第18話 知らず知らずのうちに顔が近づいて、ってか

 大会に出ようという一年生女子からの提案があった翌日。


 いつもよりオタク話も少なめに一日を過ごして放課後を迎え、ようやく俺は卓球部部室に訪れていた。


 少し鍵の調達で遅れたせいか部室の前にはもう既に部長もスタンバイしている。

 ただ、今日は大会に出られるかの確認のために早く来ていたのかもしれない。


「おお、光永、親に聞いて、どうだった?」


 早速聞かれたところを見ると、俺を待つ間もその話をしていたのかもしれない。

 昨日心配そうにしていた安戸さんも大丈夫かと俺の方を見ている。


 もし昨日聞けていなかったら俺はここで「もう少しだけ待っていただけないでしょうか……」と頭を下げるしかなかった。

 しかし、しっかりと父さんと話した今は自信満々に答えることができる。


「大丈夫でした。ただし出るなら優勝してこいと言われました」

「お前の家めちゃくちゃ厳しくね?」


 そこについてはまあ。大会に関してだけは特殊な家庭ということで。


 ただ、確かに厳しいとは言え、大会まではまだ数週間ある。


 二週間みっちり、しかも元が素人なら、練習すれば可能性は無限大だ。


 というわけで、俺は昨日からずっと燃え上がっていた。


「大丈夫ですよ部長! 出場するなら皆で優勝目指していきましょう!」

「お、おう……ま、せっかく出るなら、そういうのもアリか」

「そういうことなら拙者達も本気で練習するでござるよ!」

「おいどんも痩せない程度に本気出すでごわすか」


 手を動かしながらコキコキと関節を鳴らす道下と岩須。

 なんか意図せずスポ根漫画っぽい展開になってる。


 そんな俺達を、安戸さんを含めた一年生女子三人はニコニコ、いや、安戸さん以外の二人はなんかニヤニヤしてこっちを見ていた。

 俺達のスポ根を笑うんじゃない。


「……あ、そう言えば安戸さんも親に聞いてくるって言ってなかったっけ。大丈夫だった?」

「え? あっ、うん。私も、大丈夫だよ」

「良かった良かった」


 これで全員で優勝を目指せるな。目指せ甲子園だ。


「そういうことなら、いろいろ準備しなきゃダメになったな。その辺顧問と話してくるから、お前らは練習してろよ」

「あ、そういえば部長って部長でしたね」

「そりゃ部長だからな」

「そうでした」


 最近はもう『部長』って名前なのかと思い始めてたから。

 ごめんなさい。


 そうして、ちゃんと部長の肩書きを持っていたらしい部長は、部長っぽいことをしに職員室の方へ歩いていった。


 今思うとこの部活に顧問がいたことすら知らなかったけど、その辺は二年生の部長がちゃんと知ってるんだろう。


 大会の準備に関しては、自分達でやることも考えてたけど、部長が全部やってくれるなら、部長の言う通り俺達は練習していることにしよう。


「よーし、じゃあ早速練習しようか」

「うんっ」

「そうでござるなー」

「動くでごわすよー」


 と、まだ開けてなかった部室を開けて、練習の準備を始めようとする。


 ただ、そこで江道さんが何故か手を上げた。


「あのー」

「あ、はい」


 別に発言は挙手制じゃないけど、なんとなく場を仕切ってた俺が江道さんの方を向く。

 先生の気分。


「えーっと、本気でやるなら、実力差は考えた方がいいんじゃないかなー? と思って」

「ああ……実力差?」

「そうじゃなーわし達じゃまだ球を返すので精一杯じゃからなー……」

「そうそう、僕も全然だからー……」

「あー……そういう」


 確かに、実力差があると、上手い方にとっては練習にならない可能性もある。

 でも、俺達は言ってもまだ皆初心者だしなー。


「でも、まだそんなに差はないだろうし、上手い人ともやった方が――」

「――いや! 僕達にそんな気を遣わないで!」

「そうじゃ! わし達に時間を割かれると申し訳なくなるんじゃ!」

「そ、そうなんだ……?」


 そこまで本気で考えてくれてたのか……。

 個人的には反対だけど、ちゃんと伝えてくれた二人の意思は尊重しないといけない。


「じゃあ、実力差も考えていかないといけないかなぁ」

「うんうん」

「それがいい」

「ちなみに、具体的にはどうした方がいい?」

「とりあえず凛香と優太郎のペアは毎日固定じゃな」

「そうそう、二人は毎日練習する感じで、僕達はどうでもいいから」

「ん?」

「じゃから凛香と優太郎で」

「毎日練習する感じで」


 いやそれはおかしくね?


