第2話 オタクではいられなくなるから

 帰りのホームルームが終わった数分後。


「――道下が忘れててごめん」

「別に」


 本来ならもう部活に行っているはずだった俺は、教室に残された二つのダンボールのうちの片方を持って廊下を歩いていた。

 隣にいるのは神籐さん。どこかの知らない神籐おっさんとかではなく、超絶いいルックスを持ったクラスのマドンナ的存在のあの神籐さん。


 俺は今日話すまで、一生神籐さんとは関わることはないと思っていた。

 だけど、今、ただのオタクであるはずの俺はその神籐さんの隣に立って歩いている。

 その理由は――学校における道下の生命を守るためである。


「…………」


 神藤さんは相変わらず俺のような人種には興味がないようで、視線もあまり向けてこない。

 目が合ったことも一度もないから存在を認識されてるのかも怪しい。喋る蚊だとでも思われてるのかもしれない。


 ただ、「手伝うよ」と向かっていったら「なら全部やっといて」と全て押し付けられるかと思っていた俺の勝手な予想からすれば、だいぶ良心的な展開だった。


「家の用事で部活も休むって言ってたから、悪気があったわけじゃないと思うんだけどさ」

「ふーん」


 そんな異質な状況の中で、隣を歩く俺は自分から進んで神藤さんに話しかけている。

 自分の行動ながら勇者だなと思うけど、これは、何とか道下の印象を下げずに済まないか交渉してるような感じ。


 ただ、今のところ手応えはない。

 交渉なんてする以前に、そもそも道下にも興味すらないんだろうから、当然だけど。

 多分道下も蚊だ。


「……まあ、そういうことだから」

「ん」

「…………」


 辛い。

 そもそもお互いまともに話す気がないんだから仕方がないけど、話が続かない。

 ……これじゃ道下が救えないな……。


 まあ、救うって表現は大げさかもしれない。

 だけど、もし神藤さんが「道下ってキモいよねw」とでも言おうものなら道下はSANチェックの上最悪精神崩壊して学校に来なくなってしまうかもしれない。

 それくらいの凄みと影響力が神藤さんにはある。


 そんな神藤さんにどう仕掛けていこうか考えていると、意外にも神藤さんの口が先に開いた。


「じゃあ」

「え?」

「手伝うように頼まれてたわけじゃないんだ」

「ん、道下からは……まあ……そう、かな」

「ふーん」

「…………」


 ……あっ、ミスったのでは?


 今のところ、最初から道下から頼まれてたことにすれば良かったんじゃないか?

