第6話 おいどんは裏切り者でごわす

「――なんでよ!?」


 朝の教室に珍しい叫び声が響いた。

 理由は、教室に入ってきたクラスのマドンナ、神籐さんの目が教室の中にいる俺を捉えてしまったから。


 何に対して叫んだのかわからない神籐さんに、クラスメートは誰もが頭にはてなを浮かべている。


 ただ、この教室で俺だけは、神籐さんが叫んだ理由をわかっていた。

 ほんの十数分前にしてしまったことは、まだ俺の頭に強く残っている。


 きっと、神籐さんはあれで俺のことを嫌いになっただろう。

 どんな理由があれ誰かに嫌われることは辛い。それを改めて知った。


 俺は、神籐さんの手を握ることはできなかった。



 ◇◆◇◆◇



「どうしよぉ~……」

「どうするもこうするも、やってしまったことはどうにもできないんじゃないですか」


 最近の中では日差しの強く感じる昼休み。

 俺は校庭の隅で栖原と集まっていた。


 別に監視役とはいえ話しかけてはいけないわけじゃない栖原は、学校でも話せば普通に、そこまで接点のないクラスメートのような設定で話をしてくれる。

 ただ、今は完全に家と同じような話し方で俺が話してしまっているけど。


「いや咄嗟の判断でさ……納得して行動したわけじゃないっていうか」

「だからそれがもうどうにもできないって言ってるんですよ」

「あの時考える時間があればもうちょっといろいろできたんじゃないかと思うんだけどさー……」

「だからそんなこと考えてもどうにも…………珍しいくらいに落ち込んでますね」


 栖原は言葉通り珍しいものを見るような目で俺を見てくる。

 そう言われたって、俺の理想の高校生活を破壊してしまうような判断を一瞬で下してしまったのだから、簡単に気分は変えられない。

 意味がないと言われたって後悔はする。


 ――俺は今朝、「友達になってください」と言ってきた神籐さんに迷わず「ごめんなさい」と言ってしまった。

 まるで、告白でも受けたかのように。


 少しでも迷えば印象は違ったかもしれない。

 だけど、高校生活を守るために、神籐さんとは積極的には関われないという考えが根本にあった俺は、咄嗟にそう返してしまった。


 ただ、その時の俺は忘れていたのだ。

 神籐さんに好かれても高校生活は壊れるが、神籐さんに嫌われても高校生活は壊れるということに。


「どうせ今頃俺の悪い噂が教室で流れまくってるんだ……」

「たとえばどんな?」

「……俺が実はオタクだとか」

「事実じゃないですか」


 栖原はすっかり呆れた目で俺を見てる。

 相手が栖原とは言え同じ学校の制服姿の女子にそんな目で見られると不思議な気分になってくる。目覚めたらどうしよう。


「でも、実際そのぐらいの影響力はあるだろ、神籐さんに」

「あるかもしれませんね」

「だろ……」

「ただ、神籐恋美自身の性格は、そんなことをするような性格には思えませんが」

「……ああ、まあ」


 それは確かに、と納得させられた。

 神籐さんが他の人に愚痴ったり、文句を言うようなところは見たことがない。

 それは多分、数時間前の神籐さんの言葉を借りれば「興味がない」からなんだろうけど。


「だから、いいんじゃないですか? 別に。嫌われたところで元々関わることも少なかったでしょうし。嫌われて関わりもなくなるならある意味望み通りじゃないですか」

「……まあ、そうか」


 それで望み通りと言われると少しモヤモヤするけど、ポジティブに考えるなら、その通りかもしれない。


 実際のところ、神籐さんが悪い噂を流すようなことをするかはわからないけど、クラスの頂点に位置する神籐さんからそうされてしまったら俺はどうすることもできないだろう。だから、されてしまった時のことを考えても無駄だ。

