4 オーナーの娘


 空き巣の被害に遭ったマンションは国道一号線と天満橋筋(谷町たにまち筋)の交差する地点、つまり東天満交差点から南西に百メートルほど入った東天満一丁目の一角にあった。やや細長いビルの林立する地区で、そのほとんどがオフィスだった。そのマンションも印刷会社と医薬品商社の社屋に挟まれていた。

 外観は薄いチョコレート色のタイル張りで、表通りに面したベランダは半円形のバルコニー調だった。間口の狭い五階建ての一階は不釣り合いなまでに重厚で豪華なエントランスと、その奥に二輪車置き場らしきスペースがある。二階からの各階は、手前から奥へと部屋が三つずつ並んでいた。

「――なんだか、やかましい豪華さだな」

 玄関前に車を寄せ、運転席から足を踏み出すなり芹沢は呟いた。

 二人はエントランスへと入って行った。大きな一枚ガラスの自動ドアの向こうにいた制服警官が二人に気づき、前に進んでドアを作動させた。

「どの部屋?」

 制服警官に案内されてエレベーターに向かいながら、芹沢が訊いた。

「三階の表通り側です」

「住人は?」

「普通のОLです。ここのオーナーの娘です」

「下着泥棒?」

「いえ、物取りのようです。相当荒らされています」

 そこへエレベーターが来た。二人が乗り込み、制服警官は軽く敬礼しながら見送った。

 エレベーターの中で鍋島は大きく欠伸をした。芹沢はその様子を見て、「頼むぜ。今日何回目だ?」と苦笑した。鍋島は頭を振り、「この時期はどうもな」と呟いて首の後ろを掴んだ。


 三階に到着すると、そこでも二人は別の制服警官の出迎えを受けた。そして廊下を進み、ドアの開け放たれた部屋の中に入った。

典型的なワンルームタイプの部屋だった。縦長で、玄関から伸びる廊下の右側はキッチン、左側はユーティリティールーム。奥の部屋は十帖くらいで、ベランダへと続いていた。大きめのクロゼットも造り付けてある。なるほどそこが派手に散らかっており、その中で鑑識係員が一人だけ、黙々と作業をしていた。

「担当替えか?」

 三十代後半の鑑識係は、二人をちらりと見上げて言った。

「知ってるくせに。ですよ」

 鑑識係はふんと鼻を鳴らしてにやりと笑い、手元に視線を戻した。

「おまえ、被害者の方頼むよ。そうすりゃ欠伸なんてしてらんねえだろ」

 芹沢は鍋島に言うと部屋を進み、ベランダへ出て行った。鍋島は部屋を出て制服警官のところへ戻った。

「住人は?」

「さっきまで管理を任せている不動産屋と話してたんですけどね――巡査部長たちが来られる前に、その人物を送って階下したへ降りて行きました」

 そこへエレベーターが開き、一人の女性が降りてこちらへ歩いてきた。幾分青ざめた顔を俯けて、口元をハンカチで押さえている。自分とほぼ同年代だなと鍋島は思った。

「あの女性です」

 制服警官の声が聞こえたのか、女性が顔を上げた。目鼻立ちのはっきりした、快活そうな風貌をしていた。

 鍋島は軽く会釈して口を開いた。「ここの部屋の方ですね」

「ええ」

「西天満警察署の鍋島です」

「辻野です」と女性は消え入りそうな声で答え、鍋島を上目遣いで見た。

「ちょっとお話を伺いたいんですが、大丈夫ですか? 気分が悪そうやけど」

「いえ、大丈夫です」

 そう言うと女性はハンカチを持った手を顔から離し、まっすぐに鍋島を見た。

「まず、お名前と生年月日をお願いします」

「辻野仁美です。生年月日は――」

 鍋島より一つ年下の、二十九歳だった。

「現住所はここですね」

「はい」

「オーナーの娘さんやとか」

「そうです」

「ではご実家は?」

「京都です。上京区かみぎょうく上立売かみだちうりどお新町しんまち西入にしい西大路町にしおおじちょう――」

「大学の裏手?」と鍋島は訊いた。母校の学舎があるあたりだ。

「ええ」と彼女の表情が一瞬明るくなった。「よくご存じですね」

 鍋島は「通ってたから」と言おうとしてやめた。話が横道に逸れるのを懸念したのだ。

 そして続けた。「ご職業は?」

「会社員です。MRC化粧品の。そこの企画部にいます」

天六てんろくのね」鍋島は手帳に書き込んだ。「管理人さんは置いてないんですか」

「ええ。以前はいらしてたんですけど、事情があって辞められたんです。それからはなかなか条件に合う人がいないらしくて。まあ、玄関はあの通りの厳重さですし、頼りないけどあたしもいるので、とりあえずは不動産屋さんにご協力願って、しばらくは今のままでもええかなってことで――」

「で、そうこうしてるうちにがこんなことになった」

「……面目ありません」仁美は俯いた。

「お帰りになったときの状況をご説明願えますか」

「はい、あの――鍵を開けて入ったら、部屋があんな風になってて、ベランダの窓が開いてました」

「何時ごろでしたか?」

「帰ったのが、ですか? 五時半やったと思います」

「今朝、お出掛けになったのは?」

「いえ、実は昨日、京都で友達に会う約束があったんで、昨夜はそのまま実家へ帰ったんです。だから最後にここを出たのは、昨日の朝の八時半です」

「丸二日近くか」と鍋島は呟くと仁美を見た。「タイミングがいいですね」

「はあ、そう言われれば……」

「昨日あなたがここへ戻らないことを知っていたのは、あなたの他に誰が?」

「誰もいません。最初はそのつもりじゃなかったし」

 鍋島は頷いた。「最近、何か変わったことはありませんでしたか。洗濯物が無くなってるとか、部屋を見張られているような気がするとか、誰かに尾けられたことがあるとか」

 そんな気味の悪いことはあって欲しくないとでも言うように、仁美は大きく首を振った。「……気づかなかっただけかも知れませんけど」

「じゃあ以前、別の部屋が被害に遭ったことは?」

「あたしの知っている限りでは、ないと思います」

「分かりました」鍋島は手帳を閉じた。「そろそろ部屋の調べが終わるころだと思いますので、もう一度詳しく被害状況を見直していただけませんか? それから署にご同行願って、被害届を出していただきます」

「あ、そうですか――」

 仁美が頷いたところで、ドア付近で人の動く気配があって、二人は振り返った。

(あれ……?)

 顔を出した男に、どういうわけか仁美には見覚えがあった。それもごく最近のような気がした。



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