第4話 奴は俺の高校生活を狂わせた
「優太郎、また明日」
「……また、明日」
俺が二十年前のネット回線のようなレスポンスで挨拶を返すと、今日一日俺に
何を考えているのかはわからない。
しかし、今日の俺は確実に神籐さんの手のひらの上で踊らされていた。
それだけは確かだった。
「――って感じで、優太郎がいきなり目をつけられたんでごわすよ!」
「そうなんでござる! 授業中も優太郎のことを睨んでるのが見えたでござる!」
「ケケケ、まるでラブコメだなぁそりゃ」
放課後の卓球部部室。
当然のことながら、同じクラスの神籐さんの奇行は道下と岩須にも目撃され、学年の違う卓球部も巻き込んで俺と神籐さんは話のネタになっていた。
「良かったじゃねぇか光永、可愛い子なんだろ?」
「可愛いとしても、三次元ですからね」
「ケケ、それもそうだなぁ」
「マリには敵わねぇか」と部長が呟くと、「それはそうと今週のマリ回は良かったよなぁ?」「わかるでごわす!」「そうでござるな!」とあっという間に話は二次元に流れていく。
このやり取りには安心感すら憶える。
相手が相手なだけに嫉妬されてもおかしくなかったが、卓球部の面々がオタクで本当に良かったと思う。
たった今岩須と道下が話した通り、今日あった神籐さんとのやり取りも、二人の間では神籐恋美に理不尽に絡まれている光永優太郎、という図になっている。
実際にその通りではあるものの、俺じゃなく神籐さんを悪者扱いできるクラスメートは多分二人以外にはいないだろう。
「そういや、光永は今期の『ユリマジック』は見てるか?」
「いや、まだ見てないですね」
「んだよー面白ぇのに。百合いけるなら見とけ?」
「へー、部長百合もいけたんですか」
「ああ? 舐めてんのか? 本物のオタクはBLも百合も好き嫌いせず見るんだよ」
部長が格好いい台詞をキメると「格好いいでごわす部長!」「さすがでござるな部長!」と道下と岩須がまるでモブキャラの如く囃し立てる。
これが俺が入部してからの卓球部の日常だったりする。
ちなみに、今部長部長と呼ばれているのは卓球部の本物の部長で、二年生の
腰辺りまで伸ばした派手な色の長髪から、後ろ姿だけを見ると女の子らしいという錯覚を憶えるけど、中身はゴリゴリに男らしい人で、部活ではよくどのヒロインと付き合いたいだとか今期の嫁はあのキャラだとかキモオタみたいなことを言っている。
まあ部長と言っても、見ての通り卓球部の部長というよりはオタク部の部長という感じなんだけど。
二人はそんな部長とまだオタクトークを続けるらしいが、俺はもうそろそろ体を動かそうかと、ラケットを持って部室を出た。
オタク仲間を作りたいという入部の理由を考えれば、あの場にいるだけで目的は達成できるんだけど、入ったからには高校の部活もエンジョイしたい。
そういう欲が芽生えた入部してからの俺は、自分でも意外なことに道下よりも岩須よりも真面目に部活をしていた。
そうして準備を済ませて俺が部室を出た頃には、一階の廊下の端にある多目的スペースに既に卓球台が二台準備されていた。
うちの高校では、体育館じゃなくこの少し手狭にも感じるスペースで卓球部が活動している。
「俺も、入っていい?」
「あっちょっと待ってねっ……」
オタク話に花を咲かせる男子達(と部長)よりも先に部活を始めていたのは、一年生の女子三人。
皆同じクラスで、教室でもよく顔を合わせる。
今は他の二人が打ち合っていて、安戸さんだけが球を拾ってくれるネットを使ってサーブ練習をしていたから、俺も入れてくれないか声を掛けた。
急いでネットをコートの向こうから退かした安戸さんは「どうぞっ」と俺に向けて言ってくれる。
「ありがとう。まだ男子が話しててさ」
「あっ、こっちこそ。私も、相手いなかったから」
短めのポニーテールを揺らしながら台の向こうまで移動した安戸さんは、屈託のない笑みでそう言ってくれる。
