第16話 父親に聞いてみないと

「ふぃ〜」


 まるで平和な学校のように穏やかな教室。


 その教室の端にある俺の席では、いつものように岩須と道下がアニメや漫画、ラノベについて語っていた。

 そこにオタク以外の不純物は少しも混ざっていない。


「どうしたでござるか優太郎殿」

「いや、平和っていいなってさ……」


 マラソン大会から数日が経った今日、神藤さんが保健室に運ばれたなんて出来事も、教室からは徐々に薄まりつつある。


 数日前までは神藤さんに激おこぷんぷん丸だった二人も、ユリマジ最新話ですっかり心を浄化され、今は神藤さんのことなど少しも覚えていない。


 これを俺の望む平和と言わずして何を平和というのか。

 そんな日常が、教室ではようやく取り戻されつつあった。


 神藤さんからのLINE爆撃も何だかんだで止んだし。

 今の日常に不満がなさすぎて怖いくらいだ。

 具体的には、この期間に誰かが何かを企んでいそうで怖い。


 まあ、平和な時に怯えていたらもったいないということで、俺もそんなことを気にするつもりはないんだけど。


 今日は久々の宴だ。俺もユリマジ見てきたんだよね。


「そんなことより昨日のユリマジの話でごわすが」

「おう!!! めちゃくちゃ良かったよな!!!」

「おお! 今日は食いつきがいいでござるな優太郎殿!」

「そらそうよ! 俺もう涙ちょちょぎれちゃってさ!」

「わかるでごわすよ! あれ最終回になったら号泣するやつでごわすな!」

「だろだろ! いやもうあの二人にあんな設定があるなんて――」


 ――と、ユリマジを肴に雑談を楽しみ続けた俺達のその日の学校生活は、いつもの十倍の速度で過ぎていった。



 ◇◆◇◆◇



 そんな感じであっという間にやってきた放課後。


 休み時間はずっと一緒に話し続けていた俺達三人は、その勢いのまま三人で鍵を取りに行き、三人で話しながら部室に向かっていた。


 仲良し過ぎてキモいと言われても今日は甘んじて受け入れようと思ってる。


「いやー、今でも思い出せるでごわすよ? あそこの演技が鳥肌モノで」

「あのシーンはどっちも良かったよなー、声の震わせ方とかさ」

「さすがベテランって感じだったでござるなー」


 さすがにずっと話し続けて朝のテンションは失ってるけど、ここまで話して話題が尽きないユリマジは凄い。無限エネルギー。

 オタクからどうにかして電力を取り出せば世界は救われるんじゃないかと思う。


 ただ、真面目に話題が無限過ぎて、このままじゃ部活中も止まらなさそうなのは困るところだ。

 その場合は部長に二人を預けて俺だけでも練習しに行こう。


「そうそう、ベテランと言えば…………ん」

「どうしたでござるか?」

「いや……なんか皆集まってるから」


 そんな話をしてるうちに俺達は卓球部の見える廊下まで歩いてたんだけど、卓球部の部室の前に、他の卓球部員が皆集まって話してるのが見えた。


 皆、と言っても俺達以外の部員は四人しかいないから、集まってるのが珍しいとしたら部長ぐらいなんだけど。


 そんな四人は、まだ鍵が開いていないからか部室の前で楽しそうにお喋りしてる。


「女子の会合でごわすな」

「行っていいか迷うでござるな」

「いや、別に行っちゃ駄目なことはないだろうけど……」


 鍵持ってるの俺達だし。


 ただ、普通のお喋りを楽しんでるというより、一年生の話に、部長が「おー、いいじゃねぇか!」みたいな反応をしてる感じなのは少し気になった。

 「このえっちな水着が……」「おー、いいじゃねぇか!」みたいな会話だったら気まずいな、みたいな。


 まあ、いくら考えたところで、俺達が行かないことには部活は始まらないから、普通に歩いて近づいていく。


「こんにちはー」

「あっ……こんにちは」

「おー、遅かったじゃねぇか」

「い、今開けるでござる」


 せっせと鍵を持って舎弟の道下が部室を開けにいく。


 その間に、さっきまで話してた部長は、女子の方を見た後、俺の方を見てくる。


「ケケ、光永なら喜ぶんじゃねぇか?」

「? 何がですか?」

「二人が卓球部らしいこと言い始めてよ」


 言いながら女子の方を見る部長。


 二人が、と言われてもどの二人かわからないけど、女子の方を見ると、奈良さんと江道さんが何だかニコニコしてて、安戸さんがその後ろで申し訳無さそうな顔を浮かべていた。

 なるほど、この二人か。


「あー、うんとね、りかっちがね?」

「そうじゃな、凛香がいいことを思いついたんじゃ」


 あれ、この二人じゃないのか。

 ……いや、この二人じゃね?


