第39話 指揮者は嘲笑う ニ

 ある死神コンダクターの独白。

 

 七年前のあの日からだろうか? 満たされたいと切に願い始めたのは。


 僕の心の水瓶は何時も空っぽだ、散歩、演奏、読書、鑑賞、食事、入浴、睡眠。

 幾度となく趣味と癒しに興じても数滴の悦楽が落ちるだけで、秒も立たずに乾き消えた。


 耐え難い虚無感が二十四時間付きまとい、心を少しずつ殺していく。

 笑ってる、確かに笑ってる筈なのに……笑っていない。


 それでも怪異と殺し合うその時間だけは、僕に得難い満足感を与えてくれた。

 恐怖が蔓延まんえんする呪われた戦場、ハバキリを握り駆けるその瞬間だけは心からの笑顔でいることが出来た。

 傷つける事も傷つけられる事も、その両方が素晴らしい、蜂蜜よりも甘い甘い官能的な刺激。

 

 もっともっと、僕に笑顔を――どうかお願い、本心から嘲笑いたい。

 

 アハ、アハハハハハ。


 だからこの矢染市に侵入した、怪異に支配された生死不安定な危険地帯、通常ではあり得ない数多の恐怖と戯れることが出来る、狂おしく脳髄が蕩ける素敵な時間ティータイム


 正直な話、異変の解決は二の次で良かったのだ、ここで存分に遊べるなら何か月でも焦らそうとも考えていた。長く、可能な限り長く、怪異と遊び演じ興じ舞い詠い戦い殺し、思う存分笑顔になろう。


 ……その筈だったのに。


(「くろね、本当に音羽おとばね黒音くろねなの?」)

(「うん、うんっ、やっぱり黒音だ本当に本物のっ」)