 いや、それなら今からでも。


「ああ、いや……でも、そういえば昼休みに確か頼まれてたような……」

「昼休みにはこの荷物教室になかったけど」

「いやそうだ気のせいだった」


 ごめん道下。

 俺めちゃくちゃ嘘吐くの下手なんだ。

 誰に対して何の嘘を吐いた時でも90%の確率でミスる特殊能力を持ってるんだ。


 実際もっと上手い嘘もあったかもしれないけど、最初に「道下が忘れててごめん」って言っちゃってる時点でキツい気はする。

 もう嘘は吐かずにいこう。


「いや、まあ、とにかく、道下がわざと仕事押し付けるようなことはないと思うからさ」

「そう言える理由は?」

「…………」


 嘘は吐かない嘘は吐かない。


「……友達だから?」

「それ、私には関係ないけど」


 ごもっともで。


 くそう……会話にこんな神経使うなんていつぶりだろう。疲れる。

 一生に一度蚊になれるスキルが使えるなら今神籐さんの周りをブンブンして気分転換するのに。ハローユーチューブ。


 ただ、疲れはするけど、俺の予想というか、持っていた勝手なイメージからすると、神藤さんは案外話しやすい人間らしかった。


 最初こそ全く興味もなさそうな返事しか来なかったけれど、今は少しだけ表情も柔らかく変わったように見える。

 俺の見え見えの嘘のおかげかもしれない。


「まあ……でも、道下が忘れてたことは紛れもない事実だから」

「だから?」

「んー……明日、道下に謝るように言っておく」


 勝手に約束取り付けちゃって悪いけど。


 でも、いろいろとしようとしてたけど、結局それが一番な気がした。

 ただ、それに対して神籐さんは表情を曇らせて。


「それ、却って迷惑なんだけど」

「えぇ……?」

「そもそも、この荷物二人で運べてる時点で私は気にしてないから」

「あぁ……」


 気にしてないなら、謝られるのも迷惑、か。

 ここで嘘を吐く理由もないし、本当に相手が誰だろうと神籐さんは気にしてないんだろう。


 それが神籐さんの本心なら、俺は道下の忘れ物に気づいて神籐さんを手伝った時点で、目的を達成していたらしい。


「ふぅ……なら、良かった」

「何? そのため息」

「いや、道下の命に関わることだったから」

「命って、私に取られるって話?」

「間接的に。いや、冗談だけど」

「どう見ても本気で安心してたけど」


 そこはまあ、冗談じゃなくなる可能性も70%くらいあったから。

 本人は全く自覚してないみたいだけど。


 俺達みたいな生徒にとっては、神籐さんのような権力者カースト上位との関わり合いは命がけだ。

 もしどこかで何かが間違って、道下か岩須がいじめでも受けるようになったら俺は泣いちゃう。


 まあ、実際はそんなに簡単に、アニメみたいないじめは起こらないってことはわかってるけど。

 それでも、友達がクラス一の美少女に喧嘩を売ったとなれば心配してしまうのは仕方ないことで。


 さらに言えば、入学して初めて起こったハプニングらしいハプニングに慌ててしまうのも仕方のないことだろう。


「いや、怒ってないならいいんだ。道下のこと。ありがとう、神籐さん」

「……ふーん」


 そんな俺に、神籐さんは訝しげな視線を向ける。

 さっきまでの興味のなさそうな「ふーん」ではなく、意味ありげな「ふーん」。


 神籐さんからすれば気にする必要もないことだろうし、わからないことだろうけど。

 ただ、俺は神籐さんのようには生きられないから、オタクとしてこの三年間を生き抜くために、精一杯クラスの立場には気を遣って過ごしていく。


 だから今後、人気者の神籐さんと関わることはほとんどないだろうけど、それも青春のためには仕方のないことだ。

 オタク談義に花を咲かせる俺達を神籐さんは遠くから生暖かい目で見ていてほしい。


「ねえ」

「何?」

「名前なんだっけ」

「道下のことなら、陽真」

「いやそっちじゃなくて」


 突然の質問に俺が素で間違えると、神籐さんが「わかるでしょ」とでも言いたげに俺の方を見てくる。

 俺の名前のことなんだろうけど、まあ、神籐さんは知ってるわけないか。


「俺の話なら、光永みつなが優太郎ゆうたろう

「優太郎ね」

「ああ……う、うん」


 まさか名前で呼ばれるとは思っていなかったからどもっちゃった。恥ずかし。


 そもそも、名前を聞かれる事自体意外というか、神籐さんは仲の良い生徒以外の名前なんて興味もないだろうと思っていたけど、それは俺の偏見だったらしい。


「……まあ、もう呼ばれる機会はないだろうけど」

「え?」

「あ、いや、何でもない。……ああ、準備室ならこっち」


 階段を上ろうとする神籐さんを制して、一階の廊下を進む。

 神籐さんは準備室の場所は知らなかったみたいだ。


「こんなところ、来ることあった?」

「授業ではないかな。俺は部活の部室がこっち側だから」

「部活?」

「卓球部」


 言うと、神籐さんは「へぇ」と言いながら視線を上げて、少し遠くにある『卓球部』のプレートを見た。

 それにつられて俺も部室の方を見ると、まだ岩須は準備してるのか部室の外にはいなかったけど、女子部員が一人既にジャージ姿で廊下を歩いていた。


 ……別にやましいことがあるわけじゃないけど、個人的な理由で神籐さんと歩いているところはあまり人に見られたくない。


「……っと、じゃあ、準備室はここだから」

「ああ、ここね」


 卓球部で使う道具も入っているせいで部活中は鍵の空いている準備室の扉を開けて、そそくさと端の方にダンボールを置く。

 端に巣を張っていたクモが悲鳴を上げた気がするけど気にしない。


「じゃあ、俺はここら辺で……」

「これ、どこに置けばいいの?」

「うーん? その奥ならどこでもいいんじゃないかなー……?」

「そっか」


 素直に俺の置いたダンボールの隣に几帳面に角度も合わせてダンボールを置く神籐さん。

 これで無事仕事は終わり、なはず。


 よし、余計なことをしないうちに別れよう。

 ここで何もなく別れられれば俺の完全勝利だ。


「じゃあ、俺はここら辺で……」

「ねえ」

「……なに?」

「今ちょっと時間ない?」

「……ジカン?」


 ……何をする時間?


 ボコる時間? パシる時間?


 俺の冷静さを欠いた頭による分析によれば、この台詞から導き出される今後の展開は、良いことが50%。悪いことが50%。


 ……なんだけど、さっきも考えた通り俺の個人的な理由によって神籐さんとの関わりは良いことも良いことじゃないから――ここは断るしかない。やんわりと。


「ごめんちょっと、時間はないかもしれない」

「えっなんで?」


 神籐さんの切れ長な目が俺を捉える。

 切れ長だけにもうキレてるように見える。

 いやキレてはいないかもしれない。けど切れ長な目は鋭く俺を見てる。あ、キレてるかも。


 せっかくここまで上手くやったのにここでやらかしては意味がない。

 ただ、ここで大人しく従うのが得策かというと多分そうでもなくて。


 これ以上下手なコミュニケーションを続けないためにも、ここは――逃げるが勝ちだ。


「ぶ、部活が忙しくてさ、申し訳ないんだけど俺はここで」

「えぇ? いや、そんな時間かかる話じゃ――」

「じゃあまた明日神藤さんっ」

「ちょっさすがに待っ――」


 その瞬間、俺は扉に向けて走り出した。


 明らかに走る場面ではなかったけど、何となく走り出した。

 

