猫を殺した人

白川津 中々

 ワイドショーを流しながら米を研いでいると何とも胸の痛む報道が耳に入ってきた。


「容疑者は最初から猫を殺すつもりで盗んだと供述しており、容疑を認めています」



 何やらどこぞの変態が飼い猫を攫って殺したらしい。酷い事件もあるものだと振り返り観てみれば、コメンテータがこぞって容疑者を異常者。屑と斬って捨て、世の中は変わったと嘆いているのであった。


 俺はその様子を見て何となしに悲しい気持ちとなった。

 確かに犯人は救いようのない下衆であり、実刑も致し方ない正真正銘の悪人であると断言できる。

 だがしかし、犯人の生に、命に、人間としての価値はないのだろうかと。異常に駆り立てられた彼に尊厳はないのだろうかと、そう思ったのだ。


 批判している人間は皆、地位や名誉があり、頭が良く金もある優れた人間達ばかりである。一方で犯人は精神薄弱で友人もおらず、暗く、狭く、じめとした安い借家で派遣工をしていたそうだ。

 そんな人間を社会的に成功している連中が平気でこき下ろし、糾弾する様子が俺には邪悪に見えてしかたなかった。大義名分を盾に好き放題石を投げる構造は醜悪の一言に尽きる。如何に犯人が許されざる罪を犯したとしても、彼らにそれを非難する権利がどうしてあるのだろうか。異常者を排斥するだけの社会などナチスと変わらぬ。陽の光の下を歩いてきた人間が日陰者を迫害する社会のどこが健全なのかと、俺は疑問に思わざるを得なかった。


 溜息を吐き、再び米を研ぐ。安いスーパーのまずい生米に水を入れて混ぜると、ボウルが白く濁り糠が浮かんでくる。


 俺はふいに水道のレバーを最大まで開いてみた。勢いよく放流される水はみるみると嵩を増していき、次第に米粒を巻き込みながら氾濫していく。

 それは潔癖なまでの正善に翻弄される民衆と世論のようで、薄気味悪かった。一般論と正論ばかりの世界の何と生きにくい事か。世は聖人君子ばかりではないのだ。

 しかし、仮に水量そのままで米ばかりが増えたら、今度は糠だらけの米が溢れ水は一生白濁を清める事はないであろう。そうはなってはもはや食事どころではない。大惨事である。


 まったく生きるというのはままならないものだ。


 俺は妙に達観したような思案を巡らせながら米を釜に移し炊飯器の電源を入れたのだが、落ちた米の分だけ水分過多となり、炊き上がった際に粥のようになっていたのは言うまでもない。


 何はともあれ食べてしまおう。

 俗物の俺は、今日もまたくだらない。

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猫を殺した人 白川津 中々 @taka1212384

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