 考えても無駄なら、そうされなかった時のことを考えた方がいい。


 ……と、そこまで考えたところで、随分冷静に思考できている自分に気づいた。


「……時々、栖原が歳上に思える」

「殴ってもいいですか」

「違う見た目的な意味じゃなくて! いや、話してたら冷静になれたから、ありがとうって話で」


 足りなかった説明を付け加えると、珍しくムスッとした気がした栖原の顔が元に戻った。


「誰が相手でも、話せば冷静にはなれるものだと思いますけどね」

「そういうもんかな」

「そういうもんですよ」


 そんなことを言える時点で俺よりも精神年齢が高い気がしたけど、これ以上言ってもまた墓穴を掘る気がしたから心に留めておくことにした。


 とにかく、もう嫌われてしまったものは仕方がない。

 これからは、神籐さんには嫌われてしまった前提で、クラスで上手く過ごせるよう考えていくことにしよう。


 あと、もし、俺に悪い噂が流れてなかったら、神籐さんにごめんなさいとありがとうを言おう。いつか。卒業までに。



 ◇◆◇◆◇



「あ、光永君こんにちは」

「こんにちは」


 放課後。

 道下は鍵を取りに行き、岩須は遅れるということで一人で部室に向かっていると、途中で安戸さんと合流した。


「鍵は道下が取りに行ってる」

「そっか」


 ちなみに、部室の鍵は何となく一年生の男子と女子で分担していて、その場の雰囲気で誰が取りに行ったかを感じ取る仕組みになってる。

 それと同じように、部長が鍵を開けないことも部員は全員雰囲気で感じ取っている。


「岩須君は?」

「岩須は……なんだろうな。何の用事かはわからないけど、遅れるって」

「へー。女子の方もちょっと遅れるって」

「ああ。多分道下も遅いだろうから、じゃあ、二人で台出そうか」

「そだね」


 本当は準備室にしまってあるはずの卓球台は、面倒くさいからという理由で土日以外は多目的スペースにそのまま畳んで置いてある。

 それをせっせと運んで、台を挟んで向かい合って二人で準備していると、安戸さんが少しにこっとして、ポニーテールが揺れた。恋が始まりそうな演出だ。


「……何か変?」

「あっ、ううん。えっと……昼は元気ないように見えたから」

「あー……」


 確か今日は教室では安戸さんと話していなかった気がするけど、遠くから見てもそんなふうに思われてたのか。

 まあ昼休みに栖原と話すまで絶望的な顔をしてただろうから、言われても仕方ないか。


「今は元気みたいだから……良かったなって」

「ああ、うん……ありがとう」


 ただ、そう言われると何となく恥ずかしい。

 栖原といい、今日はなんか女子に励まされてばっかりだな。


「えっと……何かあったら、私にも言ってね。な、何もできないだろうけど、できることがあればするから……」

「ありがとう。今日はちょっと……心配事があって。心配しなくていいってわかって、安心したみたいな、そんな感じで」


 嘘はバレるからどこまで言っていいか迷ったけど、ふわっとした説明でも安戸さんは納得してくれたみたいだった。

 にこっと笑われると相変わらず癒やしを感じる。


 一緒に準備してるだけで、今日の朝に半分くらい削れたHPがみるみる回復していく音がする。


「ケケ、ラブコメしてんなぁ」

「っ……部長っ?」

「準備してるだけですよっ!」

「わかってるよそんぐらい」


 確実にからかいに来た顔をしていたけど、俺はHP回復をしていただけでやましいことをしていたわけじゃないから堂々としておこう。

 というか、こんな早くに部長が部室に来るなんて珍しい。

 いつもは確実に部室の鍵が開いた頃にのそのそ入ってくるのに。


「それはそうと、いいのか? 光永」

「何がですか」

「岩須がめっちゃ綺麗な女子と密会してたぞ」

「マジですか!?」


 部活に遅れるってそういう理由で!?