 それを追うように、神藤さんも教室内でダッシュした。


 一瞬、狭い教室の中で神籐さんと追いかけっこするような形になる。


 少しだけ、これが青春かなぁ、と思った。



「っ!?」


 ――でも次の瞬間、誰かの足に何かが当たったようにバゴーンという音がして、俺の後ろからやたら高くて可愛い「あっ」という声がした。


 そうして振り返った時には既に、神藤さんの体が俺に向かって倒れ込んできていて。

 何とか受け止めようと俺の体は動いてくれた気がするけど、体勢が不安定な中で俺にできたのは、後ろに倒れ込みながら二人の頭を守ることだけだった。


「っ――……ったー……」


 瞑ってしまった目を開けると、見えたのは仰向けに倒れた俺の上で何やら痛がってる神藤さんが見える。

 多分当たったのは床じゃなくて俺の体にだろうけど、幸い俺の方に大した怪我はない。


 強いて言うなら左足首から先が真逆に曲がってるくらい。


「……っごめん! 大丈夫?」

「私は、だいじょ――……っ! 今、どけるから」

「あ、いや……こっちは、大丈夫だから」


 大丈夫だし、優先順位的に神籐さんの体の方が圧倒的に大事だからそう言ったけど、素直に謝りながら、神籐さんは俺の上から退いてくれる。

 その動きが健気というか、イメージより子供っぽくて、思わずまじまじと見てしまった。


 ただ、当たり前だけど神籐さんが退いてくれるのと同時に、俺の痛みを和らげてくれていたらしい神籐さんの温もりもどこかへ逃げていく。

 あれ……? 足が痛い……? めちゃくちゃ足が痛い……?


「っ……」


 ただ、ここで足が痛いとか言い出すのは神籐さんのせいだと言うようなものだ。

 ここは痛ぇ。けど我慢して痛ぇ。なんとかこのまま逃げ出そう。痛ぇ。


「……っと」


 とりあえず、神籐さんが退いてくれたことだし、俺も立ち上がろう。

 ――そう思って床に手をついたら、カチャッと何かに触れた。


「あ、メガネ……」


 気づかなかったけど、そう言われれば目の周りに違和感があるといえばある。

 今ぶつかった時に落としてたらしい。


 メガネを手にとって、割れてないか、もしくは折れてないか確認してから掛けようとする。


 ただ、その最中に、何だか横から強い視線を感じる。

 チラッと見ると、神籐さんは不思議な顔でこっちを見ていた。

 ――急いでメガネを掛けて立ち上がる。


「じゃあ! えっと……保健室行く!? 神籐さん!」

「えっ……怪我はないから、大丈夫だけど」

「そっか! それなら良かった! じゃあごめん! 俺部活があるからここで!」

「えっ!? ちょっ!? だからちょっと話――」

「ごめん皆が待ってるから! ごめん恨まないで! ごめんじゃあね!」

「ちょっと――!」


 その後、準備室を出た俺は物凄い罪悪感を胸に抱きながらダッシュで二階まで走り、滅多に使わないトイレで十分ほど経つのを待ってから、一階に下り改めて部室へ向かった。


 岩須に遅いでごわすと注意は受けたものの、いつも通りにその日部活を終え、帰途についた辺りで「本当にこれで良かったのか……?」と不安が襲ってきたけど、後悔はしなかった。


 俺の望んだオタク生活を送るためには、どうしたってクラスメートとの人間関係には最大限気を遣わなければいけない。


 特に、今はまだクラスでの関係を作り始めている時期。どこで何が間違って人間関係が変わってしまうかもわからない。


 警戒しすぎだとは自分でも思う。

 だけど、もし、もしも、神籐さんと積極的に話してしまうような仲になるようなことがあれば――そう考えたら、今日は逃げて正解だったと思う。


 まあ、それは自意識過剰というやつで、ありえないことだとはわかってるんだけど。


 ただ、それくらい、俺は一度きりの高校生活に、オタクとして過ごす最初で最後の高校生活に懸けているわけで。


 だから、おかしなこだわりかもしれないけど、俺がこうやって一日一日を慎重に、そして大切に過ごしていくことは、明日からも、そしてこれからもずっと変わらないと思う。


「――おかえりなさいませ、優太郎様」

「……ただいま」

「もう夕食のご用意はできていますよ」

「……ごめん、少しだけ休んでから行く」

「わかりました。ただ、今日はご主人様もいますから」

「……わかった。早めに行く」


 ――何故なら。この三年間が終わったら、俺はオタクではいられなくなってしまうから。

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