 なんだ? なんか事前に打ち合わせでもしてたんじゃないかってくらい二人のコンビネーションが凄いぞ?

 一つの台詞二人で言うところとかアニメでしか見たことないもん。


 まあ、実力差があるから俺と安戸さんで練習してほしいって言うのは別におかしくないのかもしれないけど、毎日固定は二人が決めることじゃないような。


 これを実は安戸さんが望んでるっていう話ならまだわからなくもないんだけど……


「えっ、ちょっと二人とも……!?」


 うん。多分安戸さんは無実だな。こんな慌ててる安戸さん見たことないし。癒やされるし。


 でもまあ、毎日固定がおかしいだけで、上手い人同士で練習しようっていうのは、おかしくないのかなぁ。

 俺が上を目指すとして、ついてこれる可能性があるとしたらその相手は安戸さんなのは確かだし。単純に安戸さんは上手い。


「まあ……毎日固定かはともかく、安戸さんがいいなら、俺も練習はしたいけど」

「おー!」

「凛香をよろしく頼む」

「いや安戸さんがいいならの話ね?」


 なに? この二人安戸さんと思考共有してるの? 三人合わせて安戸さんなの?


 さっきまでの様子を見るに、安戸さんは別に俺と固定させられたくはなさそうだったけど。


 ただ、二人に視線を向けられると、安戸さんの顔が綻んで。


「あ……私も、一緒に練習したいから、大丈夫だよ」

「それなら……じゃあ、そういうことで」

「よーし! わし達も大会に向けて本気で練習するぞ!」

「そうだね二人が練習してくれるなら素人も頑張らなくちゃ!」

「お、おお……」


 なんか知らないけど、俺と安戸さんが組むことによって謎に二人の士気も上がってる。

 本当に自分達のことも考えての提案だったのかな……。


 そういう事情で、大会までの期間俺は、安戸さんと猛練習に励むことになった。



 ◇◆◇◆◇



「はい終わりなー。さすがにもう帰っぞー」

「もう動けないでごわす……」

「明日は登校できないかもしれないでござるな……」


 数時間の練習後。


 今までの練習と言っていいのかわからない練習ではなく、足を動かしたちゃんとした練習を行ったこともあって、練習後は全員がそこそこ疲れた顔をしていた。

 特に岩須は終了の合図の瞬間崩れ落ちていた。もう立つことはないだろう。


「あははっ、疲れたねー」

「卓球って、本気でやったらこんなに足動かすんだ……」

「うん。プロの選手は太ももとか凄いよね」

「あー」


 確かに。言われてみれば上半身ムキムキのイメージはないな。

 今までの動かない卓球は偽物だったのか。


 ちなみに、話し方が快活過ぎて全然疲れてるように見えない安戸さんとは、今日一日、周りよりも足腰に辛いメニューで練習していたはずだ。

 右に来た球を返してから左に来た球を返したり。フットワーク練習でとにかく足を動かしたり。そういう練習は安戸さんが詳しかったから、安戸さんの言う通りに二人で探り探りやっていた。


