第3話 楽しい食事

「イルルク!飯食いに行こうぜ!」


 ある日、実入りの良い仕事を終えたらしいフェルがにこやかに走り寄ってきた。

 イルルクは頷き、フェルと並んで歩き出した。

 向かうのは、第六居住区の中にある露店街だった。そこにフェルお気に入りの飯屋があるのだった。


 第四居住区から第八居住区まではリュエリオール・ファミリーの縄張りだった。

 その為、第六居住区は抗争に巻き込まれる事が殆どなく、女子供を中心として栄えていた。

 他のグループの縄張りと隣り合う第四、第八居住区には、主に腕に覚えのある構成員が暮らしていた。イルルクがその居住区へ足を踏み入れる事はなかった為、フェルに聞いた話だった。


 幾つもの飯屋が軒を連ねる露店街には、様々な匂いが漂っていた。人も多く、活気に溢れており、イルルクはいつ来てもその力強さに圧倒されてしまうのだった。

 イルルクは露店街の入り口から三つ目にあるカラグの乳とキッキの卵で作られたふわふわの焼き菓子が一番好きだったが、フェルは甘い菓子があまり好きではないらしく、イルルクがそれを食べているのを見ると良くそんな物が食べられるなとでも言いたげな視線を投げてくるので、どうしても食べたくなるまで我慢していた。


 今日がその、どうしても食べたくなった日かもしれない。イルルクは露店街に入ってすぐ、焼き菓子の露店を探した。焼き菓子の店に定休日はなく、店の主人の気分や予定で開いたり閉まったりする為、いつ来ても焼き菓子が食べられるという訳ではないのだ。今日は店先にふんわりとした菓子が並べられている。どうやら休みではないようだった。

 イルルクの視線が焼き菓子に向いたのに気付いたのか、行きつけのスープ屋に着いたフェルは振り返って笑った。


「そんなに食いたいならスープ小さいのにして後で食えよ」

「いいの?」

「いいも何も、お前の金で買う物に俺は口出ししねぇよ」

「すごい目で見るじゃない」

「おかみさーん」


 フェルはそれ以上の会話を避けるように露店のおかみさんに注文し始めた。辛口スープにユギ粉で作られた麺を追加する。そこに更に辛味の増す香辛料を指差して追加していくフェルはとても楽しそうだった。イルルクにとっては、フェルの食べる辛い物こそ、良くそんな物が食べられるなと思う対象だった。

 フェルの方から辛い香辛料が風に乗ってイルルクの目や鼻を刺激した。

 イルルクはけほけほと咳き込み、涙の出て来る目をこすりながら一番人気のスープに麺を普通の半分追加した。フェルの言う通り、ご飯を少なめにして帰りながら焼き菓子を食べる事にしたのだ。


 フェルはイルルクが注文している間に器用に人混みをすり抜け、今まさに食べ終わって片付けに立ち上がった人の席に陣取った。その席を狙っていたらしい人が先を越されたと悔しがるのを見て、向かいに取ってあった椅子を自分の座った椅子の隣に並べ、空いたテーブル部分を指差して立って食うなら使ってもいいよと言っていた。

 イルルクは注文の品を受け取ると、手招きするフェルの隣に腰を下ろした。


 一番人気のスープはキッキを良く煮込んで出来た物らしかった。骨に付いたキッキの肉が数個スープの中に入っていたが、その肉はスプーンで少しつついただけで崩れる程に柔らかかった。

 スープの見た目はほぼ透明で、味が付いているか不安になったが、一口すくって食べれば、そんな事は全くの杞憂であったと分かる。思わずおいしいと口にしてしまうくらい、美味しかった。


 おかみさんはふくよかな身体を揺らして笑い、元々期間限定のつもりだったがあまりに評判がいいからいっつも置く事にするんだと言った。

 イルルクはまたこのスープを食べに来たいと思った。焼き菓子と、どっちの方が美味しいか少し考えて、答えが出そうもなかったので考えるのをやめた。

 普段であれば、食べ終わる頃になると麺がスープを吸って柔らかくなってしまうのだが、今日は麺を少なめにしていたので最後まで固い麺のままだった。

 イルルクは固めの麺の方が好きだったから、普段から麺の量を少なめにした方がいいのかもしれないと思いながら、フェルを見た。

 フェルはといえば口の周りを真っ赤にしながらひぃひぃとスープを飲んでいる。

 フェルはごくりと最後の一口を飲み干すと、イルルクを見て言った。


「お前もすげー顔で俺のこと見てっかんな。同罪だよ、同罪」

「それも、そうかも」


 イルルクは予定していた通り、帰りの道すがら焼き菓子を買った。ほかほかと湯気の立つ生地を頬張ると、久しぶりの好物に顔を緩めた。

 フェルに言わせるとわざとらしい甘さ、らしかったが、イルルクはその少し強すぎるくらいの甘さが身体に染み渡るようで好きだった。初めはふわふわなのに、噛むにつれてもちもちとしてくる不思議な食感も、美味しさを倍増させているように感じた。お腹が一杯になって食べ切れないかもしれないと思ったが、全くの杞憂だった。

 イルルクは焼き菓子をぺろりと平らげ、焼き菓子を包んでいた紙を丸めて露店の所々に設置してあるゴミ捨て場に捨てた。

 イルルクはフェルとこうしてたまに来る露店街が好きだった。ずっとこの中で暮らせるかと聞かれたら、それは無理なのだが。たまになら、フェルと一緒になら、人混みもそれなりに楽しかった。


 この時のイルルクは、まさかこれが第六地区での最後のひとときになろうとは夢にも思っていなかった。


 またあのスープと焼き菓子を食べに来るのだと、少し浮かれていたくらいだった。

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