6 少年たち


 御堂筋線の中津駅から徒歩三分のところに、そのバイクショップはあった。

 コンクリート打ちっぱなしの細長い五階建てのビルで、一階は店舗と整備工場、二階には高級バイクのショールームと商談室、三階は事務所、四階と五階は社長の自宅になっていた。芹沢は中津に住んでいた頃にここを見つけ、現在乗っているバイクを購入した。以来、そのバイクのメンテナンス依頼はもちろんのこと、バイクに関する様々な知識や業界の事情、地域の情報なども仕入れている。社長は芹沢よりふた回りほど歳上で、親から引き継いだ小さなバイク屋を成長させ、今では大阪のバイク業界で確固たる地位を築いていた。


 整然と並べられた原付バイクの間を縫って店舗の自動ドアをくぐると、センサーが働いて来客を知らせるインターホンの音が鳴った。すると奥から「はーい」と声がして、デニムのを着た若い男性が現れた。

「いらっしゃい――あ」

「よう」芹沢はにっと笑った。

「こんちわ」

 男性は満面の笑顔を浮かべて近付いてきた。何かの作業中だったのか、工業用の防塵マスクを着けていた。それを外して明るい茶髪の頭を振り、芹沢を見てもう一度にっこりと笑った。ふもとに皺の寄った鼻が少し曲がっていた。

「社長はいる?」芹沢は訊いた。

「今、納車に行ってる。滋賀しが県まで。今さっきこれから帰るって連絡があった」男性は言った。「なに? 仕事中?」

「ああ。ちょっと訊きたいことがあって」

「そう……オレでも分かることではない?」

 芹沢は頷いた。「ハーレーのソフテイル、具体的な種類は分からねえんだけど、去年の秋以降、メンテナンスに来てる客っているかな。カラーはたぶん――茶系の赤とパール」

「何人かいると思うよ。その客がどうかした?」

「ちょっとな。いるんならその客のリストが見たいと思って」

「あ、それはさすがにオレではどうにも――」

「だろ。また出直すよ」

「……ごめん」

琉斗りゅうとが謝ることじゃねえよ」

 琉斗と呼ばれた男性は俯いて、またすぐに顔を上げた。紅く日焼けした顔の真ん中で光る眼差しに、あどけなさが残っていた。

 西条さいじょう琉斗、十七歳。去年の暮れに芹沢たちが担当した事件の関係者である。彼自身は罪を犯したわけではなかったが、彼の父親と、彼が想いを寄せる女子中学生の父親のあいだでトラブルが起こり、結果として彼の父親は傷害、女子中学生は殺人未遂で逮捕された。彼も深く傷つき、自傷行為に走って大怪我を負ったが、事件がきっかけでそれまでの投げやりな人生を立て直すことを決意した。バイクが好きで将来はその設計に携わりたいと考えていて、芹沢に紹介されたこの店で働きながら市内の定時制高校に通い、大学進学を目指している。


「――どうだ、調子は」芹沢は言った。

「うん、まあ、ぼちぼち。一人で店番任されるようになった」

「そうみたいだな」

 芹沢は店内を見渡した。いつもはもうあと二人ほど従業員がいるが、今は出払っているようだ。

「学校は?」

「進級できたよ。前に通ってた高校では、結構ヤバかったのに。芹沢さんのおかげや」

「おまえが頑張ったからだろ」 

「まあね。試験とのきは、社長も休みくれたし」琉斗は肩をすくめた。「で、この春からは昼夜間単位制とか言うて、授業時間を昼でも夜でも自由に選べるようになってさ。ここの定休日に、受けたい授業があったら昼間でも行けるようになったんや」