 ただ、そう言われた安戸さんは乗り気ではなさそうだけど前に出てきて。


「えっと……卓球の、大会に出ようって、話になってて」


 俺の方を見ながら教えてくれた。


 それを聞いて、道下と岩須の二人は「おー」と面白そうに反応する。


「……大会かー」

「優太郎殿はいいとこまで行くんじゃないでござるか?」

「どのくらい通用するかは気になるでごわすな」

「あー……うん」


 反応を見るに、二人を含めて、俺以外の卓球部全員は乗り気っぽい。

 いや、安戸さんはわからないけど。でも、出たくなかったら言わないだろうし、多分出たいんじゃないかと思う。


 そうかー、大会かー……。

 大会、大会……。


「……光永君」

「えっ?」

「どう、かな……? 大会」

「え、あー」


 俺は別に嫌がるような反応をしたつもりはなかったんだけど、どうやら顔に出てしまっていたらしい。

 そして、やはり安戸さんは出たいのか、俺の方を見て心配そうな顔をしている。


 そこまで言われたら、俺も出ないと言うわけにはいかない。


 俺の実力でいいとこまで行けるわけがないとか、通用するとしたら一回戦までだとかツッコみたいところはあるけど、安戸さんの表情を見ても断るほど、俺は大会に出たくないわけじゃない。


 というか、出たいか出たくないかで言えば、もちろん出たい。

 ただ――


「えっと……俺は、父親に、聞いてみないと」

「……あっ、そうだね、私も確認しないと」


 安戸さんの咄嗟のフォローが心に染みる。


 ただ、安戸さん以外の皆はわりと不思議そうな顔で俺の言い訳を聞いてる。


 いや、本当は言い訳じゃないんだけど、皆からは出たくないが故の言い訳に聞こえてるだろう。


 きっと、皆の家の場合、親に「大会に出たい」と言って、反対される可能性なんてほとんどないだろうから。


「優太郎の家、厳しかったんでごわすか?」

「えっ? あ、いや、そうじゃないんだけど……」

「ほら、あれだろ? 親には一応聞くみたいな感じだろ? な、光永」

「あ、そうですそうです一応聞いておかないと……」

「ああ、一応でござるか」

「そうそうそうそう……」


 何だかどんどん「親に駄目って言われた」とは言わせない方向に追い込まれてる気がする。

 まあ、俺もそんな言い訳はしたくないから、別にいいんだけど。


 それにきっと、他の皆は本当に、父親に確認と言ったら、父親に一言程度の相談をするだけだと思っているんだろう。


 「大会出ていいー?」「オッケー☆」みたいな。

 普通の家庭はそんなものだろうし。


「じゃ、光永が家に確認し次第大会に出る準備進めてくってことでいいな?」

「あ……私も、家に聞いてからで」

「ああ、そうだったな。じゃ、二人はさっさと聞いてこいよー」

「はい」

「はーい……」


 実際、部長もそんな家庭をイメージしてるのか、言い方はめちゃくちゃ軽い。

 親に聞いてきたかどうか、明日にでも結果を要求されそうだ。


 でも、残念なことに、きっと部長がイメージしているような親とのやり取りは、俺には当てはまらない。


 というか、俺の家のことを、ヒントもなしにイメージできる人間はこの中にはいないだろう。


 大変なことに、光永家において、息子が父親と話すためには、それ相応の覚悟と、タイミングが必要だ。


「…………頑張りますか」


 ――何故なら。


 俺にとっての「父親に聞いてみる」。


 それは、光永グループ創業者光永一郎との対話――つまり、ラスボス戦の開始を意味するのだから。

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