第41話 解放

 祭殿前で天奈を見送り十分くらいが経つ、潤子はそわそわしていた。

「どうしよ、やっぱりあたしも行こうかな? でも天奈は待ってて言ってたし……どうすれば良いアメンボ?」

 霊剣アメンボは何も答えない。

「そうだね親友を一人っきりにしちゃいけない、うしっ、あたし達も行くよアメンボ、カチコミだー!!」

 意気揚々とアメンボを構え、潤子は祭殿へ突撃しようと一歩前進する。


 それと同時に球体の祭殿が膨張して勢いよく弾けた。

「ひゃわあっ⁉」

 幾多の木漏れ日を間近で受け潤子は腰から倒れる、唖然と瞼をパチクリさせていると消滅した祭殿の中央、白い道に立つ天奈の姿を見つけた。


「天奈!!」

 起き上がり潤子は急いで親友に駆け寄った、天奈はしばし虚ろな目をして静止していたが、やがて瞬きを繰り返し振り向いた。

「潤子?」

「大丈夫だった、ケガしてない⁉」

「大丈夫……呪物、ちゃんと浄化したよ」

 そっと、胸に抱いていた埴輪を見せる、瘴気に侵され淀んでいた粘土体は浄化され格式を感じる色を取り戻していた。


「んん? はにわ、だよね、可愛いけどソレが呪物?」

「うん、埴輪は大昔に魔除けや柵変わり、色んな用途で使われていたけれど……葬儀の際に死者の魂を弔う、鎮魂ちんこんの務めも果たしていたって、目にしたことがある」

 細い指で埴輪の顔をそっと撫でる、ざらざらとした肌質が心地よく天奈は目を細める。


「何時の時代、どの地方で作られたのかは分からない、でもずっと昔からこの子は祈りを捧げていたんだと思う」

「祈り、今言ってた死者の魂に?」

「うんこの子の声が聞こえた、死んだ人が安らかに眠れるように寄り添いたかっただけだって、その想いで現代まで長い間、祈り続けてた、それが出来る程この子は強い力を持ってる」

「いい子じゃんその埴輪……でも何でそれが呪物なの? 呪われた物には全然思えないけど?」


「……推測だけれど、受け止め過ぎたんだと思う人の死を、死んだ人の魂は痛いとか苦しいとか死にたくないって負の感情も込められてるから、それを長い間受け止めて行った結果、祈りが呪いに変わってしまった……ホラー映画でもそんなパターンの呪物がよく出て来る」


 そして変質した祈りを旗乃条に利用されてしまった。

「んん、そう聞くと何か可哀そう、でも浄化したから誰かを呪う必要もないよね!」

「……そうだね悲しい声はもう聞こえない、きっと呪いは祈りに戻れる、そう信じよう」

 天奈と潤子は互いに微笑み、優しく埴輪を見つめた。螺旋階段の頂には穢れの邪気は一切消え失せ、澄んだ大気が二人を撫でる。


 ……。

 …………。


「……ええと天奈、呪物は浄化したんだよね? じゃあこれで事件解決だよ、ね?」

「う、うん浄化したら天魔錬成が消える筈、だけれど」

 そう黒音たちは説明していた、二人は周囲を見渡すが特に何か変化が起きた様子は無い。

「一度降りよう潤子、ホタルさんと合流してこれからの事聞いてみよう」


 ピシ、ピシッ。


 提案した天奈の狐耳に何かが割れるような微小音が届いた。反射的に音の方向へと頭を下げる……つまり足元の白い道に。

「ぇ?」

 音は徐々に大きくなり潤子の耳にも届く、何かが割れている?

 注意深く見ると――道にひびが入り始めている。


「っ⁉ 潤子、走っ」

 言い終えるよりも早く白の道は一斉に砕ける、刹那の浮遊の後、少女達は天空から落下した。

 

「きゃああーー!!!!」

「わあああーー!!!!」


 重なる悲鳴が渦を巻き落ち続ける天奈と潤子、空気抵抗が全身を襲い、思考が乱気流を起こす中で必死にもがく。

 

 そんな彼女達向かって黒き鳥が上昇する。

「急・律――まとえ!」

 輝く右羽から風を放ち天奈達を包む、球体の中で浮いた二人は荒く息継ぎを繰り返した。


「お二人共ご無事ですか?」

「ホ、ホダルざーーん、ありがどうございまずーー!!」

 滝の如く涙を流しながら風の玉に入って来たホタルを抱きしめた、しゃれこうべと人魂の群れはどうやら殲滅し終えたみたいだ。


「はぁはぁ、助かりましたホタルさん、今のは流石にダメかとっ」

「いえいえ天奈様、どうやら呪物の浄化に成功されたようですね」

 天奈が抱える埴輪を一瞥した後、ホタルは上空へ顔を向ける。視線を追いかけると螺旋階段頂上の板が順に砕け塵と消えて行く。


「これで、上手くいったんですよね?」

「はい、予想を超える完璧な出来です……潤子様そろそろ離れてください鼻水が羽に掛かってます」

「ずみまぜーーん、ぐすぐす」

 鼻をすする親友の隣で、崩壊する螺旋階段を見つめる。細かく砕け散った粒が灰の雪となり降り注ぐ。


 真横の段も砕け天奈の視線が下がった時、地上から近づく霊気を感知した。

「――ぁ」

 この気は知ってる、狂気に彩られた天奈の大好きな人の霊気。

 

