2 貢ぐ女、貢がれる女


 岡本信哉殺害事件の西天満署刑事課による異例の『捜査の見直し』が決定した直後から、岡本と交際のあった複数の女性の私生活が、一係の八人の刑事たちによってすべて洗い出された。職業、収入、趣味、夜遊びの立ち回り先、岡本との交際の親密度、事件当時の岡本以外の交友関係、事件当日のアリバイの有無、事件の前後でどう生活が変わったか、現在の交友関係等々、刑事たちは実に丹念に調べ上げた。世間はすっかりゴールデンウィークで、どこもかしこも人で溢れていたが、そんなこととはまるで無縁の運命を悟っている彼らはこの数日間、淡々と、黙々と自分たちに与えられた任務を遂行した。


「――アリバイが曖昧なのが二人。岡本に百万近くの金を貢いでたのが一人を除いた残りの全員。当時、岡本とは別に男がいたのが四人。やつが死んでせいせいしている様子なのが一人。で、事件後新しい交際相手がいてないのはゼロ。この点だけは、みんなしっかり足並みを揃えてらっしゃるということか」

 調査結果を乱れた細かい字で箇条書きにしてあるホワイトボードを眺めながら、課長は高野係長に話しかけた。一係に残っていたのは係長だけで、あとはすべて出払っている。

「要は、どの女も怪しいけど、言い換えれば誰もが決め手に欠けるというやつかね」

「そういう感じですね。全ての女性とご対面できましたけど、特に臭う人物はいてません」

「この、アリバイが曖昧な二人というのは?」

「一人は部屋でテレビを見ていたというのと、もう一人は梅田をブラブラしてたというのと」

「日曜やったからな。仕事が休みやと、たいていのもんはそうや」課長は頷いた。「岡本への金の貢ぎ方やけど、みんないっぺんに百万近く渡してる?」

「いえ、違います。厳密に言うと貢いでたというニュアンスではないですね。つまりは、会って遊ぶときのスポンサーです」

「支払いは女、ということね」

「そうです。せやから、一回につき二万とか三万とかの出費で、それが積もり積もって百万近いというだけのことです。しかも、その中には自分の飲食代も含まれてるわけやから、金に関しては、みんなそう腹を立ててるわけではないんです」

「そのうち一人だけは、そういう金も使わんと済んでるのがいてるけど、これは?」

「あ、それね。交際相手の中で唯一、岡本の方が熱を上げてた女性です。ミナミのメンズブティックの店員なんやけど、なかなかのべっぴんさんでね。その女は私が当たったんですけど、彼女には他に男がいたから、岡本のしつこい誘いに迷惑してたみたいです。せやから当然、金を貢ぐようなことはなかったし、逆に岡本がそのブティックに足繫く通って、高い服やら何やら買うてたそうです」

「その女? 岡本が死んでせいせいしてた様子やったというのは」

「そう」

「事件当日は――ブティックの閉店後に棚卸作業で遅くまで残業か。完璧なアリバイがある」

「ええ、店にはスタッフ全員が残ってましたから、間違いなしです」

「その女の気を引くための資金調達も、岡本は他の女たちからしてた。そんなとこやね」

「いや、それが違うらしいです」

「と言うと?」

「この女性から聞いた話によるとですね。岡本が十日に一度は店で一番高い商品を買うてくれるもんやから、『ようお金が続くわね』って言うたことがあるそうなんです。そしたら岡本が『とびきりの金蔓かねづるがいてるんや』と答えたそうです」

「金蔓? 坂口郁代のこと?」

「いいえ、なんでも、自分にぞっこんの金持ちのお嬢やそうです」

「新しい線やな。それらしいのは?」

  高野は首を捻るとデスクに肘を突き、両手を組み合わせてその上に顎を添えた。「一人だけセレブな専業主婦っていうのがいましたね。歳は三十くらいやったかな。でも事件当時は出産で入院してたから、岡本を殺すのは無理。亭主は飲食の店を三軒ほど経営してるということでしたが――その女房が自分で自由にできる金を持ってたかどうか」

