのは帰ってから気づいたけど、俺が帰宅した頃にはスマホが通知音を鳴らし、安戸さんから『今日はありがとう!』とメッセージが届いていた。
その次の日。
学校では全員に新品のラケットが行き渡り、卓球部はこれまでにない盛り上がりを見せた。
おじちゃんのラケットは皆気に入ってもらえたようで、卓球部からオタクの話がなくなるほど皆も真面目に練習していた。
当然俺達もそれに負けじと練習を続け、新しいラケットに慣れながら、一日ずつ着実に上達していった。
そうして、安戸さんと毎日練習に励むこと約二週間。
遠かった大会日はあっという間に、すぐそこまで迫っていた。
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