 そのおかげで俺はかなり足に来てるけど何とかプルプルさせるだけで体勢は保ってる。

 ただ、安戸さんは普通に平気そうだからただただ凄い。


「じゃ、自分で使った分片付けとけよー、私は使ってないから片付けないからなー」

「あ、部長、大会関連のはもう終わったんですか?」

「ああ、まあ大体な。ゼッケンとかユニフォームとか、必要なもんはあるらしいけど」

「へぇ」

「そこら辺はなんかダサいの用意しとくから心配すんな」

「最低限人前に出られるやつなら心配しないですけど」


 恥ずかしくて不戦敗になるようなユニフォームじゃなければ我慢しよう。


 まあ、なんだかんだで部長は部長らしいことをしてるらしいから、今日は素直に俺達で片付けはしておこう。



 それから、足の動かない連中を先に帰して、元気だった俺と安戸さんで大体の片付けを終わらせた後。

 部室に戻ると、一足先に片付けを終わらせていた安戸さんが部室で待っていてくれていた。


「お疲れ様ー」

「お疲れ様」


 そう言いながら部室にある椅子に吸い込まれるように座ると、太ももから先が重りから解放されたように癒やされていく。

 ああ、やばい……。もうこの椅子から離れられない……。


「ははっ、片付け中もずっと立ってたから疲れたよね」

「えっ、ああ……」


 俺の足の回復音が聞こえてたのかもしれない。恥ずかし。


 ただ、これは片付け前も思ったことだけど、「疲れたね」と言いつつ安戸さんも俺と同じことをしてるはずなのに、結果を見ると安戸さんの方が圧倒的に元気そうだ。


 何か秘密でもあるのかもしれない。自分で自分を癒やしてるとか。


「ちなみに、安戸さんってなんかスポーツやってた?」

「え、なんで……?」

「いや、凄い体力あるように見えて」

「あー……いや、でも、体力はそんなにないんじゃないかな。ただ、バスケはやってて。小学生の時」

「なるほど」


 それなら合点がいく。

 バスケだったらずっと走り回るだろうし、そりゃ足動かすのにも慣れてるか。


 ただ、自分で聞いといて何だけど、安戸さんがバスケ部って結構意外だな。

 高校でほぼ活動してない卓球部に入るくらいだから、そこまでメジャーなスポーツはやってないものだと思ってた。


「でも、バスケ以外も、スポーツは大体好きだよ。やるのも、観るのも」

「あ、へー。俺もスポーツは結構好きで。最近は卓球くらいしか観てないけど」


 昔は野球とかサッカーとか、結構いろいろ観たりやったりしてたんだけど、中学生頃からはオタク文化が趣味の枠に押し寄せてきたせいであまり観れてない。

 ただ、その代わり自分でもやってる卓球が面白くて、最近はたまに観てる。


 そして、俺がそう言うと、安戸さんも「私も!」と言ってくれて、


「卓球観始めて、これも買っちゃったんだ」

「……おお!」


 俺の隣の椅子に座って、鞄から雑誌を取り出して見せてくれた。

 雑誌の表紙には『卓球帝国』と書いてある。


 これがかの有名な卓球雑誌最大手の……!


「いいなー! 俺も気になってて」

「うんうん、結構面白くて。さっきの練習もこれに載ってたやつなんだけど」


 言いながら、ページをめくって安戸さんがいろいろ見せてくれる。

 ページをめくっていくと、様々な卓球のテクニックが画像つきで説明されている。


 縦回転サーブ、チキータ、バックドライブ……うおおおおおおおお! 試してみてええええ! もう足動かないけどもっかい練習してええええ!


「っ……」


 ふー……危ない危ない……このままじゃ高校生活がオタク生活じゃなく卓球生活になっちゃうところだった……。

 いや、今は優勝しなくちゃいけないし間違ってはないんだけど、あまりのめり込みすぎるのは……


「それで、今はこんなラケットもあるみたいで」

「へー!」


 さらに安戸さんがページをめくっていくと、各メーカーが発売してる卓球ラケットやラバーのページが出てくる。


 カットマン用、前陣速攻用、カーボン入り、スピード特化ラバー、変化幅最大ツブ高……うおおおおおお! 全部買ってみてええええ! そんなに買っちゃったらいろいろバレそうだけど買ってみてええええ!


