第17話 将来大会記録が見つかっても

 俺の父親、光永一郎は光永グループを率いる資産家でありながら、優しく、ユニークさも持つ人物だ。


 それは世間でも有名な話で、父さんの人柄から来るエピソードは家族である俺よりも、父さんの会社の社員か、メディアの方が知っているだろう。

 実際、家でも父さんは優しく、たまに面白くないギャグを言うだけのおっさんで、そのイメージは世間一般で語られるそれとほとんど変わりはない。


 しかし、一方で光永一郎は、締めるところは締める辣腕起業家の面も持っている。


 これまた世間でも有名な話で、大事な話になったら顔つきが変わるだとか、仕事中は異様に切り替えが早いだとか、俺の知らないところで父さんは辣腕家らしいエピソードを作っている。


 ただ、父さんのその面を俺が知らないかと言うとそうではなく、たった一度だけ、俺は優しさもユニークさも消え失せた父さんと顔を合わせている。


 その時というのが、俺が高校生活について相談した時で、俺がオタク生活を始められるきっかけになった話し合いになる。


 その時の父さんは俺の将来について厳しい問いかけを繰り返し、俺の高校のことを考えてくれた。俺はそれに対しできる限りの返答をし、勉強のレベルも落とさないと約束して、今の高校生活を勝ち取った。


 あの時のことは、端から見れば凄くいい話なんだろうな、と思う。

 だけど、薄情なことにあれ以来俺は父さんが怖くて仕方なくなってしまった。


 だって、その時はただの中学生だった俺に仕事で使う用の言葉遣いで責めてくるんだもんあの人。

 普段は「今度の行き先? まあ、行っチャイナって感じだね」とか言ってる人に「将来のことは? 卒業後はどうするつもりですか?」とか聞かれ続けたら温度差で風邪ひいてトラウマになるに決まってる。


 まあ、俺のためだってわかってはいるし、嫌いになったりはしてないんだけど、あれから露骨に父さんに『相談』することが減ったのは事実で。

 今回の相談は、高校に入ってからは第一弾になる。


 ただ、そうは言ってもそもそも俺と父さんが話す機会というのは結構少なくて、父さんが家にいる日は月に半分くらい。

 日本にいる日は大抵家にいるんだけど、海外を飛び回る趣味を持つ父さんが落ち着いて日本にいる時間は少ない。


 家にいたとしても、息子だから、家族だからいつでも話せるという人じゃないから、午前中ほとんど仕事部屋に入り浸ってる父さんと顔を合わせることはほぼない。

 その上、大した用がない時に仕事部屋を訪ねることは家族でも禁止されているから、俺が父さんと話すのは大体午後、食事の時に父さんがいれば、という感じだ。


 だから、別に狙って時間を作らなくても、自然と覚悟する時間は溜まっていく、はず、だったんだけど、


「――いやぁ、改めて旅行に行くとアメリカも良いものだね」


 大会のことを聞いたその日の夜、珍しいことに家にいてしまった父さんと、俺は食卓を囲むことになった。

 俺の頭に今、覚悟なんて1%もないことは言うまでもない。


「でしょでしょ? あんなに広いんだもの、何回行っても飽きないわよ~」

「確かに。でっかいどうより広いからねぇ」

「やーだもー、それ聞いたら久々に北海道も行きたくなっちゃうじゃない」


 ちなみに、今食卓を囲んでいるのは息子と母と父。

 父さんの隣で仲良く食事をしているのが母さんの智恵。


 世間からは多忙の夫を支える理想の良妻として映っているらしい。

 俺には旅行好きなちょっとテンションの高い母親にしか見えないけど、きっと理想の良妻の一面も持ってるんだろう。


 ちなみに、この熱々夫婦は昨日旅行から帰ってきたらしく、今日も今回の旅行のことを楽しそうに語っている。


「でも、やっぱりいずれは住みたいわよね! アメリカ!」

「そうだねぇ。住むとなると旅行とは違うだろうけど。優太郎はどう思う?」

「えっ? あー……いいんじゃ、ないカナー……」

「そうかぁ。優太郎の高校卒業後は考えてもいいかもしれないね」


 そんな二人のインパクトが凄すぎて、俺はこの場に自分がいることを忘れかけていた。

 そうか……俺も話しかけられるのか……いやそうだよな息子だもんな……。


 上の空過ぎて何だか大事な話をテキトーに流してしまった気がするけど、今は気にしても仕方がない。

 アメリカに行こうと言われたらその時考えればいい。


 今日は、俺から話すべきことがあるんだから。


 ………………うん、いつ話そう。


「どこがいいかしらー? やっぱりニューヨーク?」

「暮らすならいろいろ検討してもいいね。最初は日本人が多い土地の方が、特に優太郎は馴染みやすいかもしれないし」

「そうねぇ、英語も勉強と会話は別物だし。早く英語に慣れないとダメよ〜? 優ちゃん」

「ああ、うん……頑張るよ……」


 ヤバい着々とアメリカ移住の話だけが進んでく!


