第40話 悲しむアナタに優しさを

 天空に伸びる螺旋階段、ホタルが暴れ飛ぶ合間を抜け、ついに最後の段を天奈と潤子は踏んだ。

「はぁ、はぁ、やっと着いた」

 胸を押さえ天奈は呼吸を整える、水平に視線を向ければ紫の結界に上書きされた空が見える矢染市の建造物は全て遥か下、標高がどうとか考えるのも億劫だ。


「あの真っ黒いのが祭殿なんだよね、神社みたいなのを想像してたけど……」

 同じく息を吐く潤子が膝に両手を付きながら顔を上げる。

 二人が辿り着いた階段の頂上、最後の段から螺旋の中央に向けて伸びる白い道、その中央に巨大な黒い球体が浮遊している。


 そして球体の上部から青黒い滝の様な奔流が逆流して、空の結界へと伸びていた。

 

「形は関係なくて呪物を祀っているから祭殿、それ以上の意味は無いんだと思う」

 階段を上る途中で黒音の気配を感じた、どこまでも黒く何処までも純粋な霊気を。動揺したが足を止める訳にはいかない、彼を信じてそのまま階段を進み続けた。


 祭殿まで続く白い直線の前で少女二人は佇む、階段を上る間あんなに吹き付けていた風は、この場ではまるで感じず無風に近い。

 天奈はここで気づいた、この祭殿、黒い球体は霧状と化した濃密な穢れが形を成した物だと。


「潤子はここで待ってて、私行ってくる」

「天奈私も、」

 心を決め一歩踏み出した天奈の左手を潤子は掴んだ、憂う眼の親友に狐の少女は微笑みながら首を横に振る。


「あの祭殿は多分穢れの塊、私じゃないと耐え切れない……大丈夫、絶対に帰って来るから」

「絶対に?」

「うん絶対……だから少しだけ勇気を分けて」

 汗が滲む潤子の手を握り返し、二人はこつんとおでこを重ねた。

 それは偶に行う天奈と潤子の友情のサイン。

 天空にそびえる螺旋階段の頂で、吐息の熱を感じながら互いの絆を確かめ合う。


 三十秒経ち少女達はゆっくりと名残惜しくおでこと手を離す、そして天奈は小さく頷き祭殿へと歩みを進めた。

(本当はあの中に入るのは……すごく怖い、先に何があるのか分からない、今までと違って黒音は傍に居ない、私だけで解決しないといけない)

 怖い、怖い……けれど。


 祭殿の間近まで着き、天奈はゆっくりと右手を伸ばし闇の壁に触れた。

「決めたの、諦めないって」

 手のひらから稲荷の光を淡く輝かせ、天奈は祭殿へと踏み込んで行った。

「天奈……気を付けて」

 潤子はアメンボを抱きしめながら、闇に消えて行く銀の尻尾を見つめ続けた。


 ◇◇◇◇◇◇


 ……。

 祭殿の中を歩き始めてどれくらい経っただろうか?

 天奈は手のひらに浮かべた光球を提灯ちょうちん代わりに歩いているが、視界の先は闇ばかり。

(おかしい、よね? どれだけ歩いても終わりが見えない、螺旋階段の直径はこんなに広くなかった筈)

 