「凄いなー……この粘着ラバーっていうのがめっちゃ回転掛かるやつだよね」

「うんうん。最近のはもっと凄いらしくて……」


 そんなことを言いながらページに載ってるラケットやラバーを指し合って話してると、段々と前のめりになってることに自分で気づく。めっちゃ興味津々だ。恥ずかし。


 ただ、そう気づいて何となくページじゃなく横を見てみると、隣の安戸さんも同じくらい前のめりになって、楽しそうにページを見て話していた。その口は今もラケットのことについて動いている。


 こうやって同じ雑誌を見てるから当たり前なんだけど、一度意識すると顔が凄く近く感じる。


「…………」


 どうしようか。ページより安戸さんの顔に目が行く。

 ラケットもラバーも気になる。だけど安戸さんの横顔もそれ以上に気になる。


 真っ白い肌、綺麗にまつ毛の伸びる瞳、形の整った鼻、こんな至近距離で人の顔を見たことなんてないからか、予想以上にその横顔に惹かれる。


 雑誌も見たい。けど安戸さんの顔が……いや雑誌だ。いやでも安戸さんの横顔が……いやいや変態め。ここはラバーについて語るところで。いややっぱり気にな――


「それで、こっちより――光永君?」

「あ」


 その瞬間、珍しいくらいに近い距離で安戸さんと目が合った。

 目が合うというより、目が向かうところが他にないくらいの距離。


 それに気づいた瞬間病気かと思うくらいに心臓が痛みだす。その痛みが広がると共に、安戸さんの頬が赤く染まっていき――


「ケケケ、知らず知らずのうちに顔が近づいて、ってか」


「ぇっ!?」

「部長!?」


 部室の扉の方を見ると、いつの間にか部長が、めちゃくちゃしたり顔で扉を開けて立っていた。

 ずっとタイミングを伺ってた旨の説明が顔に書いてある。


 ラブコメだったらこういう邪魔するキャラのこと一番嫌うんだけどなこの人。


「ま、ケチケチせずに見せてくれよ。面白いんだろ? その雑誌」

「あ、はい。どうぞ……」

「ああ、じゃあ俺が……」


 まだ心臓はスピード違反してる中、なんかよくわからないけど卓球帝国が読みたいらしい部長のために俺が席を退こうとする。


 ただ、いつの間にか後ろまで近づいてきていた部長はそれを押さえつけるように、俺と安戸さんの肩に手を回して真ん中で卓球帝国を眺め始めた。

 なんだ本当に女子かこの人。


「へぇ……。わかってたことだけど、うちのラケットは古い上に安物っぽいな」

「まあ、見るからにボロッボロですからね」


 何でも鑑定団に見せるまでもなく十年以上前のものだとわかる。

 その上多分二千円もしないラケットだろう。


 ちなみに卓球帝国には、主に五千円か六千円、中には一万円を超えるラケットやラバーも載っている。

 素人が見ても明らかにうちのラケットとは素材からして違う。


 当然、大会に行ったらこういう立派なラケットを使ってる選手しかいないんだろう。


 俺達の肩を抱きながら、そんな雑誌の最新ラケットを見ていた部長は一度ため息を吐く。


「相手がこんなラケット使ってくるんじゃ、勝てるもんも勝てねぇか」

「そうですねぇ……」


 道具のせいにするのはある程度実力がついてから……とは言え、うちのボロボロのラケットじゃ打つ感覚も全く違うだろうし、この先ラケットを買うとしても自分のためにならない。これじゃただでさえ弱いのにハンデを背負うようなものだ。


 別に学校のラケットを使わなきゃいけない決まりはないし、今度高くなりすぎない程度に自分でラケットも買ってくるか。


「そうだな……じゃあお前ら今度、皆の分のラケットとラバー買ってきてくれよ。金渡すから」

「ああ、はい。今度買ってこようと」


 …………ん?


 今この人、なんて言った?


「……皆の分?」

「皆の分だよ」

「お前らでってのは」

「お前ら二人でだろ」

「え」

「えっ?」

「だから二人で」


「…………二人で?」


 その時、ニヤニヤ笑う部長越しに、俺と安戸さんはまた目を合わせた。

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