 ヤバいな……このままじゃ卓球大会どころじゃないな……。


 ただ、覚悟が1%もない今の慌てん坊状態の俺じゃ何もできる気がしない。

 一体どうしたらいいんだ……。


「まあ別に、行く前からプロフェッショナルレベルになる必要はないからね。必要になれば上達していくものだし」

「そうね! 何なら今向こうに連れてった方が上達は早いんじゃないかしら」

「それはそうかもしれないねぇ、さすがに今連れーてったら、わからない単語も多いだろうしつれーかもしれないけど」

「ははははは…………」


 よーし……クソギャグを聞いて落ち着こう……つれーてったらつれー……つれーてったらつれー……つれーてったらつれー……。

 真顔になれる良いクソギャグだ……。


 それで、真面目にどうしようかな。落ち着いたところで話の流れは変わらないんだけど……。

 とりあえずアメリカ移住の話はもう止めたいけど、それは別に目標じゃない。


 言わないといけないことははっきりしてるんだけどな……それが中々言える時が来ない……。


 ……ただ、そもそも、完全に二人の間で話が展開されてて、全く俺の話をできる雰囲気じゃ――


「どうしたんだい? 優太郎」

「んっ?」

「箸が進んでいないけど、具合でも悪いのかい?」

「い、や……全然そんなことはないんだけど……」

「なら良かった。ご飯はちゃんと食べないーと駄目だよ」

「ああ、うん……」


 ……このタイミングで俺を気にかけてくれる辺り、相変わらず、この父親は優しい。


 ここで我慢できずに「eatイートだけにね」と言ってしまうような人間ではあるけれど、この優しさは多分本物だ。


 ただ、その優しさの中に時々厳しさが入るから、その厳しさが飛び抜けて強く見えてしまうんだろう。


 ――父さんは優しい。なら、話すことは簡単なはずだ。


「ああ、それはそうとパパ? 今度あそこに行きたいわ、ほらタピオカの――」

「――父さん」

「ん?」

「……話があるんだけど」

「どうしたの優ちゃん?」

「どうしたんだ優太郎?」


 ――と思ってたんだけど、二人の圧が凄い。

 四天王倒したと思ったらチャンピオンが分身してダブルバトル仕掛けてきてる。


 当たり前だけど、この金持ち二人とこんな距離で向き合わなければいけないのは俺くらいだろう。

 家族なはずなのに俺がいることに場違い感がある。


 でも、ここまで言ったからには引き下がれない。

 というかここで引き下がったらもうチャンスは来ない。


「えっ……と、卓球部でさ、今度、大会に出るみたいな話に、なってるんだけど」

「あら、大会? 大会に出るような部活じゃないって聞いてたけど、そんな話になってるの?」

「うん、まあ……」

「それならちゃんと練習した方がいいんじゃない? 誰か卓球の先生に――」

「いやいやいやいやそういうのじゃなくて!」


 母さんならそうなるだろうなとは思ってたけど!

 でも今回は本当にそういう感じではなくて。言葉では伝えにくいけど。


 ただ、そんなやり取りを落ち着いた様子で見ていた父さんは、


「そうだよママ、部活で練習するからこそ、って場合もあるんだよ」

「え~? そうかしら~」

「うんうん。いいじゃないか。部活の仲間と大会なんて。今しか体験できないよ」


 良かった……父さんはそういうところもわかってくれるらしい。

 言葉にできなかったけど、俺もそういうことを言いたかった。


 ……というか、父さんがこの様子だと、もうこの話は無事終了なんじゃないだろうか。


 父さんは大会に出ていい前提で話してる気がするし。

 むしろそれを貴重な体験だとしてくれているし。


 やったんじゃないか? やったか? やったかこれ?


「ただ」


 ――だけど、そんなことを考えているうちに父さんの顔が変わる。


「大会と言ったら、名前が残ることもあるね」


 ……やはり「オッケー☆」では終わらせてくれないらしい。


 父さんならそこに気づかないはずがないと思っていたけど、いざ指摘されると背筋が凍りつく感覚になる。


「……うん、そこが気になってたんだけど……」

「ああ、ちゃんとわかっているならいいんだ。と言っても、優太郎は今は普通の高校生だ。名前が載るからなんだという話じゃないんだけどね」


 わかっているならいいんだよ、と父さんは優しくお椀を持って優しくそれを口に運ぶ。


 ただ、その雰囲気は完全には優しくないことに俺は気づいていた。


 わかっているなら出場していい、そんな簡単な条件で終わるはずがない。


「ただ、今更言うことではないけれど――」


 まだ、何かあるはずだ。


「将来その大会記録が見つかっても――高校生として、問題のない過ごし方をしなければいけないよ」

「………………はい」


 ――その瞬間父さんと目が合い、俺は理解する。

 今、父さんは高校生の過ごし方なんていうありふれた注意をしたかったのではない。


 『将来その大会記録が見つかっても』――つまり、出場するなら無様な結果は許されない・・・・・・・・・・・・・・・・・、そういうことを言いたかったのだ。


 俺の想像の部分もあるかもしれない。しかし俺は今確かに、父さんからそのメッセージを受け取った。息子にしか通じないアイコンタクトで。


 今父さんから漂っているのは優ではなく厳のオーラ。


 父さんからのアイコンタクトから予想するに、その条件は最低限でも地区予選優勝。


 ……無茶なことを言ってくれる。

 しかし、それが出場の条件だと言うのならば、父さんの意思だと言うのならば、俺はそれを受け入れることしかできない。


「私は目立つから応援には行けないけど、出るなら頑張ってくるんだよ」

「……――頑張るよ」


 言葉通り、俺にできるのは頑張ることだけ。

 ――皆と大会に出た上で、父さんに課せられた条件を破らないため、大会優勝に向けて、俺は心を奮い立たせた。

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