第二章

第8話 神籐恋美の朝は遅い

 私、神籐かみとう恋美れみの朝は遅い。

 目覚ましをギリギリで止めて、全ての準備を慌ただしく短時間で済ませて、何とか平均的な登校時間に合わせて登校する。

 この準備中の姿が他人に見せられない汚さなのは言うまでもない。


 高校から帰ってきてからも概ね同じ汚さだ。

 寝る時間になるまで今思いつくやりたいことをやりたいだけやって、寝る時間になったら眠くなるまでベッドの上でゴロゴロしながらスマホ。

 明日の登校の準備は前日のうちに済ませてあったりなかったり、何にしろ余裕を持った生活はしてない。


 そんな生活が今の私の毎日。


 ちなみに、飛ばスキップした高校生活には特に何もない。

 普通に高校に行って授業を受けて午後には帰宅してる。

 特に楽しいことがあるわけでもないし、悲しいことがあるわけでもない。

 多分平均的な、平凡な高校生活だと思う。


 ……――ああ、でも、最近は違うかもしれない。


 最近はある理由で、高校生活にも結構変化がある。

 そのおかげで、楽しいことも悲しいことも、最近は経験してる。


 特に、ごく最近のことで言うと。

 私には、とても悲しいことが起こった。



 ◇◆◇◆◇



「ああああああああああぁぁぁあ~~~」


 席についたところで、机に吸い寄せられるみたいに体の力が抜けて前に倒れてく。


 月曜日。

 私が久しぶりに誰かとカラオケに行った休日から一夜明けた朝のこと。


 私の体はいつの間にか負のオーラで満たされてた。


「あれ、大丈夫~ミトちゃん?」

「大丈夫」

「何かあったのか? れみっちも落ち込むことあるんだなー」

「大丈夫」


 自分の机に座ってると、呼んだわけでもないのに二人が私の隣に立ってる。


 喜多川きたがわ姫夏ひな城市しろいち里乃りのは、特に理由はないけど最近よく一緒にいる二人。

 大丈夫か聞いてるけど興味津々そうな方が姫夏で、私を落ち込まない生き物だと思ってた方が里乃。


 入学したての頃は特に理由もなくいろんな女子と過ごしてたけど、最近は登下校もこの二人と一緒で、他の生徒とはあまり話もしてない。

 別に私は一人でもいいんだけど。


「また悩んでるんだ~最近ずっとそんな顔だもんミトちゃん」

「別に。考え事してただけ」

「考え事かー、このままじゃ成績ヤバそうとか、さすがに考えるよなー」


 わかるわかる頷いてる里乃には悪いけどそんなことには悩んでない。

 別に勉強に自信があるわけじゃないけど、悩むほどじゃない。


 私が悩んでるとしたら、もっと別の、誰にも言えないことで。


「またあの男子?」

「……さあ」

「でもずっと見てるよね~」


 ……見てたっけ。言われてちょっと目を逸らす。あ、見てたか。

 ただ、目を逸らした先にはやたらニッコリした姫夏がいた。なんだこいつ。


 ――まあ、こんな感じで、誰にも言っていないはずなのに、知っている人もいるんだけど。

 理由はわからない。少し派手に動きすぎたのかもしれない。


「隠すことないのに~。ね? シロちゃんも応援してくれるよ?」

「ん? ああ、うん。あたしも応援してる」

「だから違うから」


 そもそも里乃が何も理解してないことはさておき。

 女子は本当に恋バナが大好きで困る。隙を見せたらすぐニヤニヤし始める。


 だけど、残念ながら私のこれはそういうのじゃない。

 二人に話したって勘違いされるだけだ。


 どんなに詳細に話したって、二人は誤解する。


 面と向かって「近づかれたくない」と言われる恋バナもどきなんて二人には理解できっこない。


 それがわかってるから、私は昨日から一人で考えてる。

 昨日『近づかれたくない理由がある』と言われたことに今更傷つきながら。


 ちなみに最近起こった悲しいことというのはこれで、席に座った直後に体の力が抜けてしまったのもその映像が頭の中で再生されたせい。


 昨日、その台詞を言われた直後の私はもっと頼もしい感じだったはずなんだけど。「――悪いけど私は気にしないから」とかなんとか言って。

 でも家に帰ったら「あれ、私近づかれたくないって言われた……?」って感じになってた。

 私のメンタルは案外モロかったらしい。


 ――それでまあ、私が昨日から考えてることは、どうやってそのクラスメートに……まあ、優太郎に近づくか。

 別に何の策もなく今ここで近づいたって、犯罪でもないし問題はないんだけど。

 というか多分、二人に話したらそうするように言われると思うんだけど。


 ただ、嫌な顔をされることがわかってるからそれはやりたくない。

 あそこまで断られながら突撃してたら何か勘違いされてそうだけど、私は別に嫌がられながら話したいわけじゃない。


「ひなっち、あたし正直よくわかってないんだけど……?」

「え~? だから~……ミトちゃんがかくかくしかじかで~……」

「…………」


 ……そんなことを一人で考え始めたせいで二人は後ろで何か無駄なことを話してるけど、どうせ、二人はいくら考えたところでわからない。

 もし、私が誰に話しかけたがっていることにわかっても、その相手にはそれを拒否する理由があることまではわからないだろうから。


「『近づかれたくない』……」


 ……冷静に考えたら、ただ嫌われてるだけじゃ?