 真下を見れば、残っている階段を飛び飛びで上る――ゴシックな彼がいた。

 

「黒音!」

 天奈が呼びかけると黒音は顔を上げニッコリと笑う、そして階段が途切れた場所から破片に次々と飛び乗り、最後の破片で一気に跳躍して風玉に辿り着いた。

「みんなオツカレサマー!」

 中に入った黒音は二人一羽を各々見て労った。そんな彼の姿を見て少女二人は思わず息を飲む。


 あんなに可愛らしかった漆黒のゴシックドレスはあちこち破れ隙間から覗く純白の肌には擦り傷が幾つも見える。

「天奈、潤子、無事だネそれならオッケー♪」

「ありがとう、黒音は大丈夫だった? 服がぼろぼろ……怪我もしてる」

「問題ナシナシ唾つけとけば治るヨ、こっちもちゃあんと旗乃条のオジサン片付けたから安心して」


 そう天奈への返答を聞き、座り込んでいた潤子がしゃくりを上げる。

「よがっだ、黒音も無事でよがっだーー!!」

「オオ⁉ 潤子どしたの、顔から色んな液体出てるヨ?」

「頂上から落ちたのが余程堪えたみたいです主様」 

「アハハそっかぁ……それじゃあ元気になる魔法を教えてあげるネ、二人共ー結界に注目!」  

 ぴっと外を指さす黒音に釣られ二人は結界へと視線を向ける。


 そして自分達が辿り着いた奇跡を目撃した。


 矢染市を覆い尽くす紫の結界、その前面に巨大で細かなひびが入り進む。

 切れ目が出来るたびに響く音が市内を波紋して、街に存在する全ての命の耳に届く。


 屋内に籠っていた人達は窓先に寄り、怪異達は空を向く、駐車場に居た道広たちも同じくひび割れる結界を注視した。

 異変が始まってから十日以上、何一つ変わらず込め佇んでいた結界が……。


「見届けて、この御伽噺の結末を」  

 黒音が詠い、閉じ込めていた結界が果て無く砕けた。


 淀んだ紫色の大小様々な破片、その全てが桜色に変わり矢染市全域に吹き舞った。

 百花繚乱、麗らかに風光る。

 ゆらゆらと流れる質量を無くした大量の破片は桜吹雪となり、艶やかに街を透過する。


「上手くいったんだな……すげえ」

「ホント……はは、良い天気だし」

 駐車場で壊れていく結界を目の当たりにして、道広、志津理は感嘆に瞳を潤ませる。


 結界の先、矢染市の外には何処までも澄んだ“青空”が広がっていた。

『あぁ唖……ああ』

 さんさんと降り注ぐ太陽に照らされた街の亡者達はそれぞれ動きを止め、安堵の表情を浮かべて消えて行く。


「綺麗」

 青空と桜吹雪がグラデーションを造る幻想風景を眼に映し、しんと天奈は感想を述べる。潤子も同じく感動の余りに固まっている。

 ずっと願っていたこの光景を、ずっと願っていた結界が壊れるその時を。

 街が閉ざされ怪異に支配され、自身の存在すら変わり、天奈の心中には常に恐怖が寄り添っていた。


(終わったんだ、やっと)

『ありがとう』

 ほっとする天音の耳に埴輪の声が聞こえた……気がした。その声が今まで堪えてきた少女の心を揺さぶった。


「ぅ、ぅぅ」

 ぽろぽろと天奈の眼から涙が溢れだした。止めども無く頬を伝う朝露の雫、堪えきれず嗚咽が大きくなる。気づいた潤子もまたしゃがんだまま静かに涙を流す。

 それは恐怖を掻き消す温かい安堵の涙、風の中で少女達は嬉しさで泣きじゃくった。


「本当によく頑張ったネ、偉いヨ」

「くろ、ねぇ、ぐす、うう、ありが、とう」

 黒音は天奈の頭を撫でながら自分の肩に引き寄せた、ホタルも羽で潤子のふとももをさする。

 天奈は何度も頷き、そのたびに零れる雫が埴輪に落ちた。


 日光を破片の吹雪が反射して作られた天使のはしご。

 蟲毒坩堝・天魔錬成が起動してから千歳とも思える十数日、五月中間、花明りの今日。


 ――矢染市は遂に解放された。

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