「そりゃ良かったな」芹沢は頷いた。「けど、休みの日くらいゆっくりしたいんじゃねえか。遊びにだって行きたいだろうし」

「別に。遊び友達なんかいてへんし。家にいたかて、窮屈なだけやし」

 そう言って俯き加減で笑う琉斗を芹沢はじっと見つめた。

「……親父さん、どうしてる?」

「おとなしくしてるよ。執行猶予っていうの? あれのおかげや」琉斗は鼻を触った。「オレを殴ることもせんようになったし」

 彼の鼻が曲がっているのは、幼いころの父親からの暴力によるものだ。

「仕事は見つかってねえのか」

「ううん。知り合いので、難波なんばのビジネスホテルで働いてるよ」

「母ちゃんは」

「パートに行き始めたよ。介護施設の食事を作りに行ってる」

「そうか」

 芹沢は微笑んだ。一時は崩壊寸前まで追い詰められていた家族が立てなおしを図って歩き始めた様子が知れて、純粋に嬉しかった。

「――そうや、このあいだあかねから手紙が来たよ」

 茜というのは琉斗が想いを寄せている少女で、実の父親を刺して瀕死の重傷を負わせた罪で芹沢たちに逮捕され、現在は大阪市郊外にある女子少年院に収容されている。

「元気そうだったか」

「うん。まずまずって感じかな。それで――親父さんとおふくろさんの離婚が成立したそうや」琉斗は神妙な顔で言った。

「ふうん」――自然な成り行きだなとしか思わなかった。

「それで、茜は親父さんの籍に残ったらしい。出てきたら親父さんのレストランを手伝うんやて。親父さんと暮らすんやてさ」

 琉斗はちょっと腑に落ちない様子で首を傾げた。

「……何だよ、不満か?」芹沢は頬を緩めた。「彼女がそう選択したんだろ?」

「うん。でもさ、茜が親父さんをひどい目に遭わせたのに――それってどうなんって思ってさ。罪滅ぼしなんかなって」

「おまえんとこの親のことを考えてみろよ」

「え?」

「親父さんと母ちゃん、どっちがヘコんでる?」

「あ――」琉斗は顎を上げて店の天井を見た。「……親父かな。おかんはあからさまに逞しくなった」

「だろ。案外男の方がダメージ引きずるんだ」芹沢はふんと笑った。「茜ちゃん、親父さんのそばに付いててあげようと思ったんじゃねえの」

「そうなんか」

「……おまえ、親父さんだと怖ぇのか。『茜に近づくな!』とか言われそうで」

「えっ、いや――そんなことないよ」琉斗は頭を掻いた。

「好きな子の親父になんてな。クソミソ言われてナンボだぜ」

 そう言うと芹沢は琉斗の肩をパシッと叩いた。そしてそろそろ引き上げようと思って店の表に振り返ったとき、並んだバイクを見ている学ラン姿の一人の少年に気付いた。

「――あれ、お客さんじゃねえか」

「え?」琉斗は首を伸ばした。「――あ、か」

「知ってるのか」

「うん。お客さんていうか、友達。ちょっと待ってて」

 そう言うと琉斗は店の表に出て、その少年に近付いて声を掛けた。

「さとっちゃん」

「ああ、琉斗くん。こんにちは」

 声を掛けられた少年は顔を上げてにっこりと笑った。自然に茶色がかった髪をすっきりと短く整え、黒縁眼鏡に涼しげな瞳、鼻筋の通った利発そうな顔立ちをしていた。身長はそれほど高くはなかったが、背筋を真っ直ぐに伸ばして琉斗を真正面から見つめている堂々とした佇まいが、芹沢には自信に満ち溢れて見えた。

「今日は早いやん。学校は?」琉斗が訊いた。

「新学期始まったばかりで、授業は短めでさ。部活もないし」

 少年ははきはきと答えると、琉斗の後ろにいる芹沢に気付いて軽く会釈した。「こんにちは」

「琉斗の友達?」芹沢は少年に微笑んだ。

「はい。川島かわしまさとると言います」

 少年は言うと、芹沢に改めて丁寧なお辞儀をした。

「さとっちゃんはさ、めちゃくちゃ頭ええねん。オレ、ときどき勉強教えてもらうんやけど、教え方も上手くて、オレみたいなアホでも分かりやすいんや」

「へえ」

「別に上手くはないよ。琉斗くんの呑み込みがええから」

 川島少年はにこにこと笑って芹沢を見た。「教え甲斐があります」

「偏差値府内トップの高校に通ってるんや。歳は同じやけど、早生まれのさとっちゃんは学年はオレよりいっこ上の、三年生」

「ああ、川向こうの」

 芹沢は北西の方向を指差した。川島少年ははい、と頷いた。

「意外にもバイクが好きでさ。学校のあと、予備校までの時間潰しに、ここへ来てバイク眺めるのが日課なんや」琉斗は言って川島少年を見た。「で、オレはバイクのあれこれをさとっちゃんに教える」

「琉斗くんのバイク愛、ビンビン伝わってきます」川島少年は胸に手を当てた。「将来、バイク買うときは琉斗くんに選んでもらおうと思ってます」

「琉斗、責任重大だな」

 芹沢は琉斗を見た。琉斗はエヘヘ、と笑った。

「――このお兄さんも、お客さん?」

 川島少年が琉斗に訊いた。

「うん、そう。でもほら、前にオレが言うてたやろ。ここで働けるように世話してくれた――」

 川島少年はああ、と大きく頷いた。「――刑事さん――」

「そう、こう見えて。見た目チャラいホストにしか――」

 なに言ってんだよ、と芹沢は琉斗の頭を小突き、琉斗はわぁ、と両手を上げて飛び退いた。川島少年はそれを見てウキャキャと笑った。

 二人の少年がひと通りじゃれ合うのを見届けて、芹沢はおもむろに腕時計を覗いた。「――んじゃ、そろそろ行くわ」

「社長が帰ってきたら、連絡するように伝えるよ」

「いや、いい。また来るから」

 そう言うと芹沢は川島少年に振り返った。「川島くん、琉斗のこと頼むな」

「――え? あ、はい」

 川島少年はまた明るい笑顔で頷いた。

 琉斗にまたな、と手を上げると、芹沢はバイクショップをあとにした。

 

 通りを駅に向かいながら、若いっていいなと年寄りじみたことを思った。



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