 それは二次元仲間として許せない部分もあるけど……。


「いやしかし岩須の幸せを考えると……」

「ケケ、友達思いな奴だな」

「部長は祝福派ですか? フルボッコ派ですか?」

「その二択ならフルボッコ派だな。……まあ、その前に、別に祝福するような雰囲気でもなかったけどな」

「?」


 言いながら、笑っていた部長の顔が落ち着いていく。

 雰囲気というと、岩須が一方的に睨まれてるとかそういうことだろうか。


「一年生のくせに二年生の教室前の廊下にいたんだけどな。なんか取引でもしてるような雰囲気だったから、付き合ってるわけじゃないだろうな、あれは」

「はあ、取引」


 雰囲気だけで、本当に取引をしてるわけじゃないならいいけど。

 ただ、相手がめっちゃ綺麗な女子となると、怪しい気配しかしない。


「ケケケ、光永も気をつけろよ。オタク狙って何かしてるのかもしれねぇから」

「俺はそこら辺は気をつけてますけどね」


 理由は言えないけど。

 栖原もいるし、多分心配はいらない。


「綺麗な女子といえば……光永君、今日は神籐さんとは話してなかったね」

「え? ああ、うん」

「あー、光永が絡まれてたっていう女子だっけか?」

「はい。その子も凄い綺麗ですよ」


 急に神籐さんの名前が出てきて一瞬思考がフリーズしたけど、俺の方には特に何も聞かれなかった。

 ただ、神籐さんの言ったことで、少しだけおかしな可能性が思い浮かんだ。


「案外その子だったりするかもな」

「うーん、クラスだとあんまり話すところは見たことないですけどね」

「だからこその密会かもしれないぞ。な、光永。綺麗な子取られるかもな」

「……俺は別に神籐さんが好きなわけではないですけど」

「じゃあ岩須の方が心配か?」

「まあ、ちょっとは」


 学校内に綺麗な女子なんていくらでもいるだろうし、相手が神籐さんの可能性はそんなに高くないとは思うけど。

 だけど、もし神籐さんだとしたら、俺への復讐で岩須を、という理由が真っ先に思いつく。


 まあ、俺達が勝手に考えすぎてるだけだと思いたいけど――


「……ん、来たか」


 と、そんなタイミングで、廊下の方から鍵を持った道下がやってきた。

 一瞬一人かと思ったけどよく見ると後ろには、今丁度話してた岩須がついてきていた。


 勝手に心配してたけど、こんなに早く来るなら普通に部長の見間違いだったのかもしれない。


「おいおい部長を待たせるとはいい度胸だなぁ鍵係の道下」

「ち、違うでござるよ……途中でなんか岩須がひっついてきたでござる」

「なんだそれ。お前らのBLは需要ないだろ」

「それは拙者もわかるでござるけど……とりあえず、鍵は開けるでござるよ」


 道下が部室の扉の方に行くと、何だかブルブル震えてるように見える岩須だけがその場に取り残される。

 誰を見ているわけでもないけど、体の方向は、俺の方を向いてるように見える。


「岩須、大丈夫か?」

「ごめんでごわす……」

「えぇ?」

「おいどんは裏切り者でごわす……」

「えぇ……?」


 俺にだけ聞こえるくらいの声でそう呟くと、岩須はとぼとぼと開いた部室に入っていってしまった。


 それからも、部活中岩須はずっとそんな感じで、心が壊れたように「ごめんでごわす」「おいどんは裏切り者でごわす」「百合は素晴らしいでごわす」と繰り返すだけになってしまった。

 その理由は聞いても教えてはくれないため、渋々俺達は普通に部活をするしかなかった。


 ただ、そんな時間が過ぎ去った部活終わりのこと。


 俺達が片付けを済ませて部室に戻ると、丁度その時、鞄に入れてた俺のスマホがブブッと震えだし、バイブで何かを通知してくれた。


「ん……」


 道下と岩須は隣にいるし栖原辺りか、と思ってスマホを開こうとすると、その手を岩須に止められる。

 何故か岩須の手はバイブレーション機能付きかと思うくらいにに震えている。

 スマホの揺れが震度1だとすると、岩須の震度は確実に7以上はある。


「……ん?」

「ごめんでごわす!」

「何が……?」

「許してほしいでごわす!」

「えぇ……?」


 部活中、百合の話を部長から聞いてる時は菩薩のような顔で「百合は素晴らしいでごわす」を繰り返してたから、ちょっとは落ち着いたかと思ってたんだけどな……。

 何がそこまで岩須の心を壊してしまったんだろうか。


「岩須、俺のスマホに何かあるのか……?」

「ごめんでごわす!」

「いや、もう謝らなくていいから……」

「何回謝っても足りないでごわす!」


 そうは言われても、何に対して謝られているのかわからないんじゃ仕方がない。

 今の壊れてしまった岩須には優しくしたいけど、このまま部室で組み合っていても仕方ないから、俺は岩須の後ろにいる道下を見て頷いた。


「っ!? ごめんでごわす! 許してほしいでごわす!」

「今のうちに見るでござる光永殿!」

「お、おう」


 道下は頼もしいことを言いながら、俺と岩須の間に入って岩須に正面から抱きついた。

 女子もいる前でそこまでやれる道下にはちょっとだけ引きながら、俺は自分のスマホを操作し始める。



 ――と言っても、この時点で俺はある程度起こったことは予想できていた。


 俺にここまで謝る時点で、岩須が会っていたという女子は神籐さん以外にない。

 きっと岩須は、神籐さんに俺の電話番号でも渡すように詰め寄られたんだろう。

 そして神籐さんはその場で、俺に嫌がらせのメッセージを送るとでも宣言した。岩須はそれに罪悪感を憶えて心を壊し、百合だけに心を許すようになった。

 きっとそんなところだと、俺には予想がついていた。


 だから、開いたLINEの画面に『恋美』と表示された時にも驚きはなかったし、それを見て、むしろ謝るべきは俺の方だとも思った――けど。


『神籐恋美です

 口で言うのは恥ずかしいのでここで言います』


『私とデートしてください』


 ――送られたメッセージを見て、ここに謝るべき人間など誰もいないのだと、俺は悟った。

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