三次元だけど、こういう顔の安戸さんを見てると、かわいいなーと自然と思う。
今日やたらと挨拶だけしてきたクラスメートを思い出すと余計にそう思う。
皆見る目がないな。見た目だけでマドンナだとかアイドルだとか言っちゃって。
「じゃあ、できるだけラリーで」
「うんっ」
準備ができたところで、俺は安戸さんは何とかラリーを始める。
自分で言うのも何だけど、俺と安戸さんだけは、他の一年生よりもちょっと上手い。
まだ攻撃を仕掛けるとか回転で攻めるとかそういう域にはいってないけど、他の一年生が相手のコートに球を返すところで苦戦してるのを見ると、普通にラリーできている俺と安戸さんは卓球を初めて数週間にしてはそこそこなんじゃないかと思う。
まあ、栖原に言ったら「それは理想の高校生活に関係あるんですか」とか言われるかもしれないけど、単純に何かを上達していくのは楽しい。
俺達がこうやってゆる~く球を返して遊んでる間に、俺達の歳のトップレベルは世界で大人と戦っていて、今からいくら極めたところで子供の頃からやってる高校生には勝てないのはわかっているけど、最後辺りの大会で奇跡的に一回戦を突破して、今打っている安戸さんなんかと一緒に喜べたりしたら充分思い出になるんじゃないかと、そんなことを考えている。
「うーい、もうこんな時間かぁ?」
「ユリマジについて話してたらあっという間だったでごわすな」
そんな感じでゆる~い練習をしている間に、俺達の卓球部は終わる。
結局部活時間の半分くらいは「友達だからこその近いけど遠い存在がだなぁ……」と百合について熱弁していた部長が終了の合図を出して皆で片付けを始める。
ちなみに、この緩い部活には他の二年生もいなければ三年生もいない。
元々二年生が部長以外やめていった時点でじきに廃部になる予定だったらしく、今年になってオタクの一年生が予想外に釣れて何人も来たところで、人数の心配もなくなり大会に出るほど真面目に練習もしていなかった三年生は早めに引退ということになったらしい。
男子卓球部と女子卓球部の区別もなく俺が安戸さんと練習したりしているのはそんな人数不足のせいで、「ケケケ、これからは女子と練習できる卓球部って方向で売っていけんなぁ」と、この前部長は俺達を見ながら詐欺師の顔をしていた。
あの顔であの台詞を言える辺り部長はやはり女子じゃないのかもしれない。
「じゃ、今日は終了な。明日挨拶されたらちゃんと返してやれよ光永」
「別に無視してはいないですけど」
「明日は拙者達が守ってみせるでござるよ」
「そうでごわすな。鉄壁ガーディアンでごわす」
「ああ、うん……」
俺としては、何も気にされないのが一番いいんだけど、さすがにそうはいかないよなぁ。
向こうの狙いがわからないし、少しは様子見するつもりだけど、ああやって邪魔されてる間に普通に仲が良いと勘違いされてしまったら終わりなわけで。これがいつまで保つかはわからない。
一度神籐さんに「何なの?」と聞き返すべき……というか、それは今日のどこかですべきだったんだろうけど、人前で話してしまったら負けな気がしてできなかった。
だけど、これ以上無意味ないたずらを受けるようなら、俺もどこかでは話さなければいけない。
本当、何なんだろうな……。
「じゃ、鍵は誰か頼むなー」
「ああ、今日は俺が行きますよ」
「なら今日は光永な。よーし、また明日なー」
「また明日」
「また明日でござる~」「また明日でごわす~」と道下と岩須も鞄を持って先に歩いていく。
部活は同じだけど、残念ながら家の方向が違うから二人と一緒に帰ることはない。方向が同じだったとしても帰りはしないだろうけど。
そんな二人を見送ってから、部室の鍵を持って職員室へ向かおうとする。
その途中、後ろから安戸さんが近づいてきた。
「お疲れ様」
「あっ、うん。お疲れ様」
いつものことながら片付けも一番真面目にやっていた、この部活で一番まともな安戸さんだ。