 再会したあのは、いとも簡単に水瓶を満たし尽くしてくれた。

 悦楽が使命に変質するのに、そう時間は掛らなかった。 


◇◇◇◇◇◇


『フム少しやり過ぎたか? 死体が残っていればヨイガ』

 今だ煙を上げる壇上を見ながら、加見津乃鵺は二階から降りる、巨体が落下し地響きが轟く。


 先程までの戦闘の余波で灯りの半数は壊れ、薄暗いホールの中を小さな焔が点々と鈍く照らしている。裂けた天井から空を見るには余りに難しい。


『素晴らしい一戦だった、この短時間で力が高まるのを如実に感じる、しかしまだだ、天魔に至るにはマダ足りない」

 高揚した表情で加見津乃鵺は裂け目を見上げる。

『コンダクターを喰らった後は君だ狐の少女、その身体も霊気も魂も全て私が頂く、』


「ダメ――天奈は渡さない」


 しん、と静寂の中で一つの声が波紋した。

 その声に加見津乃鵺は固まり、すぐに壇上を睨みつけた。

「言ったでしょ? 研究は終わりだってネ♪」 

 壇上を舞う煙の中を掻き分け、ゆらりと歩む深紅と漆黒……ゴシックな彼は現れた。


 轟雷は確かに直撃した、その証に彼のゴシック服もリボンも所々破け、頬も煤けている。しかし、目立った外傷は見られず鮮血も流れていない。


『存外に、君も不死身だな』

 その言葉に黒音は笑みを作り続け、扇情的に首を傾ける。

『クク、しかし五体が無事で良かった、これでしっかり咀嚼そしゃくできると言うものだ』

 ホールの中央で嬉しそうに帯電する加見津乃鵺を無視して、黒音は遅遅と天羽々斬を引き抜いた。


『私の轟雷、再び味わってくれるか? 君が何処まで耐えられるか検証したいノダガ!』

「残念だけど、オジサンのターンはもう来ないヨ……永久にネ」


 カリカリと切っ先で床を削ぎながら黒音は灯りの無い壇上を歩く。

 コマ送りと錯覚する速度で動いた黒音の眼光が敵を射抜いた、感情の読めない満月の瞳が獣の動きを止める。


「これから始まるのは僕の世界、どうぞご照覧あれ」

 蒼き刃が床を一閃、弦楽器に似た旋律が深く反響しホール内に灯された焔が全て消え去る。


 コンダクターは指揮棒を振るい華麗に舞う、全身を纏う霊気が枝分かれして伸びる。


「【聖夜せいやとばり古時計ふるとけいいただえ、これより堕ちるは、由旬ゆじゅん見開みひら八煉獄はちれんごく】」


 枝先は集まり固まり、広がり続け羽と成る。

 コンダクターの背より生えるは、対三枚、全てを圧巻させ君臨する黒の“六枚羽”。それぞれが生き物の様に躍動し霊気の羽根が無数に飛び散る。


『な、』

 何をする気だ? 加見津乃鵺は言葉を綴ろうとしたが、壇上から発せられる桁違いの霊気に圧され、只見る事しかできない。眼前で寸分なく描かれる荘厳な神話絵画を。


 右手の天羽々斬を水平に伸ばし、堕天使を演じる彼は止まった。


「【禍津界開演まがつかいかいえん――可惜夜一幕あたらよいちまく等活惨景とうかつざんけい】」


 呪言を終え六枚羽が一斉に空間全域を走る。

 広く苛烈に熾烈に、悍ましくも美しい御伽の夜。

 巨大化した羽の一枚一枚が縦横無尽に駆け巡り、ホールを覆い尽くす。


 天上の灯りも、裂け目からの外光も、壁に反射する微光も、ありとあらゆる光が隠され暗黒の世界が顕現けんげんした。



 駐車場広場での激戦を終え一休みしていた志津理と道広、螺旋階段を駆け上がっていた天奈。

 怪異融合者達はこの上ない異常を感知して、心が震え怯える。

「開きましたか、主様」

 只一羽、ホタルだけが理解を示し会館を見下ろした。 



『これは、ナンダ? 私は……何を見ているのだ?』


 視界に移る全てに対して一切の思考が働かない、壁、壇上、座先が黒に染まり今自分が踏みしめている床の感触すらあやふやになる。

 暗黒無音の世界にポツンと残された加見津乃鵺、黒音の姿も隠れ圧迫していた強大な霊気も消失していた。


 唯一確認できる変化は、黒一面に交り絹糸の様に流れる


 ザンッ――。


 紅い煌めきが目にも止まらぬ速さで獣を通過した。

『?』

 反応できず閃光の軌跡を追おうと身体を動かすと違和感を感じた。

 見ると右の手足の付け根が切断されており、そのまま加見津乃鵺はバランスを崩し倒れた。


『グゥ斬られたっ? コンダクターか、しかしどこから⁉』

 手足を再生しながら黒音を探すが、依然として彼の残照ざんしょうは知覚できない。

(どこだ、どこに居る!)

 見渡す暗黒には相も変わらず、紅の道が流れるだけ。


 上空から紅い三日月が落ち、加見津乃鵺の背を斬り裂く。 

 

『ガああっ⁉』

 胴体の半分を貫通した痛みに吠え、どす黒い眼をぎらつかせる。

(闇に乗じての奇襲、いやコンダクターが近づいた気配はない、この空間が彼女の生み出した術式だとすれば、その用途は、意味は?)

 考察を重ねて、流れる幾つもの紅い道を注視した、猿の目、蛇の目を合わせてじっくりと。 


 流れ星の様に曲線を描き続ける紅い道、アレは何だ?

 怪異融合により研ぎ澄まされた旗乃条の眼は、紅い道の細部を見るに届いた。

 そして気付く――アレは道では決して無いと。


 アレは刃だ、極限にまでに高められ研ぎ澄まされた霊気の大鎌ギロチン

 それが幾千、幾万も重なり結ばれ紡いだ……斬撃の天の河。

「気付いたカナ、地獄へようこそ」

 何処からともなく反響する黒音の声に従い、三日月が時雨となり襲い掛かった。


『尾おおアアあ!!』

 四方の全てが攻撃だと理解した獣は雄たけびを上げ跳ぶ、飛翔する斬撃を躱すが虚を突き背後から別の斬撃が襲う。蛇の尾が切断され闇に消える、新たな尾が生えるが紅い斬撃は止まない。


 縦横無尽三百六十度、加見津乃鵺を囲み飛ぶ三日月の檻。初速の気配を感知できない静謐な刃。

『っづ、グお! ぎあ、ガッ、こ、このおおお!!』

 余すことなく斬られ続ける加見津乃鵺はせめてもの抵抗と、親指だけが残った右手で雷撃を放つ。しかし三日月の群れは容易く雷撃を掻き消す、お返しとばかりに斬撃が旗乃条の腹を半分抉り斬った。

 

 止まない激痛に呼吸を荒げ汗が額から流れる、腹、指、斬られた箇所を三度治そうとした時、違和感を感じた。

 ……傷の治りが、遅くなっている?