 嫌われるとしたら、電話番号を手に入れた時、やたら粘る優太郎の友達に少し冷たい声で交渉したくらい。だけどその前から優太郎は私を避けようとしてたし、多分違う。違う違う。


 まあ、嫌われてるとは思いたくないっていうのもあるけど。

 ただ、近づかれたくないのには絶対にちゃんとした理由があって、それを掻い潜る方法もある。そう思った方が面白いから、私は頭を使ってそれを探してる。


 ヒントは学校。実際、学校の外で話すのは成功だった。

 そこにきっと何か理由があって……


「考えすぎだって~ミトちゃん。ミトちゃんに近づかれたくない男子なんているわけないでしょ?」

「いやでも実際に――……なに。盗み聞き?」

「? 言ったのはミトちゃんでしょ~」

「あ、そう……」


 全然覚えてない。


 というか、なんか最近独り言が多い気がする。

 人間関係で働かせることなんてなかった頭を働かせてるせいかもしれない。


「れみっちに近づかれたくないなんてなー。あるとしたら恥ずかしがり屋じゃんね?」

「ん~、それならまだわかるけどね~」

「まあ……」


 それなら私も考えたけど。

 優太郎は堂々としてるように見えるけど、可能性としてはあるかと思った。

 二人でいる時はいいけど、人がいる前では恥ずかしい、みたいな。


「――って。……別に考えなくていいから。二人はそんなこと」

「え~でも他の話ししても聞いてくれないでしょ?」

「いや……聞くけど」

「それは嘘だよ~。さっき聞いてなかったもん」

「…………」


 私が黙ったところで、二人は優太郎の方を見ながらワイワイガヤガヤ話し始める。完全に新しく与えられたおもちゃだ。

 周りに変な噂を流すような二人じゃないから、そこはまだ信用してるけど。


「どこがいいんだろ~メガネ外したらイケメンだったりするのかな~」

「あ、それマンガでたまに見るなー」

「そんなの、現実であるわけないでしょ」

「あ~見たことあるの~?」

「……別に」


 あるけど、言うほどのことじゃない。

 いや、言うほどのことではあるかもしれないけど、言う必要はない。二人には。


 ――ただ、私が思うに、多分あのメガネは伊達で、優太郎はわざと変なメガネを着けてるんじゃないかと思う。


 何の目的でそうしてるのかはわからないけど、あのメガネがなかったら、クラスでももっと目立ってるだろうし。

 別に、私にとっては容姿は関係ないけど。


「言っとくけど、本当にそういうのじゃないから。ただ、話したい理由があるだけ」

「ふ~ん、話したい相手ではあるんだ?」

「まあね」


 ニヤニヤニヤニヤ。

 ほら、言っても誤解される。


 ただ、堂々と言ってしまえば別に恥ずかしさはなかった。

 話したい相手がいる。別に変なことじゃないし。言葉通りだし。


「羨ましいな~ミトちゃんから話したいと思われるなんて」

「だなーあんなオタ……地味な男子なのに」

「里乃、言い換えても意味ないから」

「いや悪気はないんだけどさ!?」

「わかってる」


 里乃の口がそういう方面で軽いのは今更だし。

 それに『オタク』も『地味な男子』も、優太郎にとっても間違いじゃないだろうし。


「まあ、ミトちゃんなら選ぼうと思えば選び放題だしね~」

「そんなんじゃないけど」

「え~? でも、選ぶ理由はあったんでしょ?」

「それ気になるなー!」

「…………」


 ……ニヤニヤニヤニヤ。

 小学生か、この二人は。


「……――はぁ」


 わかっていたことだけど、言ったが最後、誤解は解けないっぽい。

 これから毎日こういう会話が続くのかと思うと今からげんなりする。


 きっと優太郎を見る度に変な指摘が入る。話を聞いてなかった時も同じようになんか言われるに決まってる。

 もう本当に嫌だ。面倒くさい。これだから小学生は。


「まあ――」


 ――けど、二人の存在は考えようによってはプラスにもなる。

 元々、一人じゃやれることにも制限があるな、とも思ってた。


 どうせ二人の誤解が解けないなら、そのまま誤解してもらっておけばいい。

 誤解したまま勝手にニヤニヤしておいてもらえばいい。

 隣で小学生みたいにぴーぴーはしゃぐのも自由だ。


 ――その代わり、私の目的のために、二人には誤解したまま私に協力してもらう。


「……別に、理由はあるけどね」

「えっ、へ~、どういうところ~?」

「顔? 性格? 筋肉?」


 二人はきっと『恋のキューピッド』になりたいだろうから。


「簡単に言うと――私のことが好きじゃないところ、かな」

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