第2話 イルルクの秘密
イルルクは年がら年中薄汚れた焦げ茶色の毛糸の帽子を被っていて、それはイルルクの少し変わった髪の毛を綺麗に隠していた。帽子の中に大事にしまいこまれた髪の毛は、根元は黒々としているが、毛先にいくに従って高温の炎と同じ青色をしていた。この青色はイルルクが全力で炎を出すと紫に変化するらしかった。らしかった、というのはイルルクが全力を出したのは生まれてから一度しかなく、しかもその時の記憶を失っているからだった。
イルルクはどうやらその時リュエリオールに認められたらしく、組織の中ではイルルクはもっぱら紫の子と呼ばれていた。イルルクは瞳の色も紫だった為、イルルクの紫の髪を見た事がない者たちは瞳の事を言っているのだと思っているようだった。
髪の色が変わるのも、紫の髪の毛も、青の髪の毛も何もかも珍しい物だったから、リュエリオールがわざわざ帽子をくれたのだった。イルルクはそれを後生大事にしていて、帽子に触られそうになると金切り声を上げて抵抗する程だった。
イルルクの髪を切ろうとすると、ハサミやナイフが髪に触れた瞬間に高温になってしまうので切れなかった。下ろすと腰の辺りまで届く長さだったが、それより長くなる事はなかった。髪を洗う事など殆どなかったが、それでもイルルクの髪は絡まる事なく整っていた。
イルルクは滅多に会えなかったが、たまに会うと頭を撫でてくれるリュエリオールの事が好きだった。路頭に迷っていたイルルクを生かしてくれた恩人であったし、他の人間たちと違ってイルルクを馬鹿にしない所も好きだった。
リュエリオール自身は、イルルクに汚れ仕事をさせる事を望んではいないようだった。しかし今のイルルクが組織の資金源の一つになっている事は間違いのない事実であり、それをやらない事は組織のトップとしては出来なかった。
リュエリールは密かにイルルクの為の金庫を作っていたが、その存在を知っているのはリュエリオールの他に側近の一人だけだった。
リュエリオールはイルルクに生きる術を教える為、フェルを教育役に付けた。
フェルはイルルクよりも五歳年上だった。少し赤茶け、縮れた髪の毛を後頭部の高い位置で一つに括っている。肉食獣のような金色の瞳は吊り目がちに爛々と輝き、乱暴な言葉が次々と飛び出す口元には鋭い犬歯が覗いていた。
フェルはイルルクの帽子に隠された髪の毛を見る度に、その真っ直ぐさを羨ましがった。どんなに櫛で丁寧にとかそうと、フェルの縮れた髪は真っ直ぐにはならなかった。
フェルはイルルクに、仕事を請ける際のやりとりに必要な言葉を教えてくれた。フェルも文字は書けなかったが、計算だけはめっぽう強かった。金目の物に対する嗅覚は凄まじく、イルルクが組織から貰っている金額を聞いた時には開いた口が塞がらない有様だった。けれどフェルにしたって組織に楯突くような馬鹿な真似は出来なかった。ただ、何も知らずに嬉しそうに銅貨を見せてくれる友人に胸を痛めただけだった。
フェルは教育係と云う名目でイルルクと知り合ったが、今では唯一の友と言って差し支えない関係になっていた。フェルは暇があればイルルクと一緒にいたし、イルルクもフェルに対しては心を開いていた。
イルルクは自身について大抵の事をフェルに話していたが、一つだけ秘密にしている事があった。これをフェルに秘密にしていたのは、単純にフェルが自分に対して、気味が悪いだとか、そういった感情を抱きはしないかと不安に思ったからだけではない。
言うなれば生存本能が働いた、のだろう。無意識の内に、この秘密を漏らす事が死に繋がる可能性がある事を、理解していたのだと思う。
イルルクは死体に触れる事で、死者の記憶を視る事が出来た。
全てではない。死ぬ一時間前から死ぬまでの記憶だけだったが、それはイルルクにとっては何よりも刺激的な事だった。
何故なら、イルルクの元に教会から依頼される遺体の全てが中央特区に住む貴族だったからだ。
イルルクの住む街は、貴族たちの住む中央特区と、それを囲むようにして存在する八つの居住区から成っていた。中央特区は立ち入りすらも厳重に管理され、居住区に住む者たちとはほぼ完全に隔離されていた。
だからイルルクの視る貴族たちの中央特区での生活は、普段馴染みのない物ばかりだった。娯楽施設は勿論の事、衣類や装飾品、嗜好品から住まいの内装外装、何もかも居住区とは違っていた。
だが、死者の記憶を視る時にはそれなりに注意も必要であった。その死者が自然死でなかった場合、イルルクはまるで自分が殺されたかのようなショックを受ける事があったのである。だからイルルクは記憶を見る時は特に周囲を気にした。
イルルクが死体に触れた時、その手から瞬間的に一時間分の記憶が流れ込んでくる。イルルクはその流れ込んできた記憶を丁寧に頭の中に保管しておく事が出来た。
死体を火葬し、神官が骨を回収していった後で、イルルクは火葬炉の穴の中に誰にも見られないように入り込み、そして誰にも見られないように記憶の蓋を開けるのだった。
それはイルルクの、一人だけの秘密の時間だった。
殺害された記憶や自殺の記憶で自分が気を失ったりしてしまった時の為に、イルルクの秘密の時間は必ず、次の日の昼過ぎまで予定がない日だった。
最初の内はショックで気を失う事も多かったが、回数を重ねる内に死の原因を視る前に記憶の再生を切り上げる事も出来るようになり、何事もなく火葬炉から出て来られるようになっていった。
イルルクはファミリーの死体処理も請け負っていた。
夜が更けた後に密やかに呼び出され、顔に布の袋を被せられた人間を何も聞かずに燃やすのだ。時折、骨も残らないように焼いてくれと言われる事もあり、そんな時には、赤い月の晩に貰うコインの枚数が少し多かった。
ファミリーから請け負う死体の中には、記憶が視えない物もあった。
何の違いがあるのかは良く分からなかったが、死体の記憶はイルルクにとっての娯楽であり、嗜好品であり、どうしても視たい物ではなかったのであまり気にしなかった。
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