 全身に描かれた大小様々な裂傷が閉じない、穢れが止めども無く流れる。


『な、ぜ? いかなる傷も治る鵺の肉体を得た、私は不死身の筈だ⁉』

 動揺する加見津乃鵺の左目を三日月が斬った。


「簡単な話、ここが不死を否定する世界だからだヨ」

 縦に裂けた左目を押さえ悶える加見津乃鵺に黒音の声が届く、姿は見えない……しかし間違いなく付近にいる。

『うおおおオおおアああ!!!!』

 加見津乃鵺は滅茶苦茶に雷撃をばら撒く、虚空の彼方に雷鳴が轟き消え続ける。


「等活惨景、死を恐れ生命循環のルールを捻じ曲げた者に断罪を下す煉獄の一層、この世界を形造る幾万もの不死殺しの呪いが……何もかもを絶命させる」


 不死殺し、不死を奪う呪い⁉

『どこだ、どこに隠れているコンダクター!!』

 ズキン、ズキンと痛みが強く全身を刺す、飛びかける意識に喝を入れ加見津乃鵺は猿口から轟雷を放った。

 手足を駆動させ雷で闇を薙ぎ払うが、暖簾のれんに腕押し、手ごたえはまるで無い。


「天奈達と距離が取れたからやっと使えた、敵味方関係なく巻き込んじゃうのがデメリットなんだよネー」

 加見津乃鵺の斜め上空、闇の中からフリルを来た左手が現れる、手のひらを上にかざし指を開く。


 その動きに合わせ、無数の三日月が加見津乃鵺を囲み時計回りで回転する。激しく渦を巻き荒ぶる紅い竜巻。

「紡げ」

 竦み動けない敵に対し黒音はぎゅっと手を握った、紅い竜巻は加見津乃鵺に収束する。


『っっ!!??』

 斬撃の嵐が襲い凄烈に爆発した……やがて露散する紅の中心には切り刻まれ瀕死となった加見津乃鵺が倒れ伏す。

『ぅ……う、ぐ……わた、しはまだ』

 最早、傷は再生しない、電流も弱弱しくまともに戦える状態では無いのに、獣は立ち上がろうとする。


『研究を、完遂させ、る、のだ。私は天魔に進化、する、のだ、わたしは……死なぬ』

「ウウン終わり、この――あたらよの空――が、君の願いを壊す」


 加見津乃鵺の眼前の闇から黒音が姿を見せる。その全身と右手に掲げる天羽々斬に、暗黒を流れる紅い三日月が次々と集まっていく。

 蒼の大鎌が赤黒く塗りつぶされ、禍々しい極光を照り放つ、それは猛火の如く荒ぶる、不死殺しの収束体。


「幕を閉じよう、旗乃条加見津」

『コンダクタアアアアアアアアア!!!!』


 加見津乃鵺は雄たけびを上げ、傷だらけの猿口から全霊の轟雷を撃ち放つ。

 黒音は真っ向から駆けるゴシック服が纏う不死殺しの霊気が轟雷を受け止め、そして殺す。

 濁流を裂きながら突き進む矢羽根、黒音は柄を両手で強く構え遂に接敵する。


 金色の瞳が獲物を見据える、反応できない加見津乃鵺の中心目掛けて、死神は大鎌を振り下ろした。


「フィナーレ!!!!」


 暗黒空間に咲いた巨大な紅き満月。

『――――!!??』

 袈裟懸けに振った絶対の刃は、旗乃条も鵺もまとめて斬り堕とした。


 それだけでは終わらず、建物全体に斜めに切れ目が入り、ゆっくりとずれ始めた、外から様子を窺っていた道広と志津理は、突然の事に目を真ん丸と見開く。

 激しい轟音と砂塵が舞う中で、市民文化会館は無惨にも倒壊して行った。


 規格外の斬撃を受けた旗乃条は悲鳴も上げれず、無常に大地に倒れ動かなくなる。

 そして男の上半身だけを残し、猿、虎、蛇は壊れ溶け煙となり。

 ……今度こそ無の中へ消滅した。


「アハ☆」

 決着はここに、黒音は天羽々斬を優雅に振り――勝利に嘲笑った。

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