第31話 変化を望まぬ人々

 カロラルンは商業都市と云う名の通り、街全体が多種多様な店によって成っている。店は基本的に世襲制であり、新たに店を開こうと思うとかなり面倒な手続きが必要になるらしかった。

 勿論飲食店も多数あり、従業員として働く者も少なくない。しかし従業員の給金は非常に安価であり、自分一人で生きているならまだしも、妻や子供を抱えながら満足に生きる為にはほど遠い実情があるらしかった。

 その為、二人目、三人目の子供は捨てられたり殺される事が多くあり、ノーシュもそんな赤子の内の一人だったと云う。


 ノーシュは幸運にも親が孤児院の前に置き去りにしていったようで、物心付くまで孤児院で生き延びる事が出来たのだと言った。

 孤児院も裕福な訳では勿論なく、孤児全員が満足に食べられるだけの食料がある事の方が少ない程なのだそうだ。幼い者、身体が弱い者から死んでいき、ノーシュのように自分で食い扶持を稼げる年齢まで無事に育つ事が出来る孤児はほんの一握りしかいないらしかった。


 ヤクニジューでは中央特区に裕福な者たちがいて、居住区にはそうでない者たちがいて、貧富の差はあれど、それが目に見えている訳では無かった。

 しかしカロラルンは同じ空間の中にあからさまに貧富の差が存在しているのだった。

 イラランケも確かに金持ちが力を持つ街であったが、貧しい者にも一攫千金の可能性があった。それに歓楽街で暮らそうと思わなければ、貧しくともそれなりの生活は出来る。少なくとも赤子を捨てたり殺したりしなくてはいけない程ではなかったように思う。

 カロラルンには多くの行商人や他の街の者が訪れるのだから、カロラルンから出ればいいのにとイルルクは思ったが、カロラルンで生まれ育った者たちは、カロラルンから出ようなどとは思わないのだそうだ。

 カロラルンの外に他の街が、世界が広がっている事を知っていても、自分の街から出ようとは思わないのだと。


 イルルクは、自分もそうだった事を思い出す。ずっとヤクニジューで生きてきて、中央特区の事を知っていても中央特区に行きたいとは思わなかった。

 イルルクは日々の食い扶持に困っていた訳では無かったけれど、それでもやはりヤクニジューからわざわざ出ようとは考えなかっただろう。

 新しい土地に、世界に踏み出す為には、それなりの意思が必要なのだ。力が必要なのだ。

 普通の人は変化を恐れる。今よりも良くなる可能性よりも、今より悪くなる可能性を考えて諦める。そういう生き物なのだ。


 イルルクたちは、ノーシュが手伝いをしている墓守に会いに行った。

 ノーシュがどこまで働き手として求められているのかは分からなかったが、突然人手が減るのは問題だろうという事になったのだ。

しかし、そんな心配を余所に、墓守はノーシュがカロラルンを出て行く事をあからさまに喜んだ。自分の子供でもない者の面倒を見るというのは、イルルクが思うよりも遥かに負担の大きな事らしかった。


 そう考えると、イルルクは自分がどれだけ幸運だったか実感するのだった。リュエリオールは子供の食い扶持を稼ぐどころではない、ヤクニジューの居住区に於いて実質一番の資産家なのである。

 ノーシュが孤児院の前に捨てられていた事も、イルルクがリュエリオールの前で全力の魔法を使った事も、どちらも幸運すぎる程に幸運だったのだ。


 この世界は、イルルクが思っていたよりも厳しかった。毎日生きている事が幸せだと思えるくらいに。

 ノーシュは墓守に今まで世話になった礼を言い、イルルクたちをカロラルンへ案内した。


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