 まるで外とは隔絶した別世界に迷い込んだような……これが祭殿。


 穢れで作られた世界に侵入した影響か、頭の中にかすみが覆い判断力が曖昧になる、痛みと虚脱感が僅かに心身を撫でる、長居しすぎるのは危険だと内に潜む狐が警告した。


「ぅ、早く呪物を見つけないと」

 果ての無い常闇の地平線、視覚で呪物を見つけ出すのは余りに難しい。

「ホールで聞こえたのが呪物の声なら……お願いもう一度聞かせて、アナタの声を」

 灯りを消しゆっくりと瞼を閉じる、揺らぐ感覚を狐耳に集中させ周囲の音を探る。


 勘違いでなければ――あの声は助けを求めていた、止めて、と。

 もしかしたら呪物は今の状況を望んでいないのでは? 旗乃条に無理矢理祀られて天魔錬成に使われているのだとしたら……。


『――止め……て、だれ、か……おね、が、い……』

 暗黒の遥か先より、風鈴の様な静かな少女の声。

「! 聞こえたっ、やっぱり助けを求めてる、どこに居るの?」

 ピクピク反応する耳に従い天奈は向きを変え歩き出す。


 その瞬間全身を囲う濃霧が敵意を見せた、穢れの力が強まり天奈を襲う。

「ううっ⁉」

『けーん!』

 苦痛に顔を歪ませた天奈に反応して狐が高らかに鳴き、稲荷の光を少女の全身に纏わせた、これである程度は穢れを押さえることが出来る。


「ありがとう狐さん」

 天奈は礼を伝えるが表情に余裕は無い、穢れの海に落ちているようなものだ、いつ溺れて深淵に飲まれるか分からない。

『い、や、嫌……私は……こん、な事……望んで、な』

 瞼を閉じたまま先に進む、一歩一歩、呪物に近づくたびに痛々しい嘆きが大きくなり、天奈の眉が下がる。


『誰もかれもが命を落としていく』

『私は只、寄り添いたかっただけ、ずっとずっと』

『死した方々が寂しくないように、安らかに眠り続けられるように』

『それだけで良かった……なのに』


 呪物から届く悲哀、声からは純粋で雅な優しさが確かに感じ取れる。

 これは呪物の想いだ。

 

『でも、でもっ私のせいで都に住む尊き命の灯が、無意味に消されていく』

 天奈の歩みが少しずつ早まる、ぶれなく真っすぐと。

『流れてくる伝わって来る、皆の苦痛が恐怖が絶望が無念が』

 眉が上がり小ぶりな唇を引き締める、確然とした決意が心の中で燃え滾る。

『こんな死は望んでいない、魂が報われない、多くの命が分け隔てなく平和の中で育まれていく筈だったのに』

 これ以上、涙を流させる訳にはいかない。歩きながらゆっくりと右手を伸ばした。

『私が、私が皆を殺めた、この都も人も私のせいでっ』


「違う、アナタのせいじゃない」

 瞼を開け天奈は微笑みかける、その指先が暗闇のナニカに触れた。

 彼女の視線の先の闇から徐々に輪郭が見え始め形造る。


 そして青黒く汚れた瘴気しょうきを流し続ける、一体の【埴輪はにわ】が実態を見せた。


(これが……呪物)

 遠い古代を連想させる人物型埴輪、土器色かわらけいろの肌はひび一つなく滑らか、丸い両腕は下を向き平たい帽子をかぶる。

 恐らくは女性がモチーフだろう、平面の顔は穏やかな笑みが描かれていた。


 青黒い瘴気は埴輪から上へと高く上り結界を維持する役割を果たす、その強力な邪気が傍に居る天奈の霊気を著しく削る。


 この埴輪こそ、現世と黄泉を繋げる接着剤。

 天魔錬成の爆心地、異変はここから始まった。


『お願い止めて、もう誰も傷つけたくない』

 しかし中心である呪物は天魔錬成を否定し、黒き涙が一筋流れていた。

「止めるよ、だから泣かないで」

 場違いな事だが天奈はこの時、七年前の事を思い出していた。


(七年前、黒音と離れ離れになった時私も泣いた、それを黒音は優しく慰めてくれた……)

 あんな風に包み込めばいいんだ。

 笑みを浮かべたまま一歩近づき、残った左手も伸ばして天奈は埴輪を抱きしめた。

 愛おしくしっかりと。


『っ……』

「大丈夫、悪夢はもう終わらせるから」

 胸元に抱きしめたことで瘴気が天奈を襲う、身を焼かれるような激痛が全身を刺し、瞬く間に意識が朦朧となるが、それでも抱きしめた腕は離さない。


「ずっと昔から亡くなった人達を弔って祈ってくれてたのね、たった一人で……ありがとう」

『ぁ、ぁぁ……光……温かくて、懐かしい……あまつの匂い……』

「今度は私が祈る番、だからお願い聞き届けて」


 瘴気の焔に包まれながら、銀狐の少女は静かに詠う。


「【いろはにほへと、ちりぬるを】」


 それは祈り、それは願い、少女の純粋無垢な想いが力となり、全身からみなぎる稲荷の光がかつてない煌めきを見せる。

 ここまで走り続けた結果が、白銀の浄化を顕現させる。

 

 

 世界が変わり日常が終わり、怪異融合者と変化した一人の少女が辿り着いた答えを――今ここに。


「【けがれにすくいを――いのち絢爛けんらんであれ】」


 そして、太陽の如き極光が暗黒の全てを抱擁ほうようした。

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