第5話 優太郎かもね
「……来たか」
「なに? 優太郎」
朝の学校の廊下。
グラウンドの方からは朝練中のどこかの部活の掛け声が微かに聞こえてくるが、この辺りは至って静かなもので、教師は疎か生徒すらほとんど通ることはなかった。
そんな中、俺の目の前に現れた相手は、当然不満な顔をしている――かと思いきや、単純に何の用なのか気になっているような、友人にでも呼び出されたような顔をしていた。
「これ、優太郎のでしょ?」
「……まあ、はい」
言いながら、俺の前に立つ神籐さんは『準備室前にて待つ 光永』という紙切れを見せてくる。
俺が早朝に来て靴箱に入れたものだ。
その時はバチバチに言い争うつもりだったからその紙切れの内容にも違和感は憶えなかったけど、全然怒ってない神籐さんが来てしまった今見ると、三年前くらいの自分の日記でも見てしまった気分になる。大体「〜のだ」と「〜である」で終わるやつ。
ちなみに、「来たか」と自信満々に言った後に「まあ、はい」と言ってしまったのも神籐さんが怒っていなかったせい。
あ、あれ……? おかしいなー……こんな呼び出し方したら絶対激昂状態の神籐さんが来ると思ってたんだけどなー……?
「そっか。ちょっとびっくりした」
「……ちなみに、神籐さん、怒ってない?」
「怒る? なんで?」
「いや、朝から呼び出して」
「まあ、口で言ってくれればいいのにとは思ったけど、別に怒りはしないでしょ」
「ああ、そう、ナンダー……」
――この辺りで、さすがに俺も戦闘状態を解いて違和感と向き合う。
うん。なんで神籐さんとこんなに親しげに話せてるんだろ。俺。
あれ……? なんか違くないか……? この人神籐さんじゃなくないか……?
俺の知ってる神籐さんはもっとオタクには興味なさげに話す、いや用がなければ話しすらしない、漫画で言う庶民を見下すお嬢様みたいな生徒だった。
当然一昨日まで俺には話しかけてきたことすらなかったし、そもそもいつも女子を周りに置いているから、カースト下位とかオタクとか関係なく男子と話すこと自体珍しいという話も聞く。
なのに、何故今俺は普通に神籐さんと話しているのか。
……考えれば考えるほど、ネガティブな方向にしかいかない。
とりあえず何かの詐欺という思考からは離れようか。
「それで、何の用? なんかの話?」
「まあ、ちょっと、聞きたいことがあって」
ただ、いくら相手の様子がおかしくても、この場で俺がすることは同じ。
話を聞く機会は滅多にやってこない以上、一旦謎解きはやめてちゃんと話に集中しなければいけないだろう。
俺が聞きたいことはもちろん一つ。
昨日の怪奇現象のような神籐さんの行動。
もはや神籐さん自体が怪奇現象のようになってしまったけど、この件については昨日から考えて、いくつか理由の予想がついている。
まず一つは、嫌がらせ説。
これは一昨日俺が初めて神籐さんに接した時に何か神籐さんの気に障るようなことがあって、嫌がらせとして俺に挨拶だけをしていた説。
一昨日には俺が話をしようとせず逃げたという心当たりもあって、これが一番有力な説となっている。
嫌がらせに挨拶というとピンとこないところもあるけど、自分の影響力をわかっているなら、そういうやり方もあるんだろう。実際に俺は周りからの目を気にすることになった。
これを狙ってやっているなら、神籐さんはかなりの策士だ。
そしてもう一つは、気まぐれ説。
神籐さんは二人の仲の良い女子と一緒にいることが多いけど、それ以外の女子とは、あまり長くは一緒にはいない印象がある。
それこそ安戸さんと話していた時もあった気がするけど、ずっと話しているかというとそうでもない。
だからこれは、神籐さんがその日の気分によって話しかける相手を決めているという説だ。
今まではその候補にすら入らなかったけど、一昨日話したことによって俺もその候補に入ってしまった、みたいな。
俺みたいな交友関係の狭い人間には考えられないけど、誰とも話せるからこその日々の過ごし方が神籐さんにはある可能性もある。
最後の一つは、本当は道下と話したい説。
話したいというか、謝ってほしいという可能性もあるけど、とにかく本当の狙いは道下という説。
一緒に荷物を運んでいる時、迷惑だから道下に謝られる必要はないとは言っていたけど、素直な言葉が出なかっただけで、本当は謝ってほしかった可能性もある。
俺の近くに行くということは道下の近くに行くということだから、充分に考えられる説だと思う。
いくつか道下が近くにいない時に挨拶があった時もあったが、あれは俺が察して道下に謝りに行くように言えと、何度も俺に近づくことで伝えようとしていたんだろう。
クラスメートの前で「謝ってほしいんだけど」とは言えないだろうから、この説だとしたら気持ちはわからなくもない。
と、以上の三本立てで俺の予想はお送りしている。
俺としては、嫌がらせ説が60%、気まぐれ説が20%、道下説が20%くらいに考えていたから最初の態度で臨んだわけだけど、ここまでの話の展開を鑑みると違う気がしなくもない。
まあ、神籐さんに悪意があるかに関わらず、安戸さんに誤解されたことに昨日は一人で激昂していたんだけど、それを今目の前の大人しい神籐さんにぶつけたらただの八つ当たりだから、ここはあくまで穏やかに探っていこうと思う。
俺の目的は憂さ晴らしをすることじゃない。あの挨拶を解決できればそれでいいのだ。
「昨日の挨拶って……結局、なんだったの?」
「挨拶?」
「うん、挨拶」
「話しかけただけでしょ?」
神籐さんはけろっとした顔で言う。
おっとそういうパターンか。そうかそうか。そうきたか。
とぼけるつもりなら、俺ももうちょっと踏み込まなきゃいけないな。
「いや、でも挨拶だけだったよね」
「だって話してくれなかったし」
「話すつもりなら普通そう言わないかな?」
「そんなこと言う? 普通挨拶したら話さない?」
「……そうかな?」
果たしてそうかな? そうなのかな? 言われてみればそうかな?
