5 傷だらけの愛車


 その頃、芹沢は殺された岡本信哉の生前の交友関係と、借りた金の使い道を探ろうとしていた。

 しかし、先に捜査一課による一通りの捜査が済んでいる現状では、同じやり方では新情報を得ることは期待できなかったし、こちらの動向が捜一に伝わる危険もある。そこで、彼らが手をつけていない別の方面からのアプローチを試みることにした。


 芹沢はまず、岡本が所属していたバンドのホームページを調べた。

 バンドは岡本を失ってしばらくは活動を休止していたが、最近になって新しいギタリストを迎え、再始動していた。新メンバーはなんと女性で、簡単なプロフィールと写真が掲載されていたが、エキゾチックな雰囲気の漂う美人だった。芹沢はその女性の名前とプロフィールを手帳に控えた。

 次に、バンドの過去の活動を記録してあるページを開いた。インディーズレーベルから二枚のミニアルバムを発表してはいるものの、まだメジャーデビューはしていないせいか、ライヴハウスでの演奏が主だった活動だった。一つ一つ辿っていく中で、芹沢はふと、岡本が昨年の秋頃に一度だけ、知り合いのバンドのヘルプのギタリストとして――いわゆる客演というのとは違って、単純に助っ人である――出演したことの記述を見つけた。そこでそのライヴハウスを訪ね、捜一が把握していない岡本の交友関係や金についての何らかの経緯いきさつがないか調べることにした。


 北区の中津なかつにあるそのライヴハウスは、芹沢には多少馴染みがあった。というのも、今のマンションを購入して去年の九月に引っ越すまでは中津に住んでいたからだ。ライヴハウスは当時の通勤経路上にあり、仕事の帰り、その前でライヴ終わりの客が騒いでいるのにしょっちゅう遭遇していた。そう言えば一度だけ、前を通ったタイミングで扉が開いて客が出てきたとき、中から漏れてきた音楽の心地よさについ誘われて入ったことがあったが、洞窟風の隠れ家のような内装と洒落たインテリアに包まれて、とても居心地が良かった記憶があった。


 芹沢が訪れたとき、店内には三十歳前後の男女それぞれ一名ずつのスタッフと、今夜ライヴを行うというバンドのメンバー三名がいた。岡本について尋ねると、金髪の男性スタッフが口を尖らせて言った。

「――あいつ、ほんまにふざけたヤツやったよな。ええ加減なヤツやった」

「というと?」

「まあ、女遊びとギャンブル好きはあいつの基本スペックみたいなとこがあるからいまさら特になんも思わんけど、人の大事なモン壊しといて反省無しとか、ありえへん」

 男性スタッフはため息をついて芹沢を見ると、はっとしたように眉を上げて視線を落とした。「……あ、死んだ人間を悪く言うのはホンマはちょっと、心苦しいのやけど」

「分かってますよ。それで、何を壊したんです?」

 男性スタッフは軽く頷いて話し出した。

「……あいつ、ここで演奏した日にね。ライヴを観に来たメンバーの友達が乗ってたバイクを気に入って、ちょっと貸してくれって言い出して。相手が渋るのをあれやこれや言うて説き伏せて、次の日に借りたはいいけど、ちょっと走ったらすぐにスリップして転倒したんよ。ボディ傷だらけにして、マフラーも落っことして」

「どんなバイク?」

 芹沢はつい質問した。自分もバイクが好きだからだ。

「えっとぉ……オレあんま詳しくなくって――確かハーレーの――」

 そう言うと男性スタッフはカウンターの中にいた女性スタッフに振り返った。背の高い女性スタッフは首を傾げて、

「ソフト……なんとかって言ってたかな――」

「ソフテイル」芹沢は答えた。

「そう、それかも」女性スタッフはにっこり笑った。

「ボディカラーは?」

「茶色っぽい赤だったっけ?」女性スタッフは同僚に訊いた。

「それと白も入ってた。パールっぽい白」男性スタッフが続けた。「――で、その相手にマジギレされて修理屋に出したんやけど、そこがあいつ同様ええ加減なとこで。なんか、小学生の夏休みの工作レベル? 塗装はだらけ、マフラーの修理も杜撰ずさんやったらしいよ。怒った相手が岡本に弁償しろって迫ったけど、当然岡本にはそんな金ないし、何やったら怪我して治療代がかかるんやとか言い出す始末でさ。埒があかんから仕方なく自分で修理することになって業者に依頼したら、先に雑な修理されてしもてたから余分に金がかかってね。そのあと岡本と大喧嘩になったって」