別に道下や岩須といる時に力が入ってるわけじゃないけど、安戸さんといると何となく
異世界転生したらヒーラーになるタイプ。
「あー、明日って体育あったっけ」
「明後日だったような気がする」
「そっか、ありがとう」
同じクラスだからこんな話もたまにする。
個人的にはこういう会話も憧れていた。
ただ、今日はなんか、いつもより不自然というか、そわそわしているような気がした。安戸さんが。
何か別に、話したいことでもあるのかもしれない。
「――そういえば、光永君って、神藤さんと仲良かったんだね」
「えっ」
なんて考えながら歩いていると、唐突にそんなことを言われた。
後方支援を頼んだヒーラーに後ろから刺された気分。
「いやっ……全然仲は良くないんだけど……」
「でも、たくさん話してなかった?」
「話したと言うより今日のは話しかけられてただけで……」
とか何とか言ってると、安戸さんは何とも言い難い、疑うような訝しむような目で俺を見ていた。
わかってる。クラスで一番の人気者に対してオタクがおかしなことを言ってるのはわかってる。
けどどう言っていいかわからないんだ許してくれぇ……!
「ま、まあ、なんだろう。向こうのいたずらというか……」
「いたずらされるのは、仲良いからじゃない?」
「いやそうなんだけど仲は良くないけどいたずらされてるみたいな……」
「でも……昨日、二人で準備室で話してたよね」
「……んっ?」
ぼそっと、安戸さんが何か大事なことを言った。
あれ……昨日の、見てたのか?
「あ、昨日の……放課後、の?」
「うん。廊下で準備してたから、見えたんだけど」
「いや、それは先生からの頼み事があってさ。えっとほら、覚えてる? 昨日の帰りに、準備室まで運んでおけって言われた――」
「あ、それは知ってるんだけど、運んだあと結構、話してたから、仲良いのかなー……って」
「…………」
仲良くない仲良くない仲良くない仲良くない仲良くない。
断固として仲良くないし筆舌に尽くし難いほど仲良くないし天上天下唯我独尊仲良くない。
それを安戸さんにも伝えたいのに伝えられない。
なんであんな一瞬の場面を目撃するのが安戸さんなんだ。神よ。恨むぞ。恨むぞ……。恨むぞ…………。
「……光永君?」
「――――いや違くて!」
「えぇっ?」
「本当にびっくりするくらい仲良くなくて! もう死ぬほど接点なくて! 全然関わりなくて! むしろこれから関わることすらないと思う! そういう相手なんだ! 残念ながら!」
今の俺の全力をもって思いを伝えた。
ドン引きされてもいい。伝えられればいい。
そう思って真実を伝えた。
嘘なんてどこにも混じる余地はない。
これが俺の持つ純度100%の真実だった。
だけど、目の前の安戸さんは冗談でも聞いたような顔で。
「あはは……仲、いいんだね。やっぱり」
◇◆◇◆◇
「――ふしゅるるるる…………」
……俺は
神籐恋美に怒っていた。
奴は俺の高校生活を狂わせた。
オタクとして教室の端っこで、しかし華々しく過ごすはずだった俺の高校生活を狂わせた。
正確にはまだ狂わせてはいない。だが、今後必ず狂わせる。
俺は昨日安戸さんに勘違いをされた。
その勘違いを正すため俺は叫んだ。しかし勘違いは解けなかった。
勘違いは簡単には解けない。そしてその勘違いはきっと今後量産されていく。
俺は奴を許さない。
「向こうの狙いがわかるまで少し様子見して~」なんて甘いことを考えていた俺はもういない。
今回の俺は気づくのが遅かった。
高校生活を守るためには、すぐに決着をつけなければいけなかったのだ。
だけどもう同じ過ちを犯しはしない。
――俺は今日、己の高校生活を守るために戦う。
「……来たか」
「――――なに? 優太郎」
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