確かに、いちいち「道下、岩須、話そうぜ!」とは言わない。確かにそうだ。
友達同士なら、挨拶をしたら自然に話すものかもしれない。
昨日の挨拶祭りが全部話しかけるためだったなんて戯言は信じられないけど、まあこれに関しては神籐さんの意見を認めなければいけない。
……中々やるじゃないか、神籐さん。
「いや、まあそうかもしれないね」
「でしょ。で、その喋り方なに?」
「ごめんそれは何でもない。……でも、昨日のが全部話しかけるための挨拶っていうのは、おかしいと思うんだけど」
「なんで?」
「ほら……結果的に、話さなかったしさ」
「それは優太郎が他の友達と話してたりして話してくれなかったからでしょ?」
「…………まあ、そっかぁ」
神籐さんと話すこと避けてたもんね。俺。
俺の方の行動を考えれば、挨拶をしても話す流れにならなかったというのは、あり得る話かもしれない。
――ただしそれは、神籐さんが俺と話したいという前提があれば、だけど。
その前提があり得るのは、俺の予想の中では『気まぐれ説』以外ない。
気まぐれ説を立証しても、これからも少なからず神籐さんと話す機会はやってくるということになるけど……相手の思考がわかれば対策も立てられる。無駄にはならないだろう。
とりあえず、ここの会話で気まぐれ説だということは確定させておこう。
「ちなみに……神籐さんの話す相手ってあんまり決まってないよね」
「んーまあ、そんなに決まってないかもね」
「毎日気分で話しかけてる感じ?」
「そんなことないけど。話したい人はそんなに変わらないし」
「はあ」
「今話したいのは、優太郎かもね」
あれー? 全然気まぐれ説じゃないよー? これー?
結構なキメ顔で「今話したいのは、優太郎かもね☆」って言われたんだけどー?
真面目に、これはなんなんだろう。嫌がらせ説?
でも嫌がらせ説にしては嫌味じゃなく本心から言ってるように聞こえてしまう。
そこに演技っぽさが少しでもあれば、俺は迷わず嫌がらせ説を推せたのに。
「優太郎?」
というか優太郎ってなんだ?
俺はいつから優太郎と呼ばれているんだ?
なんでこんな当たり前のように俺を名前で呼べるんだ?
実は俺に記憶がないだけで俺は神籐さんと凄く仲が良かったりするのか。そうなのか。
「ふー……っ」
頭を落ち着かせる。
落ち着かせると否が応でも浮かんでくるのは、俺がずっと否定していた可能性。
たった一回話した程度じゃ確実に仲良くなることはない、高嶺の花を気取っていると思っていた神籐さんが、案外
「……今更だけどさ」
「なに?」
「神籐さんが俺に話しかける理由って、なに?」
当たり前だけど、こんなことを聞かれたことはないんだろう。
神籐さんは若干驚いたような顔をするけど、答えに詰まることはなかった。
「私、興味あることとないことが極端に別れてるの」
「それは、何となくわかる気がする」
「でしょ。だからって変えられる気はしないんだけど」
興味のない生徒には興味はないし、話しかける気力も湧かない。
俺も数日前まで、その対象だったはずだ。
だから、高嶺の花。
――だけど、一度関われば印象が変わることは誰だってある。
「自分でも変な性格だと思ってるんだけど。でも、この性格でも、たまにはいいこともあってね。なんだと思う?」
「……興味のあることには、夢中になれる、とか?」
「そうそう。――そこまでわかってるなら、あとはわかるでしょ?」
――嫌がらせでも何でもなく、今興味のあるものに夢中になっていただけ。
それは遠回しなプロポーズのようで。彼女の端正な顔も相まって、俺の胸はかつてないほど高鳴っていた。
「なんか二人だし、この際だから言っておこうかな」
今になって、彼女がクラスでアイドルのように扱われていた理由がわかる。
正面から見る彼女の顔は、確かにテレビ越しに見るアイドルのそれと同じくらい、いやそれ以上に、綺麗だった。
そんな彼女が、俺に向かってゆっくりと手を差し伸べてくる。
それはまるで、映画のワンシーンに自分が入り込んでしまったかのようで――
「――光永優太郎君、私と友達になってください」
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