第3話

 かつて啓太がイジワルをすると、藍はすぐに涙目になっていた。幽霊が出たと言われては泣き、呪われてると言われては泣き。当時の藍は、それくらい怖がりで泣き虫だった。


 だけどそんな藍の涙も彼がいればすぐに引っ込んだ。藍の近所に住む、彼女にとってはお兄ちゃんのような存在であるアイツがいれば。


「ユウくん!」


 飛びつくようにアイツの元へと駆けていく藍を見て、何度気持ちを苛立たせた事だろう。当時はまだ、それが嫉妬やヤキモチなんて気づかなかった。


「あのね、私に幽霊が取り憑いているとか、変なことばっかり言うの」

「お前、またそんな事してるのか。止めとけって何度も言ってるだろ」


 しかも、こんなやり取りの後いったい何度やり込められただろう。それが余計に腹が立った。


 その怒りを晴らそうとまた藍にイジワルをして、この度にまたアイツの元に駆け寄るのを見て、へこまされる。そんなバカバカしい悪循環だった。


 もっとも、そんなもの苛めていたことに対する言い訳には欠片もなりはしないが。

 好きだったから苛めたなんて、そんな言い訳が通るわけがない。



        ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ごめんって、何が?」


 いきなり謝ってきた啓太に、不思議そうな顔で聞き返す藍。突然こんな事をされても、何を言っているのか分からないだろう。

 だが啓太にとっては、ずっと伝えたかった言葉だった。


「俺も、さっきのアイツみたいに、昔お前に色々ひどいことしてただろ。だから……ずっと、言ってなかったから…………」


 こんな事を言って何になると言うのだろう。本当なら、何年も前に言わなければいけなかった言葉のはずなのに。

 だけどそれでも、いつかはちゃんと謝りたいとずっと思っていた。そのいつかが今だ。


 藍は、それを聞いて少し間声もなく驚いた表情を見せていた。だがやがてフッとため息をつくと共に口を開く。


「今さら?」


 本当に今さらだ。何年も経って謝るくらいなら初めからするなよと、他ならぬ啓太自身がそう思う。だけど藍の言葉は、それで終わりではなかった。


「そんなの、とっくに許してるよ。でなきゃ、こんな風に話しているわけ無いじゃない」


 その言葉に、いつの間にか下げていた顔を上げる。そうして再び見た彼女の顔は、さっきまでと変わらぬ笑顔を見せていた。


「いや、でもよ……」


 いくら藍がそう言っても、啓太としては罪悪感を覚えずにはいられない。だけどそんな啓太の言葉を遮るように、藍はいつの間にかアイス選びを再開している、アヤとコウジを指差した。


「あの二人、なんだかあの頃の私達に似てるね」

「そ、そうか?」


 顔では納得できない表情を浮かべるが、それは啓太もずっと思っていた事だ。だからこそ昔の自分を思い出し、こうして謝るきっかけになった。

 そして藍は、次に啓太を指し示しながら、言う。


「それで、今の三島が、あの頃の私達にとってのユウくん」

「はっ、俺が!?」


 その名前を聞いて、何とも言えない複雑な感情が込み上げてきた。そして今度こそ、本心から納得できずに声を上げる。

 自分が、アイツと同じなんて、どう考えても受け入れられない。受け入れたくない。

 だけど悲しいことに、藍の言っている事も理解できてしまっていた。


「だって、三島はあの子のイジワルから守ってあげてるじゃない。やってる事はユウくんと同じだよ」

「俺はあの人と違って手を上げるけどな」


 啓太の場合さっきのようにコウジにゲンコツを見舞う事は何度もあったが、彼に殴られた事は一度もない。せいぜい、頭をグリグリと押さえつけられたくらいだ。


 そんなことを考えていると、いつの間にかアヤがそばに寄ってきている事に気づく。


「どうした、アイスはもう決まったか?」


 訪ねる啓太だが、アヤはそれには答えず、藍と啓太を交互に見つめていた。そして、何だか不安げな顔で聞いてきた。


「そ、その人、啓太くんの彼女なの?」

「なっ!?」


 その言葉があまりに予想外で、啓太は思わず声を上げる。いや、これは予想外とか言う以前の問題だった。


「お前っ!……な、な、何言ってる。彼女なんてそんなわけ──!」


 まともな言葉が出てこなくなるくらいの狼狽ぶりだ。慌てて否定しながら、それでもチラチラと藍の様子を何度も確認している。

 こんな事を言われてコイツはどんな反応をするのだろう。例え子供の言うことでも、少しは意識するのではないか。そんな思いも多分にあったりする。


 しかし残念なことに、藍にはそんな動揺は全く見られなかった。しゃがみ込み、未だ不安げな表情を浮かべるアヤに目線を合わせなかまら、笑顔で言う。


「違うよ。私と三島は全然、これっぽっちもそんなんじゃないから」


 グサリ。


 今、何か胸に鋭いものが突き刺さった気がする。藍も別に何一つ間違った事は言ってないのだが、それでももう少し否定するまでに躊躇いや葛藤があっても良かったのではないか。そう思うのは自分の勝手な願望だと分かっていても、どこか寂しい気持ちになってしまう。


 そんな啓太の心の内など知る由もなく、藍とアヤは何やら笑顔で囁きあっている。詳しい内容は聞こえないが、女の子同士通じるものでもあったのだろうか?


「なあ藤崎」

「なに?」


 ようやく話を終え、体を起こした藍。そんな彼女に、啓太はおずおずと聞いている。


「昔、どうして俺がお前にあれこれちょっかい掛けていたか分かるか?」


 我ながら、ずいぶんと直接的な質問だと思う。もしこれで正解を答えられたら、自分が好きだった事がバレていたのなら、いったいこれからどんな顔をして向き合えばいいのか分からない。


 もっとも、そんな答えは返ってこないとだいたい分かっているのだが。


「理由?私が怖がりだから、それ見て楽しんでたんじゃないの?」

「…………いや、その通りだ」


 ほらこれだ。今では当時と違ってだいぶ距離も縮まり、ある程度仲良くなったと思う。なのにコイツは、自分の気持ちには一向に気づいていない。簡単に言うと、ビックリするくらいに鈍感なやつなんだ。


 けれど、それでいいのかもしれない。子供の頃とはいえ、あんな事をしていた自分に今さら好きだなんて言う資格は無いし、それにコイツが好きな奴は別にいる。自分でなく、いつも守ってくれていたアイツを、ずっとずっと一番に想っていた。

 だから、この気持ちに全く気づいていないのには、正直少しホッとしている。







「じゃあな。俺、そろそろ行くから」


 揃ってスーパーから出たところで、アヤとコウジを引き連れたまま別れの挨拶を切り出す。

 けれど、そうして歩き出そうとしたその時だった。


「三島、ありかとね」


 不意に藍の声が届き、足が止まる。


「なんだよいきなり?」

「私も、ずっと言ってなかったから。ユウくんが亡くなった、あの時のこと……」


 その声からは、まるで少しの緊張と切なさが伝わって来るようだった。


 それから、自然とあの日の事を思い出す。藍が一番大好きだったアイツが、『ユウくん』が亡くなった日の事を。

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