「……ありえねえ」芹沢は思わず呟いた。「――あ、いや、それで?」

「結局、その相手は泣き寝入り。友達やったメンバーとの仲にも亀裂が入ったらしくて、岡本はそのバンドの他のメンバーから総スカン食らった。ここも出禁にしたよ」

「そのときの岡本の様子は?」

「いつもの通り。悪かったとは言うてるんやけど、口先だけや。修理代請求されても、『もう修理はした』って、悪びれる様子もなかったそうやし」

 男性スタッフは苦々しい表情で首を振った。「あんなふざけたヤツ、誰も相手にせえへんと思うんやけど、どういうわけか、一部の人間には可愛がられてたな」

「どうにもこうにも、愛嬌があるのよね」と女性スタッフが口を挟んだ。「ルックスも良かったし」

「……な。結局こういうこと。イケメンは得やねん」

 男性スタッフはため息をついて芹沢を見た。「――あ、あんたもか」

 芹沢は薄笑いを浮かべ、黙って首を振った。

「あたしは特に惹かれてたわけじゃないわよ。ただ憎めないところがあるって思うだけ」女性スタッフが言った。「でも、ああいう人物の周りには必ず面倒見のいい人間がいるのよ。捕まった女性も、きっとそうだったんじゃない」

 男性スタッフはふんと鼻息を漏らした。芹沢は小さく笑い、また何か言われないうちに話題を変えようと軽く咳払いをした。

「――その、バイク壊された人物の素性って、分かりますか」

「知りません。みんなからは『リョウちゃん』って呼ばれたけど」

 芹沢は女性スタッフに振り返った。「あなたは?」

 女性スタッフは肩をすくめて頭を振った。「あのときのバンドのメンバーに訊いたら分かるんじゃない」

 そう言うと女性スタッフはカウンターを出て、バックヤードへと消えて行った。

「そのバンドの方と連絡を取りたいんですが。誰でもいいので」

 芹沢は男性スタッフに言った。

「それが――あのときの出演を最後に、拠点を東京に移したんやなかったかな――」

 男性スタッフは立ち上がり、ステージ脇で談笑している今日の出演者たちのところへ行くと訊いた。

「――なあ、『NEW DAWN』って、東京へ行ったんやったな?」

「ああ、そうやと思う」ドラムスティックをくるくると回していた男が言った。「でも、最近解散したって噂やで」

「そうなん。ほな、所属事務所とかもう分からんか」

「たぶん」とドラマーは頷いた。「『NEW DAWN』がどうかした?」

「いや、ちょっとね」

 男性スタッフは曖昧に答え、芹沢のところへ戻って来ると首を捻って言った。「ちょっと分かりませんね」

「そうですか」

 芹沢は小さくため息をついた。残念ながら、ここでは手詰まりのようだ。

「――あ、ちょっと待って」男性スタッフが言った。

「はい?」

「その、バイク壊されたリョウちゃんて人。この近辺に住んでたんと違うかな」

「と言うと?」

「……うん、確かそうやった。なんでも、バイク通勤してて、ライヴ当日も職場からここへ駆けつけて来たんやけど、ライヴのあとメンバーと飲み直そうってことになって、リョウちゃんがじゃあバイクを家に戻して出直して来るって言うたことで、岡本がバイクに興味持ったんやったし」

「つまり、すぐにここへ戻って来れそうな感じだったと」

「ええ。十分十五分の感じやったんと違うかな」

 芹沢は頷いた。ということは、きちんとした修理をこの近辺で出している可能性がある。それならまだ動きようがあるなと思った。


 男性スタッフに礼を言ってライヴハウスを出ると、さっきの女性スタッフが目の前の舗道を掃除していた。芹沢は彼女にも礼を言った。すると彼女は、

「また来てね。イケメンさん」

 と言い、スレンダーな身体を起こしてウィンクした。

 芹沢は軽く頷いて微笑むと、通りを御堂筋線の駅へと向かって歩き出した。



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