「岡本の言う『とびきりの金蔓』ってほどではないのかな」

「それに『金持ちのお嬢』ということは、実家が裕福ということですしね」

「そこはもうちょっと調べる余地があるな」と今度は課長が首を傾げた。「とにかく、その金蔓から巻き上げた金を、そのべっぴんさんのために使ってたというわけやね」

「あくまでその女性が岡本から聞いた話によると、ですけどね」係長は頷いた。

「で、他の女性からはたいした話は出てけぇへんかったか」

「そうですね。さっきも言うたように、特に怪しげな人物もいてませんでした」

「案外、そのお嬢が有力かもな」と課長は独り言を呟いた。「自分がただの金蔓やったと知って逆上したか」

「可能性ありますね」

 そうなると、その女の正体を突き止めることから始めなければならない。ここへ来てまた一からやり直しか。いつものこととは言え、高野はいささかうんざりしながら答えた。




 待ち合わせ場所のホテルに着くと、芹沢がすでにロビーで待っていた。鍋島が近付いていくと、芹沢はエレベーターホールを指差し、拳を作った両手を交互に上下させて自分もそちらの方向に歩き出した。地下駐車場に向かうということらしい。

「――どうだった。いい指輪買えたか」

 鍋島に並ぶと同時に、芹沢が訊いてきた。

「うーん……まあまあかな」

「え、なんだよそれ。その程度のものに決めたのか」

「いや、まだ決め切れてない」

「おっせーなぁ」と芹沢は顔をしかめた。「やっぱ三上サンに決めてもらえよ」

「だから、要らんて言うてるんやて」

「ほんっとめんどくせーな、おまえら」芹沢は言って肩をすくめた。「指輪なんかにこだわりたくねえとか言っといて、逆にこだわりすぎてんじゃん」

「……俺も最近そう思えてきた」鍋島は浮かない顔で頷いた。「もう、担当さんの薦めるやつにしとこうかな」

「まあ、間違いはねえだろうな」

「けど高っかいねん、それがまた。いくらやと思う?」

「知らねえよそんなの。腹括ってんじゃねえのかよ」

 芹沢は言うとエレベーターのコールボタンを押し、鍋島に振り返った。「けどその割に三上サンが乗り気じゃねえのは納得できねえってか?」

「別にそういうわけやない」

「だったらさっさと決めちまえ。グダグダ俺に言ってくんな」

「おまえが訊いてきたんやろ」

 鍋島は口元を曲げた。それからエレベーターの到着階を示すランプの点滅を眺めながら言った。

「そっちはどうやった。医者の話」

「やっぱり、話を聞いただけじゃ分らねえって」芹沢は答えた。「峰尾みたいなのが一番判断に困るそうだ。日常生活では極めて常識ある行動をとるくせに、ときどき思い出したように狂気に走るってのが。しかもその境目が曖昧で、特に条件的要素も見当たらねえんだからな。もちろん、本人にその自覚もねえし」

「ジャブ中みたいなやつらの方が分かり易いってわけか」

「そう。そいつらの場合は、クスリを打ったら頭ン中でお囃子が鳴り始めるわけだろ。ややこしくなくていいらしいぜ」芹沢はいくぶん腹立たしげに言った。

「ってことは、公判は長引くやろな」

「だろうな」と芹沢はため息をついた。「――あ、それから、おまえが部屋を出て行ってすぐに村上ってあんちゃんから電話があったぜ。千春って女がハワイから戻ってきたって言ってたよ。で、その千春ちゃんと一緒に三時にジャズクラブで待ってるってさ。俺も行っていいかって訊いたら、構わねえってよ」

「それを早よ言えよ」

 鍋島は表情を明るくした。そして腕時計を見ると大きく頷き、やってきたエレベーターに乗り込んだ。

「そうとなったら、さっさとメシや」


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