第32話 虐げられる小さな命

 カロラルンは街自体が正方形に近い形をしていて、路地も格子状に走っている。中央には巨大な街役場が居を構えており、カロラルンの全ての店を管理しているのだと言う。

 カロラルンの街は現在全ての土地に何かしらの店が入っており、新規の店が開けるゆとりはないらしかった。

 確かに、格子状で路地の見通しはいいものの、建物が密集していてどこにも隙間がない。ヤクニジューでもイラランケでも子供が駆け回るような空き地がいくつか存在していたが、カロラルンにはそんな所は一つもないのだった。


 どの店も活気に溢れていたが、やはりどこか陰があるように思えるのは、イルルクがノーシュから口減しの話を聞いていたからなのかもしれなかった。

 宿屋は各区画に点在しているが、居住区という物は存在していない。自分の店を持つ者は店の上に自宅を構えており、そうでない者は住み込みで働いているという事だった。


 カロラルンが出来た最初の時点では、取り扱っている物品の種類によって店が配置されていたようだったが、街が栄える速度が街役場の処理できる速度を超えたらしく、今や混沌の極みであった。

 流石に料理店の横に塗装屋が並ぶような自体には陥っていないようだったが、一つの物を求めてカロラルンを訪れた旅人が、その全ての取扱店で商品を手に取って確認するのに何日掛かるのだろうと思ってしまう程だった。


 イルルクたちはノーシュが一番安心だと言う宿へと向かっていた。カロラルンには治安の良い地区とそうではない地区が存在しているらしく、治安の悪い地区の宿屋では食事に薬が混ぜられ、荷物の中身が盗まれたりといった事件も起きているらしかった。

 カロラルンには自警団があり、荷物を盗られた宿泊客は当然自警団に相談に行ったそうなのだが、宿屋の主人は知らぬ存ぜぬを通し、結局宿泊客は泣き寝入りする事になったのだとか。


 親に捨てられて尚生き延びた子供は、多くがそういった治安の悪い地区に行く事になるのだという。その方が他者のおこぼれに預かれる可能性が高くなるのだと。

 女子供が寄り集まって、観光客相手に寄付を募ったり、それに乗じて盗みを働いたり、常に周囲に注意を払わねば危険なのだとノーシュは言った。


 そんな治安の悪い地区を抜けようとしている最中、女性の金切り声と共に、店の裏口から少年が飛び出した。

 少年はそれなりに整った身なりをしていたが、服の至る所が破け、そこから血が滲んでいる。頬も赤く腫れ上がり、見るからに痛そうだった。

 しかしそれ以上に顔色が悪く、イルルクは一瞬死人かと思った程だった。

 少年に続いて出てきたのは割腹の良い妙齢の女性で、その手にはムチが握られていた。

 少年の瞳が恐怖に染まる。


「このグズ! 役立たず! もうこれで何度目だい! 役に立たないくせに一丁前に飯食って、ふざけんじゃないよ!」

「す、みませ……すみ……ん……」

「喋るんじゃないよ耳障りだね、もうウチには入れないから、何処へなりと行っちまいな。死ぬなら墓地で死ぬんだよ!」


 女性は少年を何度も何度も鞭で打った。少年はもう声も出せないようで、舗装もされていない道に突っ伏して鞭に耐えていた。

 イルルクは思わず少年と女性の間に割って入ろうとしたが、ルドリスとノーシュの腕がそれを止めた。

 イルルクの動きが視界に入ったのか、鞭を振るっていた女性がイルルクを見た。イルルクの身なりを見て家無しだと思ったのか、元から歪んでいた表情を更に歪め、イルルクの方へ向かって鞭の先を向ける。


「何か文句でもありそうな目だね」

「いえ、滅相もございません」

「あぁ、あんたのかい? 躾はちゃんとしないとな。これはもうゴミだけどさ。参っちゃうよ」


 ルドリスの言葉に、女性はイルルクたちの面倒をルドリスが見ていると思ったのだろう。そんな事を言いながら、最後に一度、ありったけの力を込めて少年を打って家屋の中へと戻っていった。

 イルルクは少年に駆け寄った。少年はもう、目もひらけなかった。口をぱくぱくと動かしているが、それは何の音にもならない。骨と皮だけのような身体を一瞬震わせて、少年は死んだ。


 イルルクは、少年を抱きしめた。


 ノーシュは、よくある事だと言った。通りに打ち捨てられた子供や年寄りの死体を回収して埋めるのも仕事の一部だったと。

 イルルクは自分の身体が熱を持つのを感じていた。

 イルルクの抱えていた少年が、幾つかの骨を残して瞬時に燃え尽きた。


「イルルク、落ち着け……ツッ」


 イルルクに手を伸ばしたフェルが咄嗟に手を引っ込める。その手のひらは赤くただれていた。痛みに顔をしかめたフェルを見たイルルクの瞳が揺れて、困惑と後悔に染まる。


「ご、ごめ……」

「大丈夫。落ち着いたかよ、祈りもなしに燃やしちまいやがって、馬鹿」

「あ……」


 イルルクは僅かに残った骨を必死に掻き集め、涙が零れ落ちるのも構わずに祈りの言葉を何度も口にした。


「あぁ……ごめ、ごめんなさい、どうして、こ、こういう時こそお祈りしなくちゃいけないんじゃないの? ボク、ボクは、彼の事、ちゃんと考えて見送らなくちゃいけなかったのに、なのに」

「イルルク、深呼吸しろ、魔力も落ち着けなきゃ駄目だ」


 ルドリスに言われ、イルルクは思い出したかのように深く呼吸をし、“凪げターラ“と唱えた。

 胸に抱えた少年の骨を、改めて見つめる。

 ごめんなさい。

 イルルクはもう一度そう口にして、それから祈りの言葉と共に骨を燃やし尽くした。


 紫の残り火が、少し冷たい風に吹かれて、消えた。

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